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春夏秋冬 乃木坂46〜④

「秋草図屏風/俵屋宗雪」描かれた花「オミナエシ」×パフォーマー・生田絵梨花

螺旋の階段を上がって、表慶館の2階へ上がる。湾曲した手すりはこれまでいく人が触れたのか、鈍く光っていた。何かに手を触れること自体を躊躇いがちなご時世だけれど、こんな時僕は必ず手を伸ばす。手を触れている間、自分の魂がどこか違う時空へ通じる気がするから。

4年前、北海道・旭川を訪れたとき(”彼女”の幻影を追って、吸い寄せられるようにたどり着いた)、雪に半ば埋もれた白樺の木の幹に触れている間、とても心が落ち着いたように、僕は昔からずっとそういう性質がある。

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急なカーブを描く階段を登る間、唐突に不規則なピアノの連弾が聴こえてくる。今登ったばかりの螺旋を振り返ると、時空が歪んだような感覚に陥る。螺旋階段自体のシンメトリー構造も相まって、まるでループしたような感覚に陥る。デジャブに近い。階段の途中に黒猫は・・・いない。そんなものは映画の中だけだ。

登り切ると、視界全体を覆うようにこの作品が出迎えてくれる。

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屏風絵の上に、左右対称に掲げられたスクリーン(当初の予定ではLEDディスプレイを複数枚、シンメトリーに並べる案だった。図録には当初案が掲載されていて、今とだいぶ、印象は異なる)。屏風に描かれているのはオミナエシだ。「オミナ」は「おんな」を意味し、漢字では「女郎花」などと書く。秋にかけて咲く花で、伸びた茎の頂に黄色い花を咲かせる。

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SNSはもちろん、ビデオチャットも電話もない時代、貴族の男性は意中の女性と和歌を交わすことで愛を確かめ合った。恋愛ソングのような気持ちの悪い言葉を並べるのではなく、季節に合わせて風物に仮託して気持ちを綴った。

人恋しくなる秋の夜の侘しさを肌身に感じながら、蝋燭のほのかなあかりの下で気持ちを綴ったのかもしれない。女郎花は特に貴族の男性に好まれたという。

「小説は夜の文学だ」と言ったのは、確か森鴎外だったと思う。秋の夜は特に、人にいろんなことをさせる。

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2枚の屏風絵の左端と右端は、手前に描かれた土手とオミナエシの花が繋がるように描かれている。鏡と鏡を合わせたように、永遠のループ構造になっている。

人間もこのループ構造の中にいる。春夏秋冬を繰り返すように。一巡した季節はまた戻ってくる。同じ香り、同じ風、同じ虫の声、同じ空の色。

もしもこの絵の中に閉じ込められたなら、オミナエシが彩る秋の世界を永久に繰り返すことになる。上にも下にも繋がらない螺旋階段をぐるぐる回り続けるように。

しかし、実際の僕たちは違っていて、永続を願ってもやがてはループの外に放り出される。同じ秋の季節でも、感じることも見るものも一年前とは、二年前とは、まして十年前とはまるで異なっている。時の流れを感じる時、侘しさや寂しさも同時に訪れる。もうあの日には帰れない。

いわば人は螺旋構造の外側をただウロウロしていて、バベルの塔のようにはてるともなく聳え立つ時間の壁に挑み続けている。一人また一人と、脱落者が出てくる。そしていつか自分も100%確実にこの戦いから脱落する。

麻薬のような「いま」という時間の楽しみを享受し続けるか、自分もバベルの塔に挑む一人だと認識するか、ループする絵の前で考えた。

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スクリーンに投影された生田絵梨花の映像が、屏風のカットとともにランダムに切り替わる。彼女は起き上がったり、寝そべったり、手をかざしたり、差し伸べたり、蠱惑的な背中と口元のアップ、こちらを見据える眼差し、少女のように幼い表情を見せることもある。掲げられた2枚のスクリーンの中で、生田絵梨花もループし続ける。

アイドルとしての生田絵梨花と、ミュージカル女優としての生田絵梨花は、まるで別人のように思える。アイドル・生田絵梨花の弾けるような笑顔。明るくて表情豊かで自分の感情に正直な彼女の姿を見た後で、舞台女優としてステージに上がる彼女を見ると、その違いに気圧される。映画「いつのまにか、ここにいる」の中で描かれた生田絵梨花は、二つの世界を分刻みで行き来していた。彼女の中ではすでに世界観が構築されているようだった。

近寄り難く、自分では彼女に到底、及ばない。ほとんど圧倒されながら、それでも彼女から目が離せないのは何故だろう。

生田絵梨花に限らず、乃木坂の1期生がまとっている、個性という名の強烈な魅力。元メンバーの桜井玲香が語っていた、「最初は個の集合体だった」という言葉は、実は今もなおそうなのかもしれない。むしろより濃密な個になっているのかもしれない。

「卒業するメンバーはみんな、最後のステージでものすごく発光するんです」

高山一実が映画の中で語っていたこと。濃密な個が確固たるものに変わる時、彼女たちは自然と今の場所を出ていくのかもしれない。

生田絵梨花も、いつかそういう日が来るのかもしれない。画面の中から何か大切なものを、かつてそこにあった大切な何かを、掴み取ろうとするように手を差し伸べる彼女の姿を僕は目に焼き付けた。

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