あれから13年
すごく暖かくて晴れています。
暑いくらい。
外出はまだまだハードルが高く、一大イベントになります。
寝付けないから、寝不足になるんですよね😅
風は冷たくて、なんだか陽の光と混ざるとぬるい(笑)
この時期そんな日が多いですよね。
13年前。
あの日あの時あの場所で起きたこと。
筆舌に尽くしがたい。
2011年3月11日。
当時は職に就いていたけれど、その日は休み。
起床時からどうにも体調が悪かったことを覚えている。
首都圏在住で、活動範囲は主に首都圏。
その日は、外出するのをやめようかと本気で思いながらも、なんとか出かけた。
その時は、友人と共に外出先で過ごしていた。
大きな揺れを感じる前に、停電。
あるいは、ほぼ同時だったかもしれない。
当時は、ワンセグが普及していた。
テレビをつけると、とんでもないことになっていることがうっすら確認できた。
ワンセグは見ることができたが、電話やメールではまともに連絡が取れない。
電車は運休。
帰宅困難者になった。
タクシーを待つ長蛇の列。
日が暮れるにつれ、気温は下がる。
寒さに身を震わせた。
結局、バスで途中まで移動。
その先は歩いていける距離だったし、道もわかっていたから歩くことにしたが、一旦休憩することにした。
入った店で見たテレビの映像を、鮮明に思い出せる。
津波の衝撃的な映像に、それがどこで起きたのかは認識できていない。
大津波警報が、太平洋側の沿岸ほぼ全域に出されていることが俄には信じられなかった。
休憩を含めて、帰宅を試みてから帰宅するまでに要した時間は7時間ほど。
それでもその日のうちに帰宅できたのは、幸運だったと思う。
その後が大変だった。
電車の本数は通常の半分。
それでも、日本人は働こうとする。
ライフラインに関わるようなところは、休めないかもしれない。
それ以外の休めるところは、休みにしても良かったのではないだろうか。
と、振り返ってみて、思う。
コロナ禍を経たから、ますますそう感じるのかも知れない。
自宅では、輪番停電という経験もした。
もう一つは、震災前から余命宣告をされていた家族のこと。
大きな地震のショックで、食事や水分を摂ることができなくなり、宣告されていた時期よりも数ヶ月早く亡くなった。
4月下旬のことだった。
一種の被災なのだと認識している。
震災から13年。
家族の1人を亡くしてから13年。
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