見出し画像

「海のはじまり」第七話感想

津野くんって、自分の感情を持て余しがちな人ですよね。
けれど、すぐに謝る。
謝ればいいってものじゃないけれど、やっぱり謝る方が良い。
なんで悪かったのかをちゃんとわからないで謝っても意味ないけど、謝らないで済ませられることでもない、という感じなんですよね。

もともと、謝罪って、気休めみたいなものだと思うのです。
往々にして、謝罪する側の気休め。
謝罪された側は、謝られたから、終わりにしなくてはいけない。

津野くんの立場と弥生の立場って、似ているようで、とても違う。
弥生は、母親になりたい、と、現在進行形で思っている。
津野くんは、父親になれたら、と、思っていたかもしれないけれど、父親になれず、なる理由すら失ってしまった。

弥生は、夏が海ちゃんの父親だから、夏との関りがある以上、海ちゃんと関わることが出来る。
でも津野くんにとって、海ちゃんとの繋がりは水季だったから、水季が亡くなったことで、繋がりを失くしてしまった。

水季を大切に思っていたからこそ、水季がいなくなっても、海ちゃんを大切に思う気持ちがあるのに、どうしたって父親にはなれない津野から見ると、弥生に対する感情は相当複雑だと思います。
その気持ちが、あのセリフに繋がるんだと思うのです。

更に、水季が海ちゃんを連れて夏くんの家を訪れた時の話をした気持ちも、理解できる。
生前、水季が自分の死期を察して、自分がいなくなる前に、夏に知らせようとした。
死が目前に迫るまで、夏に海ちゃんのことを知らせようなんて、少しも考えなかった水季の決意が、弥生によって挫かれたことを、黙っていられなかった気持ち。
ずっと水季と海ちゃんのそばにいた人だから、言いたくもなるだろう、と、私は思った。

弥生が、それを真っ向から受け止め。
「そういうの全部教えてください」
と、言ったことで、覚悟は伝わって、津野は、弥生に対して立場ではなく、在り方での羨望という視点が加わったのだと思います。

弥生は、朱音さんにきつい言葉をぶつけられても、津野に意地悪な物言いをされても、くじけない。
その覚悟が、自分にはなかったんだ、と、突き付けられている。

津野が、水季はずっと夏のことが好きで、大切で、海ちゃんの父親は夏だけだ、と、思っていることを理解して、それでも、俺は海ちゃんの父親になりたい、と、踏み込めなかった。
海ちゃんの父親を否定することで、自分の立場を得ようとした自分の浅はかさに気づいたのかもしれない。
覚悟はあっても、一番そばで頼らせてくれる他人から先へは、踏み込ませてもらえなかった津野。

父親のことを否定せずに、あくまでも夏が父親で、ずっと夏が好きな水季ごと包み込むように、父親になる、と、アプローチしていたのなら、あるいは水季も揺らいだかもしれない。
けれど、津野にはそれが出来なかった。

夏が海ちゃんの父親として現れたのも、夏の恋人だから、海ちゃんの母親になりたいと思える弥生の存在も、前提条件が”南雲さんが亡くなったから”なんです。

水季が病気にならなかったら、夏に知らせようとしなかった。
けれどそれが叶わなかった。
命を懸けた決断が、一人の女性の存在によって挫かれた。
きっと水季は、夏の人生をあまりに左右してしまうことを恐れ、それなのに今付き合っている女性の存在を想像もしていなかった自分に愕然とした。
ただ目の前に死が迫ったからと言う理由で、夏へ知らせようとしていた水季自身の愚かさに打ちひしがれ、ついには海自身の選択に委ねるしかなかったことで、水季はあの時に初めて、自分が夏に何も言わずに海ちゃんを産んでしまった責任を痛いほど感じたんじゃないだろうか。
自分の身に何か起きることを、想像していなかった自分の浅はかさを、悔やんだじゃないだろうか。

いずれにしても、水季が元気で生きていたら、海ちゃんの存在を夏が知ることはなかった。
だから、津野は、夏の存在も、弥生の存在も受け入れられなかったんだと思います。
だって、それは、水季の死を受け入れた先にある現実だから。

自分が叶えたくて、もしかしたら水季が元気で生きていたら、何年か後には実現したかもしれない水季と海ちゃんの三人での暮らしは、もう絶対に叶わない。
それなのに、水季が死んだことで、7年間何も知らずにいた夏と、その恋人がいきなり出てきて、海ちゃんと三人の暮らしをしようとしている。
目の前にそんな状況があったら、津野くんの発言は、むしろ優しいくらいだと感じます。

もっと辛辣な、とても感情的な言葉が沢山出てきてもおかしくない。
そこにも、絶対的なストッパーが存在しているんですよね。
朱音さんに、水季のアパートの荷物整理を「家族でやりますから」と、断られた時に、あまりにも明確に、残酷に突き付けられた「あなたは他人です」と言う現実。

他人の俺が、そこまで口を出す権利はない。
それでも、我慢できない、言わずにいられなかったことが、あの弥生とのやりとりだったんだと思います。

母性だの父性だの無償の愛だのと言う会話で、それを一番表しているのは、実は津野なんですよね。
他人である津野が、無償の愛をもって水季と海ちゃんに接していた。
あれを無償の愛と言わずに、何と言うのでしょうか。

津野自身は、全く気が付いていない感じが、本当になんとも言えず、切なくて苦しかった。
だって、病床の水季に欲しいものを訊いて、みかんヨーグルトがなかったら要らないって言われたのに、みかんとヨーグルトを買ってくるんですよ。
立場としては他人でも、そこには確かに家族愛と呼べるものが存在していたと思います。

生方さんって、そういう機微の描き方が、本当に秀逸です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?