見出し画像

【ライズ・アンド・フォール、レイジ・アンド・グレイス】 全セクション版

ウキヨエ: batta_研鑽 =サン

1.


 雲一つない、青く渇いた空。隆起した岩肌、荒れ果てた大地。舗装されぬままにヒビ割れたアスファルト。その傍で古代遺跡めいて佇む、寂れたダイナーズ・レストランや雑貨店の廃墟を見れば、この荒野に伸びるアスファルトが、かつては文明の一端を担っていた道路であったことがわかるだろう。

「ゲェーッ、ゲェーッ……」

 貪欲なハゲタカが、野垂れ死んだらしいソクシンブツめいた旅人の死体を貪り散らしていたが、ハゲタカよりなお貪欲で凶暴なバイオハゲタカが飛来し、乾いた旅人の死体に瑞々しいハゲタカの肉と鮮血をトッピングした。

 かつてこの地にあった国家体制は失われて久しい。USAは崩壊した。Y2K、電子戦争……アメリカ大陸のみならず、世界全土を襲った忌まわしき人類史の転換期、地球上に存在する多くの国家・政府と同様に……。

 自己利益を最優先とする暗黒メガコーポ 、それに追従するメガロシティや、一部の大都市……そしてカネモチたちが独自に造り上げた『シティ』の拒絶の壁の外で、文明は死んだ。秩序は引き裂かれ、混沌と力だけが全てであった。持たぬものは奪われ、虐げられ、死ぬ。極めてプリミティブな世界がそこにあった。

 しかし、それでも人間はコミュニティを持つ生き物である。あぶれた個人たちが集まり、やがて、細々とした町、或いは村と呼ぶべきものを形成していった。

 月が砕け、磁気嵐が消失し、再び人類史が逆戻りの転換期を迎え、各国を行き渡る手段を得た、西暦2048年現在。アメリカを訪れる者で、文明外の荒野を旅する選択は命を投げ捨てることと同意である。電子的・物理的な繋がりを取り戻したことで、より一層暗黒メガコーポ は力を増し、無法の荒野は目を向けられることはなかったからだ。

 ハイウェイ周辺に存在する、文明の〈消失者〉。それよりは幾分か知性を持つ野盗。点在する小コミュニティ。飢えた大地は、死を貪る。

◆◆◆

 ズズーム……ブーズッズー……歪んだ重たいシンセベースが満たす、錆びた金属のパッチワークで出来た物々しい部屋。壁や天井にはかつてネオサイタマで刷られていた性的で下品なポスターが貼られ、ネオサイタマ製のLEDボンボリが猥雑でビビッドな蛍光色を照らす。調度品の幾つかは電子戦争以前のアメリカ製品で、化石に等しい失われたヴィンテージ家具が乱雑に配置されている。

 室内最奥には極彩色のチャブ・テーブル、座してアグラするは、極めて残忍な目つきをした大柄な男。傍では自我を失ったらしい奴隷オイランが、喃語めいた意味なき言葉を発しながら彼のニンジャ装束にしなだれかかる。ニンジャ装束?然り。この男はニンジャだ。

 名をマイティブロウ。逞しい両腕を露出したノースリーブ装束は黄緑色で、インナースーツは橙色。山のような両肩には信号機めいた3色カラー電飾付きの金属板が移植され、毒々しい色彩を放っている。両腕にはそれぞれ『偉い男』『酷さの苦味』の威圧的なタトゥー。

 彼はポスト磁気嵐の時代にニンジャソウルに憑依され、ニンジャとなった。それ以前は文明圏に属し、裏社会を生きるフリーランスの傭兵であった。荒廃し、保守的思考に支配され停滞するばかりであった世界各国の多くの暗黒メガコーポが注目していたのと同じように、磁気嵐によって阻まれた、ネオサイタマの先進的で非人道的手段を厭わぬ技術革新によって産み出された豊穣なテックや文化に、彼は憧憬を抱いていた。キョート共和国から密輸された蒐集品を掻き集め…….。

 磁気嵐が消失した後、彼はまずネオサイタマに向かおうとした。が、事はシンプルにはいかなかった。暗黒メガコーポが挙ってネオサイタマに押し寄せ、権利やテックに手を伸ばさんとしたがために、様々な軋轢が生まれた。

 彼個人はそのいざこざに翻弄され、結局アメリカ国外に出ることは叶わず、そのうえ命の危機に陥り……マイティブロウとなった。

 そして彼は全能感に突き動かされるまま、カラテをもってネオサイタマへ強行しようとした。が、事はシンプルにはいかなかった。ニンジャは彼一人ではなかったからだ。

 企業ニンジャに打ちのめされ、失意のままに荒野へ逃げ延びた。文明の死んだ地で、彼はカラテをもって存在を示そうとした。事はシンプルだった。力さえあれば良く、そして彼はニンジャであったので、力があった。

 野放図の地で弱者から奪い、殺し、蹂躙する。それらニンジャ行為のなか、マイティブロウが目をつけたのが野盗の一団。『ナローズ・ピット』……〈消失者〉よりは多少知性のある集団だった。

 彼らは無法の荒野にアジトを築き、付近の小コミュニティやアウトロー気取りの愚かな旅行者を襲い、攫い、生きていた。頭目はモータルで、荒ぶる獣のような男だった……彼の頭蓋骨は今やこのマイティブロウの私室のインテリアのひとつだ。

 ナローズ・ピットのアジトはマイティブロウ好みのネオサイタマ風のカルチャーに彩られた。手下たちは何の不満もなく、初めからそうであったように彼に従った。命乞いし、部下たちに助けを求める頭目の姿を嗤い、罵詈雑言を口々に宣うような者たちなのだから、それは当然であると言えた。力が全てなのだ。マイティブロウはおもむろに自我破壊奴隷オイランを抱き寄せ、肉欲を満たし始める。嬌声がシンセベースと交じり合い、刺激的なネオンライトが照らす室内に鳴り響いていた。

◆◆◆

 寂しい風が吹き抜けるゴーストタウン。無骨な鉄骨が剥き出しになったカフェテリアの廃墟。看板に書かれた『COME FOR TABLE』の文字は錆に塗れている。文明のあった頃の姿は見る影もなく、荒くれ者の詰め所に成り果てていた。

 嫌味のように晴れやかな朝日の下で、見るからに野蛮な男達が店内外に屯している様は、何かの冗談のように思えるだろう。絵に描いたような無法さだが、これが現実だ。『シティ』の壁を隔てば全くの別世界が広がるばかりである。

 彼らは略奪した物資を吟味しながら、気晴らしにバイオ生物を殺害したり、仲間内で諍いを起こすなどしていたが、そのうちの何人かが外を通る人影に気づいた。まもなく、全員がそちらに注目した。危険なアトモスフィア漂うこの場を通り抜けようとするなど、余程の命知らずであり実際珍しい……それが年端もいかぬ美しい少女であれば尚更だ。

 彼らは違法ドラッグ(この地において法などありはしないが)のトリップに誘われたと錯覚したが、すぐに好奇と下卑た欲に突き動かされ、小柄でカワイイな通行人の前にゾロゾロと立ち塞がり、少女を見下ろした。

 少女の出で立ちは、近所に散歩にでも行くようなタンクトップ姿、不穏さが伺える渇いた血の染みのついたワークパンツ……その血は彼女の流したものではないようだが……それより目を引くのは腰に帯びた無骨な拳銃。49マグナム……馬鹿げた口径に相応しい巨大な鉄の塊じみたそれは、か弱い娘が腰に吊り下げるにはあまりに不釣り合いだ。そもそも易々と持ち運べる重量ではない。

 少女には何やら奇妙なアトモスフィアがあったが、ナローズ・ピットの濁った目と爛れたニューロンは無思考のまま、彼女をただの獲物として見做していた。

 彼らは度々、この手のアウトロー気取りの哀れな犠牲者を屠ってきた。ナメられないよう、仰々しい格好をしてアブナイから身を守ろうとする者達をだ。この少女もまた、そういうメソッドで自衛しようというのだろう。しかしその無骨な49マグナムはハッタリにしても些か大袈裟に過ぎる。現実的でないし、オモチャを持ち歩いているのと同じだ。子供らしい浅ましい考えだ……略奪者はそう考えた。

「ヘイ、ヘイ!お嬢ちゃん。こんなとこで何してんのかな?」

 うち一人がガラガラ声で呼びかけた。

「……」

 少女は粉じみたウェスタンハットを少しあげ、無表情のまま視線を彼らに向ける。何ら臆することなく。略奪者たちはゲラゲラと笑い、手に持つ得物を構え舌舐めずりをした。彼らのなかから一際体格のいい大男が、棍棒を威圧的に掲げながら進み出てきた。

「グフ 、グフフ……お嬢ちゃん、いい根性してるねェ……それか何も知らないバカなのかな?俺のセンサーが示すに、そのう……10歳過ぎ……いや、14、5歳かな?ワカル、ワカル……食い頃な」

 自らの下半身の一部分(彼が言うところのセンサーだ)を下品なハンドサインで指差す大男に、タンクトップから覗く素肌をジロジロと値踏みするように観察されながらも、少女は顔色ひとつ変えない。

「へっへ!相変わらず趣味の悪い奴だぜ!なぁ嬢ちゃん、コイツはホレイシオってんだ。ガキしかファックしねェ、正真正銘最低最悪の悪党だぜ?」

 大男、ホレイシオの側から取り巻きが恐怖を煽るようにして言葉を放つ。なおも少女は反応しない。ホレイシオは興奮に息を荒げながら、危険な眼差しを強めた。

「グフフ……グフ、フフ……ウッカリ殺しちゃうこともよくあるんだけど……まぁそれはそれで楽しめるからねェ……グフフ、その綺麗な顔も、慎ましいバストも、小さな腰も……グフ 、身体の隅々まで、よぉーく味わってやるからねェーッ!!」

 巨漢が少女に向かって飛びかかる!ナムアミダブツ!

 BLAM !!!

「……ア……?」

 轟音。ホレイシオは訝しんだ。下卑た声達が一斉に止み、静寂が場を包んだ。彼は下半身に違和感を覚えた。感覚がない。身体がバランスを崩している。視線を下に向ける。千切れ飛んだ両脚と、腰から垂れ下がる己のはらわたの残骸が見えた。下半身が消え失せていた。瞬間、激痛が走った。

「「「アババババーッ!!?」」」

 大男が泣き叫びながら渇いた地面に崩れ落ちる。ほぼ同時に、彼の後ろにいた数名のナローズ・ピットも、身体に風穴を開けられ、肩から上が千切れ飛び、鮮血を吹き上げながら地面に倒れていった。

「鉛弾の味はいかが」

 少女はやはり無表情のまま、淡々と言い放つ。その手に構えたるは49マグナム『サン・シーカー』。熱を帯びた、黒曜石のように黒々とした無骨な銃身と、ダークチェリー色の美しいマホガニー材のグリップ。陽の光を受けて鈍く輝く巨大なリボルバーから放たれた大砲じみた銃弾は、無慈悲にホレイシオの股間に風穴を開け、下半身を断裂せしめた。貫いた弾丸はそのまま、数名の肉体を破壊した。

 撃ったのだ。無骨な鉄塊じみた拳銃を、この少女が、片手で……!

「「「ウ、ウオオーッ!?」」」

 ナローズ・ピットのヨタモノ達は戸惑いと恐怖が混じった雄叫びをあげながら、一斉に少女に襲いかかる。殺らねば殺られる!獣めいた感性だ!

 顔色ひとつ変えぬまま、少女は跳躍する。常人ならざる高度。彼らの頭上へ。空中で銃口を敵に向ける。

 BLAM !

「アバッ!!」1発、頭部を粉砕する。射撃の反動を殺さず活かし、そのまま空中で回転。感覚を研ぎ澄ます。角度を調整する。銃口は敵ではなく、その側面。建造物の壁、剥き出しになった鉄骨へ。

 BLAM !

「「「アババーッ!?」」」1発。悲鳴は3人分。跳弾させた弾丸が横薙ぎに貫いた。
敵を飛び越え着地。空色の瞳が標的を見据える。

 BLAM ! BLAM !! BLAM !!!

 ……「ハァーッ!ハァーッ!」

 バリーは息を荒げながら、逃げ出していた。無慈悲に飛び交う弾丸。散らばるネギトロ。瞬く間に広がったツキジめいたブラッドバスを背に、ゴーストタウンを縫うように駆けた。訳がわからなかった。建物の影に隠れ、震える手で懐からアンプルを掴み、静脈注射。遥かに良い……落ち着いてきた。

 コワイ。アレは……アレはニンジャだ。ニンジャナンデ。コワイ。震える手で錠剤を口にありったけ放り込み噛み砕く。遥かに良い……遥かに。

 大丈夫だ。ニンジャはナローズ・ピットにもいる。自分たちより上の立場だ。彼らはコワイ。ニンジャだからだ。そしてあの小娘もニンジャだ。つまりコワイ。ニンジャはコワイ。コワイ、コワイ!何も良くない!

 恐る恐る、建物の影から顔を少し出し周囲を警戒する。誰もいない。銃声はもう聴こえない。悲鳴もだ。あるのは風の音と、頭上を飛ぶバイオハゲタカの鳴き声……もう屍肉を嗅ぎつけているのか。だが降りてこない。彼らは警戒心が強い。しかし、人間一人程度であれば恐れることなく襲いかかってくる。そういう生き物だからだ。

 それが、何かを恐れて、降りてこない……自分の心臓の音がハッキリと聴こえる。不安と恐怖に負け、薬物投与の衝動に駆られる。息を呑みながら顔を引っ込める。

 少女がいた。

「アイエエエエ!?」

 悲鳴を上げるバリーの顎下に、熱帯びた銃口が押し当てられる。

「いたぶる趣味はない」少女は無感情に言った。「私の質問に答えて」

「ハイ」

 バリーは震える声で答えた。自分は確実に殺されるのだと思った。そうすると、嫌に思考が落ち着いてきた。鎮静作用が漸く効いてきたのだろうか?

 少女は人を探しているらしかった。精悍な顔つきをした男の顔写真と名前……ヒック・ハウイット。バリーは素直に答えた。そいつはもうとっくにくたばっているし、大切そうに持っていたペンダントは奪い取ったと。

 ……そう、さっきの通りのカフェテリアの床下に、他の金目のモノと一緒に仕舞ってある。そのうちキャラバンにでも売りつけるのさ。殺したのは俺じゃないぞ、マイティブロウ=サンだ。俺らのボスだ。その、その写真のそいつ……威勢のいい奴で、正義漢ぶって生意気だったからさぁ。見せしめみてぇにぶち殺されたのさ。ありゃ楽しかったね……ん、あれ?殺さないのか?……。

 銃口が離れた。少女は横跳びに転がり込んだ。

「イヤーッ!!」

 響いたカラテシャウトは彼女のものではない。アンブッシュ者が発したものだ。即ちニンジャ!少女を狙った4枚のスリケンはバリーの肉体を無慈悲に貫いていた!

「アバーッ!!?」

「イヤーッ!!」

 BLAM !!! BLAM !!! BLAM !!! BLAM !!!

 ナムアミダブツ!略奪者の断末魔は襲撃者の更なるカラテシャウトと49マグナムの咆哮に掻き消された。放たれた弾丸はスリケンを砕き、砕き、砕き、砕き……!朽ちた廃屋の屋根上に立つニンジャの元へ飛んでいく!

「イヤーッ!!」

 屈強な肉体を鎖帷子に包み、目元を露出した兜型ヘルムメンポを装着したそのニンジャは、己のブレーサーに装着された丸盾の外周曲面部スレスレに弾丸を当てて受け流し、衝撃を逸らした後、跳躍。少女からタタミ5枚分程の距離に着地し、敵意の眼差しを向ける。視線が交錯する。

「ドーモ、はじめまして。カープスタンです」

 初めに襲撃者が名乗った。一連のアンブッシュが終了した証だ。次いで少女が名乗り返した。

「ドーモ。アズールです」

 少女……アズールの空色の瞳がキッとカープスタンを睨め付け、剣呑なアトモスフィアに空気を張り詰めさせる。

「何やら騒々しいと思えばニンジャ……それも小童とは。ナローズ・ピットに何の用だ?蒙昧なる文化圏の企業戦士か?」

「……」アズールは何も答えない。

「フン、黙んまりか。まぁよいわ……」

 カープスタンは鼻で笑いながらも、油断なき構えで敵の攻撃に備え、摺り足でジリジリと距離を詰めていく。

 彼の左腕に装着された丸盾の中央部に開いた4個の縦スリットはスリケン射出口になっており、攻防一体のイクサを可能とする。古代ローマ剣闘士めいた風貌をしているが、彼が携えるは剣ではない。右腕に構えるそれは……チョップだ。凄まじいカラテを漲らせたチョップである!対するアズールは敵に向けた49マグナムの銃口を微動だにさせず、その場を動かない。

 一触即発。一際強い風がビュウ、と吹き抜ける。先に動いたのは……。

「イヤーッ!!」

 カープスタンだ!全速スプリントし、チョップ突きの姿勢をとる!タタミ3枚分ほどに距離を詰める!

 BLAM !!!

 響く轟音。カープスタンは姿勢を地面スレスレに屈め弾丸を回避。チョップ手を豪快に地面に引き摺り土埃を上げながら更に接近!恐るべきグラディウス・ドーの戦士は重剣めいたチョップを振り上げんとする!

「イィイイヤァァアーーーッ!!」

 アズールは対峙するカラテの威圧感に目を細めながら、敵を限界まで引き付け……チョップの刃先が間合いに入るギリギリで引き金を引いた。BLAM !!! 反動を使い後方へ飛び下がる。カープスタンは盾の曲面で弾丸を受け流そうとするが間に合わず。盾の正面で受け止める。

「ヌゥーッ!?」

 凄まじい衝撃を盾越しに感じながらカープスタンは唸った。銃口から放たれた弾丸はカラテを含まない。故にカラテ防御による威力減衰はできず……純粋に盾の強度のみで受け止める形になった。貫通は免れたものの、盾全体に蜘蛛の巣じみた亀裂が走った。その上、スリケン射出口スリットが幾つか歪み潰れてしまった。

 だが次だ。カープスタンはドッシリと中腰に構え、チョップ突きの姿勢をとる。彼は注意深くアズールのムーヴメントを観察していた。

 弾丸をカラテで生成しているわけではないことは今の防御でよくわかった。ならば必然、アウト・オブ・アモーが訪れることになる。リロードを挟まねばならぬ。故に敵との距離を開ける必要がある。物陰に隠れるか、回避動作の中にリロードを混じえるか。どちらにせよ、ここまでの動きを見るに、まず飛び下がり回避することは間違いない。スリケンすら投げず、ひたすらに直接のカラテを避けている……。

 実際この思考時間は一秒にも満たぬ。ニンジャのニューロンがそれを可能とする。イクサに求められるのは無慈悲なる状況判断だ。

「……もしや貴様、スリケンの生成すらできんサンシタか?それでくだらん銃弾に頼らざるを得んと、そういうわけだ……装填数は何発だ?5発か、6発か、そうだな?残弾は把握しているか?シリンダーを確かめて見てもよいぞ、小童」

 嘲笑を声音に乗せてカープスタンは言葉を紡ぐ。リロードの概念を印象付けさせ、思考・行動を絞らせるためだ。アズールは厳しい無表情のままサンシーカーを握る。その無骨な巨砲に釣りあわぬ華奢な手が一瞬強張ったのをカープスタンは見逃さなかった。

「イヤーッ!!」

 畳み掛ける!歪んだスリケン射出口のうち2つからは不成形の金属屑が零れ落ちたが、残り2つからはやや形を崩したスリケンが時間差をつけて発射された。最初にスリケンを発射した方のスリットは射出直後に破損、スリケンの勢いもやや弱いか。少女はやはり飛び下がる。最初の1枚は回避したが……!

「……ッ!」

 もう1枚がアズールの横腹を掠めた!タンクトップに血が滲む。痛みを感じながらも彼女はキッと敵を見据えた。破城槌じみたチョップを構えたカープスタンが迫る。心臓を貫かんとする凄絶なカラテ。アズールは口を少しだけ開け、小さく息をついた。そして、何かを宙空へ向けて放り投げた。

「ウヌッ……!?」

 カープスタンのニンジャ動体視力はその何かを捉える。それは陽の光を受けて銃身とグリップの輝きを魅せていた。サン・シーカー。

((得物を手放しただと?リロードの隙を晒すを良しとしなかったか、或いはジツの予備動作……構わぬ、どのみちこのまま殺す!ジツを使わせるよりも先に!!))

 刹那的な思考!カープスタンは勢いを削がず突貫する。頭上の宙空で無骨な拳銃が通過する。チョップ突きの手に漲るカラテが熱気を放つ。飛び下がりて回避すれば踏み込んで追い打ちをかける!

「イィイイヤァァアーッ!!」

 ……一瞬。一瞬だ、彼が放り投げられた49マグナムに気を取られたのは。そしてニンジャのイクサにおいてその一瞬はあまりに致命的だった。カープスタンは目を見開いた。

 アズールは飛び下がらなかった。それどころか、カープスタンめがけて飛び込んできたのである。その両手には……クナイ・ダート。間合いの感覚を狂わされ、カープスタンの動きが一瞬鈍る。空色の瞳が彼を射抜く。

「イヤーッ!」

「グワーッ!?」

 放たれたクナイ・ダート、その1本はカープスタンの右腕に刺さり、もう1本は丸盾の中心、最後のスリケン射出口スリットを精密に貫いた。

「貴様……ッ!クナイを隠し持っていたのか!?卑劣な……」カープスタンは憎々しげにアズールを睨む。その目に驚愕の色が映る。少女の両手にはクナイ・ダートが生成されていた。

「イ、イヤーッ!!」

 カープスタンが無理矢理にチョップ突きを繰り出す。アズールは歯を食いしばりながら顔を逸らし、紙一重で致命的一撃を避けた。その頬に赤い筋が一本、横に走る。尚も接近。体格差のある相手を見上げ、しなやかに跳躍する。

「イヤーッ!」

「グワーッ!?」

 彼女はカープスタンの頭上で前転するようにして勢いをつけ、両手のクナイ・ダートを振り下ろし、その両肩に抉るように深々と突き刺した!そのまま空中へ飛び出し、カープスタンの後方へ。宙空を舞うサンシーカーを掴み取る!

「コシャクな……ッ!!」

 並々ならぬ怒気を発しながら、グラディウス・ニンジャクランの戦士は振り返った。得物を掴んだアズールは、彼に背を向けた状態で空中にいる。

 カープスタンの左腕の丸盾がパージされた。それを手で掴み取り、古代オリンピック円盤投げ選手めいた投擲姿勢をとった。その背、肩、腕に縄めいた筋肉が盛り上がる。極限に高めたニンジャ膂力を解放する!

「イィイイヤァァアーーーッ!!!」

 空気を引き裂く音を発しながら丸盾投擲。彼の手を離れた直後、その外周曲面部の縁から円刃が展開された。危険な円盤がアズールの背に迫る!

「死ね!小童!死ねーッ!!」

 おお、このまま彼女は無惨に引き裂かれ、死の大地に身を埋めバイオハゲタカの餌となってしまうのか!?……アズールは振り返った。その瞳の空色は、神秘的な光を灯していた。

「グワァァァアーーーッ!?」

 瞬間、悲鳴をあげたのはカープスタンだ!突如その身体から鮮血が噴き上げ、筋骨隆々の肉体が不自然に宙に浮き上がる!

 彼は混乱するニューロンのなかで、辛うじて事態を把握した。微かに空気の歪みを認識した。何か……何かが彼を襲った。姿見えぬ襲撃者が。

「GRRRRR!!!」

「グワーッ!?グワッ、グワーッ!!」

 その者は咆哮を挙げながら牙を、爪を、カープスタンに食い込ませた。獣だ。巨大な獣だ!荒ぶる超常的な不可視の獣が、無慈悲なる蹂躙を見舞っているのだ!コワイ!

「グワーッ卑劣攻撃!卑劣攻撃グワーッ!!グワッ、アバッ!!アバババーッ!!」

 BLAMN !!!

 轟音。獣に振り回されながら、血走った目でカープスタンは見た。泥めいて鈍化した主観時間で彼は見た。アズールは重力に身を任せ降下しながら慣れた手つきで瞬時にリロードを済ませ、脇の下から片腕を通し、後方に迫る危険な円盤を狙い撃っていた。直撃。砕け散った盾を背に、放たれた鉛玉は跳弾。獣が吠え、カープスタンを放り投げる。迫る弾丸。サンズ・リバーへの渡賃は彼の兜型ヘルムメンポを突き破り、こめかみを貫いた。一瞬遅れてその顔の半分が砕け散り、爆ぜた。

「サヨナラ!」

 アズールは爆発四散するカープスタンを一瞥した後、思い出したかのように頬から垂れる血を手の甲で拭った。そして虚空に向けて何かを呟くと、空色の瞳に宿った神秘的な光は薄れ、消えていった。不可視の獣も消え去った。

 少女はウェスタンハットを深く被り直しながら歩き出し、『COME FOR TABLE』の錆びれた看板の元へ辿り着ついた。荒くれ者達の死体に貪りついていたバイオハゲタカ達が不満そうに叫びながら空へ飛び立っていく。アズールはそちらに視線を向けることなく、朽ちたカフェテリアの店内へ。

 ナローズ・ピットの悪趣味なインテリアが出迎えるなか、彼女は室内を見渡した。そしてある一点を見やると、そちらに歩みを進め、屈み込んだ。周囲の床材と僅かに色調の異なる木材に手をかけて引き剥がし、埃っぽい床下を覗き込む。そこには薄暗い空間が広がっており、何らかのケーブル群や、爆発でも起きたのか、焦げ跡が焼きついた古めかしいUNIX筐体の残骸が疎に放置されていた。

 アズールは床下に降りた。無惨に焼け焦げた機械類は埃を被っており、長らく誰の手も触れていないことが察せられた。スクラップに紛れ、焦げた人骨と思わしき物も散らばっている。ここで一体何が起きたのか、彼女は知る由もない。彼女にとってはどうでもよいことだ。

 薄暗い視界の中、彼女は足元を見やる。雪道の轍めいて、埃や汚れの無い箇所……即ち足跡を。それは斑模様に錆が広がる金庫に向けて続いていた。予想通り、鍵はかかっていない。ナローズ・ピットのような荒野を生きる荒くれ者達にとって、この手のセキュリティは煩わしいだけの無用の長物だからだ。

 華奢な腕で彼女は金庫を開ける。元はトロ粉末のタッパーかコーベインかを保管していたであろう金庫のなかに、略奪者が奪い取っていった金品が無造作に押し込められていた。目を凝らし、品々を掻き分け探り当て……引き抜く。

 ジャラリ、金属音が寂しげに響いた。褪せたロケットペンダント。チャームを開くと、仲睦まじげな家族写真が収められていた。今は亡き持ち主の姿も、そこに写っている。アズールは口を噤み、暫く立ち尽くしていたが……懐にペンダントを仕舞い込み、踵を返した。床下から這い上がり、店外へ。

 今度はハゲタカの群れが屍肉を喰らっていた。徒党を組んだオーガニックのハゲタカ達がバイオハゲタカの群れを追い払ったのだ。生傷だらけの彼らはアズールを見てもゲェーッ、ゲェーッ、と鳴くばかりで飛び立とうとせず、立ち去る少女の背を睨みつけながら屍肉を貪るのだった。

◆◆◆

 コン、コン。

 奴隷オイランを気紛れに弄ぶマイティブロウの耳に、扉をノックする音が聴こえた。彼は残忍な目に侮蔑の色を混じえながら、入室を許可した。現れたのは、黒色と灰色のツートンカラーのニンジャ装束を着た男。ニンジャの名はリゼントメント。彼はオジギをしながら、細い声で言った。

「ドーモ、マイティブロウ=サン。報告があります」

 マイティブロウは不機嫌を露わにしながら無言で睨む。彼はリゼントメントを嫌悪していた。ニンジャでありながら、ナローズ・ピットに何食わぬ顔で所属し、モータルに顎で使われていたその惰弱さをだ。

 ジツもなくばカラテもない、モータルに毛が生えた程度のカス。全くもってブルシットな野郎だ……何より気に入らないのはその出身だった。リゼントメントはネオサイタマの生まれなのだ。それも磁気嵐が消失するよりも前にニンジャとなっているようだった。

 磁気嵐が消えた後、フラフラと目的もなく国外へ赴き、どこぞのケチな鉱山でコキ使われた末に重労働から逃げ、最終的にナローズ・ピットに身を寄せるに至ったという。非ニンジャは当然カスだが、半端なニンジャのカスは最低のゴミカスだ。マイティブロウはそのように考え、リゼントメントを嫌う。

 露骨な蔑む態度を受けながら、リゼントメントは眼元に曖昧で卑屈な愛想笑いを浮かべながら報告を続けた。鼻から下を覆うクローム製メンポの下も、さぞ情けない面をしていることだろう。

「アー、エット……カープスタン=サンとの連絡が途絶えていまして……」

「ニンジャか?」

 単刀直入にマイティブロウは問うた。カープスタン。ナローズ・ピットを牛耳った後に迎え入れた、手勢のニンジャだ。そのワザマエには彼も一定の敬意を持つ。何よりネオサイタマ出身だ。目前の軟弱者と違い、強靭なカラテあるネオサイタマ者だ。

 しかし……死ねば終わりだ。実際、この地において……否、ニンジャの生きる世界において連絡が途絶えるというのは息絶えるのと等しい。そしてニンジャを殺せるのはニンジャだ。至ってシンプルな結論である。

「アー、ハイ、多分……そうです、ハイ、ええ、確認はまだ取れてませんけど……ソリッドクロウズ=サンが動いてくれるみたいで……」

「ソリッドクロウズ=サン?チッ……あの意地汚いケチな傭兵の爺めが。テメェが頼み込んだのか?リゼントメントォー……」

 苛立たしげに問うと、答える声はやはり細く、辿々しかった。

「ハイ、ハイ、アッ、アノ……そうです、もう調査に入ってる、らしい……です、多分、ハイ。実際ダイジョブそう……ええ……アッ、もう報告終わりです、出ていきます!」

 溢れる殺意を感じ取ったリゼントメントは慌ただしく言葉を紡ぎ、そそくさと逃げるようにして退室した。彼が扉を閉めた直後、スリケンが扉に突き刺さった。マイティブロウが投擲したのだ。一瞬前までリゼントメントの背があった空間である。「アイエッ!」扉の向こうから短い悲鳴があがり、遠ざかっていった。

「ブルシット……クソッタレのカスめ」

 マイティブロウは苛立ちながら奴隷オイランを弄ぼうとしたが、彼の発するキリングオーラとニンジャ存在感によって、それは物言わぬ死体となっていた。ショック死したのだ。自我を失ってなお、ニンジャへの本能的恐怖は絶たれぬものであった。

 残忍なニンジャは反射的に拳を振り下ろし、自我なき奴隷オイランの頭をスイカめいて砕いた。そして目を閉じ、ゆっくりと噛み締めるように深く息を吐いた。素晴らしいアンガーマネジメントだ。

◆◆◆

 威圧的な印象を与えるスパイクを過剰に生やしたカーキ色のオフロードバギーが陽の光に照らされ、怪物の産声の如きエンジン音を轟かせる。運転席に座りハンドルを握るはアズール。カートゥーンめいた刺々しいバギーは彼女の所有物では無い。カープスタンの物だ。ペンダントを回収した後、彼女はゴーストタウンの外れに向かい、この物々しいビークルを見つけた。

 カープスタンがアンブッシュを仕掛けてきたときの状況、彼の当初の立ち位置などから、その置き場所を予想していたのだ。そしてそれは実際当たった。エンジンキーはやはり挿さりっぱなしで、容易く少女に手綱を引き渡した。

 小柄な体躯ゆえ、運転座席のシートを限界まで前部に引き摺り出し、足をめいいっぱいに伸ばしてアクセルペダルを踏み締める。冗談のような駆動音を発しながら、オフロードバギーが大地を駆け出した。

 空席の助手席には広げられたマキモノ。ドリンクホルダーらしきパーツに捩じ込まれていたそれを開いて内容を見たとき、彼女は顔を顰めた。マキモノに記された地図には武装キャラバン『BESTIE』の予測進行ルートと、不穏な「たくさん奪って殺す」の文言が刻まれていたからだ。カープスタンは襲撃に向かう途上で攻撃を仕掛けてきたのだろう。彼にとってはほんの寄り道程度の行動だったであろうが、踏み入れ向かった先はジゴクだった。

 アズールは車載ディスプレイと簡易IRCデバイスを見やる。微弱な電波を拾い上げながら、応答を願うメッセージがログに流れていく。文明圏や『中立非戦市街地』が構築するネットワークは、荒れ果てた大陸にさえ根を張っている。畢竟、人類はどうやってもインターネットから逃れることはできないのだ。

 メッセージの発信者の名をアズールはニューロンに刻む。リゼントメント。ニンジャ第六感はその文字列がニンジャネームであると告げていた。カープスタン、リゼントメント、それに……インタビューで名を聞いたマイティブロウ。複数のニンジャを抱えた集団。武装キャラバンに他のニンジャが攻撃を仕掛けるであろうことは予想に難くない。

 照りつける陽の光の下を、オフロードバギーが駆けていく。『BESTIE』の元へ。少女は一人、荒野を行く。


2.

 カンカン照りの陽の光。正午はとうに過ぎた昼下がり。渇いたアスファルトの道を、仰々しくガトリングガンや火炎放射器などを備え付けた異様なバンの編隊が縦列を組んで走行していた。先頭を走るカンオケ・トレーラーは一層異様な風体だ。車体のあらゆる箇所に固定砲台が付き、牽引した大型コンテナの上体と側面には遠隔射撃用ドローンの発着装置がフジツボめいてびっしりと生えている。

 運転席に座るは、ドレッドヘアーめいて生体LAN端子からケーブルを垂らす、黒人のニンジャ。厳ついサイバーサングラスに、工業製品めいた鋼鉄製メンポ。伸びたケーブルは超自然的な光を帯び、車内の至るところに設けられた端子に接続されている。

 彼の名はワンダリングフリッパー。タナカ・ニンジャクランのソウル憑依者だ。ケーブルを動かすはキネシス・ジツ。ハンドルすら彼は握らない。ペダルもだ。LAN直結による自動化である。

「ン……」

 カンオケ・トレーラーの大仰な車体が滑らかな動きで縦列を逸れた。後続もそれに倣い、車体を動かす。彼らが進もうとしていた道に仕掛けられた地雷やステルス・トラバサミ等のトラップは起動することなく通過されていった。

「ケチな罠仕掛けやがって」

 河を滑る舟のように、次々と危険なトラップを回避していく。彼は網膜に映し出されたメッセージに目を通す。『襲撃な:複数』『中立非戦地まで逃げれば』の文字列。

 彼は陽気な鼻歌まじりに、車内増設ロボアームから輸入品ザゼン・ドリンクを受け取り、水でも飲むように一気に飲み干した。そして目を閉じて瞑想。活性化するニューロンの動きをつぶさに感じ取り、ジツのリンクを高める。トレーラーそのものを自身の四肢とするように感覚をシンクロさせる。車体に備え付けられた固定銃座たちが雄々しく展開し、フジツボめいた発着装置から遠隔攻撃用ドローンが飛び立っていく。

「……ヨシ、いつでも来いや」

 不敵に呟く。網膜にメッセージ。『出迎える』『ヤツケテシマウ』。それから間も無く、土煙をあげながら猛々しい野盗の集団がサイバー馬やチョッパーバイク、モンスタートラックを駆り、雄叫びを上げながら編隊に迫ってきた。

 バン編隊が掲げる『BESTIE』の名が記された旗が風に靡く。彼らは武装キャラバンの一団である。USA崩壊後のシンプルな荒野の世界においても、マネーは回る。彼らや『中立非戦市街地』の存在故に。

 武装キャラバンは荒野を巡り、文明圏の物品や珍品を売買する。そして当然ながら、文明消失者の襲撃を受ける。過剰搭載された火器は正当防衛の申し子だ。『中立非戦市街地』に属する武装キャラバンはその立場上、能動的に武力行為を行うことはない。あくまでも自衛の為、商品を守る為に重装備を着込み、旅をするのだ。

「「「ウォーホーホーオ!!!」」」

 野蛮な叫び声をあげながら、荒くれ者たちは武装キャラバンを挟み込むように展開し、追い縋る。ビークルやサイバー馬が掲げる旗にはメチャクチャな字体でナローズ・ピットの名が綴られている。

『ナウ、ダンス!!』

 先頭カンオケ・トレーラーの車外据え付けスピーカーから、音割れしたワンダリングフリッパーの野太い声が響き、空気を痺れさせた。無数の小型ドローンが展開、それに続いて縦列編隊の各車両ルーフやフロント部から身をもたげたガトリングガンが火を噴いた!

 BRATATATATA!!!! BRATATATATA!!!!

 血走った目で襲いかかった荒くれ者らを、銃弾の嵐が迎え撃つ!

「「「アバババーッ!!!」」」

 一瞬のうちに血煙が、鉄屑が、荒野に飛散する!

『ファッカー、ダンス!!』

 BRATATATATA!!!! BRATATATATA!!!!

「「「アバババーッ!!!」」」

 ナムアミダブツ!ネギトロ・パーティだ!

「「「ウォーホッホーッ!!」」」

 凡そ正気と思えぬ荒くれ者達が肉盾ごと貫かれながら血塗れになりながらも無理矢理に押し通り、武装車両に喰い下がる。棍棒やカタナ・ブレード、ハンマーなどの危険な武器を手に、ルーフに飛び乗ろうとする!しかし!

「「イヤーッ!!」」

 先頭車両のコンテナから飛び出した二つの影が発したカラテシャウトが空気を引き裂き、投擲された情け容赦ないスリケンが接近者を殺害!

「「「アバババーッ!?」」」

 投擲者二人はルーフに着地し、襲撃者の一団を威圧的に睨みつけ、アイサツした。

「ドーモ、ブラックルインです」黒装束に身を包んだ長身の女ニンジャ。頭巾はつけておらず、結わえた薄いブロンド髪が風に揺れる。鼻から下を覆う鋭角のメンポ同様に、その目つきは刄のように鋭い。

アウェアネスです」続いてアイサツしたのは防弾ジャケットを思わす物々しいニンジャ装束に身を包んだニンジャ。その両腕は軍用サイバネ・アームに置換されている。ニンジャ頭巾と一体化したメンポから覗く油断なきサイバネ・アイはギョロギョロと動き、戦況をスキャニングしていた。

「「「アイエエエエ!?ニンジャ!?ニンジャ……ウオオォーッ!!」」」

 ナローズ・ピットは恐怖に慄いたが、すぐさま狂気とドラッグのトリップに呑まれ、命知らずな突撃を敢行した。

「イヤーッ!」「アバーッ!!」

 ブラックルインが近づいた一人の頭部を踵落としで粉砕した。そのまま首無し死体を蹴り飛ばし、別の一人に叩きつけた。

「グワーッ!アバーッ!!」

 ビークルから叩き落とされたその身体は後続のサイバー馬に踏み潰され血の染みを大地に広げた。

「イヤーッ!」「アバーッ!」

 勢いそのままに彼女は跳躍し、サイバー馬に乗る略奪者の首をチョップで刎ね飛ばす!ハッソー・トビの如くに次々と飛び渡り、敵を殺し、殺し、殺していく!

「イヤーッ!」

 アウェアネスのサイバネアームの機構が開き、赤熱した扇めいたアンテナが展開される。フォワウフォワウフォワウ……奇妙な音が鳴り響くと、忽ち荒くれ者数人の頭部がトマトめいて弾け飛んだ!

「アバババーッ!?」

 特殊音波によって沸騰したニューロンが爆ぜる!フォワウフォワウフォワウ!

「「「アバババーッ!!アバッ、アバババーッ!?」」」

 次々と頭部が爆発していく!コワイ!
彼らから離れた位置で編隊を囲い込む荒くれ者や、恐るべきニンジャの力に慄き正気づいて逃げようとする者達はワンダリングフリッパーの操るドローンによってあっという間にネギトロ殺!

 一瞬の内にナローズ・ピットは総崩れになり、残すは遠巻きに恐慌するバギー数台、乗り手は十人前後!ブラックルインがそちらに向かい跳躍、全滅させんとする!

「……ヌゥーッ……」

 一方、アウェアネスは脂汗を滲ませながら、周囲を目まぐるしく注視し、ワンダリングフリッパーとブラックルインにIRCメッセージを送る。『敵性ニンジャ存在有り:感知中』……瞬間、彼は驚愕に目を見開いた。ブラックルインが向かった生き残りの群れ、その後方に突如として接近する影あり!間違いなくニンジャだ!

「ブラックルイン=サン!!」

 叫びながらアウェアネスはルーフから飛び離れ、チョッパーバイクの残骸や騎手を失い走り続けるサイバー馬の背を蹴り渡り闖入者の元へ!ブラックルインが敵の存在に気づき振り返ったその時既に、赤褐色のフレキシブルなニンジャスーツを纏った偉丈夫は高く跳躍しており……彼女に向けて赤熱したチョップを振り下ろしていた。

「イヤーッ!」

 無骨なガントレットに覆われているのか、そのチョップ手は、もう片方の手と比べて倍ほど厚く、大きかった。死が迫る……。

「イヤーッ!」刹那、横入りにインターラプトをかけたのはアウェアネスだ!「グワーッ!?」ブラックルインはアウェアネスに蹴り飛ばされていた。「イヤーッ!」彼は蹴りの反動を使って跳び、身を翻す。一瞬前まで二人がいた空間をチョップが空振る!

「ドーモ、アウェアネスです!イヤーッ!!」

 騎手不在の疾走サイバー馬の鞍上に着地していたアウェアネスが扇型アンテナを展開!フォワウフォワウフォワウ!指向性の特殊音波がブラックルインを巻き込まぬよう範囲を絞りながら暴風の如く吹き荒れる!

「「「アバババーッ!!」」」

 ナローズ・ピット無惨!乗り手が死亡したために暴走したバギーが明後日の方向へ走っていき、岩に跳ねて爆発炎上!

「グワーッ!?ドーモ!ソリッドクロウズ、です!」

 ソリッドクロウズを名乗ったニンジャは特殊音波に一瞬怯んだように見えたが、すぐさま殺意にカラテを漲らせ、疾走する騎手不在のサイバー馬の鞍上にニンジャバランス力をもって着地した。モータルのニューロンを焼くのは容易だが、ニンジャ相手には易々と通じぬ……!

「ドーモ、ソリッドクロウズ=サン、ブラックルインです。ドローン使いはワンダリングフリッパー=サンだ!イヤーッ!」

 アウェアネスの背後から、二人と同じくサイバー馬に飛び移っていたブラックルインが代理アイサツ、オジギ終了後コンマ数秒でスリケンを投擲!

「イヤーッ!」

 ソリッドクロウズは赤熱したチョップ手を振いスリケンを破砕!一瞬後、その無骨なチョップ手が熱気を放ちながら砕け、崩れ落ちた。否、崩れたのは外装だけだ。ガントレットと思われたそれは、彼に宿りしソナエ・ニンジャクランのソウルを由来とするジツが作り出した超自然の鎧!

「「「アイエエエエ!!」」」

 闖入者の襲撃によってブラックルインが仕留め損ねていたナローズ・ピットの生き残り達が慌てふためき逃げ去っていく。BRATATATATA!!!その車体をワンダリングフリッパーの操る遠隔ドローンが薙ぎ払うように弾丸をバラ撒き、爆発炎上させた。

「「「アバーッ!!!」」」

 ナローズ・ピット無惨!全滅!残りはニンジャのみ!だがソリッドクロウズの顔に焦りなど一つもない。浅黒い肌に深く皺が刻まれた油断ならぬニンジャ戦士は、その老獪な眼光を光らせ、不敵な笑みさえ浮かべているのだった。

「フッ、クックッ、クッ……なぁ、オヌシら。知っておるか?『COME FOR TABLE』……あぁ、カフェテリアの名前よ。覚えはあるか?」

 顎髭をさすりながら偉丈夫が悠々と言葉を紡ぐ。ブラックルインとアウェアネスが何か言おうとした時には既に彼が喋り出していた。

「そう、生意気な名前よ。『Comfortable(快適)』をもじっておってなァ。しかして実態の酷さよ!店主は常々無口で、無愛想だった。客が入れば睨みつけ、頼んでもないのに小汚いマグカップに泥水じみたコーヒーをなみなみと注いできてなァ……実際ありゃあ、コーヒーじみた泥水だったやもしれん。味も香りも最悪よ!そのクセ、これみよがしにチップのアピールまでしやがるんだ……唯一無二といえばそれはそうだ、他じゃあ味わえんぜ」

 嗄れ声で捲し立てる。だがその眼光と構えに付け入る隙は無い。仕掛ければ却って手痛い反撃を浴びることになるだろう。二人は注意深く彼を見据えながら警戒を続ける。

「実際のところ、あの店主はハッカーか何かだったらしい。床下に秘密の個人サーバーを構えてるってェ噂があった……実際それは真実だった。Y2K、知ってるか?……流石に知ってるよな?当然店主は、KABOOM!……床下でくたばっちまったんだと。そいで店舗だけ残して廃業よ。無くなってみると、あの泥水コーヒーが懐かしく思えもする……ま、今じゃそこらの蛇口捻りゃ赤錆だらけの泥水が飲み放題だがね」

「何が言いたいんだ?ベラベラベラベラとくだらん昔話を垂れ流すな」

 痺れを切らしたブラックルインが苛立たし気に切り込んだ。アウェアネスは顔を顰めながら横目で彼女を見るも、彼もまた言葉を発した。

「……年寄りの話は長いな。老後の話し相手が不在で寂しいか?ならジゴクでオニにでも聞いてもらえ、存分にな」

「カッハッハ!若いなァ、焦りも怒りも相手に見せるもんじゃあねェぜ!クック、まぁ、いいやァ……そうそれ、今じゃ廃墟になっちまったそのカフェよ。実際ナローズ・ピットの連中の溜まり場になってんだが……ついぞ先刻立ち寄ってみらば死屍累々の有様よ。そいで近くにいたピットのニンジャも消息不明……まあ死んでらァな?」

威圧的にギロリと二人を睨みつける。ブラックルインとアウェアネスは顔を見合わせ、眉根を寄せた。

「……だからなんだ。私たちには関係がない」

「実際無関係だ。犯人探しなら他を……ッ!?」

 言い終わらぬうちに、アウェアネスがカラテ防御の姿勢をとる。一瞬のうちにソリッドクロウズがサイバー馬を乗り捨て、飛び迫っていた。残忍な眼光を湛えながら!隣のブラックルインが目を見開き、咄嗟にケリ・キックを放つ。

「イヤーッ!!」「イヤーッ!!」

 しかし老獪なる傭兵はその脚を踏み台がわりに、軽々しく跳ね上がった。その片手を赤熱鎧が纏う。一枚一枚は薄く脆い装甲がミルフィーユ状に重なり形成され、分厚くなった無骨なチョップ手を形取る。

「イィイイヤァァアーッ!!」

 熱気に陽炎が踊る。チョップがアウェアネスの頭上に迫る。彼はクロスガードで防がんとした。フォワウ、フォワ、ウ、フォ……まず扇形アンテナが溶断された。そのままアウェアネスのクロス両腕が溶断された。次いで頭頂部に赤熱チョップが直撃した。

「アバッ」

次の瞬間には、ケーキ入刀のように、バターを切るように……サイバー馬ごとその身体は呆気なく正中線で真っ二つに切り裂かれた。

「アバーッ!!」

断面から肉が焼け焦げる音が、血が沸騰し煮えたぎる音が響いた。ソリッドクロウズは開きになったアウェアネスを無造作に放り投げた。「サヨナラ!!」爆発四散!

「カッハッハ!まずはチョージョー、ニンジャ殺害ボーナス加算重点なり!」豪快に笑い、ブラックルインを見やる。「テックもカラテも中々の者であった様子……厄介な方から始末するは定石よな!」

「アウェアネス=サン……!貴様!」

 ブラックルインは己の不甲斐さを悔やみながらも憎悪の眼差しを向ける。老獪なる傭兵は残忍な笑みを浮かべながら向き直った。その手に纏う鎧が熱気を放ち砕け散る。

 本来全身を鎧で覆い防御するそのジツを、彼は局所的に多重生成し用いる。装甲一枚一枚は薄く脆い。だが重ねれば別だ。何よりもエネルギー効率。全身全てに鎧を生成するよりエテルの巡りが良いのだ。無論、ソリッドクロウズ本体の防御力は格段に落ちる。だが彼は元来の優れたニンジャ第六感とニンジャ動体視力を磨き上げてきた。よって敵の攻撃を察知、あまつさえ被弾予測箇所に局所的多重生成防御をすることさえ可能だ……!

「オヌシらが犯人であろうとそうでなかろうと、犯人を知っていようとそうでなかろうと!襲撃そのものは既定路線よ……『非戦市街地』に入るまでは実際何の加護もなかろうが!故に奪い、殺す。シンプルな話だ!」

「イヤーッ!!」

 ブラックルインはスリケンを投擲し、サイバー馬から跳躍。ソリッドクロウズの肩目掛けて踵落としを振るう!

「イヤーッ!」

 局所的多重鎧防御!肩部に生成されたミルフィーユプレートが何枚か砕けるも本体にまで届かず。その成果を確かめる間もあらば、後方へ回り込み、無防備な背中目掛けてヤリめいた鋭いチョップ突きを放つ!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 直撃の寸前、肩部の局所的多重鎧が消失し、チョップ突きを狙った箇所に再び生成された。「グワーッ!?」勇ましき女ニンジャの心臓を穿たんとするチョップ突きはギリギリのところで阻まれた……彼女の手を覆い、取り込むようにして!

「グワーッ!!」

 尋常ならざる熱に苦悶するブラックルイン。局所的多重鎧崩落。装束ごと無惨に焼け爛れた右前腕が露わになる!ナムアミダブツ!

「惜しいな!」呵々と嗤い、体を捻じりながら振り返るソリッドクロウズ。赤熱した拳を振りかぶろうとする!

 BRATATATA !!!

ワンダリングフリッパーの援護射撃だ!しかし油断ならぬ老兵は虹彩に不穏な光を灯し、尚も嗤う!

「カーッハッハッハッ!!」

 ゴウランガ!全身が古風な甲冑を思わす赤熱鎧に包まれる。銃弾全弾直撃!超自然の鎧はしかし、鉛玉の嵐に呑まれ、虚しくも呆気なく剥がれていく……KBAM!!!
突如赤熱鎧がポップコーンめいて弾け飛んだ。熱気を伴った鎧の残骸が散弾となり、周囲を飛び交うドローンを撃墜、撃墜、撃墜!ナムサン、ツブテスリケン!

 ブラックルインは回避行動をとったが、サイズも疎なツブテスリケンの小さな破片はニンジャといえど回避は困難。「グワーッ!!」致命傷を禁じ得ぬ破片は難なく回避できたが、避け損ねた何発かが彼女を襲う!

「フーッ!……全身に張るのは実際疲れて仕方ねェわ!イヤーッ!」「イヤーッ!」追撃の赤熱チョップ!ブラックルインは地面に転がり込んで回避、土煙が宙を舞う!

「イヤーッ!」復帰と同時にスリケン投擲!「イヤーッ!」更に投擲!
「イヤーッ!」局所的多重鎧生成!一度に2発のスリケンが同一箇所に直撃、ミルフィーユ層に深く食い込むが貫通には至らず!

「イヤーッ!」スリケン2枚投擲!「イヤーッ!」更に2枚投擲!
「イヤーッ!」局所的多重鎧生成!一度に4発のスリケンが同一箇所に直撃、ミルフィーユ層に深く深く食い込むが貫通には至らず!

 BRATATATATA !!!

撃墜を免れた数機のドローンが弾丸を浴びせにかかるが、「イヤーッ!」ソリッドクロウズ、ブリッジ回避!「イヤーッ!」そのままブレイクダンスめいたムーヴへ移行し跳躍、空中で上下逆さになりながら回転、赤熱した通常サイズのスリケンを撒き散らしドローン撃墜!ワザマエ!

『チクショ!オカワリくれてやるぜ!』

 怒声と共にワンダリングフリッパーは更にドローンを展開、ブラックルインの援護に向かわせる。『イヤーッ!』ニューロン極度集中!イカめいてLANケーブルが揺れ動き、搭載された全火器が展開。固定銃座の銃口が己に向けられる様を、油断ならぬ老戦士は見据え……メンポ下の口元に弧を浮かべた。

「クックッ……ニンジャ一人を相手するならば賢明な判断よ」

 キリモミ回転しながら着地、装束腰部のポシェット状パーツから何かを取り出す。「イヤーッ!」球状をしたそれを空へ投擲、「イヤーッ!」赤熱スリケンで撃破した。KABOOOOM……!乾いた大地には不釣り合いな、色彩豊かな火花が弾けて踊る!

「カッハッハッ!タマヤ!」

 呵々と嗤う声はすぐに轟音に呑まれた。エンジンの駆動音、サイバー馬の嘶き、飛び交う怒号……即ちナローズ・ピットの増援。大部隊がゾロゾロと小高い丘や岩陰から現れた。

「ヌゥーッ!?」

 唸るはブラックルイン。増援?否。これほどの規模が接近してきたならばニンジャ聴力によって察知できたはず。これは……「待ち伏せか!」「然り!何のためのトラップと思うておるか!」嗄れた声が返す。「所詮は蛮族風情と侮ったか?ウカツなり!ブレインはこの俺だ!クックッ、あのトラップ地帯、要は誘導よ……自ら袋小路に飛び込んでは無事にすむまい!」

 勝ち誇るソリッドクロウズをブラックルインは忌々しげに睨みつける。「オノレ……!イヤーッ!」スリケンを投擲しようとするが、「イヤーッ!」跳ねるようなスプリントで一気にワンインチ距離に間合いを詰めたソリッドクロウズが赤熱チョップを振り下ろす。苦しげに躱すがしかし!

「グワーッ……!!」

 ナムサン!溶断された彼女の右腕が肩ごと地面に落ちた。苦悶に顔を歪める。断面が熱によって焼き焦がれ、血を押し留めていた。

「……イヤーッ!!」

 激痛をニンジャアドレナリンの過剰分泌で誤魔化し、片腕のカラテをソリッドクロウズへ打ち据える!

「グワーッ!」

 浅い!浅いがしかし、そのカラテ着弾衝撃を弾くようにしてバク転跳躍、露出した岩肌を飛び蹴って距離を離す!

 ……縦列編隊に迫る多数待ち伏せ部隊!各車両の火器が迎え撃つ!ネギトロ、ネギトロ、ネギトロ……しかし数が多い。いくつかの車両が接近を許し、運転席のドライバーを引き摺り出そうとする。

「ウオオーッ!!」サイバー馬に跨った狂気の荒くれ者が強化窓ガラスを鈍器で破砕。角刈りサングラスのドライバーの姿が顕になる。
「ウオオーッ!!」得物を手に襲いかかる!しかしてドライバーは恐慌に陥らず、片手でハンドルを操作しながらもう片方の手に握るチャカ・ガンを敵に向けた!

「ザッケンナコラーッ!」BLAM!「アバーッ!?」正確に額を貫かれ荒くれ者は落馬!

「「「ザッケンナコラーッ!!」」」BLAM!BLAM!BLAM!「「「アバーッ!」」」

「「「スッゾコラーッ!!」」」BLAM!BLAM!BLAM!「「「アバーッ!」」」

 方方から恐ろしいヤクザスラングが飛び交い、チャカ・ガンが火を噴き、ナローズ・ピットの無法者を屍に変えていった。それでもなお、凌ぎきれずに引き摺り出されるドライバーの姿も認められた。「グワーッ!」「アバーッ!」「スッゾ、グワッ、アバーッ!」流れる緑色の血はすぐに酸化して赤黒く変色していく。武装キャラバン『BESTIE』のドライバーは全て運転クローンヤクザであった……少数の敵相手ならば一方的に暴力を振るえようが、状況が悪い!

『ヌゥーッ……!』ワンダリングフリッパーは違法カキノタネやトロ粉末を忙しなく摂取し、鼻血を流しながら、已む無く固定銃座をソリッドクロウズの方からナローズ・ピットに向ける!

「そうさなァー、それがいい。そも、逃げながらの戦いは逃げる側が圧倒的に不利ゆえに」愉快そうに言葉を紡ぐ老戦士をキッと見据え……ブラックルインは不敵な笑みを浮かべた。

「ワンダリングフリッパー=サン!」女ニンジャは吠えた。「ドローンも全部そっちに戻せ!それで捌き切れるだろ!」

『ワッツ!?そのザマで何カッコつけて』

「いいから行け!私はここで死ぬこととする……!」

 不退転の意志をカラテに込め、全身に漲らせる。空気が揺らぐ。展開されていたドローンは少しの間逡巡し、ホバリング飛行をみせていたが……キャラバンの方へと引き下がっていった。ワンダリングフリッパーは言葉をかけず、粛々とドローン攻撃の態勢に入った。BRATATATATA !!! ……走行を続け、野盗を蹴散らしていく様を背後に、ブラックルインは決断的に足を踏み出す。

「……格好つけた手前、アッサリ爆発四散するわけにはいかないな」

「……フゥーム。まずはニンジャ殺害ボーナス加算な。後でオヌシの首級をワンダリングフリッパー=サンに売りつけにいってやるとしよう」

 互いの放つキリング・オーラが空気をドロリと滲ませる……ブラックルインは目を見開いた。脂汗を流し、息を呑んだ。彼女のニンジャ聴力は、この場に迫り来る獣の如きマシンの駆動音を感じ取っていた。複数ではない。一機のみ……やがて駆動音のみならず、踏みしめる大地に微かに振動が伝わってきた。その振動もだんだんと大きくなってくる。近づいている……!

(((増援……!?だがやることは変わらん。最期まで足掻いてやる……!)))

唇を噛み締め、眼前の敵へ攻撃を仕掛けようと構え……彼女は眉根を寄せた。

 ソリッドクロウズが怪訝な顔になり、後方へと……音の方へと顔を向けていた。そして視線だけをブラックルインの方へやる。

「……フン、増援か?」

 ……ォオオ……ン……!

「まぁよいわ、ボーナスが増えるだけのことよ」不遜に言い放ち、ブラックルインと轟音の方とを交互に警戒しながら彼は構えた。直後。

 ゴウオォオオオオン!!

 けたたましい咆哮を轟かせながら、カートゥンめいた刺々しいモンスターバギーが砂塵を舞上げ丘を跳ね上がった。カーキ色の車体が陽の光に映え、地面をバウンドしながら猛接近する!

「ヌゥーッ!あのバギーは……!」ソリッドクロウズの声音に狼狽の色が見えた。一方のブラックルインは、モンスターバギーを駆る人物の姿をまじまじと見つめていた。小柄な娘の姿を。片手で無骨な49マグナムを握り締めるその姿を……!

(((アイツは……!!)))

 BLAMN !!!

大砲じみた鉛玉が空を裂きソリッドクロウズを狙う!

「イヤーッ!!」

 生成された局所的多重鎧を弾丸が容易く貫いていく!……しかし!

「イヤーッ!」

 本体への着弾寸前、最後の一枚の裏側を起点に再度局所的多重鎧生成!弾丸を塞ぐ!迫り来るバギーを睨む!……しかして少女の空色の瞳が向けられるはソリッドクロウズではなく。彼の背中越し……ブラックルインの方を見ていた。

 彼女はハンドルを握るもう片方の手をも離し、宙空へと身を翻す。爆走突貫するモンスターバギーの進路からソリッドクロウズは横跳びに飛び離れた。

 少女がワークパンツの懐からペンダントを取り出し、ブラックルインの方へと投げる。彼女は左手でそれを受け取った。互いの視線が交錯する……言葉を交わすことなく少女の意図を理解し、ブラックルインは迫り来る暴れ馬の如きモンスターバギーに飛び乗った!

「事情は後で聞かせてもらう!オタッシャデ……!」

 凄まじい運動エネルギーに車体が振り回され、ジグザグな軌道を描きつつも、モンスターバギーは遠ざかっていく武装キャラバンの方へと決断的に向かう!

「逃がすと思うてかーッ!ニンジャ殺害ボーナス加算重点也!」

 ギラリと眼光を迸らせ、赤熱スリケンを手に構えたるはソリッドクロウズ!走り去るブラックルインの背を無慈悲に貫かんと……「ドーモ」紡がれた冷たい声に彼の身体はスリケン投擲直前の姿勢のままピタリと静止した。ギギギ、と錆びついたブリキ人形めいて首を巡らせ、血走った目で少女を見据えた。

「はじめまして」

 少女は拳銃を腰に吊るし、両方の掌をあわせ、ゆったりと、恭しく……深々とオジギした。その間にも武装キャラバンとモンスターバギーは遠ざかっていく。顔を上げた彼女は、無表情のままに空色の瞳で老戦士を見つめた。

「アズールです」

 何という丁寧なアイサツ。

 もはや武装キャラバンもモンスターバギーも豆粒サイズに見えるほどに離れていた。スリケンを投擲したところで届くはずはなく、そもそもソリッドクロウズが今取るべき行動はスリケン投擲ではない。

 アイサツをされれば、返さねばならない。古事記にもそう書かれている。

「……グゥッ、グッ……!……クックッ……カッハッハッ!これは、したり」

 憤怒の表情はやがて喜悦に移り変わった。赤熱スリケンを瓦解させ、彼はアズールの方へと緩慢な動作で向き直った。そして両方の掌を合わせ、深々とオジギした。

「ドーモ、はじめまして、アズール=サン。ソリッドクロウズです」

 アイサツ終了からコンマ1秒、カラテを構える。既にサン・シーカーの銃口はソリッドクロウズを捉えていた。

 BLAM !!! BLAM !!! BLAM !!!

「イヤーッ!!」

 局所的多重鎧生成、破砕、再生成!彼のニンジャ第六感は眼前の少女ニンジャの放つ不穏で危険なアトモスフィアを敏感に感じ取り、ニューロンをざわつかせた。

「……フーム……小さきニンジャの小娘よ。あのバギーはカープスタン=サンの所有物の筈だが……奴を殺したのはオヌシか?」ソリッドクロウズは確信の予感を覚えながら少女に訊いた。

「ええ」その問いにアズールは顔色ひとつ変えず、淡々と答えた。「それがなにか」

老戦士は一瞬目を丸くし……すぐに喜色に顔を歪める。

「……カッハッハッ!『なにか』?『なにか』、ときたか!それはそうさなァ!愚問であったわ!」

 嗄れた声で獰猛に笑い、老いたる偉丈夫は少女を見下ろしながら尋常ならざる敵意を剥き出しにする。対するアズールはやはり厳しい無表情。空色の瞳に神秘的な光が淡く灯り出す。

 充満するキリング・オーラ。陽が沈みかけ始め、夕暮れの訪れを仄かに奥ゆかしく告げるなか、凄絶なるニンジャのイクサが幕を開く……!

3.


 油断ならぬソナエニンジャ・クランの老戦士は少女ニンジャの只ならぬニンジャ存在感を前に、確かな高揚感を覚えていた。少女は……アズールは、見た目だけを見れば、小柄な、か弱い十代の美しい娘……といったところ。しかしニンジャの外見などあてにならぬ。纏うアトモスフィアは確かな経験を積んだ強者の持つそれであり……外見年齢と実力・経験の差にギャップがあるものは総じて危険だ。

 現にカープスタンはアズールに殺害された。傲慢な面はあったがしかし、それは彼の鍛え抜かれた確かなカラテによって裏付けられたものであったし、実際彼は恐るべきタツジンであった。

「しかして小娘……いやさ、アズール=サンよ。オヌシは武装キャラバンの傭兵か何かか?見知った仲のようであったが」

言葉を紡ぎながらソリッドクロウズはアズールを注意深く観察する。

 確かに強者の感覚はある……あるがしかし、どこか違和感があった。その華奢な身体に纏うカラテは……無論モータルとは比べるべくもないが……カープスタンを殺せるほどのものには思えなかったのだ。強大なソウルを持っているようにも見えぬ。或いは……何か隠しているか?

「いいえ。ただの客」神秘的な淡い光を灯す空色の瞳が老戦士を見つめる。「それだけよ」手に持つ49マグナムの銃口はソリッドクロウズに向けられたまま、微動だにしていない。

「フーム……」

 その大口径がナローズ・ピットの荒くれ者とカープスタンを惨殺せしめたか。どれほどのワザマエを持ってすればそのような。ノーカラテではあるまいが、しかし。「……ウヌッ……?グワーッ!?」ソリッドクロウズが何かに気づき、それを不審がった直後、彼の身体は鮮血を噴き上げながら空中に吊られるように不自然に浮き上がった。頭部を狙った攻撃を辛うじて身を躱したが、肩に喰らいつかれた……喰らいつく?

「GRRRRR !!!」

 彼は聴いた、獣の咆哮を。彼は見た、空気の微かな揺らぎを。その揺らぎが描く朧げな輪郭線を。ニンジャであっても視認するは容易でない……それは巨大な狼めいたシルエットだった。驚愕に見開かれた老兵の眼はすぐに喜悦に染まった。

「グワーッ、ハ、ハハ、ハハハハッ!これか、カープスタン=サンを殺ったのは!?ジツか!?イヤーッ!」

 喰らいつかれた肩に赤熱する局所的多重鎧が生成、熱を放ちながら崩壊!「ッ……!」アズールは僅かながらの苦悶の声を押し留め、奥歯を噛み締めた。獣が唸り、ソリッドクロウズを苦しげに解放する……直後!

 BLAM !!! BLAM !!!

 鉛玉が飛来する!「イヤーッ!」局所的多重鎧!アズールは着弾を確認する前に既に射撃の反動を巧みに活かしバックステップ、サイドステップ……岩陰に身を隠しリロードに移る。

 その隙を見逃すまいとソリッドクロウズがスプリントするが、「GRRRRR !!!」「グワーッ!」不可視の獣が襲いかかり、鋭い爪が切り裂く!鎧の生成よりも疾く、的確にその身を切り裂いていく!

「ハハ、ハハハ!見えぬ、見えぬな!?実に厄介!気配もよう隠しておるわ!イヤーッ!」

 虹彩に不穏な光!全身を古風な甲冑めいた鎧が一瞬覆い、KBAM !!! 炸裂!ツブテスリケンが四方八方に飛び散る!……獣の気配が遠ざかるのを彼は感じた。不可視の獣が回避行動を取ったのだと理解した。

 ツブテスリケンの何発かが空中に奇妙な軌跡を残す。僅かに手応えあり。姿見えぬそれはアズール本人よりも強力なソウルの気配を微かに醸し出している。もしやすれば、こちらこそがこの少女ニンジャの本質か?なんたる奇怪なニンジャか!……「イヤーッ!」

 岩陰から飛び出した影。反射的に赤熱スリケンを投擲。直後、彼はその影と反対側から影が飛び出すのを認めた。放たれた赤熱スリケンは粉じみたウェスタンハットを刺し貫いていった。得物を構えたアズールが、鋭い眼光を湛え走り出す!

 BLAM !!!

「イヤーッ!」赤熱スリケン投擲!銃弾に貫かれ破砕!「イヤーッ!!」鎧!「イヤーッ!」背面にも鎧!

「GRRRRR!!!!」

 獣の爪が、牙が鎧に深く食い込む。僅かにソリッドクロウズの本体に届き、血肉を抉る。「イヤーッ!」ノールックの裏拳を振るう。浅いが手応えあり!

 BLAM !!! BLAM !!!

 疾走するアズールが発砲!銃弾!……彼は訝しんだ。1発はソリッドクロウズ本体を狙い撃たんとする軌道。しかしもう1発は凡そ見当外れ、大いにブレている。大口径の反動を抑えられていないのか?……その狙いを察知した老兵は着弾予測部位に多重鎧を生成した。

「イヤーッ!!」

 胴と、脛。最初の1発はやはり胴体を狙い撃った。もう1発は、地面に散在する金属……ソリッドクロウズの赤熱鎧の残骸を狙っていた。そして、跳ねた。跳弾である!
多重鎧越しに2発分の凄まじい物理衝撃を味わいながら、ソリッドクロウズはその場でブリッジ回避。「イヤーッ!」側面から襲いかかる透明の獣の攻撃を辛うじて躱わす!「イヤーッ!」体勢復帰際、通過する不可視存在に対し逆立ちめいたケリ・キックを浴びせる!手応え……あり!

「クック、クッ!姿見えぬは実際厄介!だが、そろそろ『慣れてきた』ぞ!……?」

 爛々と獰猛に輝かせた眼光をアズールに向けながら、彼は訝しんだ。彼女の固く結んだ唇の端から一筋の血が垂れていたからだ。その空色の瞳に宿る幻想的な光が、一瞬薄らぎ、すぐに戻った。

 少女の眼光は戦場に散らばる赤熱鎧や、ナローズ・ピットのバギー、バイク等の残骸を克明に映し出す。ニューロンを加速させ、最適な弾着時の角度、跳弾後の軌道を読む。BLAM !!! 鉛弾が空を裂く。跳弾。ソリッドクロウズは瞳をギョロギョロと動かし巧みに局所的多重鎧生成、防ぎきれぬとみやれば更に生成。愉快そうにアズールを見据え、不可視の獣の爪を受け流す。

「カッハッハ!不可視存在を注意しながら、弾道の予測をせねばならんとは、忙しいことこの上ない!年寄りにゃ辛いぜェ……!」

 言葉とは裏腹に、ソリッドクロウズは余裕さを見せていた。跳弾の予測も読める範疇にあった。地面に散らばる残骸を起点にしている以上、その軌道にはある程度の限りがあるからだ。跳弾どころか、弾丸の衝撃に潰れる、或いは突き抜けてしまいかねないような物質は、必然的に狙われない。ある程度の質量、厚さ、硬さを持つ物に注意を向ければ比較的予測は容易い……!

「イヤーッ!!」

 老獪なる傭兵がアズールに向け赤熱スリケン投擲!BLAM !!! 破砕!発砲と同時に少女は後方へ反動跳躍、地面を後転、その間に素早くリロードし復帰した。ワザマエ!空色の瞳が強く輝く!

「GRRRRR !!!」

 ソリッドクロウズは危なげなく獣のインタラプトを回避!「ヌゥーッ……!?」そして眉根を寄せた。そのインタラプトは彼を狙ったものではない。巨大な獣の剛腕が、乾いた大地へと振り下ろされる!

 ZzooOOM……!!!

 土煙が、岩の破片が、鉄屑が……宙を舞う!舞い上がる砂塵を神秘的な空色の光が見据える!

 BLAM !!! BLAM !!! BLAM !!!

「グワーッ!?」

 跳弾、跳弾、跳弾!的確に狙い撃たれた3発の弾丸が宙を舞う鉄屑をジグザグに行き交い、そのそれぞれが予測困難な軌道をもってソリッドクロウズを襲う!いずれも僅かに局所的多重鎧生成が間に合わず、弾丸が彼の肉体に食い込み、推し留まった。生成が完全に遅れていれば、無慈悲な鉛玉に抉り貫かれ、一瞬のうちにネギトロもかくやの肉塊と成り果て爆発四散していたであろう……!ソリッドクロウズは油断なき眼光で次の攻撃に備える。ZZOOM!!! 再び地面を衝撃が走る!

 BLAM !!! BLAM !!! BLAM !!!

 銃弾!銃弾!銃弾!
 跳弾!跳弾!跳弾!

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!……イヤーッ!」

 複雑な軌道を描くそれらに対し的確に多重鎧を展開し紙一重で対処、そしてその場で大きく跳躍!

「イィイイヤァァアーッ!!!」

 その虹彩に不穏な光が灯る。全身を覆った古風甲冑が炸裂する!KABOOM !!! ツブテスリケン!虹彩はなおも輝く……まさか!?そのまさかである!おお、見よ!全身を再び覆う古風甲冑を!再度の炸裂!KBAM !!! 1度目のそれより炸裂の威力に劣るもの、その脅威に一切の憂いなし!無数のツブテスリケンは周囲の残骸を悉く潰し、土煙を吹き飛ばし、不可視の獣とアズールをも襲う!

「ゴァアアア!」

 獣の曖昧な輪郭が揺らぎ、大きく身動いだ。その爪を、牙を、巨体をもってツブテスリケンを迎撃していく。しかし、雨のように降り注ぐ疎な破片を全て回避、撃墜するは不可能に近い。致命傷には至らぬにしても、無視できぬダメージを着実に与えられる!

「ゴオアアアア……!」

 アズールは咄嗟に岩陰に転がり込み、危険なツブテの雨をやり過ごしていたが……ナムサン、その華奢な体躯には複数の裂傷が!僅かに避けきれず、その身を掠められ、傷を負っていた!「うッ……」苦痛に顔を顰めながらリロード。食いしばった口の端から垂れた血を拳で拭ってすぐ、少女は眼を見開き、吐血混じりに咳き込んだ。空色の瞳に宿る神秘的な光が淡く薄らぐ。

 実際、彼女自身がツブテスリケンによって負った傷は……無視はできぬにしても……まだ微々たるものだ。では彼女にここまでのダメージを与えた要因とは?……「GRRRRR !!!」 不可視の獣が咆哮をあげる。アズールは苦痛を押し殺し、決断的に岩陰から躍り出た。着地したソリッドクロウズは大きく肩で息をした後、敵意に満ちた眼で彼女を睨む。既に陽は落ち、空に浮かぶイン・ヤン模様めいた二つの月が戦場を見下ろす。

「ハァーッ……そろそろ、マジに、疲れてきたぜ……!通常の倍はニンジャ殺害ボーナスを貰わにゃ実際損だ、エエッ?アズール=サンよォー!」

 言いながらソリッドクロウズは右脚を背後に向けて突き出した。「イヤーッ!」赤熱バックキック!手応え!「ゴァアアアン!」獣が叫んだ!その存在が虚空に溶け込み、気配を巧みに隠す。

 だが恐るべき老戦士の研ぎ澄まされたニンジャ第六感は不可視の存在を朧げながらに捉えている!「イヤーッ!」ソリッドクロウズが左腕を虚空に向けて突き出した。赤熱エルボー!確かな手応え!深い!「ゴォオアアアア……!!」透明の獣の曖昧な輪郭線が揺らぎ、空気を歪ませ、再び気配を隠す……!

「ンアァァァッ……!」叫んだのはアズールだった。甲高い絶叫を上げ、血を吐き、体勢を崩す。

 ソリッドクロウズはまず訝しみ、そしてニューロンを極限加速させ推察した。不可視の獣とアズールが深く結びついているであろうことは明確であった。その繋がりこそが獣の実際強大且つ自由自在な力の源であり……そしてまた、その繋がりこそが時として代償になりうるものだと理解した。不可視の獣の負ったダメージは少女をも傷つける、謂わば諸刃の剣だと。

 極限加速するニューロン、鈍化する主観時間の中でソリッドクロウズは状況判断に徹した。即ち、今攻撃を仕掛けるべきはどちらかを、だ。アズールはここまで獣が負ってきたダメージを堪えていたと見えるが、先ほどの攻撃で限界に至ったのか。小柄な体躯は震え、今にも崩れ落ちそうになっている。好機。隙だらけの無防備状態……否。それでもなお、マグナムを手離していない。寧ろグリップを握り締める力はより強く、確かな意志がある。瞳には一切の怯えも憂いもなく、決断的な敵意に満ち満ちていた。今仕掛ければ間違いなく反撃を喰らう。ならば今狙うべきは……文字通り、手負いの獣!

「イヤーッ!」ソリッドクロウズは掌に赤熱する小さな鉄塊を生成、それを握り砕く。月光が飛び散る鉄屑を微かに照らす。油断ならぬ眼光がギョロリと動き、反射光を目敏く捉える。視える!

 BLAM !!! BLAM !!!

「イヤーッ!!」もはや銃弾は防御せず、回避。勢いそのままに振るわれた赤熱チョップが虚空を横薙ぎに裂く!「ゴォアアアン!」直撃!「ンッ、グッ……!?」アズールの瞳の光が衰える。「イヤーッ!」赤熱ケリ・キック!「ゴアアアア……ッ!!」獣が吹き飛ばされた!「……ッ!!」 アズールは上がりかかった悲鳴を押し殺し、引き金を引く!BLAM !!! 鉛玉は局所的多重鎧に阻まれる!

「カッハッハ!獣を殺せばオヌシはどうなるか、愉しみよのう!」老獪なるニンジャ戦士は不可視の獣をカイシャクすべく飛びかかる!「イィイイヤァァアーッ!!」渾身の赤熱チョップが迫る!

 ……少女は虚空に何か呟いた。彼女の空色の瞳に宿る神秘的な光が、ローソクめいて、フッと消えた。同時に不可視の獣の存在も消失した。赤熱チョップは虚空を空振った。ソリッドクロウズは目を見開き体勢復帰、そして愉悦の笑みを浮かべてアズールの方へ向き直した。

「……クック、引っ込めたか?いい判断だ、アズール=サン。つくづく素晴らしいニンジャ戦士であることよ」

 アズールは答えず……走り出した。足がもつれそうになるのを堪え、走った。ソリッドクロウズを中心とした円を描くように、駆けた。その空色の瞳は狩りをする獣めいて鋭く敵を睨みつけ、決して揺らぐことはない!

 BLAM !!! 走りながら射撃!「イヤーッ!」やはり阻まれるが、顔色ひとつ変えず疾走、地表に突き出た岩を蹴って加速!BLAM !!! 「イヤーッ!」局所的多重鎧!アズールは描かれる円の内側に、より内側に円を狭め、敵との距離を詰めながらひた走る!

 ソリッドクロウズはアズールの狙いを推し量ろうとした。銃弾はその飛距離による威力減衰の影響を受ける。対象物との距離が近ければ近いほど物理衝撃は大きいものとなる。彼女の持つ大口径のリボルバーとなれば、実際凄まじいものだ。現にその威力は多重鎧の再生成をも突き破らんとしている。狙いは至近距離からのヒサツの一撃か。

 今ツブテスリケンを放てばアズールを殺せるか?否。全身を甲冑で覆う隙を無慈悲に撃ち抜かれるだけだろう。全身に及ぶ鎧は多重生成できず、相対的に脆い。無駄だ。

 思考を巡らすソリッドクロウズ、その間にも少女は迫る!BLAM !!! 「ヌゥーッ!」局所的多重鎧、生成、破砕、再生成、再破砕……再々生成!いくら燃費が良いといっても、無尽蔵ではない。エテルの流れが乱れる。しかしまだだ!迸る激しいカラテの余波を受け、踏み締める大地に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。残る全てのカラテを、ジツを振り絞る。次で最後だ。全力をもって迎えうち、カウンターを喰らわせる腹積りである!

 ……泥めいて鈍化する主観時間のなか、アズールはソリッドクロウズの真正面、ワンインチ距離へと決断的に飛び込んだ。地面を両足で蹴り、空中でしなやかに身体を伸ばし、前転で転がり込む。パルクールめいたダイブ・ロール・ムーヴメントのなかで彼女は既にリロードを終えている。タツジン。片膝立ちの姿勢で復帰し、右手でサンシーカーを腰だめに小さく構える。左の手のひらを扇状に広げ、撃鉄に添える。空色の瞳が、偉丈夫を見上げる。敵の懐。赤熱するミルフィーユ状多重鎧が瞬く間に生成され、銃口を待ち構える。今までで最も分厚い。

 ここで決める。失敗すれば、即ち死。息を止め、奥歯を噛み締め……反動に備える!

 BBBBBBLAMN……!!!!!!

 ……凄まじい轟音が空気を引き裂き、ビリビリと痺れさせた。衝撃に華奢な両腕を震わせながら、少女は片膝立ちの姿勢を保つ。血と硝煙の匂いが入り混じった生暖かい夜風が、アズールの頬を正面から撫でつけた。

「……ア、バッ」

 分厚く重なった多重鎧諸共に胴体に大きな風穴を開けたソリッドクロウズが呻き、蹌踉めき、後ずさった。赤熱鎧が崩落していく。

 何が起こったのか?あなたが優れたニンジャ動体視力をお持ちであったならば視えたはずである。アズールは右手でサンシーカーの引き金を引き……引き続けたまま、左の手のひらで撃鉄を高速連打。マシンガンめいて瞬時に全弾発射された49マグナムの弾丸の物理衝撃全てが、寸分違わず局所的超重赤熱多重鎧の一点に集中砲火を浴びせこれを破砕。ソリッドクロウズをも貫いたのである。当然ながらその衝撃・反動は尋常ではなく、ニンジャであっても2射目、3射目以降の跳ね上がる銃身の制動は極めて実際困難だ……だが彼女は堪えきった。堪え抜き、撃ち抜いたのだ!

 ゴウランガ……おお、ゴウランガ!ファニング・ショット・キル!テッポウ・ニンジャクランの一部流派の用いるファニング・カラテによく似てはいるが、洗練されたファニング・カラテのそれと比べれば実際そのワザは無骨ではあった。アズールにファニング・カラテのインストラクションは無い。己を助け出した私立探偵と同じく49マグナムを握り、大砲じみたそれを使いこなすべく研鑽し、世界を生き抜き……その過程で見つけ出した……謂わばカラテ収斂進化だ!

 少女の瞳がソリッドクロウズを見据える。月明かりに照らされ、空色が美しく映える。

「アバッ……ハ、ハハ、ハ……み、見事……」

 老獪なるニンジャ戦士は凄絶な笑みを浮かべながら両腕を広げ……大の字になって仰向けに倒れた。

「サヨナラ!!」爆発四散。冷たい夜風が血煙と肉片を夜闇に連れ去っていった。

「……ハァーッ……ハァーッ……」

 アズールは大きく息を吐き、立ちあがろうとして……一瞬意識を失い、尻餅をついた。そのまま倒れそうになるのを辛うじて抑え、上体をおこす。それから苦心して立ちあがり、未だファニング・ショット・キルの衝撃に震える両手で膝を押さえ、背を屈めて肩で息をする。憔悴した様子の彼女の空色の瞳に、神秘的な光が灯り出す……。

◆◆◆

「なんということだ……!ソリッドクロウズ=サンが……!」数十メートル離れた小高い丘、キャニオン迷彩柄の装束に身を包み、双眼鏡めいたサイバーゴーグルでイクサの趨勢を観測するニンジャの姿あり。彼の名はオブザーバー。マイティブロウの懐刀たる斥候ニンジャである。ソリッドクロウズは彼の存在を知らず……然り。オブザーバーはシノビ・ニンジャクランのソウルをその身に宿した、油断ならぬ斥候にして監視者である!

 己の高いワザマエにかこつけてマイティブロウの足元を見、極めて高額な報酬を要求するソリッドクロウズが、不備を働いていないか、申告に虚偽が含まれていないか、それを見張るのが彼の任務だ。ナローズ・ピットの頭領は老獪なる傭兵を快く思っていない……が、オブザーバー個人としては、かの老戦士のワザマエに敬意をもっていた。そのソリッドクロウズが、殺された。少女の姿をしたニンジャに……!

 双眼鏡めいたサイバーゴーグル……否、それはゴーグルではない。彼の鼻から上から額まではサイバネ置換されており、双眼鏡めいたそれは拡張されたサイバネ・アイを内包している。機構が展開し、せりあがる。カタツムリめいて先端が更にせりあがり、高精度サイバネ・アイが少女を入念に観察する。

 オブザーバーはナローズ・ピットの車両の何台かに盗聴器を複数忍ばせており、武装キャラバン襲撃の折から盗聴を続けていた。激しいイクサの中でほぼ全てが失われ、車両諸共鉄屑に成り果ててしまっていたが……奇跡的に残骸にへばりついた一機が少女とソリッドクロウズのイクサの音声をノイズ混じりに僅かに拾い上げた。それも早々に破壊されてしまったが……辛うじて少女ニンジャの名だけは確認できた。『アズール』。既にビジュアル・データと共にその名と得物、ジツはマイティブロウの元へ転送されている。何やら奇怪な……不可視の存在を使役するジツを使っていたようではあるが……それもソリッドクロウズに倒された。今、アズールは独り、満身創痍の状態だ……。

(((これは……キンボシのチャンスでは?)))

 斥候ニンジャに邪な考えが浮かび上がる。少女はこちらに気づかず、その様子を見るに……もはや爆発四散寸前なのでは?ゴクリと唾を飲み、高揚する心臓の鼓動を自覚する。厄介な透明存在は老戦士に屠られた。オブザーバーはメンポの下で、口元を邪悪な弧に歪めた。無防備な少女を見つめ、摺り足で移動を開始する。距離は数十メートル。ニンジャ野伏力を発揮し、確実に接近、アンブッシュで殺す!……彼の視界に映し出された少女がゆっくりと顔を上げた。

 淡く光る空色の瞳と目が合った。

「……え?」

 目が。合った。

(((見……見られた?バカな、この距離で、この俺が?有り得ぬ……!)))

 錯覚か気のせいかと思いたかったが、彼のニンジャ第六感は非常な現実を告げている。アズールは荒い呼吸をしながらではあるが、オブザーバーを確かに見据えていた。気づかれている……!

(((ウカツ!キンボシに目が眩み、ニンジャ野伏力に隙が生じてしまったか……!?いや待て、いつからだ?いつから、気づかれて……!)))

 オブザーバーはゆっくりと後退り、緊張感に全身を強張らせる。ズームされた高精度サイバネ・アイに映る少女の瞳から目を離せない。恐怖の感情が緩慢に鎌首をもたげる。まだ距離はある。逃げ切れる……「アイエッ!?」ドン、と何かに背をぶつけ、オブザーバーは素っ頓狂な声をあげて蹌踉めいた。背をぶつける?バカな、後方に障害物はなく、ましてそのような場所に陣取ることなど有り得ぬ。

 では何が?……彼は恐る恐る振り返った。何もない。では何が……いや待て。何か違和感がある。透明な、壁?…………否、否……

「ア……」

 月夜の光に微かに照らし出された獣の輪郭に彼は慄いた。顕現せしイヌガミ・ニンジャの化身は無慈悲にオブザーバーに喰らいつき、屠った。

「ア、アイエエエエエ!?アイエエエーッ!!!アイ、アバッ!アバババーッ!!アバッバッ、アバババーッ!!ヤメ」

 スプリンクラーめいた鮮血が迸る。オブザーバーは首を失ったキャニオン迷彩柄装束のニンジャが滅茶苦茶に喰い千切られ、肉片が大地に散らばる様を、そのサイバネ・アイに収めた。ゴロゴロと地面を転がる映像は、直ぐに獣に踏み潰され、ブラックアウトした。

「サヨナラ!」爆発四散!

◆◆◆

 大地を飛び跳ねるようにして駆け、不可視の獣がアズールの元へと参じる。彼女は苦しげながらも姿勢を起こし、一度大きく深呼吸してから跳躍、疾走する獣の背にしがみつくようにして飛び乗った。

 浮かぶイン・ヤン模様めいた砕けた月が彼女らを照らす。空色の瞳に灯る神秘の光が、夜闇に淡く幻想的な軌跡を残す……。

4.

 ……数日前のこと。あの悍ましき<青い火>の永き一夜を明け、ニーズヘグ、サガサマのそれぞれと別れてから約2週間後のことであった。

 大陸西海岸沿いに広がる……かつてはマリブと呼ばれていたらしい町にアズールは立ち寄った。メガロシティたるロサンゼルスとはそう遠くないこの町で、彼女はある人物の話を耳にした。離れに暮らし、時折日用品の買い出しにふらりと町に訪れるというその人物は、長い間、人を探しているらしかった。

 特に理由もなく、彼女はその人物の元を訪ねることにした。町から離れた郊外にヒッソリと佇む小屋に、彼は一人で住んでいた。ショーン・ハウイット……白髪混じりの初老の男性だ。彼はまず、アズールと名乗った小さな来訪者に驚き、彼女の腰に吊るす不釣り合いで物騒な49マグナムを見やり、その奇妙なアトモスフィアに感じ入り……それから、出来うる限りの丁重なもてなしをするのだった。

「見ての通り、辺鄙で、なんにもないところだがね……」ランタンの仄かな明かりに照らされる室内。テーブルを挟んで二人は向かい合い、トウヒの椅子に座る。「電子戦争よりずっと前は、彩りある生活があったんだよ。これはその名残さ……」落ち着いた声でそう言いながらショーンが淹れた、ハイビスカス色のハーブティー。

 その光景を、色を、香りを……アズールは鮮明に覚えている。

「ヒックは、僕の息子だ。甲斐性無しで妻に逃げられ、男手一つで必死に育て上げた……僕を反面教師にしたかな、立派な人間になってくれたよ。カラテだって僕よりずっと上だった」

 卓上の写真立てに飾られた、日に焼け褪せた家族写真を指でなぞりながら彼は語った。指先についた埃をジッと眺めた後、眼鏡拭き用のクロスで写真を拭き上げながら、口を開く。

「気立てのいい奥さんも迎え入れてね、アメリカはもうずっと前からこんな有様だが、それでも得られる幸福はあるんだ……あったんだ」声音に諦念の意を深く落とし、ショーンは自嘲気味に微笑む。少女は哀れむでもなく、ただジッと空色の瞳で彼を見つめる。彼は困ったような顔をしながら、言葉を紡ぐ。

「……残念なことに、ここのルールはとてもシンプルで……ああ、煩わしい政治家の演説中継も寧ろ今は恋しいかな。あれはあれで、秩序を形作っていたんだ。もう、何もない。西部開拓時代に逆戻りだ、なんて言われもするが……それよりもっと前だと思うよ。混沌と、暴力が、秩序だ」

 そこで息をつき、飾り気ない白磁のマグカップを口元にやった。アズールも同じようにマグカップを口元に運んだ。暖かく芳しい味わいが喉を潤す。眼を閉じ、深く香りを感じ取る……眼を開けると、微笑むショーンの姿があった。

「色々なことがあった。レイリン……ヒックの愛した彼女はこの世を去った。心労が無理を祟ったか、病に陥って……それから少しして、当時僕たちが暮らしていた小さな町に、ニンジャが現れた」

「ニンジャ」

初めてアズールが口を挟んだ。ショーンは頷いた。

「本当に恐ろしいことだった。毒々しく輝くニンジャは、情け容赦無く、残酷に……飽きるまで殺し、壊し、奪っていった。戯れに生かされた者もいた……僕とヒックもそうだ……本当に恐ろしいことだ。ニンジャ……ああ、ニンジャ!恐ろしい……」

 両手で頭を抱え、慄く。落ち着き払っていた声に焦りと怯えが見えた。それから思い出したかのようにアズールを見やり、震えた。「君は……君は、やはり?」少女は頷いた。「そうか……そうだったか。アズール=サン……只者ではないと、そうは思っていた。ニンジャ……なのか。申し訳ない……」深呼吸した後、彼は落ち着きを取り戻し、頭を下げようとしたが、アズールがかぶりを振って止めさせた。やがてショーンはポツポツと語り始めた。

「ニンジャ……そのニンジャの名は……!」声を荒げそうになったショーンをアズールは引き止めようとした。無理に思い出す必要はない、そう言おうとしたが、彼はアズールを手で静止し、唸りながら言葉を絞り出した。「……マイティブロウ……!そうだ、マイティブロウと、そう名乗っていた……町の自警団は皆、殺された。ハリケーンの去った後のような災禍のなか、生き残った者達は僅かな荷物を伴って町を出た。僕もそうだった。しかしヒックは……ヒックは違った。正しい怒りを抱え、カラテを携え、息子は飛び出していった……混沌に振り回され、妻に先立たれ、ニンジャに襲われ……それできっと、ヒックは世界を呪っていたんだ」

 初めのように諦念と自嘲に声音を染め、嘆息をまじえて物語る。

「飛び出していったっきり、ヒックは戻ってこなかった。僕は……僕は追わなかった。追えなかった……他の生き残りの人らと連れ立って、マリブに越してきた。きっとあのまま、息子は混沌の荒野で命を落としている……そう自分に言い聞かせてね。暫くして、『ナローズ・ピット』……荒くれ者の集いの頭領がニンジャに殺されたと風の噂に聞いた。もしやすれば、息子がニンジャになって正義を成したのかもしれないと、そういう淡い期待をしてみた。蓋を開けば……ああ、マイティブロウ……頭領を殺した彼が、そのまま野盗のリーダーに君臨した、と……」

 アズールが白磁のマグカップを口元に運び、机に置こうとして、もう一度ハーブティーを飲んだ。白髪混じりの男は苦笑し、マグカップを呷った。

「あれきり僕は息子が、ヒックが……もしかすれば生きているかもと……そう思いこそすれ、行動には移せなかった。情けないことだが、精一杯の努力が、町を少し離れて暮らしてみることだけだった。探しに行こうとして、躊躇した結果さ」

「あなたの願いは、息子と再会すること?」淡々とした声が言葉を紡ぐ。「なら、私が探しにいく」

 ショーンは眼を丸くして驚いた後、喜ぶような、悲しむような、そういった複雑な感情を顔に浮かべ、曖昧に頷いた。

「ありがとう……ありがとう……本当はわかっている。さっきも言った通り、きっともう、生きていないよ。けれどそれを確かめる勇気がないまま、後悔ばかり抱えているんだ……せめて遺品だけでも見つけられればと考えもしたが、それもきっと叶わない。ヒックはいつも、在りし日の想い出を収めたペンダントを身につけていた。飛び出していったあの時も、そうだった。きっと奪われるか、売り払われるかしているだろうね……」

 彼はそこで口を閉じ、シャツのポケットから皺くちゃになった顔写真を取り出し、アズールに差し出す。彼女はそれを受け取った。精悍な顔つきの青年が写されている。裏にはヒック・ハウイットの名が記されていた。

 アズールが顔写真を受け取ったのを認めると、ショーンは席を立った。そして部屋の奥へ向かい、小さな革袋を手に戻ってきた。彼はジャラジャラと金属の擦れる音を立てて揺れる革袋をアズールの前に置いた。彼女はそれを一瞥し、ショーンを見つめた。

「これは?」

「人探しの報酬……ということにしておいてくれ」

「なぜ。私はまだ、何もしていない」

「何も見つかりやしないからさ。遺骨も、遺品も。生きていた証なんて、残るわけがないんだよ。殺され、奪われ、消し去られるのがこの世界なんだ。それで、想い出だけが、きっと、確かなんだ……」

ショーンは柔らかい笑みを見せた。

「老いぼれの昔話に耳を傾けてくれたお礼、といってもいい。どうか受け取ってくれないか。それで諦めがつくんだ。僕は……僕は、息子の死を受け容れたいんだ!もし、もし君が……ヒックを探しに無法の荒野を彷徨い、戻ってこないなどということになれば、ああ!……だからどうか、これが、この愚かしく哀れな男の救いになると、そう思って、受け取ってはくれまいか……」

 笑みを浮かべながら嗚咽を漏らし、縋り付くようにして金貨の詰まった革袋をアズールに託す。

 少女は返答に窮し、ショーンを見つめ……残っているハーブティーを喉に流し込んでから革袋を手に取り、席を立って戸口へ向かった。白髪混じりの初老の男は、涙を流しながら感謝の言葉を述べ、彼女を見送った。その小さな背が見えなくなるまで、彼は祈るようにアズールを見送っていた。

 ……アズールは、ショーン・ハウイットを『良い人』だと感じた。『良い人』であるがために、苦悩し、苦しんできたであろうことを理解した。そして、その『良い人』が奪われ、虐げられ、理不尽に踏み躙られる様に、沸々と感情が昂るのを感じた。自分らしくない、とも思ったが……自分らしさの拠り所もわからないので、彼女はただ駆け出した。混沌と暴力が支配する無法の荒野へと、ただ駆けた。

◆◆◆

 『中立非戦市街地』。荒廃した文明消失の地に転々と微かに根付くオアシスめいたエリア。商業施設、宿泊施設、インターネットなど……ランクは文明圏のそれに大きく劣るが、最低限の文化の真似事は可能だ。混沌と暴力の世界において未だ前時代的な金貨が出回る理由である。このエリアにおいて、運営側以外の外部からの干渉は許されない。私欲、争いごと、それらを運び込む者は無慈悲に断罪される。

 運営側による裁定のルールは存在するが、それが明文化されることはない。定義があれば、その穴を読み解いて如何様にも理屈をねじ込まれ、形骸化の一途を辿ることになることを彼らは知っている。

 その有り様は、ネオサイタマのオールドカブキチョの中立地帯『獄麗』に似ているようにも思える。しかし……実際、『中立非戦市街地』は『獄麗』とは比べるべくも無く歪で、欺瞞的だ。サイバネ治療を担う医療所の機械、宿泊施設で最低料金の一部に含まれるケータリング・サービスの整髪剤……その他諸々に、サブリミナル的に暗黒メガコーポの影が見え隠れしている。『獄麗』が中立地帯として成立しているのはネオサイタマという強力な地盤と、何よりも取り仕切るニンジャの度量の格によるところが大きい。USA崩壊後のアメリカ大陸において、真に弱者の拠り所たり得る場所など存在しないのだ。

 中立非戦市街地・オックスナード区画。小規模のコミュニティが群体となって身を寄せ合い出来上がった準文化圏。砕けた月が照らす町の有り様は、穏やかに見える。広場に居座り、フジツボめいたドローン発射装置に覆われたコンテナを背負ったカンオケ・トレーラーと、その周りに展開する大量の武装バン、クズ肉が纏わりつく刺々しいモンスターバギーに眼を瞑ればだが。

 血やオイル、土埃に塗れた『BESTIE』の旗は夜風に微かに揺れている。彼らは昼間の襲撃を逃げ延びていたのだ。舞台めいて開かれたトレーラーのコンテナにクローンヤクザが積荷を運び入れる。各車両にも同様に、クローンらしい一糸乱れぬ作業が滞りなく行われる。襲撃による損害は大きいが、全滅ではない。ならば問題無し。予定に遅れが生じているが、明日の朝には出立できるだろう。

「……」夜風に当たりながら、薄いブロンド髪の女……ブラックルインは、戦友アウェアネスの死を悼みながら、思索に耽っていた。その右腕は簡易的な工業用サイバネアームに応急置換されている。彼女は左手に持ったペンダントを砕けた月に翳す。

「ブラックルイン=サン?寝たんじゃあなかったか」

 ワンダリングフリッパーが彼女に声をかけた。頭部の生体LAN端子から伸びる、ドレッドヘアーめいたLANケーブルは微かな光を伴いフヨフヨと宙を泳いでいる。ブラックルインは彼の方へと振り返った。

「……アズール=サンは無事だろうか」

「ンー、わからんね……しかしまぁ、実際最高のタイミングだったね彼女。もしかして、俺らに盗聴器か発信機付けてんのかも」

 冗談めかして戯ける黒人ニンジャを女ニンジャはその鋭い目つきで睨みつける。

「彼女はそんなことをする人物ではない」

「わかってるっての!ジョークだよジョーク……そんでその、それ。何なんだ?渡されたんだろ」

 LANケーブルがブラックルインの手元のペンダントを指差す。彼女は頷き、口を開いた。

「託された。あの悪趣味なバギーと一緒にな。おかげで私は格好をつけそびれ、生き延びてしまった」

「大口叩いといてな」ワンダリングフリッパーはバカにするように言ったが、その声音には安堵が多分に含まれている。

「……まったくだ」肩をすくめ、それから忙しなく作業に勤しむクローンヤクザを眺める。運搬作業はまだ掛かりそうだ。「このペンダントについて、事情を聞いておきたいところだが……ム?」

 彼女は何かに気づき、手庇でそちらを見やった。人影が武装キャラバンの方に覚束ない足取りで向かっている。客か?ワンダリングフリッパーに視線を向ける。彼は静かに頷いた。『BESTIE』は商売の機会を見逃すことはない。相手が個人だろうと企業の雇われであろうと、それが買う者であれば売るのみである。営業時間の概念は彼らにはない。運搬作業の途中であろうが、気にすることはない。所詮は文明ごっこで、常々事態はシンプルなのだ。

 遠隔操作でバンの一つから『商売が好き』の電飾看板をアンテナめいて生えさせ、ワンダリングフリッパーは客の注意をそちらに向けさせた。

「ヨー、ヨー!夜分遅くに買い物かい?いいぜ、来るもの拒まずが俺らのモットーだからな。ドロボーは勘弁だが」

 陽気に笑いながら、バンの元へ向かう。隣を歩くブラックルインが眼を見開き、その客の方へと駆け出した。ワンダリングフリッパーもまた、眼を凝らし、早歩きになってそちらに向かった。小柄な人影は、空色の瞳をした少女だった。「……アズール=サン!」

「ワオ!マジにアズール=サンか!昼間は助かった、ぜ……?」

 駆け寄る二人は、月明かりと電飾看板が照らし出したアズールの姿を見て絶句した。衣服はボロボロであちこちから血が滲んでおり、素肌からは痛々しい生傷が覗く。

「ドーモ」空色の瞳が二人を見つめる。まだ誰か探しているようだったが……「アウェアネス=サンは死んじまったよ」察したワンダリングフリッパーが声をかけた。

「……そう」アズールは短く答える。「まぁ、アンタが気に病むことじゃないが、アー……気が向いた時に弔ってやってくれや」

頷き、アズールは懐から金貨の詰まった革袋を取り出し……言葉を紡いだ。

「……メディキットと、弾丸。それと、スシを」

◆◆◆

『ア、アイエエエエエ!?アイエエエーッ!!!アイ、アバッ!アバババーッ!!アバッバッ、アバババーッ!!ヤメ……サヨナラ!』

激しく歪んだ劈くような電子音声が、極彩色の室内を満たす。オブザーバーの断末魔だ。

 チャブ・テーブルに座しそれを聞くは、橙色のインナースーツにノースリーブの黄緑ニンジャ装束の男。信号機めいた3色カラー電飾付きの金属板が移植された両肩。『偉い男』『酷さの苦味』の威圧的なタトゥーが刻まれた逞しい両腕。ナローズ・ピットの頭領ニンジャ、マイティブロウだ。

「……チッ!どいつもこいつも使えん奴ら……!」

 彼は苛立ちを露わにチャブ・テーブルに拳を叩きつけ、壁に映し出されたプロジェクター映像を凝視する。オブザーバーから転送されてきた、所属不明少女型ニンジャ『アズール』のビジュアル・データと得物、ジツ。

 カープスタン、ソリッドクロウズ、オブザーバー。既に三人のニンジャが件の少女に殺害されてしまった。由々しき事態だ。残るニンジャ戦力は他ならぬマイティブロウと……惰弱なるサンシタ、リゼントメントのみ。当然戦力外だ。残忍なるニンジャは思考を巡らせた。

 アズールの目的とは何か?その正体は?順当に考えれば企業戦士であろう。ナローズ・ピットは暴れすぎた。そもそも、以前から暗黒メガコーポの関連が疑われる襲撃は着実に起こっていたのだ。

 野盗がどこぞの企業の物資でも奪ったのか、いつの間にか目をつけられてしまっていたようだった。企業連合による掃討が予定されているという噂もある。アズールはその先鋒か。ソリッドクロウズを破るほどの実力者……かの意地汚い傭兵はいけ好かなかったが……実力に関しては文句のつけようがなかった。それを殺してのけるようなニンジャだ、勢いそのまま完全殲滅のためにアジトに直接殴り込んでくる可能性は大いにあり得る。

 何にせよ、ここらが潮時だろう。

 マイティブロウは室内を見渡した。ネオサイタマカルチャーは好ましく、蒐集品に思い入れもある。が、命よりは安い。所詮、物だ。また集めればいいだけのこと。

 たかが一人の小娘によって大損害を被ったことに、怒りを感じぬわけではない。しかし彼はヤクザではなく、メンツの概念も薄い。現状マトモに戦えるのは己のみ。今また傭兵を雇うとなれば、それは人手不足を自らアピールすること他ならず、賤しく足元を見られること間違い無し。選択肢は一つ。

 コン、コン。

 扉をノックする音が響いた。マイティブロウは反応を返さず、映像を切り、最低限の荷物を纏め始めた。何も映さないプロジェクタースクリーンが極彩色の壁に虚しく残った。

 コン、コン。コン、コン。

「あのー、マイティブロウ=サン?居ます?えっと、あの、あー、報告……」

 反応がないと見るや、扉越しにボソボソと喋り始めた声に舌打ちし、彼は乱暴な物言いで入室を許可した。ビクビクしながら、黒と灰色のツートンカラー装束を着たクロームメンポのニンジャが室内へ。目を細め、卑屈に笑むリゼントメント。

「そのう……ソリッドクロウズ=サンの連絡も途絶えてしまって……この場合、あの、報酬って、どうしたらいいですかね」

「テメェで考えろクソカスが!」声を荒げてリゼントメントを指差す。困惑する彼に対し捲し立てる。「いいかリゼントメント、テメェに特別ミッションを与える。俺は暫く用事で此処を空ける。その間、留守を預かっていろ。いいな!」

「え、えーっと……ハイ……?わ、わかりました」曖昧に微笑み、頷く。それから壁のプロジェクタースクリーンに気付き、首を傾げた。「何か……観てました?」

「アア?……チッ。あークソ、めんどくせぇ」溜め息を吐き、映像を復帰させる。「そう遠からず、この娘が訪れる。丁重にもてなしてやれ、客人だ」精々俺の逃げる時間を稼げ……そう心の中で呟き……マイティブロウは訝しんだ。スクリーンに映し出されたアズールの姿に、リゼントメントは半ば放心しながら釘付けになっていた。

「……『アズール』……」

 その名を噛み締めるように、静かに呟くリゼントメント。その眼は見開かれ、悍ましい熱を帯びている。マイティブロウは気味悪く思い、不快そうな様子で手荷物を担いだ。

「何だオイ、性犯罪者かテメェは?確かに上玉だが、ありゃガキだぞ……まぁいいや、そんなにご熱心ならゆっくり、じっくり楽しんどけェ……」

 棒立ちに固まるリゼントメントの側を通り過ぎ、扉へ向かう……「待て」その襟首が掴まれた。「逃げるのか」他ならぬリゼントメントの手に。

「……アァッ!?テメェ、リゼント、メン、ト……」怒声をあげ、その手を払い振り返るマイティブロウ。何をいきなり偉そうな口を利いてやがる……その言葉は生唾と共に呑み込まれた。恐るべき憎悪と怒りを纏ったニンジャがそこにいた。

「臆したか!イヤーッ!」別人の如くアトモスフィアを一変させた黒灰ツートン装束ニンジャがマイティブロウの胸ぐらを片手で掴み上げた!「グワーッ!?」「イヤーッ!」掴んだまま大柄なマイティブロウを軽々と持ち上げ、床に叩きつけた。衝撃で調度品が跳ね上がり、散らばり落ちる!「グワーッ!」

「貴様のジツのフーリンカザンは此処にあろう……!」リゼントメントは鋭い眼光で睨み、マイティブロウを掴み上げ、興奮に息を荒げながら言葉を紡ぐ。「俺が奴を……嗚呼!あの少女を、アズール=サンを、オオオ……!俺が!殺す!貴様はジツで俺をサポートしろ……いいな!」

「な……何を勝手なことを」「ダマラッシェーッ!!」恐るべきニンジャスラング!残忍なるニンジャは思わず気圧されてしまった。

「アズール……フフ、アズールというのか、彼女の名は……!アズール=サン……アズール=サン……!ああああ!!アズール=サン!ブッダよ、遅い!何もかも手遅れだ!……あまりに遅いが、しかし赦そう……この時を齎してくれたのならば……ウフフ……運命的だ……すべて、すべてこの時のためだったのだな……」

 恍惚に声を振るわせ、オハギ中毒者めいた危うい目つきで胡乱な言葉を吐く。彼は凄惨な笑みを顔色に湛え、それでいて目元には涙を浮かべていた。明らかに正気ではない!

「いいか……いいか!俺はこれより、アブストラクトな……セイシンテキを伴う崇高なるメディテーションを、執り行う……チャメシ・インシデントだ!十余年、欠かしたことはない!日本にいようと、海外に渡ろうと……惰弱に身を費やしていようとも、時間を作ってな!わかるか!」「……あ、ああ……ワカル」マイティブロウは慄き、取り繕った。格下の筈のリゼントメントに圧倒されているこの状況は大変に腹立たしいが、それ以上に尋常ならざる狂気への恐れが優った。

「ジツだ……ジツを研ぎ澄まし、磨き上げるためのアグラ・メディテーション……ニンジャとなって以来、誰にも使ったことはないジツだ……アズール=サンに披露するまでは、ンッ、ンーッ……誰が他者に使うものかよ!!」「ワ、ワカル、ワカル」返事を絞り出すが、狂気のニンジャの耳に届いているかは疑問だった。

「俺はこのジツで必ず、あの少女を殺すのだ。彼女に再会が叶わないのなら、一生涯使用せず、ハカバに持っていく所存!故に俺はカラテだけを振い続けてきた……」言いながら、彼はクロームメンポを外した。熱意を持ちながら薄暗い、奇妙な表情がそこにあった。懐から何かを取り出す。闇よりなお黒い、光通さぬ謎めいた……鉱石。掌を少し余るほどのその鉱石の塊を、口元に運び……おお、何ということか……齧り始めたのである……!

「……オ、オオ、そりゃ、なんだ、その……岩塩か何か?」絶対にそんなことはない、と思いながらマイティブロウは問いかけた。すると、驚くほど穏やかな声が返ってきた。「エメツ。エメツ鉱石ですよ、マイティブロウ=サン。昔、チョイとくすねて来たんです。大変でしたよ、ええ、暗黒メガコーポが喉から手が出るほど欲しがってるんですからね。でもねー、欲しかったんです。勘がね、告げてきたんです、これはもう、オヒガン的な……アハハ」

 エメツ鉱石を貪りながら、彼は自らの装束の胸元をはだけさせた。露わになった生白い胸筋……おお、ナムアミダブツ……そこに埋め込まれたるはエメツの結晶……!

「……アズール=サン……俺が、必ず……ウフフ……!」

 エメツ鉱石を平らげたリゼントメントが立ち上がり、譫言を発しながら、夢遊病患者めいた足取りで部屋を出た。一人残されたマイティブロウはただただ震え上がり、感情が抜け落ちた表情で、呆然とプロジェクタースクリーンを眺めた。

◆◆◆

「しかし、その……そのナリでよォー、よくやるぜっていうか……スゲェよな、実際」スシピザの一切れを頬張りながらワンダリングフリッパーは嘆息した。「昔そういうの観たぜ、サバイバル・エンターテイメントのTVショウか、戦争映画の物々しいやつで……」

 生体LANケーブルが呆れたような戯けたジェスチャーを表す。その視線の先では、アルミベンチに腰掛けながら、包帯の端を口に咥え、器用に負傷箇所をカバーするアズールの姿があった。傍には広げられたメディキットの箱と、バッテラ・スシのタッパー。スシは既に幾つか食されており、残りひとつ。

「闇医者に診てもらった方が確実じゃねぇの?」「そうかもね」視線を向けずにアズールは答える。「でも今は必要ない」「ンン……そういうもんかね」黒人ニンジャはスシピザを飲み込み、もう一切れ手に掴み頬張り始めた。

「アズール=サン、水……で良かったな」ブラックルインが真水の注がれたグラスを、包帯を巻き終えた少女に差し出す。アズールは頷いて受け取り、スシをひとつ摘んで口に放り込んだ。咀嚼し、飲み込み、水を流し込む。ニンジャにとってスシは完全食であり、効率的で優秀な回復手段だ。

 その一挙一動を、薄いブロンド髪を夜風に揺らしながらブラックルインは感心し、畏敬の眼差しで眺めていた。見た目こそ十代の娘だが、実年齢もニンジャ歴も、彼女よりアズールの方が歳上なのだ。

 一方のアズールの空色の瞳は彼女の手元に向けられていた。ロケットペンダント。少女はワークパンツのポケットから顔写真を取り出し、ブラックルインに向けて差し出した。ブラックルインは進み出て受け取り、写真に映る青年の顔を見る。それからそれを裏返し、裏面に記された文字を見た。ヒック・ハウイット。そして、筆跡の違う、ごく最近に加筆されたであろうワード。それは何らかの所在地を示している。マリブの近くを指しているようだ。

「これは?」「ヒック・ハウイット。ナローズ・ピットに殺されて、今はもういない。そのペンダントは彼の遺品」アズールは目を閉じて深呼吸し、アルミベンチの上でアグラ姿勢を取りながら言葉を紡ぐ。「マリブに寄ることがあれば、彼の父親にペンダントを届けてほしい。町から離れたところに一人で住んでいる」

「オイオイ、お遣いかよ!いやまぁ、命の恩人の頼みだから、引き受けるけどよ……」口を挟むワンダリングフリッパーをブラックルインが鋭い目つきで睨むが、彼はお構いなしに喋りづけた。「ていうか、それよそれ、ペンダント!その父親の依頼か?ならお前が直接届けてやれよ」

「前払いで報酬は貰っている。依頼はもう、達成済み」未だ余裕のありそうな革製の金貨袋を掲げて彼女は言う。「それに私は用事がある」

 そう言い、ゆっくりと眼を開きアグラ姿勢を解く。それからアズールはメディキットの中から携帯可能な物を取り出して懐に収め……職人じみて洗練された手付きで49マグナム・サンシーカーの手入れを始めた。

「ンンッ、用事……ねぇ」黒人ニンジャはスシピザを飲み込み、肩をすくめた。着実に『支度』を進めるアズールを見ながらまたもう一切れ手に取り、頬張る。「実際、依頼はもう終わってんだろ?」

「そうね」サンシーカーに視線を落としながら、少女が淡々と答えた。「それがなにか」

「別に止めねぇけどよ……無茶苦茶だぜ。ひとつ言っておくが、あれよ、例の連中。ナローズ・ピット。近々、暗黒メガコーポ傘下の企業連中に掃討されるって話だぜ。つまり、お前が何かしなくても奴らもうオシマイってわけ」

 アズールは答えず、黙々と手入れを進める。ブラックルインは真剣な眼差しで、それを興味深そうに覗き込んでいた。

「あー、まぁアレよ。連中の猿山の大将、マイティブロウだったか……アジトはまぁ、遠巻きに見ても実際わかりやすいから迷うこたないだろうよ。あのスカムタウン!ネオサイタマ風に着飾ってやがるつもりだろうが、ありゃミーハーだぜ。絶対ネオサイタマに行ったことないし、実際大して深い興味があるわけでもねぇってのが丸わかりよ!」

 生体LANケーブルの一つが、ナローズ・ピットのアジトの座標と、その周辺のミニマップが記されたマキモノを掴み取り、アズールに放り投げた。彼女はそれを作業の傍らに受け取り開き、素早く目を通してから閉じた。

「何よりもあのネオンライトだ!安っぽい安直で下品な色!本場とは別物よ!」「違いがあるの?」不思議そうにアズールが問うた。「そりゃあもう、全然!なんて言うかな、アトモスフィアがだなぁ」

「フ……」微かにアズールは微笑んだ。「詳しいね」

「詳しいも何も、俺は昔ネオサイタマでヤクザをやってたんだぜ。ニンジャのせいでメチャクチャになっちまって、オヤブンもどっか行っちまったし散々な目に……ていうかそもそもアンタ、日本人だろ?」

「ネオサイタマに思い入れは……あまりない」

 少し考えてから彼女は言うと、手入れを終えた無骨な拳銃を腰に吊し、立ち上がった。スシとアグラ・メディテーションによるニンジャ治癒力のブーストが全身を満たす。まだ戦える。

 確かな足取りで足を踏み出す。その空色の瞳に神秘的な光が灯る。

「アズール=サン、私たちは手を貸すことはできないが……このペンダントは必ず送り届けよう」

 ブラックルインが力強くそう声をかけると、アズールは振り返った。その傍の空気が僅かに揺らぎ、幻想的な抽象の輪郭を描く。ワンダリングフリッパーがサムズアップし、頷いた。アズールも同様に、無言で頷き返し……不可視の獣に飛び乗り駆け出し、闇夜に溶けていった。もう振り返ることはなかった。

5.

 Y2K。電子戦争。世界の定理を覆し、時代を一転させたケオスの中で、広大なアメリカ大陸に点在する美しい自然の山々は、悪党の隠れ蓑として恰好の的となった。マイラ・モンティ。かつてその名で呼ばれたこの地も例外ではなかった。今やその山地、谷間に築かれたナローズ・ピットのアジトが垂れ流す産業廃棄物や、京観めいた死体の山が、見る者の言葉を失わせるに十分なほどの惨状が広げている。

 それらのジゴクを、根城の周りに築かれたネオンライトが毒々しい光で照らし出している。建物の全ては蛍光色でめちゃくちゃに彩られ、さながら重篤自我科患者の見る幻覚を具現化したような佇まいだ。宵闇の荒野の中に突然そのような光景が現れるのも、また幻覚らしさを強調させる。

 これらはマイティブロウが頭領となってからの景色であり、それ以前はごく普通の……この表現が正しいかはともかくとして……盗賊団のアジトが聳え立っているだけだった。中央に立つは、出来の悪い積み木遊びじみて上へ、横へ、また上へと建物を増築させた不恰好な塔がある。その頂上に無理くりに構えるトーフめいた館が、頭領の居所だ。

『不成穴』『ネ力  イ冫』『シE人』とオスモウ・フォント……のように見えなくもない曖昧な字体で書かれた電飾看板が旗のように立っており、そのケミカルカラーの壁に出鱈目に生えたネオンサーチライトは緩慢に首を振り、夜空を悪戯に染め上げている。

 異彩を放つ悪夢めいた光景を、外縁部の切り立った岩陰からアズールは見下ろしていた。冒涜的なネオンライトを眼下にし、ワンダリングフリッパーの言葉を理解する。アズールはネオサイタマに強い思い入れがあるわけではないが、あの猥雑のメガロシティがマトモな街に思えてくる程にこの地は狂っていた。辺りを照りつける毒々しい輝きは実際凄まじい。ニンジャである彼女は軽微な不快感を覚える程度で済んでいるが、この光の暴力を前にすれば常人は数分経たずに目眩や吐き気に襲われているだろう。

 騒々しい光量ではあるが、周辺に人影はなく、虚しい静寂があるばかり。……ここに至るまでの道中、アズールはアジトの方角からバギーやサイバー馬に乗った荒くれ者たちが駆けてくるのをみた。迎撃に現れたのかと思われたが、違った。彼らはアズールには目もくれずに必死の形相で夜闇に溶けていったのだ。恐怖に顔を引き攣らせ、必死の表情で、何かから逃げているようだった。そして今、見下ろす視界にはもぬけの殻となったアジト。そこら中に荒くれ者の惨殺死体が転がっている。虐殺のブラッドバス。企業連合の掃討が既に執り行われたのだろうか?だが周囲にその証拠を示すようなものはなく、アズール以外に侵入者の影は見当たらない。奇妙なアトモスフィアだけがある。

 少女はしめやかに飛び降りた。谷間の荒れ肌を蹴り跳び侵入。あちこちにブチ撒まかれたギトギトの蛍光塗料から揮発する悪臭が立ち込めるバラックの屋根や路地裏を縫うようにして進んでいき……何の介入もなく、彼女は塔の根元に至った。出迎えるのは凄惨な死体ばかりだった。

 搬入口と思われる場所から内部に入り込もうとして……足を止め、空色の瞳で歪な塔を見上げる。そして、外壁を目掛けて跳躍した。歪に増設されたキメラ建造物の、取ってつけた梯子や階段、外壁。それらは棘のように出っ張り、突き出しており……ニンジャにとってお誂え向きといえる足場になっていた。ボルダリング選手めいて器用に障害物を伝い渡り、あるいはクナイ・ダートを壁に突き刺し、登頂。トーフめいた館付近にたどり着く。館のバルコニーからネオンライトが漏れ出ている……そこから直接乗り込もうとしたが、ニンジャ第六感が警告を発した。アズールは館に繋がるL字状廊下に視線を向け、速やかに移動。窓を銃底で破り内部に侵入する。

 別世界のような異様な静けさが少女を迎え入れた。北米標準時刻に合わせられた時計の針が進む音だけが不気味に空間を満たす。深夜2時……ここがネオサイタマであれば、ウシミツ・アワーを告げる鐘の音がそこかしこから鳴り響いていたことだろう。

 あちらこちらに、まだ乾ききっていない血痕や死体が散らばっている。アズールは注意深く歩みを進めていき……曲がり角を曲がったところで眼を見開き、息を呑んだ。最奥の扉に続く通路、その両サイドの壁に、ジョルリ人形がズラリと並べられていた。

 それら全て、頭部が無くなっていたり、首が捻じ曲がっていたり……その他記載するのも憚られるような猟奇的象徴を示して固められており、悍ましく不吉な光景をあらわしている。悪趣味ではあるが……しかしそれだけならば、彼女を動揺させるには至らない。一瞬、彼女の顔色に戸惑いの色が見えたが……すぐに厳しい無表情に戻り、49マグナムを構えながら再び扉の方へと歩き出した。

 彼女とほぼ同じ背丈をした……製造元はバラバラではあるが、袖や裾が毟り取られたドレスを纏い、汚れたスニーカーを履いた……そのようなジョルリ人形達を横目に扉を目指す。ニンジャの気配を感じる。空色の瞳に覚悟と敵意を携え、足を踏み出す。

◆◆◆

 部屋の四隅に配置されたLEDボンボリが刺激的なネオンライトが照らす、錆びた金属のパッチワークの部屋。歪んだシンセベースの音はもう響いていない。

(((クソッ、クソッ!何故こんなことに……!)))

 マイティブロウは額に滲む脂汗を拭うことすらできず、緊張感に渇いた喉で生唾で呑む。ジゴクにいるような面持ちで時計を見やり、室内を落ち着きなく歩き回り……その振る舞いに余裕は無い。その理由は……豹変したリゼントメントにある。

 数時間前。煩わしいとばかりにスピーカーを叩き潰してから不穏なアグラ・メディテーションを終えた狂気のリゼントメントは、バルコニーから身を乗り出して地上を指し示した。マイティブロウがその先を見ると……急性NRSに陥ったかのような自我喪失者らが塔の根元で錯乱している様が見えた。曰く、滲み出た極限のセイシンテキの波長が彼らを苛んでいるのだと……要約すれば、おおよそそのような内容であろう胡乱な言葉をマイティブロウに言い聞かせてきた。

 どう反応すればいいか考えているうちに……リゼントメントはやおら塔から飛び降り……周辺のナローズ・ピットの構成員を見境なく惨殺し始めた。錯乱している者もそうでない者も。そして塔の根元から頂上までを順繰りに練り歩き、殺し、殺し、殺した。

 戦力を削ぐ行為にマイティブロウは憤ったが、狂気のニンジャは聞く耳を持たず次の行動に移っていった。趣味の悪い猟奇的ジョルリ・パーティ……思い出すだけで身震いがするような、ニューロンに焼き付く悪夢的光景。一刻も早くこの場から立ち去りたかったマイティブロウだが、従わねば何をされるかわからず……否応なく、アズールの襲撃を待たねばならなかった。何の罠も仕掛けず、戦力を嗾けることもなく、ただただ待ち受けるだけの時間が無常に浪費されていく……。

 BLAMN !!!

「イヤーッ!!」

 突如響く銃声!扉越しから放たれた鉛弾を咄嗟のブリッジ回避でやり過ごし、怒りを露わに身を起こす。穴の空いた扉を蹴破り、クセの強い波打つ長い黒い髪をした空色の瞳の少女が極彩色の室内へ決断的に足を踏み入れた。血の染みたタンクトップ、ワークパンツ。露わになった素肌の多くは包帯などの応急処置に痛々しく覆われているが、その戦意に一切の翳りは無い。厳しい無表情をした少女はガン・スピンを行い、銃口をマイティブロウに向けた。

「ドーモ。アズールです」

 突き刺すような確かな殺意を纏った空色の瞳が敵を見据える。

「ド、ドーモ、アズール=サン。マイティブロウです……貴様、どこの企業戦士だ?」

 冷や汗をかきながらマイティブロウは問いかける。いざ眼前にすると、その有無を言わさぬ強靭な存在感に圧倒されそうだった。アズールは眼を細め、暴力的な光に染まる室内を冷静に見渡す。答えはない。

(((クソッ、遅えぞリゼントメント!アンブッシュ仕掛けるんじゃあねぇのかよ!?)))

 心の中で悪態をつく。まだ時間稼ぎをせねばならないというのか。そう思いながら必死で言葉を紡ぐ。

「へへ、へ……略奪に怒ってんのか!?治安維持……そういう綺麗事で来てるんだろ!ワカル、ワカル……本当はアレだろ、ここの、このナローズタウンの素晴らしい光!その電力源の確保だ、そうだな!実際、色んなとこから引っ張ってっからな……」言いながら反応を探るが、少女はやはり厳しい無表情を保ったままだ。マイティブロウは心臓を握りしめられているような心持ちで続ける。「実際お前が一番乗りだ……なぁ、一番乗りだぜ?電力源、教えてやるよ……俺を見逃してくれりゃあな。他のノロマな企業連中にゃ絶対教えてやんねぇさ。実際独占の正当性はそちらにあるわけだ……」

 彼がリゼントメントから課せられたのはアズールの注意を引くための時間稼ぎであったが、その言葉は嘘偽りない懇願であった。あわよくばこのまま味方に取り入れてイカれニンジャを追い払ってもらいたい……だがその魂胆は虚しく打ち砕かれることになる。

「どうでもいい。そんな大層な理由は持ち合わせていない。これは単なる盗賊退治」アズールは無慈悲なほどに淡々と言葉を紡ぐ。「企業の雇われでも何でもない。私個人の用事。それだけ」

「なっ……」マイティブロウは彼女の言葉の真意を探ろうとした。個人の用事?これだけ損害を与え、アジトにまで乗り込んできたというのに?バカな。企業の欺瞞文言に違いない……しかし、その物言いに嘘偽りがあるようには……彼が混乱する思考を整理しようしていた、その時。

「アハ、アハハハハ!!良い!とても良い!」

 突如、狂気に満ちた笑い声をあげながら、バルコニーから黒灰ツートンカラー装束のニンジャがエントリーしてきた。アズールは即座にそちらを睨みつける。一方、マイティブロウは驚愕に眼を見開いて闖入者を指差して怒声を上げた。

「テ、テメェ、リゼントメント!……サン!手筈と違うだろ!?アンブッシュするんじゃあねぇのかよ!?」

「ハハハハ!!溢れる気持ちを抑えられなかった……嗚呼、嗚呼!今、俺の願いは成就するのだ!」

 はだけた胸元に埋め込まれた、不吉に明滅するエメツ結晶石を中心に、葉脈めいた黒い線が全身に伸びている。彼は狂気に身を震わしながら、爛々とした妖しい目つきでオジギした。「ドーモ、アズール=サン!」顔を上げる。凄惨な笑みがそこにあった。「……リゼントメントです。ゴブサタしています……!!

「……ドーモ。アズールです」少女が眉根を寄せ、アイサツを返す。彼女が何か言う前に、リゼントメントは身を乗り出し、興奮に声を荒げさせた。

「俺を覚えているか?知っているか?……知らぬよなァ……!知ってるわけねぇよな!ワカル、ワカルゥー!ヒヒ、アハッ、アハハッ……俺は。お前が、泣き喚きながら、無意味に撃ち殺した。有象無象の一人だよ」熱した鉄が冷えるように、その言葉の熱意は悍ましい冷たさに変わっていく。

「お前が……お前が捨てた過去の亡霊だ。お前が、置き去りにして捨てた、忘れ去った過去の、枷だ……罪だ。知らぬふりして、のうのうと生きているお前の……紛れもない過去の……あのジゴクから這い出てきた亡霊だ」

 暗い眼がアズールを見つめた。彼女はこの男を知らぬ。知らぬがしかし、理解できた。銃口を彼に向けたまま、背後の廊下……ジョルリの列を後目に言葉を紡ぐ。

「私はあなたを知らない。何者かは察しがつくけれど」言いながら彼女は、部屋の四隅に配置されたLEDボンボリに注意を傾ける。帯びたネオンライトの輝きが奇妙な放物線を描き、マイティブロウの方へと伸びている……。警戒しながらも、アズールは言葉を続けた。眼前のニンジャは彼女の言葉が終わるのを待っているようだった。

「私は過去を忘れたことはない。忘れるつもりもない。あなたに……あなた達に私がしたことも、全部」サンシーカーのグリップをより強く握り締める。神秘的な光が彼女の空色の瞳に宿る。「ただ、過去に縛られるつもりもない。私は、今を生きている。罪も枷も全部背負って、生きている」リゼントメントの目を真っ直ぐに見つめ、ハッキリとそう言い放った。その表情に曇りはなく、確かな覚悟と決意に満ちていた。

 狂気のニンジャはその目に、その表情に動揺し、狼狽え……彼女を指差しながら声を絞り出す。「何……何だと?お……お前。お前は……誰だ……?アズール=サンは……お、俺を殺したあの少女は、そんな、そんな!そんな、顔、を……するな……!お前、お前は……泣き喚いてるだけの……」

「ヒカリ・ジツ!イヤーッ!!」

 頭を抱えて蹲るリゼントメントをよそに叫びを上げるはマイティブロウ!両肩の三色電灯が強く輝き、周囲のネオンライトから伸びた線が凄まじい光となって彼の剛腕を包み込む!『偉い男』『酷さの苦味』の威圧的なタトゥーが刻まれた両腕が交互に振るわれる!

「イヤーッ!イヤーッ!」

 不可思議な2つの光の玉がアズールに迫る。BLAMN !!! BLAMN !!! 飛び退がりながら発砲、銃弾は光を突き抜け壁に跳ねた。「イヤーッ!」マイティブロウは危なげなく回避。緩慢な光の玉をアズールはステップを踏んで躱わす。壁に当たった光は蛍光色の霧となって散った。

「ヌゥーッ……!」

 マイティブロウは己のニンジャ視力を凝らし、ニンジャ第六感を研ぎ澄まし、室内を照らす極彩色を凝視した。微かな揺らぎを認識する。「……そこだ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」光玉4連発!四隅のLEDネオンボンボリが不気味に輝きを増す。「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」更に4連発!光の玉の動きは緩慢ではあるが、狭い室内においては実際脅威となる。「GRRRR……!!!」獣の唸りが響いた。光に照らされてその輪郭が見え隠れする。霧散する蛍光色。

「……ッ!?」アズールは体を仰け反らせてたたらを踏み、俯きながら片膝を床についた。凄まじい眩暈や頭痛、吐き気が彼女を襲う!

「ハハハハ!これぞヒカリ・ジツ!苦しかろう!この部屋、この町こそが俺のフーリンカザンというわけよ!」

 彼の使うヒカリ・ジツは、月や太陽……兎角、光を発する物から光を吸い取り、操る。光源に近ければ近いほどその威力・柔軟性、速射性は高まる。故に光が空気中に広く分散する屋外では然程の力を発揮できぬ。極彩色LEDネオンボンボリライトは室内光を凝縮させ、彼のジツの力を増幅させるための装置なのだ。

 マイティブロウは意気消沈したリゼントメントを侮蔑的に睨みつけ、光纏った剛腕にカラテを漲らせてアズールの方へと全速スプリント、その華奢な身体を叩き潰さんと……BLAMN !!!

「グワーッ!?」

 轟音と共に放たれた銃弾が彼の横腹を抉り取っていった。血走った目でアズールを見下ろす。彼女は片膝をついたまま、床目掛けて引き金を引き、アッパーめいた跳弾を浴びせたのだ。少女が顔を上げる。顔色ひとつ変わっていない。

「ナンデ!?」 「ゴオアアアア!!」「グワーッ!?」

 動揺するマイティブロウの側面から光帯びた獣が襲いかかり、鋭い爪を振るった。回避動作をとったが躱しきれず、左肩の三色電灯が割れ砕ける。

「イ、イヤーッ!」

 光を纏った両腕で獣を殴りつける!その光が彼の腕から獣の方へと移っていき、スパークする!「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」更に殴打、容赦なきカラテを浴びせる。

「イ、」BLAMN !!! 「グワーッ!!」

 鎖骨付近を抉り取られ、激痛にたたらを踏むマイティブロウ。限界まで見開いた目で少女を見据える。やはり顔色ひとつ変えていない。

 ヒカリ・ジツが効かなかったわけではない。不可視の獣にも、その強烈なフィードバックを与えられた彼女にも。それは事実だ。だが堪えた。

 その後の殴打も。ただ、堪えた。不可視の獣も、アズールも、ただ耐えた。それだけのことだ。

 一心同体、それゆえ痛みや苦しみを共有することなど覚悟の上であり……そしてマイティブロウのカラテはソリッドクロウズのそれに大きく劣る。事はシンプルだった。

「この、クソガキが……ッ!!」額に青筋を浮かべ、マイティブロウは怒りに打ち震える。

 厳しい無表情のままアズールは手をしならせ、シリンダーを開き手早くリロード。血の唾を床に吐き捨てサンシーカーをスピンさせた。BLAM !!!

「イ、イヤーッ!」血肉を撒き散らしながらマイティブロウは回避……しようとし、顔を顰めた。アズールはノールックで自身の右後方を撃っていた。そして発砲音の寸前、不可視の獣はマイティブロウの側から飛び離れ、アズールの左後方へと跳躍。破砕音。LEDネオンボンボリライトA・B同時破壊!「ヌゥーッ!?」マイティブロウのニンジャ装束の明度が下がり、纏う光が弱まる!同時に獣に纏わりつく光も弱まった。ヒカリ・ジツの弱体効果が和らぐが、まだ完全に効果が消えたわけではない。

 アズールは49マグナムを構え……咄嗟に床に倒れ込み、飛びかかってきたリゼントメントのインタラプトを紙一重で回避した。視線が交錯する。再び狂気と憎悪を、殺意を宿した瞳をアズールは睨み返す。BLAM !!! 反動を使って床を転がり、距離を取り復帰。床に落ちるリゼントメントの右腕。彼は悲鳴をあげることなく、残る左腕を突き出して構えを取った。

 ニューロンを加速させ、アズールは敵を分析する。直前のインタラプトのリプレイ映像を脳内に起こす。リゼントメントは両手を突き出し、飛び込んできた。掴みかかろうとしていた……そう判断する。そして今。隻腕となったリゼントメント、その構えもまた先程と同様だ。掴むことが何らかのジツのトリガーか。

「……ふふ、ふふふ。出しゃばるなよマイティブロウ。アズール=サンを殺すのは、俺なんだ……お前はそのシミったれたジツで、俺のお膳立てをしていればいい……」

 陰鬱な声で、幽鬼じみて揺らめく。胸元のエメツ結晶石が胎動めいて激しく明滅する。

 アズールは悪寒を覚えた。<青い火>の……あの奇怪な一夜が脳裏にフラッシュバックする。近しい感覚があった。寧ろ、<青い火>そのものより、ニーズヘグ……彼に感じたものの方がより近い。

「ククッ、クククッ……!」失われた右腕、千切られた断面からエメツ葉脈が筋繊維めいて伸びていく。不吉な01ノイズがボンヤリとした腕のシルエットを形作っていく……「さぁアズール=サン!俺と共に、ジゴクへ還」「 GRRRRRR !!! 」

 透明の獣が飛びかかり、その肩に牙を突き立てて喰らいつき、後方の壁へ突っ込んだ。CRAAASH……!!

 アズールはリゼントメントの方へ身体を向け構え、引き金を引く。CLICK ! CLICK ! ナムサン!アウト・オブ・アモー!?

「バカめ!イヤーッ!!」その背後から飛びかかるはマイティブロウ!こちらに背を向け無防備な状態を晒した彼女を叩き潰すべく、微弱光を帯びたカラテを見舞う……BLAMN !!!  しかしてサンシーカーは火を噴いた。

 カラテを振るって透明の獣を払いのけ、破砕した壁から這い出したリゼントメントの左脚を銃弾が吹き飛ばす!アウト・オブ・アモーの筈……否。それはロシアンルーレットめいた意図的な空砲だった。敵を誘い込むための、そして次なる一手を打つための布石!

 アズールはその射撃反動を使い、エビめいて後方へロケットジャンプしていた。そしてその勢いを活かし、空中で身体を捻って半回転。体当たりめいて全身をぶつけながらのケリ・キックをマイティブロウに放ったのである!「イヤーッ!」「グワーッ!?」たたらを踏むマイティブロウ!少女はカラテ衝撃に奥歯を噛み締め着地、巨漢を睨みあげ、『偉い男』のタトゥーが刻まれたその右腕を撃った。

 BLAMN !!!

「グワーッ!?」千切れ飛ぶ右腕、そして弾丸はそのまま壁のLEDネオンボンボリライトCへ突き進み破壊!アズールはリロードをしながら床に落ちたマイティブロウの右腕へ接近、それを蹴り上げて宙に浮かし……蹴り飛ばす!LEDネオンボンボリライトDの方へ!命中!破壊!四隅の光源全てが消失!ヒカリ・ジツの影響もそれに伴って消失した!

 マイティブロウの派手なカラーリングの装束は今や見る影もなく、暗褐色の仄暗い色合いとなった。室内光が絶たれ、今や齎される明かりはバルコニーから差す微かな月光と屋外のネオン光のみ。

「AARRGH!やってられるか、クソがぁーッ!!」

 頭に血を昇らせ、憤怒の形相を浮かべながらマイティブロウはバルコニーめがけ疾走、逃走を図った。アズールは彼に背を向け、亡霊を迎え撃たんとする。彼女を飛び越え、ヒカリ・ジツから脱した万全の不可視の獣がマイティブロウに襲いかかる!

「GRRRRRR !!!!」 「アバーッ!?」

 BLAMN !!! BLAMN !!! 銃弾が跳ね、或いは直接本体を狙い狂気のリゼントメントに飛来する。彼は笑いながら、這うような奇怪な姿勢で不規則な軌道に駆け、アズールに接近する。弾丸が命中し、脇腹が、右肩が砕け、千切れ……それでもなお悲鳴を上げることなく、痛みを感じぬかのように肉薄する……然り。彼は痛覚を切除している。自らに宿るニンジャソウル、そのクラン特有のスキルによって。そして実際その力は、エメツ・エクステンデッド・ブーストによって歪に変質し、超常的なシナジーを生み出していた。

 不可視の獣に屠られ、背後で爆発四散するマイティブロウには目もくれずアズールは49マグナムを撃ち続けた。

 BLAMN !!! BLAMN !!! BLAMN !!! リゼントメントの右脚が千切れ飛び、左肩が抉れ、腑が飛び散った。失われた部位に闇の葉脈が走り、01不定形ノイズが走る。胸元のエメツ結晶石への直撃を巧みに避け、ズタボロになりながら狂気の亡霊はタタミ1枚分ほどの距離まで迫った。

 そして彼は、滅茶苦茶な体勢で床スレスレに身を沈め……カエルめいて奇怪に跳ねて強引なタックルを仕掛け……アズールを勢いよく床に押し倒した。

「カ、ハッ……!」背中を強かに打ち付けられ、肺の空気が押し出される。その細い首をリゼントメントの生身の左手が万力めいた力で締め上げた。

「……ッ!」「アハ……やっと……掴んだ……さぁ還ろう。ヘル・オン・アースへ。ガイオンへ……」彼は凄惨な笑みを浮かべながら涙を流していた。不可視の獣の気配が近づいてくる。アズールは息を詰まらせ、身を捩らせてもがき、苦心しながらサンシーカーの銃口をリゼントメントの額に押し当てた……。

 引き金が引かれる直前。狂気の亡霊はこう叫んだ。

「コロス」 と。

 BLAMN !!!

 ……リゼントメントは爆発四散し、霧散した。エメツ色の闇の粉塵と01ノイズが吹き荒んだ。薄暗い室内に残されたのは、濃霧のように立ちこめる不穏な靄があるのみ。

 そこにアズールの姿は無かった。

6.

 少女はゆっくりと瞼を開けた。意識が不明瞭なまま、寝惚けているように上体を起こし、空色の眼で辺りを見渡した。

 ドクロめいた月が浮かぶ夜の空。空から降り注ぐ光。至る所から火の手が上がっている。地面に広がるコールタールめいた液体。ケオスの坩堝。動画の一部を切り取ったような静止画の世界。古事記に記されたマッポーの如き様相。整然とした街路を逃げ惑う人々。その顔や輪郭は不明瞭で、抽象的だった。

 人々だけでなく、このヘル・オン・アースの風景に映る全てが曖昧で……その中で、唯一ハッキリと姿が映っている者がある。虚空に浮かび、サブマシンガンを群衆に向けて撃つ、濁った空色の瞳の少女。袖や裾を毟り取ったドレス、履き潰したスニーカー……。


 アズールは自分の心臓の鼓動が早まるのを嫌というほど感じた。呼吸が荒くなる。ここがどこかはわかる。問題は、なぜ、今ここにいるのかということ……彼女は無意識のうちにグリップを握った手が宙を空振ったことに気づいた。ホルスターに手を伸ばす。何の手触りもない。腰に視線を向ける。やはり、無い。

 背筋が凍りついた。一気に意識が覚醒し、電撃的速度で立ち上がる。周囲を見ても己の得物は……49マグナム、サン・シーカーは見当たらない。そして……途方もない喪失感を抱いた。空色の瞳に、神秘的な光は宿らない。不可視の獣の存在を、全く感じられない。クナイ・ダートの生成もできなかった。愕然とし、立ち尽くす。

 ……「ユウセ・リイヨナは哀れなモータルだった」

 陰鬱な声が響き、反射的にアズールは声の方を振り返り銃を向けた……何も握られていない手、引き金にかける指は虚空を引っ掻くだけだった。

 逃げ惑う不明瞭の人々の影の一人から、声の主がのっそりと進み出てきた。線の細い若い男だった。その者は哀しみと怒りに瞳を染め、アズールを見る。

「孤独をサイバースペースに逃避させ続け、IRC中毒患者として自我科に放り込まれ……大した治療もなく、マニュアル通りの医者のお墨付きでキョートに観光しにいった。自我科の医者なんてみんなそんなものだ。行き先がオキナワか、そうでないか、それだけさ……美しい街並みと伝統で心を癒すために……ユウセ・リイヨナは、キョートへ旅立った。そうしてあのジゴクに巻き込まれた。必死に逃げた。降り注ぐ光から……黒い汚泥から……ニンジャから……お前から」

 男の姿が01ノイズを伴って朧げな陽炎となる。彼は虚空に浮かぶサブマシンガン少女の方へと首を巡らせ、それからアズールを見据えた。

「彼は……助けてください、といった。死にたくないと言った。目が合った。だがお前は……泣き叫びながら……怒りながら……銃弾を浴びせた。彼は絶望と憎悪を抱えて死の闇に沈んだ」

 アズールは彼から視線を逸らさず、空色の瞳で見つめる。

「闇の底に堕ちた彼を、ニンジャソウルが拾い上げた。そうして、彼は……俺は、ニンジャになった。天啓だと思った。コロス・ニンジャクランの素晴らしい力は、正に俺の絶望を、憎悪を……復讐を果たすに相応しい力だった。全能感に満ち満ちた俺はケオスの坩堝を生き延びた。そうして、お前の行方を追った……」

 男の体が更に曖昧になったかと思うと、そのシルエットに変化が生じた。黒色と灰色のツートンカラーのニンジャ装束が生成され、薄暗い顔の鼻から下はクロームメンポに覆われた。それから酷いノイズが走り、肉体の欠損部を01ノイズで構築された男が……リゼントメントが、そこに立っていた。もはや肉体のほとんどが01ノイズに覆われた不明瞭な中で、胸元のエメツ結晶石とそこから全身に広がる闇の葉脈は確かな存在を示している。

「だが俺は元々ただの一般人だ。ニンジャの行方を追うノウハウはなかったし、裏のツテなどもなかった。手探りで裏社会にのめり込もうとして、ケビーシやらボンズやらにブチのめされた。屈辱的だったさ。ジツを使えば確実に勝てるが……このジツはお前を殺す、その時のためにとっておきたかった……」

「これはあなたのジツ?」アズールは周囲に視線をやりながら……厳しい無表情で声をかけた。彼は頷き、彼女に向かって歩き出した。

「然り。キリングフィールド・ジツ。ここではあのバカらしいリボルバーも、忌々しい不可視のイヌッコロもいない。クク、ハハ、ハハハ……痛いな、痛い。痛覚切除を持ち込めなかったみたいだ」

 キリングフィールド・ジツ。恐るべきコロスニンジャ・クランの絶対的カラテ空間たるサップーケイに相手を引き摺り込む危険なジツだ。

 しかし……今ここに展開されたるそれはエメツ・エクステンデッド・ブーストによって歪に変質し、オヒガン的な超常の力に寄っており……本来のジツとは乖離している。無論、アズールにそれを知る由はなく、当のリゼントメント自身もその性質を完全に理解はしていない。

 二人の足元に広がるコールタールめいた汚泥に01ノイズが浮かんでは消えていく。黒い汚泥は……過去のビジョンに映されたアンコクトンはエメツに共鳴するかのように胎動した。

 幽鬼じみた影は一歩ずつ、惜しむように足を踏み出す。「……ウフフ……結局俺はお前を見つけられなかった。そもそも、あのジゴクをお前が生き延びている確証もなかったからな。失意と諦念に折れ、俺はネオサイタマに帰った……住んでたアパートは不在の間に取り壊されてデパートメントの駐車場になっていたよ。たかが1、2年家を空けただけで……笑えるぜ……俺はもう、何もわからなくなっていた。仇敵も見つからず、生きる意味もわからず……だが俺に溶けていった内なるソウルは自死を許さなかった。ジゴクの日々があった」

 ワン・インチ距離に踏み込む。後退りそうになるのアズールは堪えた。

「もう二度、再会は叶わぬと……そう諦め、慎ましく生きてきた。磁気嵐が晴れてからは、新たな人生を始めようとも考えた……フフ、エメツとの出会いは神秘的であった。思えばあのとき、あの結晶に導かれたあの瞬間は啓示だったのかもしれん」

 その声音が段々と危険な恍惚さに装飾されていく。01成形された腕にエメツ葉脈が凝縮され、不穏にカラテを漲らせる……。

「そして……遂に……遂に!ブッダがお前を連れてきたのだ、この混沌の地に!俺は、俺は……何度この光景を幻視したか!メディテーションで、己のニューロンで!俺はありとあらゆる暴虐を振い、お前を殺してきたのだ!そして今……お前を痛めつけ!徹底的に甚振り、殺す……!イヤーッ!」エメツ腕が右フックを繰り出す。

「ンッ……!」アズールは腕を使ってガードするが、衝撃を殺しきれずよろめいた。「イヤーッ!」「ン、アッ……!」左フック。ガードが間に合わず、横っ面を殴られた。リゼントメントはふらつく彼女の胸ぐらを掴み上げ、引き寄せた。

「ハハ、ハハハ!簡単に爆発四散してくれるなよ……俺が!満足するまで!」「……イヤーッ!」「グワーッ!?」たたらを踏んだのはリゼントメントだ。手の力が弱まり、少女は拘束を脱する。頭突きをかました彼女の額に血が滲む。「おま、え……!!」目を見開き、アズールを睨みつける。空色の瞳が決断的に睨み返す。

「イヤーッ!」アズールは右腕を胸の前で水平に曲げ、足を踏み込んでの肘打ちを繰り出した。「グワーッ!」胴に直撃。そのまま彼女は左の手のひらを右拳に合わせ……「イヤーッ!」更に強引に肘打ちを押し出す!「グワーッ!」曲げた右腕を90度に起こし、「イヤーッ!」手の甲を顔面に叩きつける!「グワーッ!!」三連撃!ワザマエ!

 アズールは特殊なニンジャソウル憑依者だ。宿りしはイヌガミ・ニンジャ……ニンジャ・アニマルのソウル。異種族間の憑依は通常起こり得ないことだが、アズールを依代にしてイヌガミ・ニンジャが顕現するという特異な形をとって、彼女はニンジャとなった。その特殊性ゆえか、ソウル憑依による身体能力向上の恩恵をアズールは殆ど受けていない。ニンジャとしての腕力等は通常のニンジャに劣っている。

 だが彼女はこの世界を生き抜くため、適応能力を、第六感を、カラテを研鑽してきた。サン・シーカーを得るまではその身一つで……得た後も、その得物の反動・衝撃の負荷を耐えるため、また使いなすため……カラテは常に彼女と共にあった。

 思考を巡らせ、記憶を辿り、これまでにその目で見てきたニンジャのイクサを想起する。無力さとやり場のない怒りに打ちひしがれ、暗闇に居た頃の記憶からも無理やりに引き摺り出していく。皮肉にも、リゼントメントのジツによって作り出された強烈な過去のビジョンが、記憶の引き出しをこじ開けるのを後押ししてくれている。

 マグロアンドドラゴン社屋。オブシディアン装束のニンジャ。赤黒装束のニンジャ。アズールを縛りつけたあの男のジツに捻り潰されていった、名もわからぬザイバツの有象無象でもいい。

 或いはセンジン。私立探偵。ホーリイブラッド。何でもいい。誰でもいい。その構えを、攻撃を、回避を意識する。理解する。

 得物が無かろうが、不可視の獣の力を借りれなかろうが。今更それがなんだというのか。今やれることをする。敵を倒す。そして無くしたものを取り返す。それだけだ。

「グ、グワッ……オノレ……」

 リゼントメントは蹌踉めきながら後退し、カラテを構え直し……「イヤーッ!」全速スプリント、チョップ突きを繰り出す。アズールは上体を逸らし回避。逸らした体をそのまま伸ばし、両手を地面へ。ブリッジ体勢……瞬時に逆立ち蹴り。「イヤーッ!」「グワーッ!!」リゼントメントは胸部を打ち上げられる。

「イヤーッ!」狂気の亡霊はその衝撃と反動を使い、弾かれたように後方へ。少女は逆立ち状態から体をしならせ、クラウチングスタートめいた体勢に移行。空色の瞳に敵意を宿し、駆け出す。地面を蹴って跳躍。「イヤーッ!」空中で体を半回転させ、ケリ・キック。「イヤーッ!」リゼントメントはその脚に手を沿わせて抱え込み、衝撃を流しながら彼女を乱暴に投げ飛ばす。

「ンアーッ……!」不明瞭な群衆に向けて放り投げられたが、彼らは実体を持たず干渉はない。アズールの華奢な体が奇妙に人々をすり抜け、地面を転がった。咳き込みながら立ち上がろうとし……直後、彼女のニューロンに不明瞭な群衆の怨嗟の声が重苦しくのしかかった。体を起こしきれず、四つん這いのような状態……そこにリゼントメントが襲いくる。「イヤーッ!」「ンアァァ……ッ!」横腹にサッカーボールキックを浴びせられ、血反吐を吐きながら地面を転がるアズール。

「イヤーッ!」追撃のストンピングが迫る……「イヤーッ!」アズールは仰向けになりながら、両の手でリゼントメントの脚に挟み込むようなチョップを浴びせた!「グワーッ!」「イヤーッ!」そして地面に横たえたまま、ワニのローリングめいてその場で体を捻らせ、リゼントメントを無理やり投げ飛ばす!「グワーッ!」

 吐血混じりに荒い息を吐きながら立ち上がり、アズールは口から垂れる血を拳で拭った。カラテの応酬……一つの一つのワザの威力に劣るアズールは手数を多く仕掛けるか、敵の攻撃をそのまま転用し対処せねばならない。イクサが長引けば長引くほど、ニンジャ身体能力の差という覆せぬ絶対的なアドバンテージに苦しめられ、ジリー・プアー(徐々に不利)になることは間違い無かった。

 リゼントメントがゆったりと起き上がる。彼は血の代わりに01ノイズのエフェクトを吐き出した。少女は決断的に跳躍!「イヤーッ!」空中で回転、回転、回転……カラテを乗せ回転。「イヤーッ!」踵落としを喰らわせる!「グワーッ!」鎖骨を破り砕かれ、リゼントメントの体がぐらりと沈み込む。01ノイズが迸る。アズールは叩きつけた衝撃を使って弾かれたように跳ね上がり、天地逆さの状態になって、伸ばした両手を彼の両肩につけた。「イヤーッ!」振り子めいた流れるような動作でその背にニーキックを放つ!「グワーッ!!」バックフリップと同時にケリ!「イヤーッ!」「グワァァアーッ……!!」アズールは飛び下がり着地。リゼントメントは吹き飛ばされ、地面を、アンコクトンの上を転がっていく。バシャバシャとコールタールめいた黒い汚泥が跳ね飛び、01ノイズを飛散させる……。

 SPLAASH……!!!

 アズールは訝しんだ。足元に広がるビジョン体アンコクトンが鎌首をもたげ、蔓を伸ばし出したのだ。それらは不明瞭な群衆を呑み込み、そして……虚空に浮かぶ、サブマシンガンをもったドレスの少女に襲いかかった。少女は恐怖に目を見開き、怯え、引きずられていく。リゼントメントの方へと。彼の体に広がるエメツ葉脈が、水を吸い上げるかのようにアンコクトンを喰らっていく。いや、或いは……喰らわれていく。

AAAARGH……!!

 呻き声と共に、脈打つ心臓めいてエメツ結晶体が妖しく輝く。ビジョン体のアンコクトンも同期する。彼は足元に転がるドレスの少女を見下ろす。ビジョン体の黒い蔓が彼女の四肢をめちゃくちゃにへし折った。泣き叫ぶ少女のもとへ蔓が集まり溶け合い、球状になり、少女の全身を包み込んだ。暗黒の球が圧縮された。壮絶な悲鳴をあげて少女は潰れた。

 リゼントメントは虚無的な笑顔を浮かべた。バシャリ、球状を保てなくなったビジョン体アンコクトンが液体となって足元に広がる。01ノイズが吹き荒れ、潰れたドレスの少女を補修し、再構成した。彼女は濁った空色の瞳を恐怖に染めあげ、命乞いの言葉を叫んだ。

 泣き喚く少女の首をリゼントメントがチョップで刎ねた。首を失った少女は黒泥に倒れ込み、呑み込まれた。リゼントメントは狂気的な笑みを浮かべた。01ノイズに再構成された少女はビジョン体アンコクトンに引き摺り込まれ、闇の底へ溺れ沈んでいった。

「……それがあなたの望み?」顔を顰めながらアズールは言う。彼女に向き直る虚無の笑顔。その表情が引き攣り、激しい01ノイズが砂嵐のようになってリゼントメントの顔を覆った。砂嵐が晴れる。陰鬱な青白い顔が露わになる。

「……ああ、そうだよ……調子に乗りやがって……カラテなんかしやがって……!俺に、泣き喚いて、命乞いをしろ!震えろ、怯えろォ……ナンデ……ナンデ……!」

 涙を流しながらリゼントメントがアズールに飛びかかる。彼女はバックステップで回避……できない。その脚が掴まれている。01ノイズに装飾されたアンコクトンが絡みついている。

「イヤーッ!!」「ンアッ……!」

 放たれたのは頭突きだった。額に衝撃を受け、アズールは意識を失いかけた。ふらつき、倒れ込む……その前に彼女の爪先をリゼントメントが踏みつけた。

「イヤーッ!」「ンアーッ!」鋭い殴打が彼女の意識を叩き起こした。そしてさらなる殴打が振るわれた。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 殴打、殴打、殴打、殴打。倒れ込むことも叶わず、顔面を、横腹を、肩を、全身を殴られる。

「ンアアアーッ……!!」激痛に顔を歪めるアズール。「イヤーッ!」「カハッ……!」鋭い拳が抉り込むようにして鳩尾に突き刺さる。脚に絡みついていたビジョン体アンコクトンがバシャリ、と弾けて地面に広がった。

「ゴボッ……」少女は蹌踉めき、血の塊を吐き出す。そして……おお……ナムアミダブツ……両膝を地面について崩れ落ち、項垂れた。

「ハァーッ……ハァーッ……ハハ、ハハハ。そろ、そろ限……界だろ……アズール=サン……」

 息を荒げたリゼントメントがアズールに歩み寄る。足元にビジョン体アンコクトンの水溜りが滲む……。

「……満足、した?」項垂れ、肩で息をしながら……少女は言った。

「アァ……?」訝しむリゼントメント。「何を……何を言っている。お前が言うべきは、情けなくブザマな」「満足した?」

 リゼントメントは目を血走らせ、彼女の髪を強引に掴んで無理やり立ちあがらせ、その顔を見た。そして驚愕した。アズールの表情に、怯えや恐怖の色は一切無い。敵意と殺意も、今はない。哀れみも怒りもない。諦めているわけでもない。ただ、達観した少女の顔がそこにあった。その顔を、狂気の亡霊は酷く恐れた。手を離し、狼狽えて後ずさった。

「違う……違う、違01010お前じゃない!お前は、お前は……誰01010お前は、そんな顔を、しな01010101ヤメ010101アズール=サン0101

 激しい動揺と共に全身を痙攣させ、リゼントメントは01ノイズを吐き散らした。瞬間、決定的な断絶がキリングフィールドを引き裂き始めた。彼方此方に、紙を手で無理やり千切った時のような出鱈目な亀裂が生じていく。

 アズールは地面にかがみこみ、ビジョン体アンコクトンの水溜りに躊躇なく手を突っ込んだ。何かを探るように。そして彼女は掴んだ。白く細い手を。アズールは身を起こしながらその手を、濁った空色の瞳のドレスの少女を闇の底から掬いあげた。そしてリゼントメントを見据え、言葉を紡いだ。

「……私は過去を忘れたことはない。忘れるつもりもない」

 亡霊の姿が陽炎めいて揺らぐ。胸元のエメツ結晶体が一層強く輝き、ビジョン体アンコクトンを吸収していく。

「……過去に縛られるつもりもない。罪も枷も全部背負って、生きている」「01010100100101」

 リゼントメントが01ノイズに塗れた苦悶の声をあげた。エメツ、キリングフィールド・ジツ、アンコクトン……それらが内包する力が発する危険な相乗効果が、今まさに彼を苛んでいるのだ。オヒガンの力をいたずらに弄んだ者の末路だというのか……。

「忘れることはない。全部ひっくるめて、私だ。そうやって今を生きている。生きていく」アズールは傍の少女を見やる。その装いはドレス姿ではなく、黒いマントを羽織った女学院制服。「……一生懸命にね」

 今やビジョンのアッパーガイオンは瓦解の一途を辿り、地には大陸断裂じみた裂け目が生じていた。アズールとリゼントメントの間に走った裂け目が、二人を分かつ。亡霊は泣きながらエメツに、アンコクトンに呑まれ、離れていく。

 アズールの傍で少女は01の光となり、中空に浮かび上がった。光はアズールの手元に集まっていき……無骨なリボルバーを、49マグナムを象った。二挺あるうちの一挺だ。彼女は微かに微笑み、眼を閉じてかぶりを振った。そして決断的に眼を開く。厳しい無表情で手に握るそれは、彼女がライトウッドの奥地で手に入れた、今の彼女自身の得物。サン・シーカー。

 アズールはその銃口を向けた。揺らめく01ノイズの陽炎に……彼女はその空色の瞳でキッとそれを、否、彼を見据えた。「あなたのことも、忘れない」言葉を紡ぎ、引き金を引く。

 BLAMN !!!

 放たれた光の弾丸はリゼントメントの胸元のエメツ結晶体、その中心部を……その『芯』を正確に狙い撃った。エメツの結晶体が粉々に砕け散る。光は貫かず、彼の胸に空いた風穴に留まり、淡く輝いた。エメツの葉脈に光が走っていく。ビジョン体のアンコクトンが枯れ果て、萎びれ、崩れていく。光は01の風となってヘル・オン・アースの幻影を突き抜けていく。

 リゼントメント01010はアズールを見010110010101光に包まれ01010101視界が白く染ま0101010101


……0101010101010100110101010……



 ……アズールは薄暗い室内で眼を覚ました。手にはサン・シーカー。身体を起こして立ち上がり、眼前に佇む人型のシルエットを見つめる。それは01ノイズとなって巻き上がり、光となって霧散していった。

 彼女は49マグナムのシリンダーを開き、弾丸を装填してからホルスターに納めた。そして瞳を閉じ、深く調息した。

 それは祈りのようなザンシンであった。

 空色の瞳が開かれる。彼女のすぐ傍で揺らぐ空気、微かに浮かぶその輪郭に手を添え、撫でる。

「大丈夫。私は生きてる」

 ……いずれ、インガオホーが訪れる時があるのかもしれない。だが少なくとも、それは今ではなかった。それだけだ。

 ZZoooM……振動に建物が揺れ、天井からパラパラと小粒の破片が落ちてきた。外からけたたましい欺瞞文言と砲撃音が響いてくる。ナローズ・ピットのアジトの異変を察知した企業連合が部隊を急編成し、掃討作戦を開始したのだ。

 長居は無用。アズールは不可視の獣の背に飛び乗った。獣が吠え、バルコニーを突き破り、建物を跳び渡って駆けていく。谷間を、山地の斜面を駆け上がり、荒野へと飛び出す。

 地平線の彼方から恭しく顔を覗かせた朝日の光が、一人と一匹を出迎えた。

◆◆◆


 ……数週間後。中立非戦市街地の一区画にて。

 武装キャラバン『BESTIE』がバンやカンオケ・トレーラーから商品を陳列し、販売クローンヤクザが訪れる客に対応していく。

 その様を見ながら、ブラックルインとワンダリングフリッパーは車両近くに設置したパラソルテーブル・チェアで向かい合い座していた。テーブルの上にはティーポット。二人の前のマグカップには、ハイビスカス色のハーブティー。

 アズールにペンダントを託された後、彼らは当初の予定……北上するはずであった進行ルートを急遽変更し、西へ、マリブへと舵を取った。予定に全くない行動だが、ワンダリングフリッパーは気に留めずに躊躇なく行動した。彼に曰く、「なんつったって、ここは自由の国だからな」

 ブラックルインが感心すると、彼は「こういうのは忘れないうちにやってないと忘れる」「俺はネオサイタマでヤクザをやってたから義理が大事」などと戯けた調子で言ってみせた。そうして彼らはマリブへ赴き、ショーン・ハウイットの元を訪ねた。ワンダリングフリッパーは店番があるといって離れず、ブラックルイン一人に行かせたが。

 ペンダントを渡されたショーンは大粒の涙を流して、感謝の言葉を述べた。ブラックルインは気を利かせようと、アズールへの手紙や伝言を預かろうとしたが、彼は奥ゆかしく断った。「アズール=サンにはもう、年寄りの長話を散々聞いていただきましたから」……彼女は去り際、もう一度、届け物があれば預かるぞ、と念押しした。ショーンは少し考え込んだ後、ハーブティーの箱をブラックルインに手渡した。美味しい淹れ方のメモを添えて。「もしまた彼女に会ったら、私の代わりに淹れてもらえませんか」……。

 用事を済ませた『BESTIE』は再び元のルートに軌道修正し、北上。今はその途上だ。

「……アズール=サンは無事でいるだろうか?あれから見ていないが……」

 ブラックルインが言うと、ワンダリングフリッパーは飄々とした口調で返す。

「ンー、まぁあれよ。そのうちまた会えるさ。こういうのはな、会いに行こうと思っても会えないんだ。忘れた頃にこう、フラーっと出くわすんだ。それでサイオー・ホースな、って言って乾杯するわけよ」

「そういうものか」

「そういうもんさ」

 彼は陽気に笑い、ハイビスカス色のハーブティーを飲み……微妙な表情になってブラックルインを見た。

「……アー、少なくともお前は暫く会わんほうがいいな」「なに?」訝しむ彼女に対し、彼は呆れて肩をすくめた。

「こんなのお前、色付いてるだけのお湯じゃんかよ!蒸らしが足りてねぇんだ実際。メモ貰ったんじゃねぇのかよ!」

「ワンダリングフリッパー=サン、お前は普段からスシピザやら何やら、カロリーの暴力ばかり口にしているから味覚が麻痺しているんだろ……」ブラックルインは呆れて言い、ハーブティーを飲み……微妙な表情になった。それから慌てて周囲を見渡し、聞き耳を立てはじめ、声を顰めて言った。
「……来てないよな?アズール=サン」
「……流石にこのタイミングで現れたらマジで発信機か盗聴器案件だろ」

◆◆◆


 ……「ヘイ、お嬢ちゃん!その格好、イカしてんね!タケシコップか何か?」

 とある町の往来で、日焼けした屈強そうなグラサン男が、窓ガラスもドアもない開放的なシャトルバスの運転席から身を乗り出し、少女に声をかけた。新調した帽子にタンクトップ、ワークパンツ。腰のホルスターに下げるは無骨な拳銃。肩掛けに背負う袋には旅荷物が詰まっている。彼女は振り返り、空色の瞳でグラサン男を見た。

「一人旅は初めて?映画好きかい?気合い入ってんねぇ、アレでしょ、山形……撮影……なんたらの……アレよ、アレ……あーそう、映画撮影村行くけど乗る?乗るよね?安くするよ!」

 歯を見せて笑い、捲し立てる。少女は暫く彼を見つめた後、シャトルバスへと向かった。ドアのない開放的な車両前部の搭乗口から乗り込み、冷たい座席に座り込む。乗客は彼女一人だ。グラサン男は鼻歌を歌いながら、後ろを見ずに金を要求するハンドサインを見せ言った。「前払いね!」

「着いてから払う」淡々とした声が答えた。グラサン男は苦笑しながら振り返る。「お嬢ちゃん、冗談はその格好だけに……」そして息を呑んだ。少女の空色の瞳に、何やら只ならぬ凄みを感じたからだ。彼は小さく舌打ちし、ブツブツと何やら呟いてからバスを発進させた。

 町を出たバスに揺られ、少女は外の景色を見つめる。運転手のグラサン男が沈黙に耐えかねてか、時折彼女に話をかけてきたが……一言二言返事を返したり、返さなかったりする少女にやがて閉口し、黙々とハンドルを握るようになった。

 UCA北西部のゴーストタウンに築かれた、ジェット・ヤマガタなる人物が設営する『映画撮影村』……ひとまず、そこが彼女の目的地となった。

 少女の放浪の旅は、まだ続く。
流れていく景色を、時間を、その空色の瞳に。記憶に刻みつけながら。

エピローグ:ステアリング・アット・ザ・サン


……0101010101010100010110……


 何処とも知れぬ闇夜の空間を、彼は歩く。視線の遥か先には熱帯びた淡い光。そこへ向かい、彼は歩く。

 時折立ち止まり、後ろを振り返り、手を伸ばす。濁った空色の瞳をしたドレスの少女へと。虚無的な嗜虐心と笑顔を浮かべ、残酷なビジョンを幻視し……苦しみ、呻き、蹲る。胸をおさえながら……。

 彼の胸元に空いた不可思議な風穴、そこに浮かぶはエメツではなく、弾丸。狂気と妄執に呑まれそうになる度、彼の胸で弾丸は龕灯のように光り輝く。そうして苦悶して暫く立ち止まり……また前へと向き直って立ち上がり、足を進める。

 先に何があるのかはわからない。ここがオヒガンなのか、そうでないのか、自分がどこにいるのかもわからないが。

 兎角、彼は光差す方へ歩いてみることにした。理由は特にない。何となく、そうしたいと思った。

 ただ、それだけだ。


……0100101010101010001010……

◆◆◆


「悪いけどね、お嬢ちゃん、ここまでね!」

 日に焼けたグラサン男が後部の座席に座る少女に声をかけた。彼女は外の風景を軽く見渡した。デコボコに隆起した地面に、切り立った小高い丘、暗色の草々。少女は無表情のまま、グラサン男を見やった。

「見ての通り道悪いね!バス走れないからね、それに最近あの、あれ、『ネザーキョウ』!コワイからね、おっそろしい黒帯巻いた『カラテビースト』も一緒になって、遠路はるばるお越しになったりしててアブナイから、これ以上はね、行けないね!」彼は運転席の側に立てかけられたショットガンの存在感をアピールし、周囲の景色を指差しながら声を荒げて捲し立てた。

「聞いてないけど」「言ってなかったからね!それじゃ、Uターンするよ!帰り道は別料金ね!」ナムサン!観光客狙いの悪徳バスドライバーだ!

「ここで降りて歩いていくってんなら別だけどね、まぁ、人生の勉強の授業代だと思ってね」「わかった。なら、ここからは歩いていく」少女は座席を立ち、平然と言い放って搭乗口へ向かった。

「……ハ?お嬢ちゃん、何言ってんの?」目を丸くするグラサン男を後目に、彼女はシャトルバスを降りながら言う。「慣れてるから」

「慣れてるッて……ウワッ」少女は背を向けたまま、親指で硬貨を彼に向けて弾いた。キッチリ片道分の代金だ。そしてシャトルバスを一瞥することなく、悪路を軽々と飛び渡り、小高く立った丘の方へと向かっていった。日に焼けた屈強なグラサン男は、遠ざかって消えていくその後ろ姿を呆然と眺めていた。

◆◆◆


 見晴らしのいい丘に辿り着き、ギラつく太陽の残響を浴びながら、少女は遠景に目を凝らした。ここからそう遠く離れてはいないところに、『山形電影有限公司』の文字が見える。

 丘の斜面を下り降り、道なき道を掻き分けて進んでいく。

 晴れ渡る晴天の空色の下を少女は歩く。

 目的地へ向かって、確かな足取りで。

ライズ・アンド・フォール、レイジ・アンド・グレイス  
【完】


FAN MADE N-FILES(設定資料、あとがき)

ウキヨエ: batta_研鑽 =サン

月破砕後、AoMの時代。49マグナム『サン・シーカー』を携えたアズールが、混沌と暴力が支配するアメリカの荒野を駆ける。文明崩壊後の苛酷な世界に蔓延る暴虐、極限のカラテ、そしてイクサの果てに待ち受ける過去の亡霊との対決。


主な登場ニンジャ

アズール / Azure:不可視の獣の使役と、携えた49マグナム『サン・シーカー』を武器に戦う孤高の放浪ニンジャ。ソウルの不死性に肉体の成長が阻害されているため、外見は憑依時の少女のままだが、壮絶な人生を逞しく生き抜いてきたその精神性は強靭そのものである。

ニンジャアニマルたるイヌガミ・ニンジャを宿す特異なソウル憑依者ゆえに、ニンジャ化に伴う身体能力向上の恩恵は殆ど受けられておらず、腕力等は通常のニンジャに劣る。しかし、彼女自身の洞察力や研ぎ澄まされたニンジャ第六感、適応能力、技量は単純な身体スペックを補って余りある。前に進むためには強くあらねばならないのだ。

【ファニング・ショット・キル】
リボルバーの引き金を引き続けたまま、撃鉄を素早く連打してマグナム弾をマシンガンめいて発射する危険なガン・アクション。実際威力は凄まじいが反動も段違いであり、49マグナムの大口径で行うのは至難のワザである。

テッポウ・ニンジャクランに伝わるファニング・カラテと似通っているが、アズールにかのニンジャクランのインストラクションは無い。49マグナムと共に荒野を戦い抜く中で見つけ出し会得したワザである。カラテ収斂進化と言うべき事象だ。

ただし、アズールがこのワザを実際に使う機会は滅多にない。余りにも強い反動と、それを制御するための極度の集中は彼女自信への負担が大きく、また隙も大きい。早々気軽に扱えるワザではないのだ。しかし、このワザを会得するにあたってアズールはマグナム銃のリコイル制御への理解をより深めることとなった。研鑽は、何一つとして無駄にはならないものだ。

リゼントメント / Resentment:本名「ユウセ・リイヨナ」。彼はIRC中毒患者の気弱な青年であり、自我科の勧めでキョート共和国へ観光に赴いたが、そこで彼の身に悲劇が起こった。ガイオンの未曾有の危機、マッポーカリプスめいたヘル・オン・アースに巻き込まれ、そのケオスの最中、サブマシンガンを携え宙に浮かぶ少女ニンジャに無慈悲なフルオート射撃を見舞われたのである。

生死の境を彷徨う彼にコロス・ニンジャクランのソウルが憑依。ユウセはリゼントメントとなった。彼は自らを撃った少女に復讐すべく災禍の爪跡残るキョートに潜伏していたが、再会は叶わなかった。リゼントメントには知る由もなかったが、少女は老夫婦に引き取られ、ネオサイタマに移住していたのである。後に彼もネオサイタマに帰ったが、既に彼は失意のうちにあり、心折れていたのだった。もう少し彼がキョートに留まっていれば、元老院に囚われ、カブキコムのマジックモンキーとしてセンジンの地で少女ニンジャと相対していたかもしれない(それが彼にとって最良の結果かはともかくとして)。

【EEB・キリングフィールド・ジツ】
エメツ・エクステンデッド・ブースト・キリングフィールド・ジツ。彼が自らの胸元に埋め込んだエメツ結晶石と、エメツ鉱石の経口摂取による過剰なエメツ・ブーストが連動した結果変質を起こした、キリングフィールド・ジツの亜種。オヒガンに極めて近いローカルコトダマ空間に酷似したサップーケイを作り出す、危険なジツだ。リゼントメントは物理肉体・論理肉体共に定義が曖昧であり、空間内においては彼自身予期せぬ事象が起こる。



中立非戦市街地、武装キャラバン『BESTIE』

文明崩壊後のアメリカ大陸に点在する準文化圏。混沌の地に経済と文明社会の真似事を齎す存在である。中立を謳ってはいるが、実際は暗黒メガコーポの息がかかっており、この地が得た収入は大陸復興募金という陳腐な名義のもと、様々な団体を通して企業に上納される。渇いた無法の大地のなかにあっても、利権を得るチャンスが少しでもあれば、暗黒メガコーポは抜け目なくその芽を掻っ攫っていくのだ。

武装キャラバン『BESTIE』は中立非戦市街地に属する行商隊であり、正当防衛重装備バンの編隊で荒廃した大陸を渡り歩き、実用品や珍品を売買している。運転手も販売員もクローンヤクザを使い、人件費をカットしているが、これらクローンヤクザの入手経路は曖昧で不透明だ。中立非戦市街地とヨロシサン・インターナショナルとの間に一切の取引はなく、またキャラバンによる貨物運搬をヨロシンカンセン整備に役立てているという事実も公的書類には存在しない。

ワンダリングフリッパー / Wondering Flipper:武装キャラバン『BESTIE』を率いる、タナカ・ニンジャクランのソウルを宿す黒人ニンジャ。要塞めいた武装カンオケ・トレーラーを操る豪放な男。キネシス・ジツを用いた生体LANケーブルの複数直結同期により、トレーラーに備えられたあらゆる武装を使いこなす。

かつてはネオサイタマのとあるヤクザクランに所属していたが、ソウカイヤが遣わした恐るべきカトン使いの情け容赦ない交渉によってクランは壊滅的被害を被り、その上クランのオヤブンは失踪。彼の属するヤクザクランは内輪揉めの末にソウカイヤに吸収されていった。彼はネオサイタマ ・ドリームを諦め、帰国。その後紆余曲折を経て彼はニンジャとなり、武装キャラバン『BESTIE』を率いるようになるのだった。

ブラックルイン / Black Ruin:武装キャラバン『BESTIE』のメンバーの一人。月が破砕した年、彼女はまだ9歳の少女だった。それから10年の月日が経った2048年現在、彼女は年齢、ニンジャ歴共に若いニンジャとなって殺伐の荒野を生きている。

ソウルの格は低く、またニンジャ経験が浅いため、その立ち回りには未熟さが残る。とはいえ決してサンシタではない。幼い頃に置かれた過酷な境遇のなかで戦闘技術や殺人技術を培ってきたため基礎的身体能力は高く、ワザマエは確かだ。

アウェアネス / Awareness:元フリーランスニンジャ、現武装キャラバン『BESTIE』メンバー。ニューロンを沸騰させ爆ぜさせる危険な特殊音波を発するテック・アンテナを使いこなす。感知能力に長けるほか、本人のカラテも高い堅実なニンジャ。

フリーランスとして活動していた際、アズールと共同で依頼をこなしたことがあり、また、一時期彼女と行動を共にしていた。その旅路の途中、立ち寄った町で出会ったワンダリングフリッパーから武装キャラバンに誘われ、興味を抱いたアウェアネスはそれを承諾。一方アズールはこれを断り、彼と別れ、再び荒野へ旅立った。それきり、二人が再会することはなかった。



ナローズ・ピット

荒野に蔓延る盗賊集団。本拠地はマイラ・モンティ。かつてはモータルがカシラであったが、現在は残忍なるニンジャ・マイティブロウがカシラを殺害し、その座を奪い取って君臨している。彼の趣味及びフーリンカザンの構築のため、マイラ・モンティのアジト周辺、ナローズ・タウンはネオサイタマとは似て異なる悪趣味な極彩色の光に染まっている。その電力は様々な近隣の準文化圏や『シティ』の一部から盗電して賄っており、様々な企業・カネモチから敵視されている。

企業連合による掃討によりタウンは壊滅したが、電力源や地理的アドバンテージという資源・利益の独占権を得んとする連合間の熾烈な争いはその後も続いている。斯様なサツバツの荒野であってもカネは生まれ、奪い、奪われていくのだ。

マイティブロウ / Mighty Blow:ナローズ・ピットの現首領たる残忍なニンジャ。ヒカリ・ニンジャクランのレッサーソウルを宿す。周囲の光を媒体として光球を生成するヒカリ・ジツを用いる。空気中に光が広く分散される屋外においては光の充填が緩やかであるため、凝縮した光を閉じ込められる屋内戦が彼のフーリンカザンだ。

放たれた光球に直撃すれば、忽ちのうちに強烈な目眩・吐き気等の嫌悪感に襲われる。モータルであればショック死、ニンジャであっても無視できぬ不快感に晒される代物だ。そうして動きに精彩を欠いた相手を己の剛腕のカラテで嬲り殺すことを好む恐ろしいニンジャである。

しかし、彼の最も恐ろしいところはヒカリ・ジツでもなくばカラテでもない。真の脅威は彼の持つ生来の価値観、メンツ概念とプライドの薄さにある。最終的に自分の命さえ無事であれば良く、いざとなれば敵前逃亡も厭わない、残虐で粗暴でありながらも冷めた目線を持つリアリストの側面こそが彼を生かしているのだ。

カープスタン / Carp's Tongue:カープスタン・ソードとは、紀元前のヨーロッパにおいて広く使用されていた剣の一つである。その幅広い剣身と先細の作りによって、斬撃と刺突の両方のワザを可能としていた。この外見的特徴及び使用用途から、この剣がニンジャのチョップと何らかの関連を持つことは明白である。全てはニンジャに通ず。

そのような恐るべきニンジャ真実を内包した剣の名をニンジャネームに含めた彼は、グラディウス・ニンジャクランのソウルを宿す強大なニンジャ戦士だ。通常、同クランの奥義グラディウス・ドーは片手剣と小盾を用いたカラテを使うが、カープスタンは片手剣を携えない。彼が携えるは、チョップ。そしてスリケン射出機構付きの丸盾。攻防一体の油断なきカラテは実際強力だ。

彼がニンジャとなったのは2038年、日本国家崩壊後のケオスの最中。ニンジャとなった彼は世界各国の暗黒メガコーポ押し寄せるなかを戦い、その末に彼は企業闘争に倦厭の情を抱く。そして、生き抜いた彼が次の闘争に臨んだ地は……暴力と混沌が支配する暗黒の大陸アメリカであった。

ソリッドクロウズ / Solid Clothes:ソナエ・ニンジャクランのソウルを宿す老兵ニンジャ。傭兵としてアメリカ各地を渡り歩き、カネを荒稼ぎして女を抱く暮らしを続ける豪放な男。通常は全身を覆う鎧を生成するジツを、全身ではなく局所的に鎧を多重生成することでエテルの消費を抑えながら戦う。

状況判断力に優れるほか、カラテもジツも強大。経験豊富な油断ならぬ危険なニンジャ戦士だ。

ニンジャとなる以前は、国歌崩壊前のUSAで政府のヨゴレ仕事を請け負うエージェントであった。国家崩壊の直前、ヤバレカバレめいたアメリカ政府により政治犯としてスケープゴートに仕立て上げられた彼は、国を捨てて荒野へと出奔。サツバツの地にて暫く賞金稼ぎを生業とし、その後傭兵活動を開始した。彼がいつ頃ニンジャとなったかは不明だが、少なくとも国家崩壊時点ではモータルであったようだ。

オブザーバー / Observer:マイティブロウの懐刀たる、シノビ・ニンジャクランの戦士。ナローズ・ピットに所属する前は文明圏の企業戦士であり、斥候のほかにも暗殺や直接のニンジャ戦闘案件などを請け負っており、現場に身を投じる機会も多かった。

属する企業が闘争に敗れ倒産した際に野に下っていたところ、その能力を買ったマイティブロウに組織に迎え入れられた。組織内で彼の存在を知る者は、マイティブロウとリゼントメントのみである。なお、リゼントメントが彼の存在を把握している事実を、マイティブロウとオブザーバーは認識していない。

現在彼に与えられている役割は専ら斥候・監視者のみであり、かつて企業戦士として活動していた頃のような刺激的なミッションはなく、退屈を覚えながらも、彼はただ黙々と観測者に徹していた。



◇ウキヨエ◇


扉絵めいたウキヨエは batta_研鑽 =サンに描いていただきました。49マグナム『サン・シーカー』の迫力やアズールの決断的な表情、武装キャラバンやナローズタウン、光、リゼントメント……大変にパワーがあり、実際スゴイ!本当にありがとうございます!



◇あとがき◇

暴力と混沌が全ての殺伐荒野、文明崩壊後のアメリカ大陸を、孤高の放浪ニンジャ・アズールが駆ける、AoMスピンオフ的二次創作ストーリー。

彼女が生み出した過去の亡霊との対峙と決着という展開は、原作では決してないだろうと思っている。ヤモトとキルチャージの顛末から考えて……。そもそもアズールはセンジンでガンドーの助けを借りながら、過去との決別を果たし、前に進んだキャラクターなのだから。それでも、書きたかった。だから書いた。二次創作はきっと、そういうものだ。

AoMアズールを描く上で難しかったことがいくつもある。まずはそのワザマエ。単純に、強い。獣も49マグナムも当たれば致命傷ないし爆発四散、一撃必殺めいている。それでいて、アズール本人のニンジャ耐久力は控えめであるので、マトモにニンジャのカラテを喰らえば大変なことになってしまう。全部楽勝に勝っても面白くないし……かといって苦戦するにしてもダメージを与え過ぎてはいけないし……その舵取りには大いに悩んだ。

カートゥーン等において、即死技をもったキャラクターは味方であろうが敵であろうが、あまり活躍できない。即死が決まれば話がアッサリと終わるので扱いに困ってしまうのだ。クリエイター側の苦労が筆致に現れたりもする。今回、その苦味をかなり味わった。毎度同じようなアクションを描くのはつまらないので、イクサ毎に色々と試行錯誤して戦い方にバリエーションを持たせて……かなり苦悩したが、楽しくもあった。

ワザマエの他には、アズールの心情描写やセリフ回し。彼女はあまり口数は多くない。が、三部作の頃よりは喋る。ズケズケとものを言う。ニヒルな言葉を紡いだりもする。他者を=サン付けしないのは相変わらず。感情の動きは少女の頃より豊か(ただし無表情)。無口過ぎず、喋らせ過ぎず。そのバランス取りには気をつけた。

彼女は冷静だが、冷酷ではない。AoM名鑑カードに記されているように、AoM時代のアズールは、主体的に生きて、目の前の他者と関わる事それ自体を人生の主題としている。きっと、長い月日の中で色々と人生観や価値観を培ってきただろう。リゼントメントと対峙した際のセリフを書いている時、それらを強く意識した。喋らせすぎかもしれない、と自問自答したりもした。【グッド・タイムズ…】でナカヨシを殺戮した際の彼女の心中を著す地の文と食い違っていないか、とも。けれど、あれから10年も経っている。ガンドーとの出会いもある。考えや価値観に変化があって然るべきだ……そんなこんなで筆をとった。リゼントメントに向けた言葉を『開き直っている』ように捉えられたくなかったので、その辺りもよく考えた。アズールはアズールなりの誠意をもって、過去の亡霊に接している。そういう気持ちで一連のシーンは描かれた。うまく伝わっていればいいな。

エピソード全体の構想は、ひとつの音楽アルバムのような構成を意識して書いている。オープニングナンバーたる①でリスナーを掴み、そこからBPMが上がっていき、③がキラーチューンな感じ。④以降から、終幕に向け、バラード的な感じだったりミディアムテンポになったりしていき……そういうイメージ。まぁ言ってしまえば起承転結である。尻切れトンボめいて失速しているように感じさせないように、あくまでもこれはワビサビであると感じさせられるような物を書き上げたいと、終盤はそう思いながら書いていた。

私は頭が固く、それゆえ小説を書くにあたっては理詰めで文章を進めざるを得ない。比喩とか対比とか、引用だとか、意味合いを持たせながらの執筆。表現でもそうだ。

今作は、登場キャラクターに合わせた……特に、主役たるアズールに合わせた表現の落とし込みを強く意識している。彼女が主体となっている場面、カメラがアズールに向いているところでは、アニメ的・漫画的演出な表現を文に落とし込んで描くようにしている。これは、アズールというキャラクターの持つ『記号としての美少女性』を活かすためのものだ。

瞳の描写を細かく入れたり、動作ひとつひとつを自然な動きになるように繋げる工夫をしてみたり……頭の中に絵コンテを作り出し、アニメーションを動かし、そこにノベライズする。そういう感覚。アズール以外の人物にカメラがあたっている場合は、実写ドラマやアクション映画のような描写。ワンダリングフリッパーとブラックルインのやり取りなんかは海外ドラマっぽさを意識。

ニンジャスレイヤーという作品のもつ魅力のひとつに、映像が思い浮かぶ文章、というものがある。この作品を読み始めた最初の頃、私はフロストバイト対ニンジャスレイヤー戦のナラク化描写の説得力と映像力に、とても感動した。そういう魅力を自分でも出来れば良いなと、そう思いながら忍殺二次創作を書いている。それ故に、先に述べたような拘りが上手く伝わっていれば……読んでくださった方々の頭の中に映像が浮かび上がっていれば、幸いである。

AoMの二次創作は初めて。今まで三部作でのネオサイタマばかり描いてきたので、ネオサイタマなら何も見ずともスラスラと情景を書けるが、UCAは未知なので手探りの連続だった。忍殺非公式wikiや、シャードを複数タブで開いて資料と睨めっこしながらの執筆となった。

今作に登場するマリブやオックスフォード、マイラ・モンティは実在する地名だ。というのも、無から胡乱な場所を生成できるネオサイタマというエリアと違い、こちらは生成の勝手がわからないし、原作でのアメリカ描写は実在の地名が多く出てくる。なので、今作で登場する地名も実在するものから取った。

Googleマップでカリフォルニア州周辺の地図を見ながら……アズールの旅路を予想して描いてみながら書き進めた。最終的に彼女はAoM本編にてネザーキョウ方面へ、即ち北上のルートを征くことになるので、自然と【ザ・ホーリイ・ブラッド】の舞台周辺、ハリウッド、LA辺りから緩やかに北へ進路を取れるように考えて。それと、カリフォルニア在住の日本人の方の個人ブログとかを読んで、嗜好品だとか家具に使用する木材だとかを調べたりもした。これらの試みは大変だったが、同時に楽しくもあった。良い経験をしたな、と思う。

中立非戦市街地と武装キャラバン、アズールのファニング・ショット・キルなど、原作に登場しない要素も多く盛り込んである。傲慢で烏滸がましいことではあるが、『本家のエピソードにありそう』な作品作りを心掛けているので、如何にもそういう設定が原作にあるかのように堂々と嘘をついているわけだ。真実六割、嘘四割。実際詐欺師めいている。

オリジナルのニンジャ達も多く登場する。ワンダリングフリッパー、ブラックルイン、アウェアネスら武装キャラバンの面々は当然のようにアズールと顔見知りであったが、原作に彼らは存在しないし、私の過去作にも登場していない。今回が初登場である。原作でもこういう登場の仕方は多々あるので、なんかそういうアトモスフィアを感じてもらえれば。武装キャラバンのメンバーたちとの馴れ初めは今後描かれる予定はある。アウェアネスとアズールのスレイトめいた短編は既にアップしているので、もし興味があれば……。

舞台装置にならないように、メアリー・スーにならないように、かといってアズールを立たせるだけの存在にならないよう、オリジナルニンジャ一人一人の造形には力を入れた。ソリッドクロウズなんかは読んでくださった方々からの人気がかなりあり、実際嬉しい限りだ。個性豊かなキャラクターが数多く登場するのも、ニンジャスレイヤーの魅力のひとつゆえに……。

アズールへの熱意を打ち込みに打ち込んで作った今作が、お読みくださった方々の記憶に少しでも残っていてくだされば……それは本当にありがたいことである。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?