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やっぱり僕は、変なのかもしれない

親父の49日と先生の1周忌を迎えた。思いを馳せるとともに亡くなった人はどこにいるのだろうか?
あの世、お墓、仏壇?・・・・
そんなん宗教によっても違うなあ

僕は坊主や神主もやっていてね・・・

先生と出会ったころに先生が名刺を差し出した。「僕は坊主もやっていてね・・・」名刺には 出羽三山〇×▲ 今 駿海 と書いてあったかな。もちろん住所や電話番号も書いてある。
さらに神主さんの名前のような名刺も出してくれた。先生が今の僕の年頃だ。

僧侶や神主のような名刺は、耳付きの和紙などできっちり印刷されている。そしてそれらの名刺はHな読み方ができるようになっている。

本当の先生の名刺には、住所や電話番号が書かれていない。
そして手渡すときは端を折って渡す。
「これが自分が手渡しした証拠なんだ。」と教えてくれた。

Hな名刺は、名刺や肩書で物事を判断する人に対する先生流の皮肉が込められているのだと思う。

僕はそのような一見まともに見えるが、実は裏読みができる先生の作品が好きだ。御所坊にもいくつか展示している。

我を知る者 これまた永遠なり

顧問先が応募したことで、先生が賞をもらうことは度々あったが、そのことを本音はどうかわからないが、ありがたがらなかった。

「幼稚園の園児に、おじちゃん字がうまいね!と褒められてうれしいか?」

という。前述の名刺の裏読みの様に多様な知識や、絵などの場合は技法を使って作品を作る。だから本当の素晴らしさというか価値は、そう人にはわからないだろうと先生は思っていた。

僕にもわからない。しかし少なくとも僕には解説してくれた。それをすべて覚えていないのは問題だけどね。
普通に見ただけでは、おそらく誰にも分らないだろうと思う。

「しかしいつか、その事がわかる奴が現れるとしたら、それは時代を超越した永遠なのだ。」と、先生の書く時の一番古い字体でこの言葉は書かれている。


ピカソと酒を飲むのとどちらが良い?

ある熱心な先生のファンでコレクターの人が先生に「原画が欲しい!」といった。

そういえば先生の原画というのはあまり見ない。家にはたくさんあるが御所坊でも極まれだ。だって先生の作品は拓本が多いからモノクロ。簡単にコピー機で複製できる。実際、そのようなものも御所坊では使用している。
でも本当の作品は、同じ黒でも何種類かの黒を使い分けて印刷されている。
それでもその拓本の原画は表には出ていない。

話を戻して、先生は「ピカソの絵を所有しているのと、ピカソと一緒に酒を飲んだのとどちらが良いか?」と言ったそうだ。

先生流のうまい断り方だ。

先生は美術作家であるとともに、素晴らしいコピーライターだ。
先生に書きたい主旨と自分なりに文章を書いてリライトしてもらうことがある。素晴らしい文章に仕上がる。

多くのお客様の目に留まるが、気に留める人も少ないと思う。しかし何人か「この文は素晴らしい!」他で話をしてもよいか、使わせてもらってもよいか? と言われることがある。もちろんokですと言っている。

我を知る者 永遠なり の心境で。

変なおっさんを連れてきた。

親父は4月生まれ、先生は9月生まれ、同じ大正15年生まれ。先生は昨年1月末に亡くなられ、親父は12月はじめに亡くなった。先生の1周忌と親父の満中陰がほぼ重なった。

親父と先生は生まれも育ちも全く正反対というほど違う。

初めて先生を親父の紹介したときはびっくりしただろうと思う。
しかし先生の展覧会を御所坊で開いたとき、先生の作品につけられているプライスタグを見て、先生の価値を判断したと思う。多くの人もそうだと思う。

先生が亡くなって1年か・・・
親父は三途の川を渡ったか・・・というふう思うが、三途の川があるとも思っていないし、遺骨に意思があったり、あの世があるとも思わない。形式よりも僕の意識の中にあるだけだと思う。

先生は「神も仏もあるものか! あるんだったらコロナを何とかしろよ!」と言っていた。
親父はお寺の檀家の集まりから帰ってくると、いつも文句を言っていた。

そんな環境だったから僕は正直言って宗教心はないと思う。

でも二人とも僕の意識の中にいて、時々現れるし思い出す。それは息子たちもそうだと思うが、孫たちには残らないだろうなあ。

お父様って どんな人でした?|金井啓修|note

無方庵の教え、「やる!って言われれば、どれをもらう?」|金井啓修|note

坊主丸儲けというが・・・

親父へのお供えとして現金書留が届いた。あるお寺の娘さんからで手紙が添えられていた。
廃寺も考えたが頑張りますので、助けてくださいというような内容だった。

有馬温泉は一辺が1kmの逆三角形の土地に、現在7つの寺がある。昔はもっと多かった。なぜ?このように寺が多いのかというと有馬には温泉があるからだ。

最後の最後、人々は有馬の温泉で病を治そうとやってきた。

蓮如上人が「湯にやしるしの有馬山 病も治り帰る旅人かな」とよんだが、多くの人は亡くなってしまう。そこでその人たちのために多くの宗派の寺が有馬にはあるのだ。

僕みたいに宗教心なない人が多くなっているのか、寺の存続がむつかしい時代になってきている。有馬の芸妓さんもそうだけど、有馬には欠かせない存在だと思う。そして宗教心がないから、宗派を超えて何か持続可能なお手伝いができるかもしれないし、しようと思っている。

一水四見

同じように水を見ても、人間、魚、天女、餓鬼はそれぞれ違って見える。

亡くなった人への思いは人それぞれだと思う。なかなかその思いを一つにするのはむつかしい。

それは行基が学んだ法相宗だ。でも難解だから各宗派に分かれた。そして座禅を組んだり南無阿弥陀仏と唱えたりするだけで救われるというようになった。

49日や1周忌だといって結局は形だと思う。そのほうが多くの人は納得しやすいんだろうなあ。

僕は違うので、他の人から見たら僕も変わっているのだろうなあ



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