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無方庵の教え、「やる!って言われれば、どれをもらう?」

無方庵、綿貫宏介先生は自分が一番だと思っていた。先生と骨董屋や展示会などに行くと、並べてあるものの価値判断は「やると言ったら、もらっても良いかどうか?」だったと思う。

先生の家は美術館の様に色々なモノがきっちりディスプレーされていた。その中に置いても良いモノ、似合うものがもらうべき基準なのだ。

ただしもらうと言っても誰もそう簡単にくれないから、次は払うお金の価値があるかどうかを考えるのだ。

「いくらだね?」

先生と外国の骨董屋巡りをしていて、先生が気に入ったものがあったようだ。値段を聞いて驚くそぶりをする。そして聞いた値段の1割ほどの価格を提示する。すると向こうもびっくりして何を考えているのか?というような顔をする。その後「名前はなんていうの?」と相手の名前を聞いて「私は綿貫だ。友達だ!」と握手してから、「友達だから割引をしてくれと言って2割か3割の値段を告げる。

相手も7割ぐらい値段を言ってくる。友達だから負けろと交渉をして、最後先生が決めた値段を付けて・・・立ち去ろうとする。

相手が引き留めて来たら先生の勝ちだ。結局先生は相手の最初の言い値の4割ぐらいで買っていたのではないかな?

先生は最終的に値段を決めて、それで手に入ったら縁があった。入らなかったら縁がなかったとあきらめる。

もう少し払ったら手に入ったのに、とか、もう少し値切れたのにと後で悩むのが嫌なのだ。

それを目の前で教えてもらって以来、僕はその方法で相手と交渉する。

「どれをもらおうかな?」

ある時、ある地方都市に行った。その時に伝統的な建物を紹介されて入ったら某作家の絵画がいっぱい展示されていた。

その作家には興味があったのだが実際の作品を見るのは初めてだったし、こんなにたくさん見るのも、もちろん始めてだ。

さあ、どれでも好きなのをあげますよ!

と言われたらどれをもらおうかという観点で見ると、全く見る価値もない。要するに僕の価値というのは、御所坊や御所坊の関連している何処かで飾るとしたら・・・という観点だ。

有名作家や金額的に価値があるからというのは全く選択肢に入らない。例えば本物のピカソの絵をあげると言われたとしても、御所坊に似合わないし飾る場所はない。小さな作品だったらトイレの中にでも飾るかな?というぐらいだ。

話を戻して、唯一もらっても良いかな?と思ったのがパリの街角を描いた一枚。別になんという絵でもないが物語は語れると思った。

「いるかね?」

先生は時々「いるかね?」とモノを下さることがある。

僕はね、友達に「いるかね?」ってモノをあげようと考えて友達に言うとするだろう。すると特に日本人は遠慮して「いらない」っていう。そしたら「いらないだったらあげない!」って言うと相手はびっくりした顔をする。

日本人は最初断って、それでもというと「では遠慮なく頂戴します。」って言うんだよな。

・・・で「いるかね?」「ハイ! 頂戴します。」というようにしている。

先生は物事をスパッと割り切る人なのだ。僕も多分にその影響を受けて来た。



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