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デミロマンティックの友達論

昔の友達と1年ぶりにラインをして、泣いてしまった。
何かを言われたわけでもなく、ほんの数回のやり取り。たったそれだけで、涙がぽろぽろと零れ落ちていった。

大学のとき、同じサークルだった男の子。2年生のバレンタイン、サークルのイベントで彼へのチョコレートを渡す係になった。
サークルの先輩に言われるがまま、当日彼を呼び出して2人っきりで渡したけれど、当時彼には彼女がいたから、私がサークルの先輩の指示で渡しに来ていることは明らかでバレバレだった。
それでも「ありがとう」と言ってもらってくれた彼は、帰り道、このまま帰るの勿体ないから、何かいたずらをしようよ、とニヤリと笑って言った。
私も、それに便乗し、何をしようか一緒に計画を練った。そして、別の同期の男の子の家にアポなしで突撃、部屋に突入し、そのまま居座って夜ご飯を食べることになった。

それが、思いのほか楽しくて、突撃された男の子も案外気に入ったようで、その日を境にちょくちょく3人で集まるようになった。夕方に集って献立を決め、材料と酒を大量に買い込み、3人で料理。作ったものは、大きなハンバーグ、大きな餃子、炊飯器ケーキなど様々だ。ごはんを作って乾杯した後は、夜通しいろんな話をした。付き合っている人の話、将来の話、好きな音楽の話や女の子の好きなしぐさ、なんてものもあった。ふざけて笑いあって、そのまま3人で川の字になって眠った。

大学を卒業したら終わりを迎えると思った私たちの集まりは、大学を卒業しても続いた。私は、こんなに楽しくて何でも話せる友達ができたことが嬉しかった。例え異性であっても、私たちの関係は一生続いていくんだと信じて疑わなかった。

しかし、それも終わりを迎えることになった。社会人になってから付き合った彼氏が、私たちの関係を訝しがったのだ。こんな関係はただの友達じゃない、と集まりに行くことを禁止したのだ。

それから、時を同じくして私以外の2人はそれぞれ結婚し子供を授かり、集まることはなくなった。それでも、私の中では彼らは一生の友達だった。

彼と数回やり取りをしただけだけど、私は悟ったのだ。きっと、彼にとって私はその他大勢と同じように成り下がってしまったのだと。もう、3人で集まっていた時のような関係には戻れないのだと。

この関係を、女友達に伝えたことがある。「異性の友情なんてありえない、集まるのはやめた方がいいと思う。」そうはっきり返された。

私の中では、彼らは”異性”である前に”一人の人間”であって、唯一無二の友人だ。男だろうが女だろうが、そんなものは関係ない。
でも、世間の目は違うということが、大人になってわかってきた。私は包み隠さず彼氏に友達として話をするけれど、彼氏は面白くない顔をしていた。
そして、友人2人も、自分の彼女に私の話はしていなかったのだ。

以前書いたnoteで、私はデミロマンティックなのではないかという話をしたが、こういうところにも影響が及ぶのだろうか、と最近になって思う。

心が繋がったと感じる人に対して、過剰なまでの執着が現れる。拒絶されるのが怖くて、連絡できなくなってしまうこともある。
彼らのことは大好きだし話したいけど、「異性だから」という理由で拒絶されるのが怖い。彼らは結婚していて、私は女で、2人きりで会うことはきっとないのだろう。

こういう時、私が男だったら、彼らは会ってくれるのだろうな、と思って寂しくなる。女だから、彼女にも紹介してもらえないし、堂々と会うこともできない。

そんな話を泣きながら今の彼氏に聞いてもらった。「私がおかしくて、考えを変えないといけないのかな」と言ったら、「変える必要あるの?」と言われた。みんな、外に出さないだけで、時の流れに寂しさを感じることは誰にだってあると思うよ、と。

そんな風に肯定してくれる人を、大事にしなければならないと思った。



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