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大変ご無沙汰しておりますという枕詞で、ときちさんへキャラクターデザインの相談のメールを送ったのが2021年3月26日だった。

約7年ぶりのメールは、ある意味初めて送る相手よりも返信が来るか緊張するものだ。

当然のことながら、そのメールの前に平子さんへキャラクターデザイン候補を何人かまとめて共有している。

ときちさん以外にも、VTuberのキャラが描けそうな人を何人かピックアップしたが、こういうときは往々にしてこの人を選ぶべきだというバイアスがかかる。意図的にせよ、無意識にせよそういうものだ。

平子さんからときちさんにお願いしようという旨の言質をとる。あとあと「ときちさん以外考えられなかったし、そう仕向けたでしょ?」と言われてしまった。さもありなん。

メールの返信が入り、コロナ禍ということもありリモートで概要を打ち合わせたのち、4月上旬には新宿の某所で実際に顔合わせをしている。

以前雑誌で仕事をしていたといっても、最初の打ち合わせで顔を合わせて以降はメールベースのやり取りとなり、その雑誌は読者ページリニューアルから約半年で休刊になってしまった。ときちさんとは、7年ぶり2度目の対面だ。

その場ではリモートでの打ち合わせを踏まえて、具体的なキャラクターデザインの話をしていったのだが、平子さんの意見や自分の意見も飛び交う中で、その場でイメージをときちさんがラフとして描き上げていくという進行となった。

このスタイルはその後のshiroANプロジェクトにおいて当たり前のやり方になっていくのだが、普通は打ち合わせの場で出たいろいろな意見を持ち帰って絵として集約して期日までにまとめ上げて提出していただく、という流れだ。ときちさんにお願いしたらいいのでは? と思った自分も直感だが、ときちさんの創造もまた直感ベースでまとめ上げられていく。

shiroANという存在が、はじめて描き出されたのはこの時だ。その場でこのラフイメージで行こうという判断となった。打ち合わせをしたその日のうちのその場所で、ここまで具体的なイメージが出来上がることはかなり珍しい。

打ち合わせ後は、ときちさんと数時間VTuberの話題を中心に雑談をしていたはずだ。コロナ禍のリモートで制限されていたものの1つが、こうした対面でのやり取りでの雑談だろう。

他愛もないような話の中から、共通点が生まれアイデアが何気なく飛び出してくるものなので、コミュニケーションとしてはもちろん、クリエイティブにおいても非常に重要な時間だ。7年間の間にお互いが経験したことやVTuberにまつわる話をたっぷりとできた。雑談も直感的なやり取りと言える。

そうしてキャラクターデザインのラフが出来上がり、shiroANの方向性は固まった。あとはイラストとして仕上げてもらいながら、オリジナル楽曲の仕上がりを待ちつつMVを作っていくことにシフトしていくのだった。

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