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Off Flavor入門〜③電子の性質と原子軌道

前回からの続き
前回は人間が匂いや味を感じる仕組みでした。化学受容なので分子レベルの理解が必要です。そこで今回からしばらく匂いや味として受容される分子ができる仕組みについての話をします。
すべての基本は電子の振る舞いということでまずは電子の性質からです。「化学反応は電子の性質がすべて」と言ってもいいくらい大事な概念です。

電子の性質

「夕べどこにいたの?」「そんなに昔のことは覚えてないね」
「今夜会ってくれる?」「そんなに先のことは分からない」

映画「カサブランカ」より

「カサブランカ」でハンフリー・ボガートが演じるリックの名台詞です。リックのこのセリフは量子化学的な観点での電子の性質に近いなと思います。気まぐれでクールだけど、芯は熱い役柄の雰囲気も含めて電子っぽいかもしれませんね。

原子核と電子

原子の構造(ヘリウム)

上のイラストのような原子の構造はよく知られていると思います。中性子と陽子で原子核が構成され、電子は陽子のプラス電荷と引き合いながら原子核の周りに確率的に存在しています。「確率的に存在」というのは、量子力学に基づいています。電子のようなとても小さな粒子は波の性質も併せ持っており、目に見える物体と同じように古典物理学で速度や位置を計算によって求めることができません。波動関数によって確率的に存在領域を計算するものなのです。なので「夕べどこにいたか?」「今夜どこにいるのか?」という質問に答えることはできないハンフリー・ボガート的な存在なのです。
別の言い方をすると電子はどこか1点に存在するというよりは、上の図の青で示されている範囲を波のように満たして存在していると考えることができます。

原子核と電子の距離感(水素原子)

ちなみに水素原子の原子の大きさは直径10^-10m、その原子核の大きさは1.75×10^-15mと言われています。電子に至っては原子核の1億(10^-8)分の1以下です。
原子核を直径1mの球として東京駅に置いたとすると電子は米粒より小さい大きさで100km先の銚子あたりまで広がって分布します。どうでしょうか、思った以上に原子はスカスカじゃないでしょうか?

原子軌道

s軌道とp軌道

原子核のまわりに存在する電子の状態を表す波動関数をもとに軌道を図解すると上のようになります。電子の数が増えるにつれて、軌道の種類が増えていきます。K殻に相当するものに1s軌道(1つ)、L殻に相当するものに2s軌道(1つ)と2p軌道(3つ)、M殻には3s軌道(1つ)と3p軌道(3つ)と3d軌道(5つ)というように、外側にいくほど軌道が増えていきます。

軌道と電子

軌道の数は正確には方位量子数を使って表すことができますが、ビールのオフフレーバーの化学反応はほとんどが2p軌道までしか関係しないので、とりあえず2p軌道までを覚えておけば大丈夫かと思います。

電子の性質と配置

では各軌道に対して実際に電子はどのように入るのでしょうか。下の図はヘリウムとネオンの電子配置です。丸数字は電子が入る順番を表します。1s、2s、2pと上に行けば行くほどエネルギーが大きくなります。

HeとNeの電子配置

電子が入る順番は3つの基本ルールがあります。めちゃくちゃざっくりいうと下記のとおりです。

  • 電子はエネルギーの低い軌道から順番に入っていく(構成原理)

  • 電子は縄張りを重視する(パウリの排他律)

  • スピンが違えば、同じ軌道に2つの電子が入れる(フントの規則)

そして電子の基本的な性質は以下のとおりです。

  • 電子は自由に動き回りたい

  • 電子はマイナスに荷電しており、プラスと引き合う

  • 電子は対(ペア)になりたい

「電子は原子核の周りをまわっている」というイメージが強いかもしれませんが、実は電子は原子核に縛られるものではなく本質的には自由に存在する(非局在性)ものです。その上でプラスの電荷とバランスがとれ、かつ軌道上にペアで存在できると安定します。
ヘリウムやネオンなどの貴ガスは、電子の性質からすると安定条件を満たすので、原子単体で安定して存在しています。それ以外の原子は他の原子と結合することによって安定した状態を作ります。

化学結合と分子

「化学結合は電子が安定したいから起こる」という言い方もできます。

炭素と酸素の電子配置

上の図は炭素原子と酸素原子の電子配置です。構成原理、パウリの排他律、フントの規則に則って配置するとこのようになります。見てのとおり、この状態だと電子がペアになって軌道を埋められていないので不安定です。そこで他の原子と結合し、分子を作ることによって安定した状態になろうとします。
その結合した時の軌道の状態を説明する理論が原子価結合法と分子軌道法です。

原子価結合法

最外殻軌道(原子価軌道)の原子軌道が互いに重なり合うことで結合が形成される、という考え方です。
結合に着目した考え方なので、化学反応の説明が直感的に分かりやすく、有機化学の教科書の説明は原子価結合法をベースにしていることが多いようです。

原子価結合法のイメージ

水素分子(H2)のような価電子が1つ同士の結合だと単純明快なのですが、p軌道が関わる価電子が多い結合には混成軌道という概念で説明されます。

原子価結合法によるホルムアルデヒドの結合イメージ

例えばホルムアルデヒドだと上のようなイメージです。酸素原子と炭素原子がそれぞれsp2混成軌道という3つの軌道を作り、それぞれがσ(シグマ)結合を形成したり、非共有電子対が入る軌道になります。また、2重結合を形成する場合は、σ結合という真正面の結合とπ(パイ)結合という横からの結合という2種類の結合が混在すると説明されます。それぞれ結合強度が違うので、これが化学反応にも影響します。
原子価結合法でほとんどの化学反応が説明可能ですが、稀に説明がつかない反応があったり、説明がややぎこちない(説明が強引な?)結合・反応があったりします。また電子を局在化して考えるため、「電子は自由に動き回りたい」という電子の本質的な性質を上手く理論に取り込めないという弱点もあります。
そこで、より正確性の高い理論として分子軌道法が注目されています。

分子軌道法

分子全体に広がった「分子軌道」に電子が配置されるという考え方です。電子の非局在性に注目しているので実態に近いとされます。視覚的にイメージするためには静電ポテンシャルマップを使うことが多いです。

ホルムアルデヒドの静電ポテンシャルマップ

分子軌道法のメリットとしては、励起状態の電子の動きを計算によって求められること、反結合性軌道という概念によって結合や共有電子対を作らない電子の動きが説明できることなどがあります。酸素分子(O2)の軌道をエネルギー準位図で書くと下のようになります。

酸素分子の軌道エネルギー準位図

原子軌道が分子軌道になるときに、σ結合とπ結合を作るのですが、それぞれ結合性軌道と反結合性軌道の2通り存在します。反結合性軌道は*(スター)をつけて区別します。
分子軌道法に基づいてフロンティア軌道理論という考え方で化学反応の仕組みを定量的に理解する方法があるのですが、それについては基底・励起状態と一緒に後日触れたいと思います。
分子軌道法で結合数をカウントする時は、下記の式を使います。
結合次数=(結合性分子軌道の電子数-反結合性分子軌道の電子数)/2
上の図によると酸素分子は結合性分子軌道の電子が8個、反結合性が4個なので、(8-4)/2=2。結合数が2なので2重結合ということになります。
分子軌道法は、より正確な軌道が計算できる反面、計算が非常に複雑で手計算では求められないので定性的な議論には使いづらいと言われます。

次回へと続く

電子の性質、原子価結合法、分子軌道法は一朝一夕で理解できるものではなく、この投稿だけは十分な説明はできません。私自身もほんの入口の部分しか理解してないので中途半端な説明しかできずすみません。とはいえ、「化学反応は電子の性質がすべて」なので、飛ばすことはできない内容です。
次回は、分子の構造についてです。形や極性を扱います。まあこれも一朝一夕では理解できないんですが、原子軌道よりは分かりやすいかも。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

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