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言葉が自分を追い越してしまうことがある。

Twitter(現X)を始めて4年が経つ。
遠くの思いがけない人達と出会い日々言葉を交わすことが楽しくて続けているけど、たまに、まったく書き込む気が起きない時期がある。

そういう時期は無い方がありがたい。
人に心配かけるし、次に書き込むときにちょっと気負ってしまうし。
鬱っぽいかな?と自分を疑ってしまう。
でも、書けない時がある。

その変な時期に、ようやく自分の中で名前がつけられた。
「言葉が自分を追い越してしまってる時期」。
素直に考えて、やっぱりそうだ。
よかった。名付けたことで、うまくこの気持ちを手懐けられたんだろう。
これから付き合っていける自信が湧いてきている。


私は今、まったくジャンルのかぶらない3つのことを日々やっている。
海外からの演劇ツアーを発案し運営していく仕事と、和紅茶のオンライン販売、そして執筆業。

全然違うことだけれど、すべてが小規模で、自分の手の内にあり、手間暇かけてやっているという点は同じだ。
これはとても安心なことだけど、同時につまり、自分で企画発案しなければ何も動かないし、最後まで仕上げるのも私自身だということ。

この企画に、実は結構なエネルギーがいる。

企画というのは、未来の先借りだと思っている。
企画を立てている時、頭は未来にある。
どうすればこれが実現するのか、人を巻き込んでいくことができるのかを考えている。
実現して、終わった後の未来まで考える。

そしてここ最近は、この企画ばかりをやっていた。
Twitterができなくなっているのは、これが原因だろうと思う。

企画を、人に説明できるようにまとめていると、言葉が今の自分自身を追い越していると感じる。
本当にできるんだろうか、ということを、できる!と言い切る時の変な気持ち。
でも私が「できる!」と強く信じなければ、何も生まれてこないし、先に進まないのだ。
そう納得してやっている。別におかしなことじゃない。

そう思いつつ、きっと「言葉が自分を追い越してしまっている」この企画の時期には、私の体や頭の中のエネルギーすべてが、未来を描く言葉に変わってしまっている。

だから日常に口から出す言葉を最低限にしたくなる。
身近な家族、親族、ごく親しい友人としか話さなくなる。
自分の等身大な言葉だけ、実用的な言葉だけしか使わずに済む現実に身を置かないと、気持ちが持たない。
もっとタフな人はたくさんいるのだろう。けど、私にはこれが精一杯。

これをやってきて段々、プロダクトを作る人と、それを提案・営業する人は別の人にした方が効率的に良いと思いつつある。

プロダクトを作る人は、未来の言葉が弱くなるのだ。
まだ何も生んでないことに、心が引っかかるから。
強めにキャッチーに未来を描いて提案すると、周りの人は喜ぶ。企画も通りやすくなる。
だけど反面、作る側はちょっとした罪悪感のようなものを胸に抱える。
それはすぐに、動き出せば消えるのだけど。

いつか、もう少し事業を大きくできたら、売る人は別に頼みたいなと思ったりする。
チームとして絶大な信頼感を持って付き合える人を、探すのはまた一苦労だろうなと思うけれど。

何はともあれ、ここ数日間でようやく3つのバラバラな未来が形になってきて、頭と胸にもエネルギーが溜まり込んできた。
やっといつもの自分に戻れると、そんなことを考えてる朝だ。

もう8月か。
みなさん、良い夏を。


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