昭和の視点
毎週土曜日の夕方は父が会社から帰宅した後、1981年当時小諸駅前にあったスーパーマーケット”ツルヤ”さんへ買い物に行っていた。
父は土曜日だけは比較的早い時間に帰宅していた。
その後、小諸市西原にある祖父母の家に行って夕飯を一緒に食べる。
当時人気テレビ番組であった”日本昔はなし”を19時から、”大橋巨泉のクイズダービー”を19時30分から観るのが暗黙の決まりであった。
お祖母ちゃんが作った食事の内容は、ごはん、みそ汁、魚(銀鱈や鮭)かハンバーグのようなメニューが多かった。
当時白米が苦手であった私は、お茶漬けにして何とか食べきっていた。
夕食後自宅に帰宅する場合もあれば、このまま祖父母の家で一泊することもあった。
帰宅する日は、クイズダービーを観た直後に佐久市長土呂の自宅まで父の運転するクルマで帰宅した。
寒い時期は車内は暖房で暖かくなり、家に到着する頃気持ちよくてウトウトしていた。
留守で誰もいなかった自宅の部屋は寒くて一気に目が覚めてしまう。
一方、祖父母の家に泊まる場合は”8時だよ全員集合”の前半まで観ることができた。
この一世を風靡した番組は、4歳の子供でも理解しやすく楽しめた。
20時30分になったら就寝させられた。
1981年11月のある土曜日の出来事である。
この日もいつもの土曜日と変わらず”ツルヤ”さんで買い物した後、祖父母の家に行き夕飯を食べた。
私はその日泊まっていきたいと両親に希望を伝えると、母親が意外な提案をしてきた。
母:パパとママとAちゃん(弟)は帰るけど、Sくん(私)は今日お祖母ちゃん家に泊まっていっていいよ。
と言ったのだ。
人生初めての外泊のチャンスだった。
嬉しい気持ちと少し不安な気持ちが錯綜する。
しかし、優しい祖父母と一緒だし、おばあちゃんも
祖母:「大丈夫だよ!泊まっていきな!」
と言ってくれたので安心した。
クイズダービーが終わると、両親は1歳の弟を連れてクルマに乗り込んだ。
いつもは祖父母に見送られる側であるが、その日は祖父母と一緒に見送る側である。
世の中を見る角度がちょっと違うだけ…いや、普段と立ち位置が逆になるだけで、まったく別世界になることを知った。
人生初めての不思議な感覚だったことを覚えている。
ここからはゲームでいう裏面である。
要するに普段は絶対に見ることの出来ない別世界にいることになる。
4歳のボクにとって”家”が唯一の絶対的なフィールドだった為、この瞬間常識自体がひっくり返ったのだ。
テレビを観て良い時間も、就寝時間も夜のお菓子も自由で縛りがない別次元の世界である。
両親たちの乗った車を見送ると祖父母と一緒に部屋に戻りこたつに戻った。
そして引き続き”8時だよ全員集合”を祖父母と一緒に楽しんだ。
いつもは20時30分までしかテレビは観せてもらえないが、今日は最後まで楽しむことが出来るはず。
やがて20時30分頃自宅から電話がきた。
祖母:S君!ママから電話だよ!
と祖母から言われて受話器を取る。
母からは、「おじいちゃんとおばあちゃんの言うことを聞くように」と「早く寝るように」
という内容の電話だった。
”全員集合”が終わると21時からニュース番組を引き続き祖父母と一緒に観る。
普段この時間は起きていてはいけない時間であるので、罪悪感が半端ない。
こんな時間に起きていられるだけでも心が躍る。
ジュースとお菓子を食べながら、楽しいひと時を過ごした。
この日は22時40分に祖父母と一緒に就寝した。
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