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布引鉄道と善光寺穴

「牛にひかれて善光寺参り」
とは布引山釈尊寺に伝わる幻牛伝説です。
むかし信心を持たない欲張りで意地悪なお婆さんがいた。
ある日、お婆さんは干した布を角にひっかけ走り去る牛を追いかけていると、長野市の善光寺までたどり着いたとの話である。
このことをお婆さんは観音様の導きだったと悟り、今までの欲張りで意地悪な心を悔い改めたと伝えられています。
思ってもいなかった出来事や周りからのはからいによって、良い方向へ導かれることをことわざとして小諸地域に伝わっています。
布引観音の正式名称は、天台宗布引山釈尊寺。
信濃三十三観音霊場の第29番札所にあたります。
神亀元年(724)行基による開基と伝えられています。
布引観音の崖には200万年前から数十万年前まで存在した”古小諸湖”の堆積物による地層が露出しており、長さ16mの布のように白い「布岩(ぬのいわ)」があります。
この布岩が”牛にひかれて善光寺参り”の仏話発祥の元になったと言われています。

1981年の大晦日から翌年1982年元旦にかけて祖父母の家で年越しをした。
祖父母の住む小諸市西原は地形的には浅間連山南斜面の中山間地である。
南には東西に崖が立ちはだかり、200万年前から数十万年前まで存在した”古小諸湖”の堆積物による地層が露出している。
その年の元旦の朝は、初日の出と一緒に富士山も望むことが出来た。
空気が澄んでいる等の一定条件が整った日しか見ることが出来ない。
その美しい富士を拝みながら、祖父と祖母に挨拶をして朝食を食べた後、私と両親と叔父等で初詣に出かけることになっていた。
弟はまだ幼く寝かせたままだったので、祖父母の家に預けておいた。
初詣は最寄りの小諸駅から信越本線に乗り、およそ1時間ほどで長野駅に到着する。
長野駅からは長野電鉄に乗り換えて、善光寺下駅まで数分で到着する。
1981年3月に長野駅から善光寺下駅が連続立体交差事業として地下化したばかりであった。
地方都市の地下鉄は珍しく、当時ニュースになったのを覚えている。
元旦の善光寺は大変賑やかだった。
参拝後は人込みでごった返した参道で八幡屋磯五郎などの土産を買った。
その日の夜、私は不思議な初夢をみることになった。
かつて小諸駅に布引鉄道という路線があったそうである。
1920年に開業し1934年に廃止となった幻の路線である。
その路線と思われる電車に夢の中で小諸駅から乗車したのである。
もちろん当時の私は布引鉄道について何も知らなかった。
そして、布引駅で下車し近くにあった洞窟から善光寺まで空間トンネルを潜りぬけ移動したのだ。
実際に布引観音参道の途中に”善光寺とつながる穴”と言われる“善行寺穴”があるが、それに似た洞窟から出る霧に包まれて善光寺まで空間トンネルで移動したのである。
そして、善光寺本殿の脇から出てきた所で目が覚めた。
今想うと不思議な夢である。

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