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他人と同人誌を作るということ

こんにちは、アールワークスのシロジです。

前回、自分でコントロールできる本以外は作らない、と述べました。

「コントロール」というのがどういうことかというのが自分でもうまく説明できてないなと思ったので、今までの活動を具体的にふり返りつつ、こんな感じにしたかったけど実際はこう、という話をします。

まあ、作文したい気分が続いてるんですね。

プロデュース『DIRTY BLOODY DEPENDENT』

かなり前でまだアールワークス自体が活動を始めていなかったころですが、表紙・挿画・編集・即売会でのディスプレイなどをまとめておまかせいただきました。イラストはクロエです。

もともとご本人が簡素なコピー本で出されていた作品なのですが、簡素すぎてだれの目にも触れる機会がなかったのです。
友人として読ませてもらって、中身と外側のクオリティがぜんぜん合ってない!これじゃ神作家の存在に気づいてもらえない!と半ば使命感で「押しかけプロデュース」させてもらったのでした。
今思うと、プロデュースという言葉に憧れていた面もあったと思いますが…まあ「ごっこ」ですよね。プロデュースごっこ。
結果として、この本は求める読者の目に留まるようになり、ご自身の続編執筆の意欲にも繋がったようで、運よく成功事例となりました。読者の方から褒められることもあります。

ただ、龍童さんがどういう表現で作品を見せたいかを自覚するようになってきたとき、こちらが提供したイメージとのズレが明らかになってきました。
見てのとおり、この本はBLっぽさを前面に押し出して、キャラクタービジュアルで「売り出す」方向で作っています。しかし龍童さんとしては本来、シンプルでスタイリッシュな、小説のイメージを特定しすぎない装丁を好まれるということだったようです。
もちろん、ご本人が無自覚な嗜好や要望に気づかれたのも、一度私たちにまかせたからというのはあります。そういう部分に目を向けるきっかけになったという点で、やってよかったなとは思います。

でも、よかれと思って細かく校正を入れたことで龍童さんを深く悩ませたり、ディスプレイ案をあれこれ提示して混乱させたりと、ご迷惑もたくさんかけてしまいました。個人的には申し訳ない所業が多すぎて、反省しかないです。

それでなくとも、すでに確固たる世界観とファンをお持ちの方に対して、さらにその個性を際立たせるシンプルな装丁を…というニーズに、今の私たちは弱いです。DIY特殊装丁という俺デコラティブの極みみたいなスタンスを突き詰めてしまったので。
この本が成功したからといって、もし今「こういう感じにやって!」とだれかに頼まれたとしても、これはいろんな条件が奇跡的にそろったビギナーズラックなので…とお断りするしかないです。その作業に楽しさを見いだす段階を過ぎてしまったというか。

不遜ながら同人活動におけるプロモーションの一手法を学んだ時点で、アールワークスの「プロデュースごっこ」は終わったようです。

アンソロジー『JEWEL GARDEN』

飲み会で盛り上がったテンション系の企画です。
いつもの飲み仲間+それぞれのジャンルの友人を引っぱってきての、寄せ集めメンバーだったわけですが、ふたを開けてみればかなりの実力者揃いで、対字書きスカウターが早い段階で破壊されました。

一般的には、参加者から原稿を受け取ってあとは全部主催におまかせ、となる(と思う)のですが。
そこまでの全責任を負えないな…っていうのと、友人との会話で出てきた企画なのであんまり勝手に進めるわけにもいかないなと思いまして。
LINEグループを作って、トークとノートで執筆過程や編集工程を全て報告するというかたちで、納品(と打ち上げのセッティング)まで参加者が確認できるようにしました。
べつにそこまで教えてくれなくてもいい…という人も、今どうなってるかわかって安心できる!という人も、立場はそれぞれでしょう。なので、個人の原稿チェックなど必要な部分以外は、「疑問やご意見あればコメントください」としていました。興味ない部分まで逐一確認してレスポンスする、という手間を避けたつもりです。

全体構成を同時進行でやるために、あらすじや下書きもノートで共有していました。ただし、他の人のに影響されたくないとか、感想を書かなきゃいけないというプレッシャーがないよう、読む読まないは個人にまかせる、感想も強要しないという点は最初にお伝えしました。
また、全員が「創作小説アンソロジー」参加は初挑戦であること、突出して知名度が高い人もいないことを強調し(これは事実)、仲間内でも外向けでも、不必要に自分を下げたり他の人を持ち上げたりしないように、あらかじめお願いしました。
謙遜を封じたことで、作者コメントも明るく彩りが出たと思っているのですが、自画自賛でしょうか…自分がアンソロやるからには、「私以外の作品はすばらしいです」って言わせないのがひそかな目標でした。
初めてオリジナル作品を書く人から、ベテランBL書き、物書きの仕事経験がある人など、いろんなタイプの方がいました。互いに顔を合わせたことがない参加者がLINEトークだけでやりとりするという手探りの状況で、人間関係を様子見したりレスポンスで気を遣わせたりといったストレスを封じておくに越したことはないかなと思ったのです。

主催としての仕事の半分は、そのへんの「人間関係のストレスを軽減する」部分に割かれていた気がします。成功したかはわかりませんが、打ち上げで全員そろって顔を合わせることができて、なんだかめちゃくちゃホッとしました。自分がずーっと気を張っていたことも、そこでわかりました。

もう半分は、どうやって宣伝していくかという仕事です。
比較的幅の広いテーマにしてしまったため、内容としてはなんでもありの状態です。読んでもらえれば執筆者の実力や一貫したテーマが伝わるのですが、タイトルやジャンルだけでの訴求というのが難しい間口の広さでした。
これは正直、今も試行錯誤中です。執筆者の皆さんはほとんどご自身の創作サークルを持っていないので、ご協力いただくにも限界がありまして、ほぼアールワークスだけで売っていかなければならないんですけど…装丁もシンプルにしちゃったし、どうアピールしていいかわかんないですよね…上記Twitterのサンプル読んでください…

私は3本書きました。もしだれかが原稿提出できなかった場合に備えて、2本提出される人が浮かないように、ということで。実際お一人が急病のため不参加となった穴を埋めることができました。パーツとして使うことができるという点で自作は便利だなと思います。
ただ、全体的に本を作るというより外向きの作業にエネルギーを使っていた印象があり、全く同じことをやるのはしばらく遠慮したいなと思っています。

アンソロジー『奇想図鑑~300字の標本箱~』

『JEWEL GARDEN』のメンバーにイベントの企画に出す300字SSを募ったところ、思ったよりたくさん出てきたのでもったいなくて全部まとめました、という本です。

元ネタが300字SS企画のお題だったため、コンセプトが最初から明確なのがよかったです。
タイトルも仲間内で決めてもらったので、装丁デザインなどブレずに作ることができました。アピールポイントもわかりやすく、手に取ってもらえることが多いと感じています。

私は2編書いてます。装丁イメージを決めていくのが楽しかったのと、工作がとんでもなくめんどくさかったので、それだけでおなかいっぱいでした。
このくらいなら「コントロール」できて楽しめる、という基準にもなりました。

こういう本はもっかいやってもいいなと思ったのですが、みんなから「文字数制限がきついのでもうやりたくない」と言われてしまいました…残念です。でも「300字を20本」って言われたら、たしかに私も書きたくない…6000字1本ならまだしも…

責任編集『鈍色館遺聞』

お友だち二人を呼んで、ひとつのテーマで書いていただいた短編集です。アールワークス発行なので、合同誌とは言わないですよねえ? アンソロジーでもない気がするし…

スタートからちょっとおかしな本なのですが…
まず私が、精神的な不調で文章が書けなくなった期間がありました。メンタルまいってる時というのは支離滅裂なことをしたくなるもので、なにか本を作りたい!という欲求だけが肥大化し、思いついたのが「他の人に書いてもらう」という案でした。

この時点で「だれか」ではなく、最初からこの二人にお願いしようと決めていました。
アンソロで初めて顔合わせしたお二人ですが、文章のタイプや嗜好に重なる部分が見えて、機会があれば組んでもらいたいと思っていたのです。どちらかに断られればあきらめる、そう決めて依頼しました。
お忙しい中、お二人とも「相手の小説が読みたい」という理由ではありましたが受けてくださり、ほんとうにありがたかったです。

外出自粛などでまともに打ち合わせができない状態で、なんとかLINEのやりとりだけで進めていただきました。
ただまあ、実際に読んでいただければわかってもらえるのですが、非常に個性が強い二人です。知識も幅広く、こちらの予想もしない方向へ転がっていったりもします。
流れていく会話が正直なにを言ってるんだか全くわからない。小説の内容に関係あるのかないのかもわからない。このまま続けさせてもいいのか? 小説はほんとうにできてくるのか? スマホ片手に唸る日々でした。

「劇場とそれにまつわる人々の物語」という案を提示したのは私でした。でもまさか劇中での上演がない、演者もほぼ出ない、というのは想像もしていませんでした。
あわよくば自分もなにか書く気になれたら…くらいの下心もありましたが、この二人の世界に振り落とされないようにしがみついていくので精いっぱいで。コントロールなんかおこがましいレベルでした。

冬耳さんは現在同人活動をしておられず、狗蔵さんもあまり頻繁に本を出される方ではないので、お二人の作品を世に出せたという満足度は高いです。
ただ、自分がなにをしたか?というと…
盛り上がる会話をぶった切って文字数の話をしたり、タイトなスケジュールを提示したり。お二人のやりとりを拾えていなくて、まちがった構成をしそうになったり。
冒頭の解説と編集後記が、今回の仕事でした。そういうことがしたかったのか?とふり返ってみても、文章が書けない支離滅裂な状態だったからよくわからないし…

次の機会があるなら、私も執筆者として参加してみたいという思いはありますが、この二人だからこその硬派な文体と世界観を優先させたいという思いもあり、悩みどころです。

他人と同人誌を作るということ

みんなでわいわいやるのは、基本的には楽しいです。
「同人」って元来そういう意味ですし。

でも、編集担当になると、すごく地味でやることだけはたくさんある。サークル内なら融通も効くし省けることもありますが、いろんな人にスケジュールどおりに動いてもらおうと思うと、いろいろ先回りして考えることが多すぎてパンクします。
それを「編集ごっこ」として楽しめるうちはいいのかもしれませんが、ガチでやらなきゃいけない状況になるとうまく回せなくなることもあって、自分には性格的に向いてないのかもと思いはじめています。やってみなきゃわからない、という性格がいちばんの問題だとはわかっているのですけど。

凝り性というか、ヘタに完璧主義的な面が、人との作業ではネガティブに作用してしまうのかもしれません。コミュニケーション能力が高い人なら、楽々とこなしてしまうことばかりだと思います。

まあそんな感じで、もうしばらくは「コントロールできる」「自分の作品」だけを作っていたほうがいいんじゃないかなあ…
と、完成した本の裏側に累々と重なる失敗を透かし見ては、自戒するようにしています。

思いつきとテンションで動いちゃうのもよくないよね…

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