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【創作小説】『電波干渉』本文サンプル

おれとおじさんのささやかな秘密――。

<基本情報>


朝起きると、枕元にはおじさんの折った鶴が置いてある…。折り紙好きでミステリアスな叔父と、彼の家に下宿することになった大学生の、ほのぼの同居ファンタジー。
折り紙モチーフの特殊装丁本です。動画でも装丁を紹介しています。


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電波干渉


 朝……といっても昼近くに起きると、枕元にあるスマートフォンの上に、折り鶴が乗っていた。
「またこれかよ……」
 完全に起きていない頭で、万里(ばんり)は紙を破かないよう注意してその鶴を開く。
 鶴が一枚の紙に戻ったところで、その内側に書いてあるメモをやっと読むことができる。

『今日は遅くなります 鍵を忘れないように』

 布団にもう一度突っ伏した。
「なんで……」
 出勤前に折り紙をこっそり枕元に置いていく意味がわからない。
 スマホにメッセージを送れば済むことだし、ガラケーならメールでもいい。SMSでもいい。置き手紙を鶴にするよりずっと楽なはずだ。
 すっかり目が覚めてしまったので、しぶしぶ布団を這い出した。
 家で食べても、午後イチの講義には余裕で間に合いそうだ。

 □ □ □

 大学二年になり、通うキャンパスが移った。
 それまでは実家から電車で通える距離だったが、今度は片道二時間近くかかってしまう。たまたまキャンパスの近くに住んでいる親戚がいたため、この春から下宿させてもらっている。
 キャンパスへはこの家から自転車で十分ほど。バイトもサークルもやっていない身としては、授業があるとき以外は存分に怠惰な生活を送れる、最高に開放的な生活が始まった。家主の帰り時間もばらつきがあるせいか、門限などもとやかく言われない。
 今日も、授業が終わってから友達に誘われるままカラオケに行き、夜の十時過ぎに帰宅した。
 鬱蒼とした垣根に囲まれている古い一軒家からは、灯りがもれている。真っ暗よりは安心するが、それは家主のほうが先に帰っているということでもあった。さすがに居候としてばつが悪い。
「た、だいま……」
 そろそろと居間に足を踏み入れると、厚いカーテンが閉められた窓際のロッキングチェアに、家主が身を沈めていた。
「おかえり」
 その男は、顔を上げもせず手元で作業をしている。長身で理知的な印象の彼でなければ、編み物でもしているのが似合いそうなシチュエーションだ。
「あの、遅くなりまして……」
「べつにいいよ」
 怒っているわけではないのだろうが、なにしろにこりともしないしこちらを見やることもない。短く返事をよこすだけで、意識は完全に手元へ向いていた。
 気まずいまま部屋に戻りたくなくて、おそるおそる近づく。
「誠(まこと)おじさん」
 改まって呼んでも、反応はない。聞こえていないのでも無視をしているのでもない。答える必要がないからこちらを見ないし返事をしないだけだ。それが彼だった。
「なに……折ってんの」
 誠は紙を折る手を止めて初めて目を上げ、眼鏡越しに万里を認めた。
「ひみつ」
 短さはあいかわらずだが、口元にかすかな笑みがよぎる。その表情にほっと息をつき、万里は横のローテーブルに目をやった。
「大物だね?」
「その予定」
 テーブルの上には紙で折った小さな構造物がたくさん散らばっている。ただあくまで部品らしく、なにを作っているのかは眺めてもわからない。
「いつ完成するの?」
「さあ、どうかな……」
 椅子にもたれて作業を再開した彼は、さほど表情が変わらないながらも機嫌がよさそうに見えた。
「おじさん、もう食べた?」
「うん。風呂もまだ入れるよ」
「あ、ありがと」
 この変わった趣味を持つ男は、大学生が遊びほうけて帰ってきても咎めない……というよりは、まったく気にせず自分のペースで過ごしている。わざわざ食事を用意してくれていたりはしないが、自分が入ったあとの風呂を空にしてしまうほど意地悪ではない。
 それでも、昔はもっと優しかった気がする、と万里は自分に与えられた二階の和室に戻りながら思う。
 万里の下宿を断りこそしなかったものの、世間話さえ言葉少なにかわされてしまうことのほうが多い。彼からの接触は、今朝置いてあったような折り紙の書き置きくらいだった。
 便宜上「おじさん」とは呼んでいるが、実際自分との続柄がどうなっているのかは記憶が曖昧で、たしか母の従兄弟だったような……という程度の認識だった。血が繋がっているのかどうかさえ把握はしていない。
 この家で幼いころに遊んでもらった記憶がぼんやりと残っていたから、今でもあまり気を張らずに会話ができるとはいえ、仲良く和やかに同居、とは言いがたい現状だった。
 生活リズムなどほとんどないに等しい大学生と、なんの仕事かはわからないが帰宅時間は夜七時~翌朝という会社員は、一つ屋根の下で暮らしていてもほとんど顔を合わせない。四六時中気を遣う必要がないのは楽だが、無視できるほど存在を感じないわけでもない。
 嫌われているとか、避けられているというわけではなさそうだけれど……。
 実家の風呂より広くて立派な浴槽に身を沈める。ワンルームのアパートや学生寮などに入っていたら望めなかった生活だ。
 これといって不満はないのだが、家主との微妙な距離感は、数ヶ月経った今も未だに引っかかっている。

 引っかかりといえば、と風呂から上がった万里は髪を拭きながらスマートフォンの画面を覗いた。友人からメッセージが入っているはずなのだが、通知は一件も来ていない。
「また圏外になってる……」
 窓の近くに端末を持っていって、やっとアンテナが一本。アプリを開いてようやく、たまっていたメッセージを受信できた。
 なぜか携帯電話の電波が繋がりにくいのも、悩みの一つだった。友人グループの会話に乗り遅れることが多くなり、暇さえあればやっていたゲームも動画視聴も、この家ではほとんどできなくなった。どうしても我慢できず、家の門の前で小一時間スマホをいじっていたこともある。
 たしかに高めの垣根に囲われてはいるが、庭はそれほど広くないし、隣の家とそれほど離れているわけでもない。この家を出ると普通に繋がるのだから、エリアのせいでもないだろう。
 そして肝心の家主が、それを全く気にしていないのが一番の問題だった。
なんの仕事をしているか知らないが、彼自身は古い二つ折りの携帯電話をひとつ持っているきり。最初に渡された連絡先は、この家の固定電話(しかも黒電話!)の番号という有様で、それがジェネレーションギャップなのかカルチャーギャップなのかわからないが、自分とあまりにちがう世界に生きているような気がして目眩がした。
 この家くらい古びた文机の上に、今朝の折り鶴……を開いた紙が載っている。手持ち無沙汰に、その鶴を再び元どおりに折りなおしていく。
 きょうび、スマートフォンを持っていない人間と日常的なコミュニケーションをとるのは非常に難しい。
 実家にいたときは親や兄弟にメッセージを送って「今日はごはんいらない」「駅まで迎えに来て」などとすぐ言えたものだ。今、誠相手には電話以外に伝える手段がない。家を出るときにわかっていれば書き置きも残せるが、予定などあってないようなのが大学生の日常というやつだった。
 折り目がついているから、鶴はあっという間に折り上がる。
 誠のほうは、この手間がかかる置き手紙を残していくだけでとくに不自由はしていないらしい。万里からのメッセージは必要としていないということかもしれないが……。
「ホントに現代人かよ」
 それが、この鶴を折った人間に対する率直な感想だった。
 携帯電話さえ、出勤後に台所や居間に置き去りになっているのをよく目にする。インターネットどころかメールさえ苦手そうだ。
 この歳で独身、親が遺した一軒家で一人暮らし、人とつるむような趣味もないらしく、休みの日も狭い庭で庭いじりをしているか、今のように折り紙で遊んでいるか。
 万里の親も交えて下宿の相談をしているときには、それほど浮き世離れした人間には見えなかった。しっかりした大人の話し方をしていたし、それなりに愛想もよかった。でも今思うと、あれは完全に対外モードだったのだと思う。毎日いっしょに暮らす相手に対しては、終始愛想よくはできない性格なのだろう。
 元から人づきあいがいいほうではないと万里も知ってはいた気がする。
 親戚の集まりにはそれなりにきちんと顔を出すが、そこでもなんとなく居心地が悪そうにしているのが子供心に印象的だった。そのくせ、折り紙に興味を示した子供が寄ってきても、邪険にしたりはしない。気を遣わない子供のほうが相手しやすかっただけかもしれないが。
 文机の上に元から置いてあった書類受けに、折り鶴を放り込む。
 その中には色とりどり、大小さまざまの折り紙が入っていた。万里が元の形に戻したものも、開きっぱなしのものも。鶴、亀、兜、魚、花……全ておじからの手紙だ。
 子供のころは、ひたすら折り紙を教えてもらっていたような気がする。定番の鶴だとか兜だとか、大物になると恐竜なんてのもあった。今もこの家のあちこちに、どうやって折ったのかわからない動植物やら幾何学的な立体造形やらが飾られている。
 だが大学生になった今、もう折り紙をしようとは言われないし、こちらもそのつもりはない。今は大家と店子、よりもう少し近い「同居人」みたいなものだから、連絡はもう少し密に取りたかった。
 敷きっぱなしの布団に倒れ込み、スマートフォンを手に取る。何度か失敗して友人たちに返信し、それから無意識にゲーム画面を起動して、接続エラーの画面で「そうだった」と頭を抱える。
 ここに住んでから、毎日がこんな調子だ。誠の無愛想はともかく、スマホくらいは普通に使いたい。
 いくら部屋が広くても、帰ってすぐに広い風呂に入れても、生活の肝心な部分が抜けているような気がした。

 □ □ □

 夜中、一階のトイレに下りていくと、書斎に明かりがついていた。
 まだ折っているのかと思いながら、開いたままのドアから中を覗く。
 書斎の椅子に座った彼は、宙に向かって手を伸ばしていた。
「!」
 彼の周りに、折り鶴が飛んでいる。
 一羽、二羽……十羽はいるだろうか。彼が掲げた手の上にはまた折り鶴が乗っていて、そしてその一羽もふわりと浮いた。
「……!」
 しばらく呆然と眺めていたが、はっと気づいて自分の部屋に駆け戻る。信じがたい光景を写真に残そうと思ったのだ。
 スマホをつかんで二階から下りてくると、書斎の明かりは消えていた。月光が差し込んでいるだけだったが、その青白さに誘われるように、つい室内に足を踏み入れてしまう。
 彼が向かっていた机の上に、さっき見た鶴たちが落ちていた。つまみ上げてみるが、糸も電子部品もついていない。一羽をいつものように広げてみたが、正真正銘ただの紙、ただの折り鶴だ。
 首をひねりながら、自分の部屋に戻った。

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