持ち物は「詩集」、言葉と旅をする
「どこか行きたい」と思うと、その日のうちに近い予定の休みを抑えて旅立ってしまう。
それは、当日思い立ってと言うことも多く、計画性はない。
そして、ずぼらな私はたとえ計画性があっても、旅行の当日に荷物の用意をするありさまだ。
とりあえず、財布。道を調べるためにスマホ。あとは化粧品やら衣服やらを詰め込んで、とりあえず東京を後にする。
去年長野に行ったときなど、突如安曇野でトレッキングをしたくなり現地でバックパックを購入した。
多分、用意周到派の人からすれば奇行としか思えない所業だろう。
しかし、東京駅で、羽田空港で、私は必ず詩集を買うことにしている。
できれば紙の本だ。
ある程度の書籍はKindleに移行したが、詩集だけは紙の本で買うことにしている。
結構吟味して買うので、多分家で適当に荷物を詰めているときより長い間本屋にいるだろう。
旅のお供は詩集が最適だと思っている。
少なくとも私の場合は。
一度は小難しい哲学書にしたことがあるのだが、旅行地を散歩しながら脳内が木端微塵になってしまったので控えている。
詩集、句集。言葉の美しさと残酷さが如実に伝わる。
その少ない言葉の群の威力は、破壊的に胸を痛めつけ、感傷に浸らせる。
現実社会で詩集を読んでも、私はいまいちぴんと来ないことも多いし、言葉が雑多な情報の中で迷子になってしまうのだ。
だから、私を知らないどこかの場所で、とっておきの言葉と出会うことにしている。
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