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音楽の神様は

    注)コンサートに関してややネタバレあり。
気にされる方はスルーして下さい。

    12月に入ってすぐにさだまさしさんのコンサートに行った。
5月にリリースされたアルバムを受けての「存在理由~Raison d'etre」ツアー。
東京国際フォーラム ホールA。

いつもの年と違うのは入口の検温、チェックシートに記入して、スタッフさんのチェックを受けて自分でチケットをもぎる事。

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国際フォーラムに限らず、今やさだまさしさんのコンサートは、どの会場もプラチナチケットで、本来ならば発売の段階から申し込んでおかないと、席の確保が難しい会場もある。

けれど、今年は新型コロナの関係で開催から10日前でもチケットが手に入った。

これには理由があり、コロナの影響でさださんの今年4月からのツアーも他のアーティストの方々と同じように、軒並み中止となっていたのだが、
「ショーを止めるな!(Show must go on!)」の掛け声の元、オンステージ&裏方含めて何度も議論を繰り返し、9月から先ずはガイドラインのそれぞれの会場の定員50%で再開、その後クラシックコンサートのように、声を出したり立ったりしない条件で定員100%までOKとなった。
しかし定員が倍になった事にもかかわらず、時間的な問題で集客が追い付かなかったと言う事実での今回の動員数であった。
足の良いあの会場でも埋まっていたのは7~8割位であっただろうか?

私のようにギリギリでチケットを購入したファンには朗報であったが、採算的には…(余計なお世話だけれど)やはり心配せずにはいられなかった。


    だが、そんな下世話な話を軽々と吹き飛ばすほど、コンサートの内容は素晴らしかった。

    毎ツアーや全アルバムをチェックしている訳ではないのだけれど、子供の頃東大寺の落慶法要の舞台で歌うさださんのテレビ中継を見てから私の人生の傍らには必ずさださんの音楽があった。

長じて、馬場俊英さんがギターと共に紡ぐ日常の物語に惹かれたのも、広沢タダシさんの内省的な詞の世界に魅了されたのも、さださんの音楽を聴いてきた経験があったからだと思う。

     ストリグスとご自身の歌とギター、それを取り巻く楽器との調和を第一に考える音作りは、何度聞いても懐かしさと斬新さを感じさせるステージ。

これだよこれ!
あぁ、帰ってきたなぁ~って思う瞬間。

   そしてトークも。
さださんのコンサートでのトークは世間一般にも知られている通り面白い。

でも決してそれだけではなくて、訪れたどんな人の心にも必ず届く優しさと強さを持っている。

親戚の伯父さん(お兄さん?)の話を聞いているような親しみ安さと共に。

   その中で今回私の心をつかんだのは音楽の神様のお話。

ある日本歌謡作曲のレジェンドが若き日のさださんに言った言葉。
「音楽家は身を削るようにして作った自分の音楽を、自分の中にいる音楽の神様に供物としてお供えするのだ」と。

    だから常に自分の音楽を追及し続けなければならないと。

因みにさださんの音楽の神様は、手抜きをすると怒るそう。

これはさださんと、そのレジェンドのお話だけれど、ふとその時に「音楽の神様」は、私の中にもいるのかも知れないと思った。


    「音楽の神様」でなければ「表現の神様」とも言うだろうか?

歌ったり、楽器を演奏したりするだけでなく、絵を描いたり、文字を書いたり、手芸(ほとんどしないけどww)をしたり、詩や、文章を書くことも…。


    ここ数ヶ月自分の中でザワザワしていた感覚はこれだったんだ。


私の中の「音楽(表現)の神様」は…。



きっと表現する事を止めると怒る気がする。

「自分の中から出てくる何かに蓋をするな!」と。

つたない文章、下手な文字や絵、鼻歌程度の歌、所々弦が鳴らないギターも。


そう。

誰にも聞いたり見てもらえなくても、自分がこれと思った事をただただやれば良い。

年を取って始めた物だって、忙しくて毎日練習できなくたって、ギター抱えて居眠りしてたって、親の介護の片手間だって…。

やってみればいい。続ければいい。


それで良い。


こんな時だからこその気づきにまた一つ出会えた夜に感謝です。


もう年の瀬。








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