可能性を捨てる

可能性があることはポジティブに捉えられがちだが、場合によっては無い方が良いこともある。このことについて、未来の可能性と過去の可能性に分けて話す。

未来の可能性を捨てる

失敗した時に辛くならない

可能性があるからこそ、失敗した時にショックを受ける。逆説的に、可能性0%のものに対しては、失敗してもショックは受けない。

合格判定Fの試験に落ちたり、プログラミン初心者がアプリを作れなかったり、運動をしていない人がスポーツ選手に負けたとする。

この時、あなたならショックを受けるだろうか?もちろん、羨ましさや嫉妬の感情は持つかもしれないが、自分を卑下したり、自責をしたりはしないだろう。成功する可能性が極端に低からだ。

問題は、失敗する確率が高いにもかかわらず、成功の可能性を感じている場合である。

例えば、私は心配性という自分の性格が嫌いだった。他の人より準備に費やす時間が多く、効率が悪いと感じていたからだ。
この時、私は気付かぬうちに心配性は治るものだと思っていた。仮に本当に治らないなら、先の例のように自責に走ったりしない。

この気づきから、私は心配性が治らないものだと仮定してみた。医学的どうかはさておき、22年悩んで治らないのだから、多分治らないと言うことにしてみたのだ。

結果として、心配性は私にはどうしようもない存在となり、自責をすることは無くなった。周りの効率の良さを羨ましいとは思うが、自分が悪いとは思わなくなった。

思考停止から脱せられる

先ほどの続きだが、可能性を排除することで、失敗の対策に取り組みやすいという効果もある。例えば、合格点が80点で、次のような点数予測を持つ二人がいるとする。

  • 80点予想 → 不合格の場合を考えづらい

  • 30点予想 → 不合格の場合を具体的に考える

実際、約80点を取れる人が、不合格の場合を考えないのは良い。問題は、80点予想なのに、毎回30点を取っている人だ。

この人がやるべきなのは、80点くらい取れるかもしれないという可能性を信じることはない。諦めて、30点を取るという前提のもと、不合格の対策を練ることである。

先の心配性の例だと、私はあらかじめ準備時間を他の人の二倍取るという対策をねれるようになった。こうすることで、他の人の二倍準備時間をとってしまっても「予測通り」とだけ思うことがで、特に自責に走ることは無くなった。


過去の可能性を捨てる

例えば、「1+1=3」という解答をした場合に、「あなたには1+1=2と解答する道は100%なかった」と言われても疑問が残ると思う。

しかし、そもそも私たちの行動はその時の心理状態、脳の動き、周りの環境によって1つに決まっている。したがって、何度過去をやり直しても、記憶がアップデートされない限りは、同じ失敗を繰り返すだけだろう。すなわち、失敗が成功していた可能性は0なのだ。

このような考え方を無理やりすることで、過去の失敗を仕方なかったのだと再認識できる。結果として、自分に非がないので精神的に楽になるることがある。

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