なぜ哲学が好きか

個人的、小学生で知りたかった科目映えある第一位は哲学である。

私は小学生の頃から三度の飯より死後の世界にとても興味があった。興味があったと言うよりは、恐怖に近かったかもしれない。死んだ後に未知のところに行くという不安さ、そして100年以内という短い期間を経て、必ず訪れるという恐ろしさで夜眠れなくなったり、親のいないところで叫んだり、泣いたりした。気分は毎日処刑台に送られる死刑囚であった。

親が死んだ後の話を雑談のようにしているのを聞くのも嫌だった。お墓や遺産などについて話されると、なんでそんなことを話すんだよ!!テメーら死にてーのか?と思った。親は死ぬことについて、「慣れた。時間が経てば気にならなくなるよ。」といった。うまい棒が値上げするくらいありえないと思った。

そんな私は大学生になってもその思いは変わらず死ぬのが怖かったし、生死
や倫理について興味だけは持っていた。

哲学に出会ったきっかけは、友人の哲学の話を聞いたことからだった。中二病のキャラが「〇〇〇〇〇〇 〇〇の言葉だ」というのに憧れを持っていた過去の私は、そこで聞いた哲学の人についてウキウキで調べた。

結論、哲学は私にはとても心地よかった。私が死後について考える時、沈んだ気持ちになったり不安定になるのは、もちろん自分が死ぬことが怖いからである。ただ、もう一つの要因としては、自分以外に自分の考えを共感してくれる相手がいないことが大きかった。

高校の時に自分がなぜ自分なのか?なぜ私は空を飛べないのか?なぜこの人間の体に自分が閉じ込められているのだろう?と思っていたが、そんなことを話せる友人などいなかった。慰めてくれるや同情してくれる人はもちろんいたかもしれないが、私が必要としていたのは同じ思考レベルまでたどり着いてくれて、議論してくれる人だった。

一度、高校のカウンセラー室の前まで行ったが、結局扉は開けられなかった。チキンである。受験の時はよりメンタルが不安定だったので廊下が何度かぐるぐるぐらぐらと揺れたこともあった。

だが哲学を読んでみたらみたらどうだろか。自分がモヤモヤと考えていたことと同じことを本1冊分書いている人もいるし、より突飛な話を大真面目に議論している人もいる。その考えを多く取り込んでいるうち、気づけばあまり死ぬのが怖くなくなっていた。たまに怖くなるが、怖い死後と同じく別の結末も本気で信じられるようになった。結果的には親の言うとおりになって癪である。

宗教や自己啓発本と違って、私が哲学を好きなポイントは反証可能性があることだ。哲学は科学や数学のように1つの答えが人間の外にあるものではない。しかし、明確な定義がなく反証可能性がほぼない宗教と違って、自分で哲学の世界を明確に定義する。そして、哲学者の間ではお互いに批判や凡例を言い合うことが許されている。こう考えると、私は哲学は文系よりも理系に近いと思っている。

私が宗教を信じられない理由は証拠がないからだ。神は一度も私のピンチに現れないし、証拠と言ったら大昔にパンをワインに変えたというテキスト情報だけだ。せめて現代のデジタルデーターになにか威厳を表してほしい。しかし、哲学は違う。空想ではあるのだが、この無神論者の私であっても納得するほどの空想をちゃんと形作っている。

哲学を始めてしばらく経つと、当初の生死などの大きな問題以外にも応用できることに気づく。適用できると言うよりは、どちらかと言うと自分が何かを思ったときに、それにしっかりと法則の名前がついているという感じである。その名前がついていることでカテゴライズしやすくなったり、理解するのを助けてくれる。

もっと早くこの学問に出会いたかったと思う。

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