YouTubeと映画

私は人生において映画→YouTubeという順番でコンテンツを楽しんできた。

映画は幼稚園に母親に勧められてみてから、SF映画をずっと見ていた。主に海外映画なので学校では話が合わなかったが、その頃から日本映画よりはマシだと思っていたので気にしなかった。

高校、大学になってからはもっぱらYouTubeを見るようになった。隙間時間でパッと見れるし、1動画ごとにオチがあるからコスパよく刺激を受け取れる。また、1つの情報量が少ないので作業しながらでも見れる。こう考えるとYouTubeは1つが短く、刺激が強いジャンクフードのようなものだと思える。

ただこれを続けていくとSNS疲れと同じように、なんだか刺激に疲れてくる。緩急がなく絶え間なく流れてくる質の低い刺激(悪いとは言っていない)。 次見る動画を常に選択するが、その内容をしっかり見るというよりはもはや再生することが目的になっていることもある。動画同士のコンテクスト的なつながりはなく、いちいち新しい状況に頭をリセットする必要がある。

そこで久しぶりに映画を見てみた。映画といってもショートフィルムである。SAMANSAという月額250円でショートムービーを見まくれるサービスがある。よくTikTokなどの広告でみたことがある人もいるかもしれない。結論、とても心地よく感じた。

まず、吹き替えではないのでずっと字幕を見なければいけない。つまりながら作業ができない。 久しく忘れていた映画の誰も喋らず、ただ風景を写すシーンの雰囲気を楽しめた。あとは当たり前だが映像の美しさが段違いだった。

あとは、全体的に考えさせる場面が多いのがいい。YouTubeの場合は数秒ごとに明確にシーンが理解できるように音声や編集が行われる。それに対して、映画は何もわからない黙っているシーンもあるし、映画全体を見ても意味がわからないものもある。ただ、そのような題材だからこそ、YouTubeでは動かなかった、物事の雰囲気や思いを感じようとしたり、答えがない問題について考えたりすることができる。つまり、YouTubeは客観で、どちらかというと映画はその場にいるという主観の感覚が近い気がする。

私はこの記事で、YouTubeと映画どちらだけを見ようというつもりはない。よくSNSを絶つと幸せになると言うが、それは極端すぎる気がする。私の答えとしては、人間には短期的な刺激と長期的なゆったりとした刺激のどちらも必要であるということである。これら2つを同じ刺激とするから問題なのだ。だからどちらかをなくすのではなく、それら2つをバランスよく生活の中に取り込むことで、QOLを上げられる気がした。例えば、日中はYouTubeだけ、寝る前はSAMANSAのようにするなどは、なかなか良いアイディアではないだろうか。

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