やさしくなりたい

斉藤和義の歌じゃないけれど、私はやっぱりやさしくなりたい。
いつだって優しい人でありたい。

そう思う気持ちすらダメに、恥ずかしく感じてしまうのは何故なのかわからい。偽善的だなんて自傷的になってしまうかもしれないけれど、やはり優しくない人にはなりたくない。

今朝、緊急事態宣言下でも混んでいる渋谷駅で、いつもと同じように前から歩いてくる人や、スマホを見ながらヨタヨタ歩きしている人たちに当たらないように気をつけて、乗り換え先に向かっていた。
上を見ると、短い階段だったけれどベビーカーを持ち上げようとよろけそうになっているお母さんがいた。その後ろには、助けようか悩んでいるのか傍観して苦笑しているスーツ姿の男性が2人立っていた。

声をかけよう、と思った。

その一瞬で思ったのに、動けなかった。
なんだか、見ず知らずの人に思いやりを持って声をかけることに億劫になった。
すぐにでもベビーカーを持ちたいという思いと裏腹に、すぐに体は動いてくれなくて、その間に大きなトートバッグを持っていたセットアップを着た女性がすかさずベビーカーの端を持ってあげていた。

人に優しくするのに理由なんていらないのに、声を出せなかった。
女性が助けるのを見てほっとして歩き出したビジネスマンを見て、なんて恥ずかしい人たちなんだって、自分の責任を転嫁しようとした。

声をかけることよりも、かけられなかった私が恥ずかしかった。
こんなnoteの中で整理してからしか声をあげれないなんて寂しかった。

もっともっと思いやりを持っていたい。
人を助けるとか奢りたい気持ちではなくて、純粋に私ができることがあるなら
私がすればいいっていう当たり前の思いやりを持っていたい。


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