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死んだらみんな屍なのだ

こうも家の中でパソコンだけ見て、四六時中ひとりで過ごしていると、漠然と調子が悪くなる。

調子が悪い、だけではもったいない。何がどう調子悪いのか。

まず睡眠のリズムが崩れた。これは2日間、目覚ましをギリギリまで遅い時間にセットして寝たら戻った。

人との関わりを欲しているように感じる。彼女と電話したら、ちょっと調子良くなった。

でも、先週までのめり込んでいた読書には身が入らないし、仕事のペースも2/3くらいまで落ちた。ヘマもやらかした。

あと、暗いニュースに触れた。AIの世界が大爆発している。僕の仕事なんて、すぐになくなってしまう。

なにかしらできないと、なにかしらを残さないと、みたいなことを考えていた。

それに伴って、時間の手段化みたいなものが始まった。仕事も読書も論文漁りもカメラも、「しょうらいのちからになるように」という目的のもとの手段になった。

これが苦しい。何も感動しない。楽しくない。「これじゃダメだ」ばっかり湧いてくる。「時間をもっと効率に」と焦るうちに、何をしていたのかわからないまま2時間ぐらい過ぎる。

2月22日、水曜日。ひっさしぶりに晴れた。10時半ごろに宅配便を受け取るために玄関を開けて、初めて晴れていることを知った。

僕の家には西と北の向きに窓があるけど、至近距離に別の家の壁があり、圧倒的に日当たりが悪い。カーテンを開けない日すらある。

いつもお昼は家でクソテキトーなパスタを作って食べているけど、自転車ですき家に行くことにした。タイヤの空気を確認したら、思いの外そんなに抜けていなかった。

眩しい。底抜けに空が青い。晴れて空気が澄んでいるから、東の方に広がっている山がくっきりと見える。白くて綺麗でかっこいい。

いつもはカウンターに座るけど、初めて窓際の2人席に座った。直射日光が眩しいし、すぐに身体があったかくなる。道路を走る車が太陽を反射する。

16時半になっても思いっきり晴れていたから、上司に「散歩に行ってきます」とSlackでDMを送って身支度をする。1分もしないうちに「いいよ」と返事が来ていた。

ひとまず家の近くの大きな川を目指して、自転車を走らせる。追い風で走りやすい。5分で着いて、電源をつけて、「メモリーカードを入れてください」という表示を読む。パソコンに差したままだった。

向かい風の中全力で漕いで戻って、また川原に戻ってきた。

2月23日。オイル交換しにオートバックスに行ってから、「暇だなあ」って思って何も考えずに車を走らせる。

のと里山海道を一瞬だけ走って、海を見に行った。海に着いた時には曇っちゃってたし、風は強いしポイ捨てゴミまみれだった。そう遠くないところに目立つ橋を見つけたから行ってみる。

着いてみると、思いの外高い。橋の上を歩くだけで怖くなる。金沢の街も海も一望できる。

山はデカくて、海は広くて、空は青い。太陽との絶妙な距離に地球が出来上がったおかげだ。無数の人間が、眼前の街で各々まったく違う生き方をしている。

あの車はどこに向かっているんだろう。ドクターヘリも飛んでいる。ベビーカーを押しながら歩く親子とすれ違う。

みんなもともと、DNAとかタンパク質とか、そんな感じのところから出来上がった生物だ。死んだらただの屍になる。そう考えたら元気になった。

家に戻って、論文を読んで、AIを触る。感動するようになった。


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