山岡鉄次物語 父母編4-4
《若き日の母4》敗戦の予感
☆珠恵たちは戦時の落ち着かない生活を送っていた。
報道管制された大本営による太平洋戦争の戦況発表は、日本軍の劣勢を正しく伝えていなかった。
実際日本軍はアジアの各地で負け戦を繰り返し、敗戦色が濃厚になって来ていた。
大本営は、日清戦争と日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま太平洋戦争終戦まで存続した。
日本軍の最高統帥機関である。天皇の命令を大本営命令として発令する最高司令部としての機能を持った。
大本営では当初正しい発表が為されたが、作戦が頓挫した昭和17年のオーストラリア北東の海で日本海軍と連合国軍の間の戦闘、珊瑚海海戦の発表から戦果の水増しが始まり、以降は戦況の悪化に関わらず、虚偽の発表が行われた。
太平洋戦争末期、敗色が濃厚になるにつれて、戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。
現在では、権力者が自己の都合の良い情報操作をして、虚報を発信することを揶揄した慣用句として大本営発表という表現が用いられている。
今のTVや新聞は国の機関とは別のものだが、権力からの圧力なのか、権力への忖度なのか、広告料収入などの経済的な事情なのか、少々歪んだ報道を見かけるようになっている。また、権力者の都合が悪い事柄を避けた報道も、時々見かける。
大本営の時代を反面教師にして、未来の為に軌道修正が為される事を願うのみだ。
日本では日露戦争の頃から、「お国のため」を理由に、多くの若い男子を戦争に駆り出し、その命を犠牲にして来た。
戦争に関わって亡くなった命に無駄も有益もないが、太平洋戦争で成功確率1割の特別攻撃隊では残りの9割が虚しく命を散らせた。
また、南方の島々では敗戦に至る間に犠牲になった者のうち餓死者が6割を占めた。
戦争では若者たちが招集令状一枚で犠牲になって来たのだ。
「お国のため」に戦争に行って「お国のため」に犠牲になる。
今なら、国の為に個人が犠牲になる社会など、ありえない。個人の為にあるのが国だからだ。
本来、国とは国民だ。そこに生きている人々だ。
戦争時代の「お国のため」の国は権力者たちの為だったことになる。
人は家族を守る為なら外敵と戦うが、政治家や権力者の為には戦わないだろう。
実際戦争に行った兵隊の真実の心は「家族を守るため」だったのかもしれない。
現在「お国のため」のまやかしで、無駄に人生を終わらせる人はいないだろう。
しかし今、権力を握った政治家のなかに、全体主義的志向を持った者が現れているのも事実だ。
未来に向かい、国そして国民はいかなる場合であっても戦争をしてはいけない、為政者と国民は避ける努力を続けて行かなければならない。
さて昭和19年、この頃から米軍による本土空襲が本格化して、珠恵の住む甲陽市に直接空襲はなかったが、米軍のB29爆撃機が上空を通り過ぎるのを、度々見かけるようになっていた。
この街は扇状地に囲まれた地盤が固い盆地の為に、地下水が出やすかったので、空襲警報が発令されても逃げ込む防空壕があまり作られてなかった。
町内では隣組の人たちの手で、防空訓練として「焼夷弾はバケツで消せる。」「銃後の守りは完璧。」と煽りながら、バケツリレーなどの消火訓練が盛んに行われていた。
珠恵はバケツリレーをしながら「こんな事で大きな火事を消す事が出来るのだろうか?」と思っていた。
また竹槍訓練にも参加して「エイ、エイ。」と声を出しながら、先を尖らせた竹でなにが出来るのか疑問だった。
そして「日本は負けるんだ。」と思った。
誰もが口には出さなかったが、皆がそう思っていたに違いない。
昭和20年3月東京は歴史に残る悲惨な大空襲を受ける。