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女神さまの焦燥

#8「不倫を笑え!」

昨今の我が国においては、不倫は重罪であります。ひとたび有名人の不倫が明るみに出てしまったが最後、何ら関係のない群衆が次々に現れ、この者を袋叩きにし、市中引き回しの上獄門磔までは行きませんが、テレビなどでは連日連夜、公開処刑の映像が流されます。そもそもこの罪びとを責める権利を有する者は、伴侶や恋人など限られていますから、赤の他人たちの手によって社会的に葬られる暴力は見るに堪えません。このようなおぞましい全体主義はいつ頃生まれたのでしょうか?確かに日本人は社会主義的民族ではありますが、「性」に関してはもっとおおらかで、「しょうがないなあ」という心の寛容、暗黙の了解でもって微笑んでいる太平文化であったはずであります。未亡人のもとへ夜這いに行き、妻にかまってもらえない男たちは寂しさを癒され、若者たちは彼女から人生を学びました。かつて甲斐性のある男は、妻や子供たちの住む自宅に愛人も住まわせていました。ですから愛人のひとりも囲えないような政治家は国民に信頼されませんでした。芸能人の浮気はそもそも仕事の一環であり、時々スキャンダルを起こして世間を騒がすのは庶民の楽しみであります。

イギリスの小説家D・H・ロレンスの「チャタレー婦人の恋人」は裁判沙汰にまでなった作品でありますが、戦争で半身不随となった夫の介護の日々の中、使用人の森番メラーズとの情事を重ねる、若く美しい人妻コニーの欲望と苦悩の物語であります。コニーは妻として女として満たされず、メラーズも妻とうまくいかず、逃げ出して一人で暮らしています。ふたりの肉体と精神の激しい求愛を果たして罪と呼べるのでしょうか。断じて許されないと国家や大衆が唱えるのであれば、小説家は失業し、映画監督は毒にも薬にもならぬつまらない作品を撮って世界に嘲笑され、俳優は投獄され、芸術家は自殺するでしょう。

長年連れ添って夫の面倒を見るのが億劫になってしまったあなた。愛人のもとに入り浸って、あなたの代わりに世話をしてもらえるなんて最高ではありませんか。おいしいお菓子でも包んで彼女の部屋を訪れるべきであります。いにしえの賢い妻がそうしたように「夫がいつもお世話になっております」と微笑んで見せれば、その愛人も夫も永遠にあなたに勝てないことを知るのであります。



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