見出し画像

吉例顔見世大歌舞伎 夜

 <白梅の芝居見物記>

 昼の部の『マハーバーラタ戦記』も、面白く拝見。宮城聰氏の歌舞伎の古典にしたいとの意気込みにかなう作品になっていく可能性を、十分に感じもしました。それゆえにこそ、壮大な物語をどこまで演劇として、舞台として深められるのか、その方向性に関して、一つの私見を提示したく思い、少し時間を頂いて書きたいと思います。
 また、夜の部に関しては、渡辺保氏の評をまずは参考にして頂きたいと思います。その上で私なりの別の視点から考えたこと、一観客としての感想を書きたいと思います。

 松浦の太鼓

 昨年暮れ、南座の顔見世で松嶋屋さんの『松浦の太鼓』を拝見した時は、玄関先の場では松嶋屋さんらしい魅力にあふれる松浦侯になっていたのですが、邸宅内の場に関しては、決して悪くはないものの、見る側としても少し消化しきれない思いが、正直に言えば、見物した後に残りました。
 それが、今回は播磨屋さんの松浦侯とは全く違う、松嶋屋さんならではの松浦侯を拝見させていただき、大変感動しました。

 この役に対して、南座の上演中やそれ以後も、ずっと考察を続けられてきていたのではないか。播磨屋のそれとは全く別物の、私がいうのも僭越ではありますが、松嶋屋の松浦侯として深化させた、全く違った作品世界を今回拝見することが出来たように、私は感じています。
 こうした同じお役でも、全く違った人間像を見ることが出来るのが、歌舞伎の醍醐味でもあると、改めて感じました。

 南北の色悪など、普通では目をそらしたくなるような残酷な場面のある役であっても、松嶋屋さんは、魅力あふれる役として昇華させ、私たちを魅了し続けてきてくださいました。その芸境はなかなか、後進が足元にも及ばないものがあります。
 ともすれば、役者の愛嬌や芸の味わいで見せる演目と見做されている作品を、別の魅力で見せる芝居に再構築されるとは、松嶋屋さんのお家芸ともいえる、鮮やかな再創造だと、私は強く感じました。

 どこが、違っていたのか。
 それは、松浦候の一見、他愛のない大名らしからぬ行いのように見える振舞の裏に、やむにやまれぬ武士としての思いがあることを強く感じさせられる人物像になっていたところです。
 印象として、そこが大きく異なっていたように感じました。

 赤穂義士討ち入り事件が、武士階級をはじめ一般社会の人々のどれだけの思いの上に、達成されたものであるか。
 そうしたことが見えにくくなっているのは、この事件を「テロ」と呼んで憚らない時代にあっては、ある意味仕方のないことかもしれません。

 江戸城、松の廊下での刃傷事件とその後の幕府の処理に関して、松浦侯がどんな思いで見ていたのか。武士社会での秩序や正義が再考されている世相の中で、松浦侯も人の上に立つ大名として、浅野内匠頭や大石内蔵助を知る者として、どんな思いでいたか‥
 そんな視点が、今回、私の中に生まれました。

 「君君たり、臣臣たり」
 君としてどうあらねばならないか、臣としてどうあるべきなのか‥
 そんな思いのなかで日を送っていたにちがいないことを思えば‥
 どんな考えの人々と交わり、どんな人物を部下にもって、自らもどのような行いをしていきたいのか。どこにでもいる人間らしい人間として、松浦侯の振舞も簡単に大人げないとは言い切れない部分があるように、私には今回初めて感じられました。

 さすが『元禄忠臣蔵』「御浜御殿綱豊卿」の綱豊卿を当たり役にされてきた松嶋屋さんだからこそ描き出せる、松浦侯のように思います。
 
 私は、『松浦の太鼓』を見て初めて泣きました。
 玄関先での大高源吾とのやり取りでは、本当に涙が出ました。
 近くに座っていた、年配の男性が少しすすり上げているのを聞きました。同じ思いを感じているのかなと思いました。

 松嶋屋さんは、邸宅内でも玄関先でも、松浦侯そのものとして存在していました。その熱い気持ちは、芝居を越えた「人間」としてそのままそこに存在している。そう強く感じさせて下さいました。

 松緑丈の大高源吾も、今までとは違う、新しい人物像を見せて下さいました。
 観客のイメージの中にある、風流人としての清々しい人物像とは決して言えませんでしたが‥
 「綱豊卿」の富森助右衛門を生涯の持ち役にしたいとおっしゃるだけあって、両国橋では、討入りを遂行するために艱難辛苦を乗り越えてきた実直な姿が、今までにない人物像として、印象深い源吾となっていました。

 玄関先では、そうした艱難の上に、討入りを達成した思いの深さの表れた源吾となっていたので、松浦侯にかけられた言葉への感謝の思いに、思わず泣かされました。
 役を造形していこうとする思いと、技術がまだ一致しないようにお見受けする箇所が散見されましたが、これからますます素敵な源吾となっていかれるのは、間違いないと思います。

 鎌倉三代記

 今回の公演で、一番印象に残ったのは、やはり梅枝丈の時姫です。
 お姫様役へ真正面から取り組もとしている姿勢が、とても好感の持てる舞台になっていました。

 義太夫狂言に取り組む場合、丸本がしっかりしている故に、「理」から入っていこうとする姿勢は、今の役者さんに多分共通している傾向ではないかと思われます。
 ただ、「理」から入ってもわからない部分が、丸本でさえあるのであって、その作品が書かれている背景がわかっていないと、本を読んでいただけでは、人物をどう造形していくかわからない部分が多いのではないか、と私は思っています。

 微力ながら、そうした背景を少しづつでも紐解いていけたらと思っていますが‥
 紐解いたからといって、その解釈だけで役を演じることが出来るようになるものでもないでということが、渡辺氏の劇評を読んでいると、素人ながら痛感いたします。
 やはり、理屈ではなく、身体に叩き込まなくてはいけないのが、歌舞伎の技術だということを、私も学ばせて頂いています。

 芝翫丈の高綱にしても、古典の大作は、やなり型を徹底的に学びそれを演じられるようになってから、例えば松嶋屋さんのような段階に入れるようになることを、今回私も学ばせて頂きました。

 舞踊三題

「春調娘七種」「三社祭」「教草吉原雀」
 三題とも、それなりの舞台でした‥
 としか言えい自分が情けないのですが‥

 「娘七種」を、十代二人と、三十才になりたての役者一人、この三人で、歌舞伎座の大舞台で一題を出せるだけで、すごいことではないでしょうか。それも、それなりに見せている。それで十分のようにも思うけど‥
 この種の舞踊は、役者さんの味わいで魅せる舞踊と言えるのでしょうか‥
 若さを愛で、楽しんで頂くしかないとしか言えない部分もあるのは仕方ないでしょうし、私もそれなりに楽しみました、としか言えないのは、我ながら情けないことではありますが‥

 「三社祭」ただ元気よく踊りきることに価値があるのか‥
 私としても、体力勝負というような「三社祭」しか、まだ見たことがないので‥ この作品の面白さを知っている、魅せてもらった覚えがある、とは言えないのが正直なところです‥
 素人には、変化舞踊はハードルが高い。
 実際に、変化舞踊でもたまに、よく分からないけれど、すごく面白く感じることがあることはあるのです。ただ、それが何故そう感じたのか、素人の悲しさでわからないのが実情です。

 「教草吉原雀」
 又五郎丈と孝太郎丈、テンポのいい部分では、身体の切れがきく又五郎丈に孝太郎丈の動きがついていけず、雑になってしまうところが、せっかくのお二人の踊りなのに、素人目に残念に感じられました。二人で歩み寄ることは出来ないものなのか、それとも日を重ねていけば解消されることなのか‥

 中途半端な感想になってしまいましたが、顔見世らしい華やかな舞台で打ち出され、心地よい夜風を感じました。
                      2023.11.10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?