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辰 初春 京鹿子娘道成寺

新時代の『娘道成寺』 <白梅の芝居見物記>

 衝撃的な娘道成寺

 正月の歌舞伎座、前半が中村壱太郎丈、後半が尾上右近丈により『娘道成寺』が上演されました。
 正月の歌舞伎座で、ダブルキャストとは言え三十そこそこの若手により、歌舞伎舞踊の大曲中の大曲が上演される。そのこと自体が、歌舞伎界にとってひとつの事件であった、といっても過言ではないと思います。
 この大曲は、座頭もしくは座頭予備軍とも言える実力があってこそ、上演可能な作品である、と言えるからです。

 ただ、さほどの重大さを感じることなく、私自身、お二人の舞台を楽しみにして、劇場に足を運びました。
 観劇するまでは、この上演が今の歌舞伎界の現状を考えると、あり得ることだろう、くらいにしか考えていませんでした。 
 それが、観劇後にしばし呆然としている自分自身に、戸惑いを感じることとなりました。

 二人の花子を見て、というより、右近丈の破壊力抜群の花子を見てと言った方が正しいかも知れません。
 もっと言えば、右近丈の踊りそのものに対してというよりは、右近丈の花子に見入る観客、客席に広がっていた高揚感、さらに満場の大きな拍手を聞いて、私はかなりなショックを受けてしまいました。

 若かりし頃、「團菊じじぃ」と言うことばを聞いて、私もいつか「歌勘ばばぁ」と言われる日が来るのか、と考えてたことがありました‥。
 まさに、この舞台を見て、自分が「歌勘ばばぁ」になっていることを、ようやく自覚することになりました。
 そうかと言って、今回の上演の當りを否定する気持ちにはなれません。ただ、歌舞伎が伝統芸能である以上、「歌勘ばばぁ」としての感想も書くべきではないか。
 そう思い直して、筆をとることにしました。

 京風な壱太郎丈の花子に感じた大曲の難しさ

 単に私の好みの問題にすぎませんが‥。
 自分の思い描く花子像としてしては、何年か前に五人娘道成寺で見せた当代中村勘九郎丈の花子が、一番イメージに合うように思われました。(その後、男女道成寺で演じられた花子は少し違っていましたが‥)
 今回は、江戸風とは対照的ですが、上方風の壱太郎丈の花子も、私が想像する花子のモデルと思われる人物のイメージに近いように思われました。

 女形は、身近な女性を観察し参考にするゆえか、自然と身近な女性の振舞に影響されるからなのかはわかりませんが、身近にいる女性に似るということを聞いたことがあります。
 壱太郎丈の花子には、京の舞妓さんのイメージが私には感じられました。ハンナリとしていながら、都育ちのハスハなところもある、というところがよく写されているように思われました。
 そうした人物像が描き出されているところに、まずは魅力を感じてはいたのですが‥。

 これは、右近丈の花子にも言えることなのですが、若く美しく、身体もよく動き、一生懸命に演じている姿は、とても微笑ましいものです。そうしたところに魅力を感じそれを喜ぶ観客がいるのは、もっともなことだと、私も思います。
 ただ、「恋の手習い」のあたりから、見ている私自身に飽きが来ているのを感じないではいられませんでした。
 それはお二人に共通して感じてしまったことで、どうしてなのか、踊りを分析する力のない自分がもどかしくもあります。

 赤い振袖と烏帽子で踊りが始まった時は、やはり道行きから見たかったと思ったのですが‥。結果として、縮小されるには意味があることを、やはりこの大曲を踊りきることの難しさを、観客としても実感することとなりました。 
 ことに、歌舞伎座のような大舞台ですから、「奮闘」だけではどうにもならないことがあることを、今更ながら考えさせられました。

 古典芸能において、歌舞伎のみならず、芸能者としての年輪を重ねることの意味をつくづく感じさせられた公演がこの歌舞伎座で一昨年ありました。
 そう感じたのは歌舞伎の本興行ではなく、9月28日に行われた「荒川十太夫上演記念 神田松鯉・神田伯山 歌舞伎座特撰講談会」を拝見した時でした。
 私が拝見したのは、夜の部でした。
 神田伯山さんは昼の部で奮闘しすぎてしまったようで、夜の部は素人目にも疲れきっていらっしゃるのがよくわかりました。ご本人がしきりに昼の部の奮闘によって疲労困憊でとおっしゃっていたので、どれだけ頑張られていたのか、昼の部も見たかったと思われるほどでした。

 広い歌舞伎座で大入り満員の観客を相手に講談を聞かせることの大変さを、実感なさっていたようです。
 一方、おそらく寄席と変わらなであろうトーンで聞かせ、疲れも見せずに平然と夜の部に臨まれる松鯉氏に関しても言及しておられました。
 実際に、松鯉氏は熱演というよりは、落ち着いた、重厚で味わいのある語り口で聞かせて下さいました。その語りは、自然と広い歌舞伎座全体を講談の世界にすっぽり包み込んでしまうような、そんな力をもっていました。その芸は素人が三階の後ろの方から拝聴していても、素晴らしいと感じることができるものでした。

 一朝一夕では到達することのできない、伝統芸能の奥深さが確かにあることを、再認識させられる舞台であったことは間違いありません。

 『京鹿子娘道成寺』が女形舞踊の一つの頂点とも言われる所以は、初世中村富十郎が背負った歴史の重さを継承する作品であるとともに、体力勝負というだけでは如何ともし難い芸境が要求されるからでしょう。
 1時間以上の長丁場(今回は50分程度)を、一人の役者の「芸の力で魅せる」ことの難しさ。
 ベテランで味わいが出てくる年齢では、肉体的に衰えが出てきてしまう。両方を両立させる難しさを一番実感するのが、役者さんご本人でもあるでしょう。

 壱太郎丈が、この娘道成寺をどう掘り下げ充実した舞台を見せて下さるか。今後を楽しみにしたいと思います。

 舞台を疾走する右近丈の花子

 私は、昨年8月の「第7回 研の会」における、娘道成寺を拝見しています。『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛とお辰、『京鹿子娘道成寺』の花子を、一日に二度も上演するという奮闘ぶりで、どちらもよく演じておられ、舞台としても楽しく拝見しました。

 娘道成寺に関しては、能楽の道成寺が暗示する歴史的重要性の上に、さらに、歌舞伎における道成寺物のモデルとなっている人物の歴史的重要性や、初世富十郎の演じ続けた歴史的意味に関しての重要性。
 そうしたことが私の場合、まず念頭に浮かんできてしまう作品であるため、この作品に対する見方も、自然と厳しいものになってしまいます。

 歴史的意味での重要性に関して言及することは今回差し控えます。
 しかし、例えば、六世歌右衛門までは、その肉体芸としての継承の中で古典として伝承されるべき精神が確かに舞台に残っていた、と私は思っています。現在、その精神は東京の成駒屋の中に伝承されているかと思われます。ただ、それがその継承の上に芸の力で魅了してくださる舞台として拝見することが出来るようになるのは、まだ先のことかとも思われますが‥。

 実を言えば、私は六世の娘道成寺を舞台で見ることは出来ていません。
 七世尾上梅幸の娘道成寺も見ることは叶いませんでした。辛うじて69才のご高齢になって演じられた四世中村雀右衛門の舞台を拝見して、大変感動したのを覚えています。素晴らしい舞台でした。
 見ていないのに何故、六世歌右衛門の舞台には継承されているとわかるのかと言えば、他の大役をどういった性根で演じているかを見てきているので、この考えは確信に近いです。
 六世歌右衛門に関しては、別の機会に丁寧に論じたいと思います。

 右近丈の舞台に話を戻します。
 『娘道成寺』は作品そのものが大変魅力的で、古典作品を演じる実力がついてくれば、役者さん一人一人の個性によって、それなりに見応えのある作品になっていくことは確かな作品でもあると私は思います。
 例えば、本来は女形ではなく、少しぎこちないところもありましたが、十世坂東三津五郎の娘道成寺も大変面白く拝見したことを覚えています。
 ただ、今回の右近丈の歌舞伎座での當りによって、娘道成寺の古典舞踊としての重要な要素が、木っ端みじんに吹き飛ばされたような、そんな衝撃を受けたのもまた、事実です。

 右近丈自体、古典舞踊をよく勉強なさってはいることは伝わります。
 そして、ほどよい緊張感があり、迫力のある邦楽が、ひときは印象に残る面白さを与えてくれており、そういう意味では充実した舞台であったと言えるとも思います。
 外国人客が、拍をとりつつ身体をゆらして楽しんでいた、とのSNS情報も目にしました。
 今回の舞台の成功は、失礼な言い方ではありますが、右近丈の踊りというより、むしろ、現代感覚にもマッチした邦楽の面白さの勝利と言っても過言ではない、と思うくらいです。

 ただ、舞踊として鑑賞している以上、右近丈の踊りそのものが一番重要であることは間違いないでしょう。
 その舞台で一番印象に残ったことは‥
 歌舞伎座の広い舞台を疾駆する花子‥。
 正直に言えば、歌舞伎の古典舞踊を拝見しているというより、歌舞伎舞踊を使った「尾上右近ショー」を見せられているかのごとき舞台であったと、私には感じられました。

 ただ、先にも触れましたが、そのこと自体だけで私がこうまでショックを受けることにならなかったでしょう。
 一番の衝撃は、古典舞踊として、いい味わいを出していた『鶴亀』では眠りこけていた観客が、『娘道成寺』では居眠りをすることなく舞台に見入っていたことであり、高揚感のある満場の拍手がこの舞台に送られていたことでした。

 かつて、坂東玉三郎丈の娘道成寺が、歌舞伎座を席巻していた時分、その舞台を見たある方が、玉三郎丈に対して「古典の破壊者」と評したことをよく覚えています。
 当時、私自身、新派に出演している玉三郎丈に魅力を感じていても、古典を演じる玉三郎丈を認めることは出来ないでいました。当時から、すでに「歌勘三ばばぁ」な面は多分にあったのだと思います。

 でも、現在はどうでしょうか。
 好き嫌いは別として、玉三郎丈の存在なくして、古典の継承は不可能であると思われる程の存在感を発揮し続けていらっしゃいます。
 その舞台も、今なお進化を続けながら、古典作品の面白さを私たちに堪能させて下さっています。
 時代の流れの中で、失ったものもあるでしょう。しかし、玉三郎丈が、古典に新しい息吹を与え、新しい面白さを教えてくださっているのも、また紛れもない事実です。

 おそらく、前の時代の見巧者達によって認められない部分が、六世歌右衛門にもあったのだろうと、今はそう考えるようになっています。そして、六世歌右衛門なりの古典を、私たちの記憶に残してくださっているのだとも、思います。

 歌舞伎座で、生き生きと、そして臆することなく「尾上右近ショー」を見せ、観客を楽しませていた右近丈。これからの時代に、どんな「古典」の魅力を私たちに見せてくれるようになるのでしょうか。
 今後のご活躍に期待したいと思います。
                        2024.2.3

 


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