見出し画像

『猩々』を考える

<白梅の芝居よもやまばなし>

 十二月大歌舞伎 第三部を見て

 松羽目物の舞踊劇。
 能においては、五番目物。太鼓が入り速いテンポで演じられ、舞台も派手で絢爛豪華な雰囲気が特徴とされます。能の『猩々』は元は前場、後場で演じられていた物が1日の最後に祝言能として、前場を略した半能形式で演じられることが多く、現在は後場だけで一曲となっているということです。
 長唄の舞踊劇もこの後場だけを題材としています。

 舞踊では「酒売り」と固有の役名が付いていない人物は、能には珍しくワキが演じる人物に「高風」という役名がついています。猩々は能楽では『乱』という題名で上演されることが多く、シテが初めて演じる「披き」として重く扱われる演目のようです。通常は『道成寺』の前に披くことが多いとされます。

 ただ、私自身の少ない能楽鑑賞経験でいうのも憚られることではありますが、『乱』も『道成寺』も、本来何故ここまで重く扱われるのか、考えさせられる舞台に巡り逢ったことは、まだありません。辛うじて、演者が誰なのか知らないまま観た、映像に残る昭和の名優の『道成寺』に、この演目の本質を観たという思いはあるのですが‥

 今回、たまたま国立能楽堂で「演出の様々な形」として、11月に観世流の『乱(置壺・双之舞)』、12月に宝生流の『七人猩々』が上演され、それを拝見しました。その後、歌舞伎座の『猩々』を拝見。
 私は、観劇前に基本的に下調べをしません。まずその舞台から何を感じたかを大切にし、疑問に思ったことを後で調べたり考えたりする、ということを常としています。そして、そうやって多くの舞台から多くのことを学んできました。先入観を持たず舞台から教わる、というのが私の基本スタンスなのです。

 ただ残念ながら今回、この三つの舞台から、この作品に深く感銘を受けることも、作品を読んだだけではわからないことを学ぶことも、出来たとは言えません。
 あまり面白く観ることができなかったので、却ってなぜ面白くなかったのか。そんなことを今回強く考えさせられることとなりました。

 私自身の解釈として、この作品の本質は、真っ直ぐな心で日々のつとめに精を出し、回りの人との良い関係を築くこと(特に中国文化圏では「孝心」)の大切さ、そうした孝を尽くしてこそ幸せが舞い込むこということを言祝いでいるのでしょう。ただともすれば、人間関係にしばられ視野が狭くなりがちな真面目人間が、広い大海に出るような自由な心を持ち、遊び心をもつことの大切さも、同時に示しているように思われます。
 
 猩々が大海につながっていく水上に遊び、ほろ酔い気分で舞い踊る姿を「役者の芸」でどこまで見せるのか、そこが演者の見せ所なのではないか。
 その祝言性を思えば、四角四面、真面目一方になりがちな、能楽のシテ方が演じるより、一観客としての素人だから言えることとお許しをいただいた上で、私としては、狂言方によって福々しく笑いを誘うような、工夫された「足の芸」で観たいと思わせるような演目に思われます。

 武家の式学として江戸時代を生き抜いた芸能が、世の中の変化とともに変貌していく部分もあるのでしょうが‥
 能楽の短い詞章の中にも、この作品が日本の長い歴史を視野に置いた、深い歴史意識の上に書かれた作品であることは確かであると私は考えます。
 演者の「芸」こそが、この作品を古典たらしめる要素であることを強調した上で、詞章の暗示している部分に関して、気になったところを指摘しておきたいと思います。

 日本の古典芸能が暗示している歴史の裏側に関する私の基本的考え方は、「歌舞伎とは如何なる演劇か」で少し言及しているので、それを参照していただけたらとも、思います。

 ワキの役名を「高風」としているのは、この人物が、「高氏」であることを印象づけているように思います。高氏とは、高句麗(高麗)に関係した人でしょう。そしてこの人物は、唐土の「かね金山」の麓、揚子の里に住む人物であると具体的に設定されています。金山は江蘇省鎮江市の西北にある小さな山で、「白蛇伝」をの舞台になっている山のようです。

 高風は「潯陽の江」へ猩々を訪ねていくのですが、潯陽は江西省九江市の旧名で尋水が長江(揚子江)に合流するあたり。高風の住まいから四百キロメートル離れたところなのだそうです。国立能楽堂のパンフレットでは、潯陽では遠すぎるとのことで金山付近の揚子江との解釈をとっています。しかし、私はやはり、江西省の潯陽であると解釈すべきだと思います。
 なぜなら、日本の猩々は「海中」に住むからです。
 猩々を「海中」に住むとしているのは、日本だけなのだそうです。

 歌舞伎座のパンフレットの解説には、猩々を「水中」に住むとしていますが、謡にある通り「海中」でなければ意味が変わってしまいます。
 日本の猩々は、揚子江からさらに大洋につながる世界観の上に書かれていると私は考えます。
 この猩々は海中に棲む不老長寿の少年のような存在です。そして、謡が暗示しているのは、その海中は揚子江の河口からさらに先へ行ったところなのではないでしょうか。

  猩々は赤い総髪に赤い衣装。これは平家の「赤旗」、加羅につながるものだと私は考えます。また謡の詞章の中に「白菊の着せ錦を温めて‥」とあり、この白は、源氏の「白」、新羅につながるものだと思います。
 猩々は「芦の葉の笛を吹き、波の鼓どうと打ち」ながら舞いますが、「芦」は「芦原の中津国」である日本を暗示しているのであり、尽きることのない「万代までの竹の葉の酒‥」と表現される竹は、やはり日本を表すトーテムです。

 江戸時代の鎖国体制のなか、武家の式楽であった能、さらに明治を経て大戦にいたるまでの日本人の意識を、島国だけにとどめさせておかない思いが、この作品を重く見た理由であったのかもしれません。

 今回、踊りを得意とする尾上松緑丈、中村勘九郎丈の、若い双舞に感銘を受けるまでには至りませんでしたが‥。今後、どのように深め成長されていくのか、それを今後楽しみとして、見守っていきたいと思います。
                     2023.12.27                          

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?