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歌舞伎町大歌舞伎 『正札附根元草摺』『流星』『福叶神恋噺』

MILANO-Za<白梅の芝居見物記>

 歌舞伎町大歌舞伎への期待

 新宿歌舞伎町の「シアターミラノ座」において中村屋一門による大歌舞伎が上演される時代が訪れました。
 新宿歌舞伎町は、戦後、歌舞伎興行の出来る劇場の誘致を願って付けられた町名との由。戦後80年近い年月を経て実現したことになります。

 ネット社会、この<Note>でも「歌舞伎」と検索すると、「歌舞伎町」に関わるような記事や賭け事の記事など「歌舞伎」とは全く関係のない記事の方がところ狭しと羅列されます。ネット上では、歌舞伎役者に関わる記事などでは、歌舞伎とはおおよそ相容れない不適切な広告で覆われることがよくあり、私自身大変閉口してしまいます。
 健全な歌舞伎ファンを増やすにしても、外国人客を誘致する上でも、ネット社会では区別し難いのが現状なのかもしれませんが、歌舞伎をよく知らない人に歌舞伎を知っていただくには看過できない大きな問題であるようにさえ感じていました。

 そんな歌舞伎町に久々に訪れました。
 私が訪れた時間帯の関係もあるのか、ネット上で閉口しているような雰囲気の町を強く感じたというわけではありません。一昔前のこの町の雰囲気とも違っているように感じました。
 それは、世の中がコロナ後ということも大きいのかもしれません。
 丁度ゴールデンウィーク中であったこともあるのでしょうか。
 若者と外国人客でごった返しているこの町が、良きにつけ悪しきにつけエネルギーに満ちた人たちの集まりであれば、あそこまで違和感と戸惑いを感じることはなかったと思います。
 鬱々と不完全燃焼の中で日々を送っている人たちの巨大なカオスのカタマリのような、そんな町に私には感じられました。

 この町にあって、このシアターミラノ座だけが、悪い意味ではなく異次元の空間のように感じられました。
 この劇場が歌舞伎に適しているとはとても言えません。
 どちらかというと空間の大きさも含めストレートプレイに適しているつくりかと思います。
 客席も長時間の芝居見物を想定しているとはとても言えません。

 ただ、音響はとてもよくて邦楽がクリアによく聞こえました。
 客席のどこにいても役者さんの表情までよく見えるほどコンパクトで、むしろ文楽に非常に適しているような空間であるように思われました。
 ただ、ツケはいいのですが、歌舞伎としては所作板が金属音のように響くのが大変耳障りなことは大変残念なところではあります。

 こうした劇空間において、「歌舞伎町」と「歌舞伎」がともにいい意味で化学反応を起こして新しい文化の発信地となっていけるのか。
 手始めとして新宿で宣伝のためのお練りをし、ホストまがいのヴィジュアルで宣伝車を出して‥と、町に受け入れて頂く熱意とアイデアは買いたいと思います。
 ただ今後、しっかりした「ヴィジョン」を持っていなければ、いい舞台も生み出せないでしょうし、長続きもしていかないように私には思われます。
 続けていくことを目指しているのであれば、熱意と志をもって舞台を創造しいく姿勢を持ち続けて頂きたいと願わずにいられません。 

 正札附根元草摺

 初心者にとって、歌舞伎らしいといえばいかにも歌舞伎らしい荒事の舞踊からの幕開きです。
 中村虎之介丈は健闘していらっしゃるのですが、力むほどにまだ稽古が足りていないところが目立ってしまうようで残念な気がしました。荒事の基礎を身につけているとはいえないようです。その上、本来荒事だけで済ますことができない難しさがこの曲にはあるのでしょうから、荒々しいだけでは済まない舞踊だとも思います。

 この作品は、文化十一年(1814)正月江戸守田座で『双蝶々仮粧曽我』の劇中舞踊として初演されました。五郎は七代目市川團十郎。
 初演時に五郎を止めに出るのは立役の小林朝比奈ですが、今回のように朝比奈妹舞鶴が相手をつとめることが、近年では多いそうです。
 長唄の正本の詞章も曲輪の遊女の恋模様を描いて艶っぽいため、舞鶴が相手の方が元来しっくりいく作品のようにも思われます。
 「正札附」とは本物の男伊達の人物を表しているようです。
 現在の『助六』につながる人物のような踊りを想定していると言えるかもしれません。本来は単なる荒事舞踊ともいえない艶っぽさが求められる、粋な踊りなのだと思われます。
 
 中村鶴松丈の舞鶴は美しく、日頃の精進が生きた舞台であると感じられました。若い方が丁寧にしっかり踊られている舞踊は見ていてとても気持ちのよいものです。

 流星

 中村勘太郎丈の牽牛、中村長三郎丈の織女。
 勘太郎丈は動きが少ない分かえって難しい役柄であろう牽牛を、貴公子然とした雰囲気を醸し出すことに出来ていて、もうこうした役柄が出来るようになられたのかと驚きました。まだ、幼さを残す長三郎丈が相手であり、その分大変な部分もあるかと思いますが、しっかり合わせながらつとめていらっしゃいました。
 勘太郎丈も子役の域を出た女方の踊りを一生懸命つとめていらっしゃって稽古の成果がでているのではないでしょうか。また、お父様の踊りを真剣なまなざしで食い入るように見ていらっしゃるその姿、その集中力はを見ていて、頼もしさを感じる程でした。

 勘九郎丈の流星は若々しく品がありながら愛嬌があり、丁寧ながら軽快で味わいもある素晴らしい踊りでした。子の雷のかわいらしさの一方で婆雷の表情もよく、程よい劇場空間で面を取り替えるのではなく、また表情を作りすぎることもなく、程よい加減で5役を演じ分けられていて、大変楽しい踊りを堪能させて頂きました。  

 福叶神恋噺

 歌舞伎初心者にわかり易く楽しめる芝居です。
 一方、自然に新作落語を楽しむような感覚で芝居を楽しむことの出来る劇場空間ということもあり、歌舞伎を見慣れた方々もいつもと違った楽しみ方が出来るのではないでしょうか。
 中村座のような芝居小屋感覚とは又違うのだけれど、花道はないものの役者に手が届くような空間で、肩の凝らないほのぼのとした芝居もいいものだと思わせて頂きました。

 七之助丈がこれから虎之介丈をどう引っ張っていらっしゃるのか。
 大きくない劇場空間ながら音響がいいので、虎之介丈には台詞回しにもう少し工夫をしていただけたらと感じてしまいました。世話物の台詞を例えば『天守物語』のような台詞のように張った上に一本調子で通されても‥。
 丈の愛嬌だけで満足な観客もいらっしゃるでしょうが‥。踊りと同様に一生懸命やればやるほど足りない部分が気になってしまって‥。世話物的味わいが出てこないのが惜しいところです。
 百戦錬磨の中村一門のなかで、より一層の研鑽を期待いたします。

 こうした芝居は皆さん自身が楽しんでなさるのが一番かと思いますが、ドタバタ喜劇ではない、歌舞伎役者ならではの芸としての工夫に磨きをかけていかれることを期待して、終わりにしましょう。
                      2024.5.11

 


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