本好きがnoteを書き続け、初めて自分の書籍を出版するに到るまでのお話。
「うわ、なるほどなぁ」
わたしはパラパラとめくった紙の先に連なる文字を必死に目で追いながら、同時に脳内に走る電撃のような衝撃に打ちひしがれながらひとり興奮気味に思わず声を漏らした。横に置かれた仕事用のメモ帳に覚えておきたいことを走り書いては、またすぐに紙面に目線を戻す。机に置かれた熱いコーヒーを喉に流し込みながら、わたしはもっともっととせがむ様にページをめくり続けた。
本というモノに、わたしは首ったけでした。
やっぱり本はすごい。こんなにもわかりやすく、美しく、そして手ごろな値段で世界中の先人たちの経験や熱量を孕んだ英知を時代を超えて擬似体験できるのだからこんなにコスパの良い娯楽はなかなか類を見ないといまだに思います。
本というメディアに惚れ、そして人生にわたって何度も本に助けられてきたと言っても過言ではないわたしが、なんとこの度noteを通し初著書「あなたの24時間はどこへ消えるのか」をソフトバンククリエイティブより本日発売されることになりました。
いまだに信じられない気持ちが半分、冷めやらぬ興奮が半分。
ドキドキとハラハラが入り混じり、執筆をした2020年は正直生きた心地がしなかったけれど、人生死ぬまでにやりたいことの一つでもあった出版がこんなにも早く実現したことに本当に感無量の気持ちでしかありません。
しかし改めて本を書き終え、ふと思うことがありました。そもそもの「本作りの実態」を、意外にも自分があまりよく知らなかったということです。
実際にどうやって企画が生まれ、声がかかるのか。本のコンセプトや構成はどうやって決めるのか。どれくらいの量とペースで執筆やデザインを行い、リアルの書店に並ぶのか。ほぼ毎日何かしらの書籍を読んでいるというのに、その業態や構造には思いのほか無頓着でした。そして本を読んでいる人は周りにいても「書いたことのある人」はやはり珍しく、実際にネットで検索をしてみても具体的な情報はあまり出てこないのが実情でした。
わたしは初めての執筆を通し、文字通り初めてのことだらけでずっと興奮気味の時間を過ごしました。そして打ち合わせのたびに担当さんに本業界のことや知らない常識、気になる話を聞き続けるというなんとも変な著者だったと思います。そしてお恥ずかしながら、本格的な執筆期間は想像以上の過酷さにひとり何度も打ちひしがれたのも事実です。
だから今回、わたしの初めての本作りの過程の面白さや実際に感じた生々しい苦悩を赤裸々に、そして実験的にみなさんに公開してみることにしました。ネット化が叫ばれる中、改めて感じた本の面白さやそれに伴う苦悩、そして今回の初著書へ込めた想いをお話しできればと思います。
どうぞ、お付き合いください。
出版のきっかけ
出版までのきっかけや流れは出版社ごとに様々な経路があり、あくまでわたしの知る限りの代表的なものにはなりますが大まかに分け5つほどのパターンがあります。
①著名人の知名度を売りに、出版社が直接オファーする
②ネットやテレビで話題になったものを書籍化する
③作家自身が出版社へ持ち込みを行う
④公募などで賞をとる
⑤出版社の編集部が無名の著者を見つけ、企画を通して本にする
今回のわたしの場合でいうと、死ぬほどバズったわけでもなければ有名人でもなかったので、今回はnoteの支援プログラムに後押しされる形で間接的ではありますが⑤と②を足して二で割ったものに当たるのではないかと思います。
しかしこの出版不況時代に無名の著者を見つけて企画を通し、お金をかけて本を作りPRを打つというのはかなりハードルが高い。もし自分が逆の立場である出版社だと思うと、かなりリスキーなものだというのはお分かりいただけるかと思います。
そこで今回、やはり大きなポイントになったのはnoteのクリエイター支援プログラムです。これはnoteで話題のクリエイターを定期的に出版社をはじめとするパートナーへ紹介されることによって、今までにない形で出版が決まる面白いプログラムです。
わたしが偉そうに語る話でもないのですが、このプログラムは編集者が新しい著者を見つける「労力」と、出して話題になるかわからない「不確実性」を見事にカバーしている画期的なシステムだなと改めて思います。
noteという場所で「どんな話題が」「どんな層にウケるのか」が数字ベースで可視化され、ディレクターの方々がピックアップしたものを出版社や各パートナーへ紹介するこの方式は有象無象のインターネット上の情報から探し出すより遥かに高精度で有益なものになるのは明らかです。
このプログラムを見た当初、ちょっと嫌らしい話ですが「noteを書き続ければ自分にもチャンスがあるかもしれない」と微かな希望が脳裏に浮かびました。
わたしの出版戦略
実はこれは初めて公にする話なのですが、わたしはこっそりと「出版」を意識し戦略的にnoteを書いてきました。もちろん結果論な部分も多少はあるかと思いますが、内心はかなり意図的に「いつか本を書けるような発信をしよう」と方針を決め、noteを書いていました。
ポイントは以下の3つです。
①喋り言葉ではなく、正しい文章で書く
②1万字ぐらいの、骨太の内容を書き続ける
③本当に書きたいことを書く
まず「①喋り言葉ではなく、正しい文章で書く」ですが、そもそもネットに記事を書くとなると友人知人の目に止まることもあって気恥ずかしさがあります。
よってネットで文章を書くときの経験が薄い場合、最初は勇気と覚悟を出さないと一般的には非常にカジュアルに書きたくなる傾向があると私は思います。ものすごく砕けた話し方をしたり(笑)をふんだんにつけたり、とにかくふざけまくる。真面目じゃないですよ、ラフに書いてますよってポーズは反応がイマイチダメだったときの一種の保険になるからです。
でもいつか本にするなら、したいのなら常に本気の書き方をするべきだと思いました。もちろん本のテーマにもよるので所々では(笑)もつけるかもしれませんが、あまりふざけず本気の情報を発信し続ける訓練として私は頑なに「しっかりとした文章」を書き続けることに固執していました。
次に「②1万字ぐらいの、骨太の内容を書き続ける」に関してですが、編集に携わる方々が読んだときに「この人、本に向いているかも」と思ってもらえるイメージが湧くことが重要だと思っていました。
仮に何かでバズったとしても、それが140字のツイートひとつでは「これを本にしよう」というイメージには繋がりません。文量的にも、視聴者が求めている刹那生やインタラクション性がほぼほぼを占めるからです。
これは文章でも同様で、日記的な短文で箇条書きのようなものを書き続けるのもいいですが、いつか本を書きたいと思っているならあまり相性は良くないと思います。誰かの日記を見て「これを本にしよう」とは誰も想像しないからです。文量に関してはエッセイやコラムなど別ジャンルになると話は全く違うかもしれませんが、私はあくまで「実用書」を意識したものだったのでこのようにしっかりとした長文で「骨太な内容も書ける」ように日々を訓練しつついつかのアピールになればいいなと思っていました。
最後に「③本当に書きたいことを書く」ですが、1と2を叶えるには途方もない労力がかかります。今でこそ長文には慣れてきましたが、骨太で役立つ情報を体系立てて何本も考えそしてアウトプットするのは本当に骨が折れます。そのためにも「ウケそう」という気持ちを抑えて「書きたい、伝えたい」と腹の底から思えるテーマを自分の中で厳選して取り組んでいました。
流行りのキーワードや流入を狙ったテーマを書こうとしていたら、たぶん気持ちがポッキリ折れてこうは続かなかったと思います
そしてそういうニッチなテーマや個を立ててくれるnoteという場所だったからこそ、流行を追わなかったのにも関わらずたくさんの方々に読んでいただく機会が生まれ、モチベーションを保つ力になったのではないかと思います。
これらを数年単位で淡々と続けたのち、下記のnoteが出版社の方に紹介され出版社の現担当さんが気にかけてくださり、本当に出版のオファーをいただく形になりました。note経由でよりご連絡をいただいたとき、わたしは思わず家で一人ガッツポーズをしていました(笑)
ちなみにこれはあくまで私にとっての準備運動を伴う戦略であり、これが実際に効果をなして出版の機会に繋がったのかの確証はありません。もしかしたら私の妄想でしかなく、ただのおかと違いかもしれません。
でもどんなに小さなことでもいいから、自分の夢ややりたいことに近づくような実験はやはり楽しいし、面白さに溢れています。先へ続くイメージを大切にし、日々の中に取り入れていく工夫を自分の中で実感できたのは今後の大きな糧になると思っています。
さて、初めての打ち合わせ
そんな嬉しいオファーをもらったはいいものの、実は今回この本では「企画」が一番難航したと言っても過言ではないかもしれません。
noteからお声がけをいただき、初めてnote社のオフィスで打ち合わせをしたのが約1年前の2019年11月末。まだウィルス騒動も始まる前で、マスクもせずに打ち合わせをしたのが今思うと不思議な光景にすら思えてきます。
打ち合わせをするまでは「きっかけとなったnoteを書籍化するのかな」と思ったのですが、お話を聞いていくうちに書くキッカケになったエピソードや背後にある物語をインタビューのような形で根掘り葉掘り洗い出してもらいました。本当に公私ひっくるめて様々なお話をしたのですが、その結果各noteのテーマは違うもののわたしの中で強いポシリーのような軸が見えてきたのです。
当時わたしは何本かのnoteを書いていて、ありがたいことにかなり反響が強いnoteが数本続いている状況でした。わたし自身は個々のnoteを書いているときはまったく別物として思っていた内容を「面白い、全部つながってますね」と言っていただいた時、自分では気づけなかった新しい視点に驚かされたのをいまだに覚えています。
話し合いの結果、数本のnoteを一つの新しいテーマで軸を通しまとめあげるような形で企画し本にできないかという話にまとまったのですが、正直なところ「わかるようでわからない」とフワッとしたイメージで最初の打ち合わせを終えたのを覚えています。
長い長い、企画会議までの道のり
そして年が開けた2020年、あっという間にウィルス騒動で世間は大騒ぎになり、わたしも大急ぎでフルリモート勤務へ移行しバタバタとした日々が続きました。それは出版社側も同様だったそうで、実は丸々3ヶ月ほどお互いに音沙汰がない状況が続いていました。
「たぶん、企画流れちゃったのかなあ」
大喜びした年末も束の間、年明け早々にわたしは諦め半分でいました。声はかかるものの、やっぱり企画が通りませんでしたということは出版に限らずビジネスにおいて全く珍しくはありません。不安をかき消すように無駄に某掲示板なんかで情報を漁ったりして、似たような状況の人を見つけては「いい夢見させてもらったな・・・」と遠い目をしていました。
しかし3月後半、再度担当さんからメールが入りました。
内心ビクビクしながらメールを開きましたが、改めて一緒に企画を詰めていきたいとの旨を目にした時、心底ほっとしたのを覚えています。それからはリモートを中心とし、本格的に企画内容やコンセプト・構成を担当さんと2人3脚で練らせていただくことになりました。
本格始動とコンセプトの迷走
4月になり、外が春めいていく中でわたしは会社から独立をしました。
かなり時間を柔軟に使えるようにはなったものの、伝えたいことをまとめることが中々できず思うように企画が進みませんでした。何度もZOOMでの打ち合わせを行い、企画コンセプトを担当さんと一緒に書き直したり、目次の仮案を何度も何度も修正したりしていました。
特に一番悩んだのが「結局この本の軸はなんなのか」です。いわゆるコンセプトにもあたる部分なのですが、元々のnoteはそれぞれ別のコンセプトで書いており、主義主張もそれぞれ。それを横串で一本通して伝える「言葉」が中々見つからず、もっと絞った方がいいのではないか。でも絞り過ぎると既存の書籍と被るなど様々な課題を抱え、迷走していきました。
仕事の合間を縫って数ヶ月かけ、担当さんと一緒に目次を書き直して揉み続けました。改めて手元にある書籍を読み返してテーマの作り方を参考にしたり、本屋に出向いて近いジャンルの書籍に目を通したりと地道なインプットを続けました。
そして徐々に今の形である「知る」「減らす」「整える」という3ステップに落ち着き「自分の時間を取り戻す」コンセプトの本筋ができました。これが浮かんだ時、ものぐらい暗闇を抜けた先の頭の中で思わず電球がピコン!と光ったような気持ちになりました。
そして企画会議に通ったのが7月22日。
担当さんから通りました!との一報をもらった時に「本当に本になるんだ」という初めての安堵がここで生まれました。こうしてカレンダーで振り返ってみると当時は無我夢中で気づきませんでしたが、企画、構成、タイトルの方向などにかなりの時間を費やしていたことがわかります。
そして安心したのも束の間、ついに波乱の執筆が幕を開けました。
一冊という壁、進まない執筆
皆さんはこれまで、どれくらいの量の文章を書いたことがあるでしょうか。もしかするとブログや論文などで書き慣れている、という方もいるのではないでしょうか。
かく言うわたしもnoteで1万字をコンスタントに書き続けていたので、一冊の文量というものを少々甘く見ていた節がありました。元々書く行為自体は好きな方でしたし、いつも書いているnoteに換算すれば5本〜7本分。これなら全く問題ないとたかを括っていました。しかし、改めて執筆を始めてわたしは想定外の壁にぶち当たることになります。
それが「一冊で起承転結を作る」という難しさです。
言葉にすると当たり前なのですが、いざ書き始めてみるとこれが本当に難しい。わたしの今回の本は3章で構成されているのですが、まず章単位で見た時に「1章が導入」「2章で話を広げ」「3章でまとめる」という構成で本を書くことになりました。非常に一般的でオーソドックスな構成かと思います。
しかし読み手のことを考えながら執筆を進めていくと、実は各章の中でも小さな「起承転結」が整っている必要があることに気がつきました。
このように本は入れ子構造になっており、ミクロな視点で見るとまとめにあたる「結」なのだけれど、マクロな視点で見ると全体は「導入」の役割を担っている章になっているといった状態です。この大きな流れと小さな流れを一つの文章の中で両立させる感覚を掴むのに、最後の最後まで本当に苦労しました。
1章の中ではまとまっているのに、次の章とつなげてみるとバラバラで筋が全く通っていなかったり。1章と2章をつなげるために書き直したら今度は3章だけ置き去りになってしまったり。書いては消し、書いては消しを延々と繰り返して、おそらく出版された最終稿の3倍くらいの文章をボツにしました。
いつになったら、書き終えられるのだろう。
日に日にわたしの中の不安がむくむくと膨れ上がり、出版できる嬉しさを押しのけてなけなしの自信を失い、暗い気持ちの日々が続きました。
不眠症になるほどのプレッシャー
もたもたとそんなことを続けているうちに季節は10月になり、あっという間に締め切りが迫ってきました。担当さんに途中途中のものは見せつつの進行でしたが、もう頭の中は不安と焦燥感で埋め尽くされていました。
「お金を出して買ってもらうだけの内容を、本当に書き切れるのか」
毎日頭の中に思い浮かぶのはそればかり。そして執筆があるとはいえ、日頃の仕事も当然に存在しています。同時並行で隙間時間を見つけては執筆を進め、時には深夜遅くまで原稿を書き続けていました。しかし何度書いても納得いく構成にならないのに加え、締め切りは近づくばかり。そして日に日に自分が生み出した「納得のいくものを出さなくてはいけない」というプレッシャーが、知らぬ間にのしかかってきました。
そしてある日、急に食欲がなくなりました。
1日1食でも良いような気持ちで、それもちょっと野菜をつまめばお腹が満たされるような状態でした。最初は「まあ運動していないし、あまりカロリーがいらないのかもな」という軽い気持ちでいたのですが、それが続いたある日「それ」は突然やってきました。
人生で初めて、不眠症になったのです。
その日の晩もわたしは懸命に執筆を続けていて、深夜過ぎに「だめだ、一回寝よう」と頭を切り替えるために無理やり布団に入りました。わたしは元々寝つきは非常に良い方で、夜中に起きることもほとんどありません。しかしそんなわたしが布団に入って1時間が経ち、2時間が経ち、なんとついには明け方の5時頃になっても目はずっと冴えて眠れなかったのです。その数時間の間中、いろんな「不安」が頭と胃の中をグルグルと駆け巡っては一層不安な気持ちになっていました。
当然、次の日はあまり頭が回らず思うように執筆ができません。
相変わらず、食事も本当に進まない。これは流石にいけないと思い、眠れなかった翌日は締め切りを一回忘れようと自分に言い聞かせて休息に専念しようと思いました。無理やり食事をとり、早めにお風呂をすませ安静にと思い早めの就寝をするべく布団に入りました。
しかし、この日もうまく眠れません。
日中にうまく仮眠もできなかったので、これは完全に「まずい」と思いました。食べれない、寝れない。これは完全に鬱の症状の入り口です。診断こそ降りたことはないのですが、人生の中でも2、3回ほどメンタルクリニックに通ったことはあったので未経験ではあったものの「これは不眠症だ」と気づいてすぐに病院の予約を取りました。
不眠が続いた数日後、予約したクリニックで担当医の方に診断してもらい、軽鬱との判断で最も軽い精神安定剤、食欲推進剤、睡眠導入剤をセットで処方してもらいました。わたしは家族が重度の鬱を患っていたことがあったので薬などへの抵抗感はなく「これで寝れる」とホッとし、軽い足取りで帰宅したのを覚えています。
薬はよく効いて、その日は本当にぐっすり眠れました。
1ヶ月もかからずして症状はあっという間に回復し、波はあるものの執筆ペースもどんどん元に戻りました。担当さんには本当にご迷惑をおかけしたのですが、スケジュールも少し後ろ倒しできないかと調整をお願いして心の余裕も生まれました。
正直、適当に出そうと思えばたぶん出せたと思います。
そこそこの文量を担保して、それっぽいことを言って、いい感じに装丁をしてもらえればどうにか形にはなるはずです。でもわたし自身が本が好きで、何より本というものに助けられてきた人生だったからこそ、絶対に半端なものは出したくなかった。わたしの本をお金を出して手に取ってくれた方が、何か一つでも得るものがあって欲しい。明日からの行動が変わるようなそんな物語を届けたい。それだけは、どうしても譲れませんでした。
体調を取り戻したわたしは、最後のラストスパートを踏み出しました。
大きく書いて、小さく直す
最終的にわたしが一冊というバケモノを克服した方法はとてもシンプルですが、全体のオチだけを決めてから各章を仕上げ、最後に合体調整する方法でした。
最初に3章とあとがきの初稿を書き切り、オチを意識しながら2章と1章をそれぞれ完全に分断してまず書ききります。最終章である3章のイメージは頭の中にある状態で、各章の役割を意識しながらミクロな視点である章ごとの起承転結に意識をフォーカスして一気に書き上げました。
もちろんこのやり方だと各章に意識を没入させて書くため、書き切った後に通しで読むと「過剰」だったり「突拍子もない流れ」だったりする部分も出てきます。なのでここから繰り返し自分の3章分の文章を読み込んで「違和感」を感じる箇所をひたすら洗い出しました。全体が揃っているので、チグハグな部分や違和感を拾いやすいのです。
時には1章の内容を2章に引越しさせたり、章の中で話題にする順番を入れ替えたり、丸ごと抜けている箇所を見つけたらガッツリ追記したりとレゴのように組み換えて、直してはまた読む。という地道な作業を延々と繰り返しました。
本来は本というものは数日から数週かけて読むようなボリュームのものであるはずですが、いくら自分が書いた文章とはいえ一冊分の文量を1日の中で何周も読み返すのは本当に骨が折れました。しかし繰り返すたびに大きな流れと小さな流れが噛み合っていく感覚が積み重なっていき「いける」という確信に徐々に変わっていきました。
この工程を踏んだことにより、頭の中の不安が徐々に剥がれていき自分の中で書いたものへの自信が少しずつ生まれてきました。
一心不乱に描きまくった挿絵イラスト
「スワンさんのイラスト、本文に入れましょう!」
企画当初から担当さんがわたしのイラストを強く押してくれていました。やはり絵の力は強いそうで、企画会議でも印象が残るよう初期の段階からイラスト付きで資料掲載されていたそうです。本文を全て書き終えた11月後半から12月頭にかけ、担当さんに編集チェックをしていただいている間にわたしは本文や表紙に使うイラストも制作へ着手し始めました。
本の中に登場するイラストはイラストレーターに発注する場合もありますが、わたしはnoteでいつも描いているキャラクラー(通称:もち子)を使いたいと思っていたのでとても嬉しかったです。
しかし当初は「各章で2〜3枚ずつ、合計10種くらい」との話で進めていたのですが、執筆を終えてイラストを入れる箇所を探し始めると恐ろしいことに気づきました。思ったより、入れたい場所がたくさんあったのです。
わたしは結構しっかりめの文章を書くのが好きな反面、読みやすさを重視して真逆のゆるいイラストをたくさん盛り込んでnoteを仕上げるのがポリシーでした。イメージはやはり大事で、挿絵があることによってその情景が浮かび、文章もスルスルと頭に入っていく手助けになるからです。
それがやはり本書でも遺憾なく発揮されてしまい、結果的に入れたい箇所を洗い出したら想定していたより3倍近い枚数になってしまい思わず朦朧としました(笑)
しかし既に超えてきた本文の苦労に比べれば、大変ではあったもののイラスト自体は一つ一つできっちり完成イメージが湧くものだったのでそこまで不安はありませんでした。最後のラストスパートは缶詰になり、延々とイラストを書き続けました。
今回のイラストは普段も利用しているProcreateを利用してiPadで描いており、フォトショップ形式に書き出して納品を行いました。一昔前だったらペンタブでせっせとパソコンで書いていたかもしれないし、はたまた手書きをスキャンするなんてこともあったと思うので本当に良い時代になったなあと思います。
本書では本文の各所にイラストを散りばめたので、是非お気に入りの1枚を見つけてもらえると嬉しいです。
装丁デザインの美しさとプロの仕事
出版にあたり「表紙や本文は自分でデザインしたのですか?」と聞かれました。本職がデザイナーなので、イメージ的にはそう思う方も多いかもしれません。
しかし今回は装丁のプロであるtobufuneさんにご依頼させていただけることになりました。同じデザイン業界とはいえ装丁のデザインに関してはあまり詳しくなかったためお恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、作例を拝見すると「FACTFULNESS」「1兆ドルコーチ」「繊細さんの本」などどれも話題になり、そして自分自身が読んだことのあるものばかりで本当に驚きました。デザインを担当された方の名前は巻末に記載されていることを担当さんにも教えていただき、いいなと思って読んた本の後ろを確認するのが思わず癖になってしまいました。
恐縮ですがいくつかの候補が上がる中、最後は本当に直感でしたが「是非tobufuneさんにご依頼したい・・・!」と熱い気持ちを担当さんに伝え、そしてお忙しい中ご依頼を受けていただいたことによって表紙に加え本文まで丸ごとデザインをして頂きました。
実際、書くことに必死だったので自分だけで全てのデザインをすることはかなり厳しかったと思います。何より餅は餅屋というように、パッケージとして本屋に並んだ時のことや最近の売れるデザインの傾向を知り尽くしているプロにお願いして本当に良かったと思います。
ちなみに初稿から本当にドンズバなデザインを上げていただいたので、ほとんど修正や調整なしに最後まで本当にスムーズに進行しました。表紙のみは編集会議で何案か揉まれたそうですが、わたしが確認する時にはもう「これでお願いします」とハッキリ確信できるクオリティで本当に心の底から感動しました。
見せ方、切り口も自分ではきっと思いつかなかっただろうなと思いますし、一つのものを複数人で作り上げる面白さを実感し、デザインが上がってくるたびにドキドキとワクワクが止まりませんでした。わたしの趣味嗜好がバレているのか?と思ってしまうほどのシンクロを感じさせていただき、わたし自身が1デザイナーとしても勉強にさせていただく機会となりました。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げたいと思います。
地獄の校正チェック
さあ、最後の仕上げです。
12月の後半で誤字や脱字、そしてルビを確認しつつ、改行位置やその他抜け漏れはないか実際に印刷をしたもので3〜4回ほど校正チェックを行いました。出版社側にプロの校正担当の方がいるということも初めて知ったのですが、わたし、担当さん、校正担当さんでも見る視点や直したいポイントが違ってくるので複数人で目を通していきます。
なにせ、紙は誤字があったら直せません。いくらでも修正ができるIT業界にあまりに慣れてしまっていたわたしは、この「修正できない」という恐ろしさを改めて噛み締めました。そしてそれが初著書というのだからなおのこと。
それはそれは入念に、わたし自身も何度も赤入れを行いました。
毎晩デスクライトの下にA3用紙に見開きで印刷された原寸大の原稿の束とにらめっこし、じっくり何度も読み返しました。誤字脱字だけでなく「言い回し」など細やかな表現まで見直し尽くしました。面白いもので、読み直せば読み直すほど「もう少しこうしたい」「この単語の方がわかりやすいかも」とブラッシュアップしたい点が何度も見つかり、担当さんのアドバイスを交えて段階的に精査を行いました。
通しでさらっと流れをチェックする執筆段階とは違い、一言一句を確認しなければいけないので一冊分を通しで読むたびに数時間がかかりました。
企画、執筆、校正を通し、改めて一冊分の文量という途方もない物量の威力を噛み締める機会となりました。今回のわたしの本は200ページにいかないくらいの比較的カジュアルに読めるものでこれですから、人を殺せそうな厚みを持っている書籍の校閲はどんな世界なのだろうと妄想せずにはいられませんでした。
入稿完了、そして現物を手に取る感動
最後方はご褒美のような感覚で、色確認や表紙・本文の紙質をチェックさせていただいたり、分誌版で本文を確認したりとする中で「いよいよ完成するんだ・・・」というなんとも実感の湧かない、不思議な感情に包まれていました。
カバーの裏側まで丁寧に仕上げてくださり、担当さんからも「すごくいい感じになりましたね!」と二人で思わずはしゃいでしまったのを覚えています。実際に印刷される紙の質感も本当に好みドストレートで全く問題なく、あれよあれよという間に本入稿が進みました。
そして年末の最終入稿から年が明け、新年が明けついに現物が先んじて手元に届きました。袋を開ける瞬間は「おお...」と震える手で現物を手に取り、まじまじと中身を眺めました。自分の書いたものが、描いた絵と共に一つの本になっている。当たり前のことなのですが、この実感がようやく湧いたのがまさにこの瞬間でした。
そして本日、無事に各書店への配送され順次書店にも並んでいくかと思います。なんだかんだでAmazonが最も早いとのことで、この流通の仕組みがひっくり返った感じもなんとも不思議だなあと思いました。
出版への思いと、感謝を込めて。
打ち合わせから1年以上、執筆に約4〜5ヶ月。仕上げの期間を加えると途方もない時間をかけようやくこの一冊の本が皆さんの手元に届けることができました。
正直「出版を辞退しようか」と何度も思いました。怖くて怖くて「逃げ出したい」と泣いた日もありました。
まだ本を書くには早いのではないか、値しないんじゃないか。自分なんかが書いても誰も読んでくれないんじゃないか。1章で散々「自己肯定感を上げよう」という内容を書いている自分がめちゃくちゃに自己肯定感が下がっているという皮肉な事態に何度か陥りました。
しかし這いつくばるような執筆を経て、今のわたしの200%を出し切ったものを世にお披露目できることができました。ここまで書き続けられたのはやはり日頃noteを始めTwitterやYouTubeなど様々なメディアを通して書いたものへの「感想」をいただいたり、時間がうまく使えるようになったという「温かいメッセージ」をいただいたことに他なりません。
改めて、この場を借りて感謝の言葉を伝えたいです。
・・・
本書は著者であるわたし自身が苦悩し、同時にあらがい続けてきた「時間」の使い方と、その裏に潜む様々な罠を抜け出す方法をまとめた現代のサバイバル本です。これまでnoteで公開してきたいくつかの実験とそのノウハウをを改めて体系化し、より強力なものとして仕上げました。
そして本書は、noteという場所がなければきっと生まれてこなかった本です。わたし自身の恥ずかしい失敗や想いを吐き出せる場所だったからこそ共感が生まれ、出版という形につながりました。これを機に、より多くの人に手にとっていただければ幸いです。そしてみなさんの忙しくも実りある人生を、少しでも前へ進めるお役に立てば幸いです。
また詳細は追ってのご報告となりますが、出版記念イベントやオンライン登壇も2月に開催予定です。今回のお話も含め、皆さんに私の想いや本のことを伝える機会にできればいいなと思いますのでこちらもお楽しみに。
それではまた( 'ω')スワーン
▼Amazonで発売中(書店も都内を中心に順次)
▼Cakes連載中(本書を全文公開する形での連載をスタート、1話は無料で読めるのでぜひ気になる方はチェックしてみてください)
読んでいただいただけで十分なのですが、いただいたサポートでまた誰かのnoteをサポートしようと思います。 言葉にする楽しさ、気持ちよさがもっと広まりますように🙃