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「方丈の海」を観てきた。【感想】

タイトルの通り、せんだい演劇工房10-BOXで「方丈の海」を観てきた。
とても良い時間を過ごせたので、久しぶりに感じたことを書いてみようと思う。ネタバレばかりなのでこれからの上演を見る方はご留意いただきたい。

また、申し訳ないことに僕は作品をスルスル観てしまうという弱点があってはっきりとしたシーンの記憶を保てていない。だから「このシーンのこのセリフが良かった」とガッツリ抜き出して語ることができない。
これは観劇後の感想やアンケートを僕が書けない一番の理由で、台本を手に入れられないものや一度しか観てないものについてあまり感想を書かないようにしてきた。だから、今回は誤読やシーンの捏造がかなり多い感想になるかと思う。お許し願いたい。

ちなみに「方丈の海」は再演時の上演を観ている。が、如何せん随分と前なのでぼんやりと「面白い作品だったと思う」としか思い起こせない状態だったので、かなり新鮮な気持ちで観ることができた。


以下、思ったことをつらつらと。

・小節について
小節は家族の遺骨を探して被災地を渡り歩いている。死者を弔うということは生きている者が日常に戻るための儀式(だと私は捉えている)だが、彼は未だ家族の遺骨を手に入れられていない。つまり10年が経った現在も震災に区切りをつけられない人物として描かれている。
彼と震災の区切りをはっきりと意識させるシーンは2つあったように思う。
1つは襤褸から「(この地でも遺骨が見つからなかったら)死んでもいいんじゃないか」と言われるシーン。小節は襤褸に感謝する。死は間違いなく彼の巡礼を終わらせる区切りで、彼を苦行から解放する一つの道である為だ。
2つ目はカイコーから遺骨(本物ではないのだろうが)を渡されたシーン。この骨を家族のものと定義することで初めて彼は目的を遂げた(ということにした)ことになる。そこで初めて彼は故郷に帰る(震災に区切りをつける)という選択をすることが出来たのだろう。
のちに彼はカイコーに「(カイコーの故郷は)故郷への帰り道の途中だ。一緒に帰ろう」という旨の発言をする。彼の巡礼に区切をつけるきっかけをくれたカイコーへの感謝の念がこの言葉の中にあるのだろうか。

・悲しみを比較すること
麒麟とコロスが人形を操りながら繰り広げる「量より質だ」「9人も死んだ」のシーンは以前観た時に一番衝撃を受けたシーンだったと記憶している。今回も観ていてとても辛かった。
大切な人を失ってしまうことの悲しみについて考えた。せめて自分は誰よりも不幸であると語ることができないのならば耐えることもできない、そのような悲しさなのだろう。
けれど何より残酷なのは、悲しみの大きさは失った数で決まるのではなく、失ったという事実があるものは等しく悲しいということなのだと思う。

・カイコーと壽賀子
壽賀子はカイコーを震災の時に見た物乞いと同じもの(憐れみを誘い施しを受けようとするもの)として怒りと憎しみの対象として観ていた。おそらく壽賀子はそうした在り方を嫌い、自立した人間として生きることに努力を積み重ねてきたのだと思う。
悲しいのは、壽賀子もカイコーも同じ被災者であるという事だ。
「器の小さい差別者」となってしまった壽賀子と差別されたカイコーと。非被災者から被災者への差別だけでなく、被災者の間でも悲しみや生き方を比べてしまう営みがどうしようもなく悲しかった。カイコーから頬を張られた後、壽賀子は自分の在り方についてどのように考えるのだろうか。

・瓦礫を引き受けない人々
作中で「瓦礫を引き受けない」という言葉は「東北(被災地)を見捨てる」という文脈で描かれていた。私も当時そのことで怒りを感じていたことを覚えている。ただ、今回このシーンを観てハッとさせられたのは、私たちも「引き受けない」「見捨てる」側の立場になっているということだ。
この十年、処理場の建設問題は私たちの生活の中にも現れていた筈だ。それだけでなく、幼稚園や施設、基地などの様々なものを私たちは自分の生活の便益のために拒否してきている。恐怖や不利益を隣人にしてまで顔の見えない人々を救うことは出来ないというところが私たちの限界なのだろうか。
作中の話に戻る。津波は彼らを襲ったが、彼らを見捨てたのは人だった。
見捨てられた街、瓦礫、映画館、二束三文にもならない土地。彼らに善意から手を伸ばすものは未だに現れていない。
けれど、見捨てられた土地に住まう彼らはただ打ちひしがれるだけではないのだろう。土地の思い出を守り続け岡田家が映画館を続けるように、兄妹が進水式を行うように。歩みを続けることを止めないものたちが、明日のために生きている。
今回の上演でコロスたちは常に岡田家や小節に寄り添い見守り続けていた。そこには確かに優しさや希望のようなものがあったように思う。登場人物たちの、彼らの隣にいようとすることが私たちがしなければいけないせめてものことなのだろう。


以前上演を観た時私は身内の被害も殆どなかったこともあり、この作品について生半可なことを語ってはいけないように感じていた。私は被災地にいたとはいえ「安全圏に居た」人間だったことに罪悪感もあった。
その気持ちは今も勿論あるのだけれど、それでも今回は感想を語ることが出来る余地があったように思う。それは作品がより広い射程を持つものになったからなのか、私の気持ちや感覚が鈍化したからなのかはわからない。
何れにせよ私が感じていた壁のようなものについては、もう取り払うべきものなのかもしれないと思った。分かれないことがあることはどうしようもないけれど、それを負い目に距離を置くのは不誠実なように感じた。

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