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コミュニケーション摩擦の原因はコレだった。

夫に対しては痛みの記憶ばかりなので、
彼が共有スペースにいると、心臓がビクビクするのを抑える感覚を持ちます。
こんなことを言ったら申し訳ないけど、たまに彼が飲み会で家を空けるとき、朝から子どもたちとだけで過ごせる晩御飯を思って、安堵感でいっぱいになります。
コロナの時からずっと家にいる夫が家事をやってくれることはありがたい反面、つねに家にいるというストレスは正直小さくはありません。
でも、家は夫のものなので、不満を言う立場でないのも理解しています。でも言っちゃいます。noteだもの。
送られてくるLINEやメール差出人が夫だというのを見ただけで、動悸がはじまるし、そのまま過呼吸に突入することもしばしば。
「また何かおそろしいことが書かれている」、と身体が解釈しているのは「逆パブロフの犬状態」とでも。笑えない。
できれば、一切のコミュニケーションツールを断ちたいのですが、そうした場合に生じるさらなるリスクと天秤にかけると、そのままにしておく方が得策なので、ただ、内容を片目で確認したら、その場で内容とアイコンを削除しています。今のところできるのはそれくらい。

―って思っていましたが

こうやって見れば見るほど、私の中の「おそれ」の大きさが浮き彫りになります。
で、この「おそれ」っていうやつ、抱えた状態でどれだけ平気なフリをしようとしても、ダメなんですねー。

それが分かったのは、先日の事。
1泊2日で、とある山の奥に滞在することがありました。Googleマップにも出てこないような山深い場所です。
(目的は楽器つくりを教えてもらうこと)

私は、まとわりついていた「おそれ」の存在を実感しました。
あまりにも非日常的な山の中にいたことが促したのでしょう。数時間後、私の心から「おそれ」が風化して、消えたようになったのです。
「なんだ、生きてくのってへっちゃら。」
って思いました。

周囲の人たちがスピリチュアルで、安心できたのも大きかった。
出かけさせてくれた夫に対して、感謝の気持ちすらでてきました。

―その後、帰宅した私は、夫に対して「ふつう」でした。
夫が私に対して、モヤっとした感情を持っているのは見てわかりましたが、こわくありませんでした。

メンタルの置き場所が夫への執着ではなく、山の上にシフトしたからだと思います。
一時的にでも、大きな発見でした。

ところがその後、ふたたび私は夫に対しての「おそれ」を作り出してしまいました。
ただ、今回は対策をとるためのヒントが見えてきました。

できれば、離れて暮らすのが一番シンプルな回避方法。
でも、子どもたちとの関係とさらなる怒りを浴びるリスク、なによりお金の問題から私はそれを選びませんでした。
(選ぼうとしたことがありましたが、想定をだいぶ上回るツライ事態が生じ、二度とそんな思いはしたくないと強烈に思っているため。)

定期的に「おそれ」を風化させに行けばいいのだ、と気づきました。
そして、また感謝と共に暮らす。そして、また「おそれ」が湧いてきたら、風化させに行く。

「おそれ」を抱いたまま、何もなかったかのように生活を続けることはできませんでした。少なくとも私にはできなかった。

きっかけは必ず起こります。主にお金の問題。次に、私の言動に対する夫からの指摘と怒り。

結論として以下の3つをかなえたら、きっとバランスがとれた生活が整うと確信しています。

① 「おそれ」をまとったら、風化させにいく。
風化する場所は、山の上、自然の中、自分だけの場所。

② 「おそれ」をまとったら、スピリチュアルの動画を見る。(バシャールは効果的)

③ 自宅で「おそれ」をまとったら、イヤフォンをしてマインドフル音楽で心を埋める。

仕事として価値を生み出すアトリエを持つのだ。山の上に。
自分を癒し、人を癒し、お金の問題への手助けにもなる。

何も躊躇することはない。

アトリエを持つのだ。山の上に。


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