見出し画像

ずいぶんわかりやすい世界になったな

自分が負けることなんて、ないと思ってた。

それなりの苦労をしつつも、最後には大逆転して一番になるものだと思ってた。

自分という存在に対する自信があった。これまでのサッカー人生で、自分は”他人”とは少しだけ違った存在だったから。

でもその予想はあっけなく覆された。劇的にでもなく、何かのきっかけもなく、ただただひっそりと、私のサッカー人生は終わった。

最後に逆転劇は用意されていなかった。スタープレイヤーと、その他大勢。自分が”その他”側に入るなんて思わなかった。何かを成し遂げる存在だと思っていた。

あてもなく歩き回り、入ったこともないどこかのビル街に着いた。

22歳、立ち尽くしていた。


才能に陰りが見え始めたのは入団して一年目だった。当時のサッカーノートには、一年目で主力になり、二年目で絶対的エースに、三年目で国内強豪クラブに移籍することになっていた。ノートに書けば実現すると誰かが言っていたから。現実は、主力はおろか、紅白戦にすら出られない日々だった。

何がだめなのだろう。チーム最年少で、百戦錬磨のベテラン選手に混じって、社会というところに馴染めぬまま、でも懸命に努力している。

これまでの人生ストーリーだと、そろそろ報われるはずだった。みんなと同じ努力をしていれば、時間の経過によって誰かが手を差し伸べてくれていた。

努力を周りにアピールするなんてダサいこと、したくなかった。「努力なんてしてませんよ」って、笑って言いたかった。しだいに限界が近づいていた。

「おい、パス出せよ」

「なにやってんだよ」

「またお前か・・・」

「あいつには無理っしょ」

「もうやめてくれよ」

「やらなくていいよ、お前は」

「なんだこいつと一緒か」

辛辣な言葉が胸を突き刺す。毎日毎日。

あれ?自分ってサッカー得意だったよな。

今のプレーはどうやって選んだのだろう。

誰にプレーさせられているのか。

自分は一体、誰のためにプレーしている?

「持たなくていいから、出せよ!」

「軽いんだよ!」

「ディフェンス、お前だよ!」

考えることもできない。何が悪いのかもわからない。言われたとおりにやってるのに。ミスしないように、一生懸命なのに。

「もっと走って、囮になれよ」

「そこでボール受けろよ!」

「今のはパスだろ!」

「シュート打てよ!」

フィールドの状況を視るとか、そんな次元の話じゃなかった。誰から何を言われているのかわからない。誰かに何かを言われないためだけに、毎日練習していた。

オフになると、疲れ切ったかのようにサッカーを遮断した。地元の友達と電話、携帯ゲーム、インターネット。

頭にまとわりつく嫌な感情を、少しでも忘れるためにのめりこんだ。

毎日サッカーをしてるのに、休みの日はサッカーを忘れることに使った。

自分は一体、何のためにサッカーをしているのだろう?

体は慢性的に睡眠不足になっていた。夜寝ると練習が始まるのが怖かったから。

ある日、練習前のウォーミングアップで怪我をした。注意散漫になっていたのか、軽く走っていただけなのに。

監督は私を呼んで言った。

「お前、士気が下がるから抜けろ」

私は怪我をしたまま、何の反論をするわけでもなく練習を抜けた。

帰り道の車で、理由もわからず涙が止まらなかった。

なぜこんな思いをしなければならない。

なぜ、一生懸命やっているのに士気が下がると言われなければならない。

何がいけなくてこうなっているのかわからない。

悔しいでもなく、ただ情けなくて、悲しくて泣いたのは初めてだった。

それから、多少の浮き沈みはあったものの、大きく目立つような活躍もなく、同じような日々を過ごしてサッカーを辞めた。



「今のロール・クラスの基準に照らし合わせて、この項目とこの項目は十分できています。あとはここを改善すれば昇格基準に達しますね。引き続き頑張って下さい」

社会人になって何度か転職を繰り返した私は、半年に一度の評価面談を受けながら昔のことを思い出していた。

最初は恐ろしかった評価面談も、その場で首を言い渡されることはどうやらないことと、どこを改善すればよいか言ってくれることがわかり、すっかり慣れてしまった。数年前から、受けるフィードバックは心地よいものがほとんどになった。

こことここが足りないから、ここを改善すれば目標に達成しますね、か。

ずいぶんわかりやすい世界になったなーーー

自分の現在地を見つめ、理想とのギャップを把握し、その差を埋めていく。

わかっている。それが高い壁を登るのに着実で効果の高いやり方だ。

でもーーー。

本当に改善が必要な選手には、改善方法を考える気力がない。

本当に改善が必要な選手には、外野の声、正論は届かない。

本当に改善が必要な選手には、今の自分を受け入れる余裕がない。

全部自分が体験してきたことだ。

彼らには何と言葉をかけてあげればいいのだろう。理想と現実とのギャップを認識して、それを埋めていくなんてこと、心と身体が健康な奴にしかできやしない。

答えはわからない。でもこの10年間で、人が人の何かを変えられるなんていうのは、本当に傲慢な考えであることを知った。

誰かを変えることはできない。でも、気持ちを楽にしてあげられることはできる。

気持ちを楽にして、改善が必要であることに気づくだけの余裕を生み出してあげることはできる気がする。

大丈夫だ。そこまでサッカーでのし上がれたなら、この先何をやっても大丈夫だ。

あなたの家族も、恋人も、友人も、あなたがサッカーでうまくいかなかったからって、あなたの評価を下げることはしない。これは本当だ。

というより、あなたが自分にサッカー選手だからこそあると思っている価値は、他人にとってはどうでもよかったりする。信じられないかもしれないけど事実だ。

だからあなたは大丈夫だ。何をやっても。

サッカーを続けるのもいい。もちろん改善は必要だが、プロに一回でもなれたのなら、あなたの才能はきっとこの世界で通用する。

辞めるのだって構わない。この世にはあなたがまだ知らないような、ひょっとするとサッカーよりも情熱を傾けられるエキサイティングなものがいっぱいある。私は事実、そんな世界を10年間楽しみ続けてる。

だから大丈夫。安心して、一度落ち着いて自分を見てみよう。

誰のためにサッカーをするのか?

何のためにサッカーをするのか?

自分は今、何がしたいのかーーー?


それでいい。まだ答えはなくたって構わない。

当時の自分に言ったら、聞いてくれるかな。

評価されるということの意味を少し思い出し、選手時代には認識すらしていなかった都心の綺麗なビルから出て、少し遠回りして歩いて帰った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?