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よるのがっこう④

【夜学のジャン・ヴァルジャン(4)】



教員生活2年目の4月当初、初任者としてこの学校に赴任してきた去年と同様の生活スタイルであった。

まだ薄暗く、街が眠っているころ家を出発して、6時30分に学校へ到着する。

部活動の朝練習の準備を始めるためだ。

朝練習の途中、登校する生徒たちの服装と頭髪をチェックするために校門へ移動し、8時20分になると職員室で朝会がある。

そのままHR → 午前の授業 →(義務教育なら給食指導)→ 午後の授業 → 放課後の部活動or会議 → 残業(授業準備、分掌の仕事、クラスの仕事)の流れである。特に、僕の学校では生徒完全下校19:00となっているので、その後の残業だ。

教員の忙しさの本質はなんなのか?

僕は経験が浅いなりになりに考え、大きく2つあると感じていた。

それは、「仕事の手を広げすぎている」ことと「教員間での仕事量の偏り」である。

教員の仕事はとにかく多岐にわたる。

授業・生活指導・保護者対応・地域連携・部活動などあげればキリがない。

そして、これらの仕事が見直されたり減らされることはなく、国や県の決定によって新しい取り組みを毎年のように増やされ続けるのである。

また、教員間での仕事量の違いも大きな問題だ。

「絶対年齢主義的社会主義」の組織では、多くの働かない人員がいるため、組織の仕事が偏って分配される。その被害を受けるのは、歳を重ねても自分を律し修養と研鑽を積んだ、世界に誇れる少数のベテラン教員か、NOとは言えない若手か。

その歪みを少しでも緩和するための『教職員の人事評価システム』も形だけのものである。

より良い組織とするための残された道の1つは、「手当制」だろう。

多くの教員は、仕事をしてもしなくても給料が変わらないため、サボりたがる。ならば、変わるようにするまでだ。

担任手当、分掌の主任手当、部活動手当(平日・休日)、保護者対応手当、地域連携手当など教員が仕事をした分だけ給料に反映すれば良い。

手間や不都合もあるだろうが、教員の大多数がやる気になり、率先して仕事をこなすであろうことのメリットに鑑みれば採用の余地はある。
(現在この中に支給されている手当もあるが、額が少なすぎる)

なかなか決まらない担任や主任、部活動のメイン顧問が取り合いになるだろう。


僕が血走った目で職員室の天井を仰ぎながら教育界をダラダラ腐している間に、今日も魔法が解ける時間が訪れた。

僕は昨年同様、ボロ雑巾のように使い捨てられるただの若手教員だ。これに抗うことはできない。

僕はガラスの靴を履いてもいなければ、落としてもない。この状況から救いの手を差し伸べてくれる王子様は現れるわけもない。

昨年と何も変わらないなと目を閉じる。

ただ、よく考えてみたら昨年と変わったことが2つあった。

それは「この県全体の部活動の大会運営本部・会計」にさせられたことと、僕の後輩として「初任者が1名」この学校に配属になったことだ。

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