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レイたんを求めてカナダワーホリ ~レイカナ~ 23 ケベック編①

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まずケベックの事を触れたいと思う。

カナダは10の州と3の準州からなる国で、言語は英語とフランス語がある国である。
その中の一つの州が、ケベックがあるケベック州。
カナダの中で唯一フランス語を第一言語としている州で、何故ケベック州だけがフランス語なのかは過去のケベックの成り立ちに理由がある。

その昔、大航海時代。
当時のフランス国王からジャック・カルティエはある任命を受けた。

「東に黄金がある国があるという。黄金を探してまいれ」

そうして航海に出たカルティエは長い旅の果て、ある土地へと辿り着く。
それが、ここ。カナダのケベックだった。
カルティエは先住民とビーバーの毛皮を取引する。
当時のフランスではビーバーの尻尾が帽子の飾りに使われていた為、カルティエはそれを王の元へと持ち帰る。
そうして、当時重宝されていたビーバーの毛皮の原産地として、そしてその先の未開の地、カナダやアメリカの奥へとケベックシティを拠点に開拓が始まって行ったのである。

植民地として勢力を広げようとしていた各国の争いはここケベックも繰り広げられ、フランス領土だったケベックはイギリス軍に侵略される。
1759年、フランス軍はイギリス軍に敗れた。
例えイギリスの支配下になったとしても我ら祖国、フランスの誇りを忘れるな!フランスのプライド、自分たちの誇りを先祖代々引き継いできたのが、ここ、ケベックなのである。

話中にあった「黄金の国」どこだかすっかりもうご存知だろう。
そう、我らがジャパン。ジパングである。

もし、カルティエが別ルートで我がジパングを見つけていれば、今頃我らは珈琲片手にクロワッサンを食べ、「ボンジュール」と挨拶を交わしていたのかもしれないのだ。


なーんてことを、観光名所で随所随所にカナダの歴史を交えながら喋り、日本人向けの観光ガイドをする仕事をしたのが、ここケベックシティだった。


そして、そんなケベックに到着する前の話。

私はもうすっかり慣れ始めた飛行機の搭乗のために、バンクーバー空港でチケットと本人確認などの列に並んで待っていた。
人々が身分証明書を提示していく様を見ていて、気が付いた。

私はいつもの癖で、盗難に遭わないようにとパスポートをスーツケースの中に入れていたのだ。

一気に血の気が引いた。
今から飛行機乗りますって人が、外国の土地でパスポートをスーツケースの中に!?今、私のスーツケースは飛行機の荷物置き場に積み込まれ…え!??
滅茶苦茶焦った。
もう終わったかと思った。
そこで気付いた。
つい最近BCIDカードが手元に来た事を。
ブリティッシュコロンビア(BC)での身分証明のカードだったのに、使う前にBCを離れるってどういうこっちゃ、と笑っていたものだが、ここで役に立った。
ちゃんとバンクーバーで使う機会があったのだ。
作ってて良かったBCID。

その後、ケベックの空港に着いて自分のスーツケースを確保するまでは生きた心地がしなかった。


そしてケベックに到着してからは怒涛だった。
到着した日はもう夜になっていて、Iちゃん、Nちゃん、そしてRちゃん3人とシェアする家に向かった。
3人は快く迎え入れてくれ、私の荷物を見て少ない!と言い、格好も寒そう!!と言いながら、今後の私の生活に必要そうなものを買った方が良いとアドバイスをくれた。上着買わないと寒いよ!とか。
Iちゃんが夕ご飯にパスタを作ってくれていたのでそれを有難く頂戴した。
そして、翌日の朝ごはんがない事に気付いた。

翌日は帽子ガイドさん改め、ボスのツアーの見学をさせて貰い、そのまま午後はガイドツアー時に必要となるガイドさんらしい服や靴、バッグを買いにケベックのショッピングモールへと走った。
必要なものを買いつつ、翌日のご飯となるもの、今後必要になる珈琲などを買った。

トイレットペーパーやサランラップ等生活消耗品はIちゃん達は割り勘で出し合って皆で使っていた。
良い案だと思った。
私も前のシェアハウスでそれをすればよかった。

そうして色々買って、しらちゃんはここ使っていいよーと割り当てられた食料棚に置いていたらみんなに笑われた。

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「お店の商品棚みたいになんで飾ってるのww」と言われ、当時はそうか?と思っていたが、今見ると商品棚だった。

ドリップパックの珈琲や即席お味噌汁は前のシェアハウスを出る前にシェアメイトがくれたものだった。
色々置いていくから皆で好きに食べてねと言ったら、貰ってばかりじゃ悪いのでってくれたものだった。一切食品を持たずに来ていたから翌日の朝に飲むのにとても助かった。

ここでずっと紹介のタイミングを逃していたダララマというカナダのお店を紹介したい。

DOLLARAMA(ダララマ)。
日本でいうダイソーみたいなもので、大体$1で買える。が、もちろん$1以上するものもある。
$1でタイ米(?)が買えたり、ポテトチップスなどのお菓子やジュース、文房具や生活用品のタッパーなどが買えたりする。
上記写真の右下に写っているケチャップ味のポテトチップスが私は大好きだった。
ケチャップ味はカナダにしかなく、一度食べてハマってからは兎に角どこでも買いまくっていつでも食べていた。
ダララマは貧乏苦学生にはとても有難い存在でバンクーバーでお世話になっていた。


色々買い終えた夜。
自分の部屋の棚のレイアウトを変えようと動かした結果、私は来て早々にやらかした。
自分の膝上~腰下の大きさの小さい棚で、前日に部屋に棚がないと収納大変だよねって皆が運び入れてくれたものだったからだ。
自分一人でもやれるでしょ、と軽い気持ちで動かした。

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床に傷を作った。

来て1日にして、来るんじゃなかったと落ち込んだ。

私達のシェアハウス先はボスが現地の方と長い時間をかけて信頼関係を作った結果、とても良い家をボスを通して貸し出してくれていたからだ。

10階建ての上の方の階。
弁償くるかもしれない。その弁償分で私のお金全部吹っ飛ぶかもしれない。
そんな不安でいっぱいで恐々ボスに報告した。
もちろんボスは怒っていた。
来て早々にやらかしてくれたね、そんな事を言われた。

ボスには管理人さんに自分で報告しに行って、と言われた。
英語力も不安で、管理人さんと会ったこともない私は管理人室もどこだかわからなかった。
ちゃんと説明して謝れるだろうか。
不安でいたらIちゃんがついて来てくれた。

上記の写真を見せながら、傷を作ってしまった事、謝罪を伝えたら、画像をチラ見して「ああ、それぐらいならオーケーよ」と言ってそれだけで終わった。
本当にごめんなさい、ありがとう、と伝えてIちゃんと一緒に管理人室を後にした。

あの時は本当に絶望した。
大らかな方で良かった、と心から安堵した出来事だった。


なんとも出だしから不安な事をやらかした私だった。


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窓から見えた朝焼けがとても綺麗だった。

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