リジャヴ #1 「記憶に縛られるなんて退化だろ」

「授業はサボって大丈夫なんですか?杉本くん?」
「しらん。お前は?」
「保健の授業は勉強済みです」
「このスケベめ」
そう言って一個下でつるみ仲間の畝見と人の流れに逆行しながら高校を出た。

中華料理屋は長袖のシャツが恋しくなるほど冷房が効いていた。畝見の麺をすする音とテレビの音がピーク時を過ぎた店内に響く。
「ひどいことって本当だと思います?」
畝見の視線はテレビに向いていた。国際的な場で民族衣装を着た同年代と思われる女の子が祖母はひどいことをされたとスピーチしていた。
「さあ」
「もし本当だとしたら、それって彼女もひどいことをされたってことですよね?」
「そうだな。見たのかも」
畝見は次の言葉を探しているように見えた。脳でこのことを咀嚼しているのだろう。俺は畝見が再び話すまで麺をすすろうとした。そのときだった。テレビから速報を知らせる音が鳴った。

元一ノ光教団員 八戸被告 無期懲役の判決

体の力を奪う何かが血管を流れるのを感じた。箸を動かすこともできそうになかった。
「ずっと逃げてた人だ。15年間の逃亡劇を本で出したら売れそうですよね」
畝見はさっきとは違いこの速報を純粋に好奇心の対象として見ていた。「正確には16年間だ」などと訂正する気にはなれなかった。
「悪い。先に帰るわ」
「え、どうしたんですか」
問には答えずセットで付いてきた餃子を畝見の方に押して席を立った。
「弁当食ってラーメン食って、餃子2皿って俺を太らせたいんすか?杉本くん!」
畝見のこの発言は面白かったが、笑う余裕はなかった。いつもはなんてことのない鞄の重さに気付かされた。

家に帰りたくもなかった。高校に戻りたくもなかった。先程の速報の意味を考えたくもなかった。だが考えてしまう。

八戸被告の判決が決まったことで一ノ光に関する一連の刑事裁判が終結した。それまで先延ばしにされていた刑の執行がいつかは分からないがいよいよ始まる。

――俺は見たほうがいいのか?


教室では体育教師が人工妊娠中絶に関する質問を誰に当てるか悩んでいた。いつもなら畝見を指すのだが今日はサボっていた。

教室を見渡す。食後で眠そうにしている生徒。携帯をいじる生徒。当てられたくないから視線をずらす生徒。考える間も勿体ないので今日の日付と出席番号が同じ生徒を当てることにした。高沢律穂だった。先程までは携帯をいじっていたが今は自分から視線をずらすように畝見の席を見ていた。

「最新の人工妊娠中絶の件数はどうなっていますか。高沢さん」
高沢は慌ててグラフの載っている頁を探した。
「32000件です」
「20年前の件数は?」
「48000件です」
「どうして減った?」
「養子制度が改革されたからです」
「じゃあどうして養子制度の改革がされたんだ?」

「人には子であろうと誰にだって知られたくないことがあるからです」

高沢のこの発言にクラスの一部は察したかのような顔をした。彼女ももしかしたら見たことがある人間なのかもしれない、養子なのかもしれないと。だからこの分野は当てづらいんだ。生徒を当てるのをやめて、すべて自分で説明しようと決めた。

「そうだな。先生にだって知られたくないことはある。みんなが今まで教わったように今の人類は新しく進化を始めている。ヨーロッパでは第一次世界大戦の頃から、日本では第二次世界大戦の頃から受精をした際に親の記憶が子供へと引き継がれるような事例が頻発した。まだこのメカニズムは解明されてないが忌まわしき出来事の記憶を継承するようになったのではないかと考えられている。しかし、この記憶の継承もただ親から子へと記憶がそのままコピーされるようなものではなく、親の記憶が子供の脳の奥底で眠っていると考えるのが正しい。そしてその奥底で眠る記憶を引き起こすのは記憶の出来事の追体験だ。例えば親が誰かに叱られたことがあるとして、この場合、子供は誰かに叱られた際に親が叱られたときの記憶が呼び起こされるようなことが起きる。この現象を既視感のデジャヴをもじってリジャブとも言うが学術名称は先天性回憶になる。一般的に子供が男子だった場合は父親の記憶を、女子だった場合は母親の記憶を継承すると言われている。また稀だが祖父母の記憶を見ることケースもある。そしてこの先天性回憶を恐れて一時期は人工妊娠中絶の件数が大きく増えた。また育児放棄や虐待の件数も上昇した。これを受けて自分の子供を他者にあずけ、また自分も他者の子供を育てるという形の養子制度改革が行われた。この改革で今は人工妊娠中絶の件数は減少傾向にあるがそれでもまだ多い。だから君たちには妊娠を望むのか、望まないのかを考え、正しい避妊の知識や血縁のあり方を知ることが求められています」

高沢には悪いことをしたなと思いながらおおよそのことを説明した。次はグループワークだった。人工妊娠中絶と子供との付き合いについて話し合いをさせるために机の向きを変える指示をしようとした――

「すみません具合が悪いので保健室行ってきます」

高沢がそう言うと足早に教室を出た。バッグを持っていったから保健室ではなく帰るのだろう。だが止めることは出来なかった。私にも養子の娘がいる。最近、口を利かなくなってきた娘が。


畝見に見つかったら、どう説明しようかと思いながらクレーンゲームを見ていた。考えても答えはでなかったから、結局、畝見とのいつもの遊び場であるゲームセンターに足が向かってしまった。雑音が脳を上書きしていく、答えが出せないものはこのまま埋もれてしまえばいい。

「やっぱりここにいたんだ、杉本操」と後ろから聞こえた。

畝見の声ではなかった。雑音に邪魔されながらも女性の声だということはわかった。クレーンゲームのガラスにうちの制服が映っている。

振り返ると畝見のクラスでみたことのある女子がいた。

「なにか用?畝見はいないよ?」
「いや畝見がいなくて助かった」用については触れてこない。
「授業はどうしたんだよ」
「進化なんて体育教師がほざくから嫌になって出てきちゃった」そうか保健の授業......
「進化か。記憶に縛られるなんて退化だろ」
「わかる。でもあなたを縛っていたものから開放するものかもしれない」
「どういうことだよ」わかったような口ぶり、知らないやつに言われる「あなた」に思わず強く出てしまう。
「ニュースは見た?八戸被告の刑が確定した、あれ。」
「知ってるけど、なんだよ」このことを聞いてくるのは何故だ。
「あなたのお父さんの死刑が執行されるかもしれない」
「......」答えられない。探っているのか。
「杉本操、宗教団体にしてテロ組織だった一ノ光の教祖である禿野照耀の息子。そして私はその教団員の娘、高沢律穂」

雑音が聞こえなくなった。気がついたときには息が荒くなっていた。なんで知っているんだ。

「今から私とセックスしましょう。何か見ることができるかもしれない」


リジャブ#2につづく

新作ボードゲーム製作中です。応援よろしくおねがいします。