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物種インスタント

「どうにも困った。」

あれこれと締め切りが迫っているが、次の掲載に間に合う気がしない。そのようなことをうらぶれた路地に住まいを持つ、しがない物書きは頭垢の多く混じった頭を罅割れた爪で引っかきながら呟いた。
彼は数少ない言葉を手繰って、どうにかこうにか食いつなぐ程度の物書きだ。

崖っぷちであったために、日々言葉に飢えて、ズルズルとびっこを引きながら世の中に打ち捨てられた言葉を拾うのである。
とはいえ、世に転がる言葉など、同じ内容なものしかないというのも理。現世に思う鬱屈の欠片など、大抵は己の不運を悲劇の主人公のように喚き散らしたよだれ一滴にすぎない。

真理、心理に迫るには、どうにも偏見と凝り固まった誇りかな、うぬぼれに浸かった自尊心の成れの果てに過ぎず、さりとて捨てるには随分と哀れな子犬のような憐憫を誘う。
読者というのはこういった同情に弱い。
哀れみをかけられる自分に酔うのか、はたまた、施しを与えられると思える彼我の差に高ぶるのか。なんであれ、読者の心の糸を僅かでもピンと弾ければ何でも良いのだ。故に言葉が少なくても、言葉の切り貼りで凌げたりする。

そういったところで、毎日新たな言葉の欠片一つも見つからなければ、いかに幾多の場面を切り抜けた物書きといえど限界が現れる。びっこを引いて歩ける範囲などたかが知れており、且つ凝り固まっているのは物書きも同じで、新たに拾ったものを自在に操る柔軟さはとうに消えていた。

何度も何度も垢が擦れて落ちる顎をさすって物書きは使い古した思考の縁に座る。呼吸の往復を何度も繰り返して夕日がガタピシの壊れた窓から差して朱が部屋を染め始めた頃、聞き慣れた嗄声が近くから響いてきた。ここら一帯じゃ誰もが顔を顰めるような老博士の行軍の声である。

耄碌したようなひっちゃかめっちゃかな論をひけらかしては己を世紀の大科学者と言って憚らない老博士は、ガラクタを背負って誰彼に押し付けては驚きおののけと笑うのである。それが有益な発明ならいざしらず、押し付けられる如何ともし難いそれは、大体は災いとなるようなゴミだった。不運にもぶち当たったみじめ君の哀歌を「凡人は天才の考えがわからんのだ」なんて言葉で置き去りにする。老博士を慕うものなど誰もいない。
老博士の声が虚しく響く。誰かいないか、世紀の発明だ、試したいとは思わんのかこのすっとこどっこい、なんて知性があるのか分からない罵声を散らしながらどかどかと歩く音がする。そりゃ誰だって嵐が来たら家中締め切って閉じこもるに決まっている。物書きだって例外に漏れない。

しかし、ふと物書きは思った。逼迫した己を元に、哀れ気狂いの爺の手にかかりこの世の悲惨を嘆く言葉でも並べれば、どうにかこの場を凌げるかもしれない。いくらか痛い目を見るのは確かだが、立ち行かなくなり死にゆくよりは随分マシだ。思い立ったが吉日とばかりに、物書きは膝を叩いて穴だらけのジャケットを着ると、短い鉛筆とくしゃくしゃの裏紙数枚を懐に入れてどってこ駆けて件の老博士の元へと向かう。

「おい、博士、それ、俺がやろう。」

軽く息をきらした物書きの言葉に、振り向いた老博士が目を細めて言った。

「ほう、なんだかいかにもルンペン然としていて知性のへったくれもないような男だが、お前がやるのか。」

かちんとしないでもないが、老博士の言葉に踊ってかちかち踵を踏み鳴らしても腹の足しにはならないと飲み込んでひとつ物書きはうなずいた。

「ふぅむ。貴様がわたしの崇高なる発明を扱えるか非常に疑わしいところだが、遺憾なことにここらのアホンダラどもはせっかくわたしが来たというに、誰一人として現りゃせん。それに比べればまぁまだマシと言ったところか。」

尊大な老博士はたっぷりと蓄えた髭をさらりと撫でてぶつくさ言いながらも物書きが被験者になることに納得をした様子を見せた。

「それで一体何をすれば良いんだ。」

高飛車な物言いばかりで一向に稀代の発明とやらの説明がないことに物書きは焦れたように言う。

「まったく、いかに誉れある発明に触れたい気持ちはよく分かるが、そこらを走る子供の方が堪え性があるというものだ、嘆かわしい。だかしかし、その意欲は評価できる。貴様に試してほしい発明はこれだ。」

ようやく老博士は懐から仰々しく一つの薬液の入ったフラスコを取り出した。薄く濁った翡翠色の薬液が、物々しい気配を放っている。

「これは、いったい何なんだ?」

「聞いて驚け。これはな、インスタント成長剤だ。」

「つまりどういうものなんだ?」

「馬鹿め、詳しい内容を話した所で貴様ごときの人間じゃ理解できん。」

流石に物書きもムッとして、唸るようにこぼす。

「じゃあどうしろと。」

物書きの態度に沸点の低い老博士はできの悪い子供をこっぴどく叱るようにして怒鳴った。

「答えを急くなこのあんぽんたん!全く、これだから知性のない人間は嫌いなのだ。」

誰にも好かれないお前が何を言ってやがる、なんて心の内で渦巻く物書きだったが、ぐっとこらえて口の戸を閉めた。

「インスタント成長剤とはな、この急成長を求む世界に対応するために作り出した素晴らしき薬なのだ。つまりこれは本来時間のかかる成長を、あたかも三分で出来上がるインスタントヌードルが如くに短縮してしまう発明なのだ!」

大仰にフラスコを掲げて老博士は言う。物書きはなにか変なことを言ってまた怒鳴られるのを避けるために、とりあえず一言「すごいな。」とだけ褒めた。

「そうだろう!天才ゆえにこのような素晴らしい発明ができるのだ!マウス実験も済ませ正しく効果が現れたことを確認できた。あとは実際に世にあくせくと生きる人間に使わせて実証実験を行うのみということだ。」

老博士はずいとフラスコを差し出し物書きに握らせる。

「これは……かけるだけでいいのか?」

「ものの道理がわからんやつだな貴様は!」

物書きはしまったと思い肩をすくめた。

「まったく。私達人間を元に考えたらすぐわかるだろう!成長には何が必要だ、そうエネルギーだ!人が毎日バクバクと食べるのはなぜだと思っている?古くなったものを切り捨て新たに細胞を作り成長させるためだ。こんなことも知らないとは、実に嘆かわしい。」

「……そうか。」

「頷くだけか!?それで本当に理解したのか貴様は!」

額に血管を浮かべ、唾液を飛ばす老博士に物書きは辟易する。下手に聞けば馬鹿にされ、頷くにとどめたら怒鳴られるとなったらどうすればよいのか。

「理解力の欠如甚だしいな。わたしはインスタントヌードルという分かりやすい例もつけたというのに!つまりだ、この薬は対象の物体をインスタントヌードルのような状態にするのだ。マウスをインスタントヌードルとするならマウスに与える餌がお湯になる。成長に必要なだけの餌を与えると、それを吸収したマウスはあっという間にエネルギーを消化して成長するというわけだ!どうだわかったか?さっさとその薬をもって家に帰り忘れぬ内にメモにでも起こすんだな。わたしには別の研究がまだわんさかあるんだ、くだらないことに時間を使わせるな!」

老博士はそれだけ言うとぶりぶり憤りながら研究所へと帰っていった。あとにはぽつんと、身の丈以上のイラつきと疲労を抱えた物書きだけが残された。物書きは、ふぅと大きなため息を付くと、この出来事だけでも同情を誘えるのではないかと独りごちながら家路についた。

さて、と重たく感じるジャケットを引きずるように脱いで、もらったフラスコを適当に積まれた白紙の原稿用紙の束の上に置いた。フラスコ通して折れ曲がり色のついた光の筋が、物書きをケラケラと笑うようにして揺蕩っている。これをどのように使えば良いのかが当面の課題だ。うまくいくにしろ、いかないにしろ、用途を考え、結果を出し、それを言葉に変える必要がある。

物書きは埃っぽいソファーにドカリと座り込んで、疲れをごまかすかのように途中でとった安酒を呷る。流し込まれた疲れと安酒がグラグラと脳を揺さぶり、ガンガンと辺り構わず鐘をぶっ叩いたような痛みが押し寄せてきた。もはやため息も出ない最低な状態の中で、グルグルとインスタント成長剤なる薬の使いみちを考え続けた。とはいえ何に使えば良いというのか。マウス実験が済んでいると言っていたが、それだけ確認できたらもう十分ではないか、疲れるだけ疲れて結果を得られないかもしれないという可能性がちらつくたびに頭痛がひどくなる。仮に自分に使ったとして、成長に足るような食事ができる環境にない。そもそもお腹いっぱい食べられるような豊かさがあればあんな気狂いの相手なんてしなかった。

どうにも抜け出せない泥沼の中で徐々に沈み込んでいく思考の中に居続けるとだんだんと変な方向に考えが向いていく。そも成長して嬉しいものとはなんだ、金がひとりでに成長してぶくぶくと大金になってくれればこれに越したことはない。だがそもそも金は生き物じゃないからそんなことは無理だ。じゃあ食べ物?無理。どうやって食べ物にエネルギーを与えるっていうんだ、人間の自分より無理じゃないか。あれこれと家の中全てに薬を使って成長させられないかと考えるがどれも駄目、八方塞がりも良いところだった。いっそのことできないとはわかっていても、自分の仕事の助けにでもならないものかと考えた。勝手に言葉が成長して原稿がどんどん埋まり、あとは適当な長さて物書きがピリオドを打ち送付する。労無く金と評価を得る、そんな夢物語。

まったくもってバカバカしい、苦笑を一つ漏らし、全部投げ出して今日はねてしまおうと頭の中に転がった妄想を一掃したその瞬間、ふと夢物語も悪くないなと思い始めた。どうだ、原稿のエネルギーは言葉だ。自分が集めた言葉は少ないがある。これを元に成長をさせて、成長した原稿から言葉を抜き取ってまた栄養にする。際限なく言葉と言葉が増えて、がっぽがっぽ、今まで考えた妄想のなかでは一番バカみたいで面白い考えじゃないか。よくよく思い返すと老博士は対象の物体と言っていた。生物とは限定していない。そんな諧謔に満ちた試みが失敗したとて、それをもって老博士をこき下ろす言葉でも寄せ集めれば、まぁとりあえずは凌げる。ここまで来るともはや物書きを止める要素はなかった。

意気揚々とソファーから立ち上がると、原稿の上に置かれたフラスコの栓を引き抜く。小気味良い音と共に、中の薬液がサラリと揺れた。どれだけの量をかければ良いのかも分からない物書きは、疲れてぼやけた頭も相まって、どうにでもなれとフラスコの中身をすべて原稿用紙の束にぶちまけた。ぐしょぐしょになった原稿を乾かしてから餌になる言葉を書き入れてやろうと物書きは考えたが、インスタント成長剤なる薬液はまるで砂漠の太陽にでも照りつけられたかのように瞬く間に乾いて行き、原稿用紙は液体など知らぬ存ぜぬとばかりにサラっとした様子だった。

なるほど、いわくつきの老博士の発明とはいえ、発明は発明、自分には考えもつかない原料と精製方法で作られたのだろうと自分を納得させ、物書きは、適当な言葉をガリリと書き入れた。
しかし何も起こらぬ。なんの変化ももたらさない現状に、書き入れた言葉が紙に傷をつけるだけの無意味な時間に思えて心に咲いた興奮も刻まれた時間だけ枯れ落ちていくようだ。一つ嘆息してもう何も起こらないと思った物書きは、現実味のない妄想に何を舞い上がっていたんだかとかぶりをふって、気狂い老博士に絡まれた己の不運を書いて食いつなぐかと思考を切り替えた。

ずんぐりと重く感じる体にめまいを感じながら椅子に座る。やたらとギイと錆びた音を響かせながら歪む椅子を机に寄せて今しがた書き込んだ原稿用紙を覗き込んだ。
ふと違和感に気づいた。どうにも書き込んだ言葉の様相が違う。書き込んだ幾つかの言葉がやたらと汚い消しゴムでけしたかのように淡く薄く紙の上で広がっている。はて、と首を傾げる間に分解されていくように紙の上から薄くなり消えていった。そしてその現象は他の言葉にも伝播していった。これは尋常ではないと思い、太い指で目をこすって確認してみる。けれども目の前の出来事は決して幻ではなかった。書かれた言葉が最後にはすっかり消えてしまい、真っ白な原稿用紙になってしまった。だがそれ以上の変化がない。すぐに物書きは餌が足りないのではと思った。確かに自分が書き込んだのは幾許かの言葉でしかない。成長をまたたく間の短さにするにはそれだけエネルギーが必要なのかもしれない。必死に物書きは頭に浮かぶ言葉の数々を書き込んだ。書き込まれていく言葉は書かれた端から徐々に分解されて食われていく。量が増えていけば行くほど、徐々にその消化ペースも上がっていく。

段々と書くスピードに追いつき始めた原稿用紙の消化に額に汗を滲ませた物書きは、やにわに立ち上がり、自分が書いた原稿が採用された雑誌やら新聞紙の束やらを持ってきて、今の貪欲に言葉を貪る原稿用紙の上に置いた。

「そら、それだって言葉だ、餌だろう!食っちまえ!」

物書きの言葉が通じたかは定かではないが、置かれた束が徐々にその嵩を低くしていった。
改めて椅子に座った物書きの目の前で飲み込まれていく様子を眺める。なんだか自分の言葉も含め様々な言葉が本来書き上げて積み上げていくはずの原稿用紙の中に溶けていく様を見ていると痛快な気分になった。

今すぐにでも食べられていく言葉の束を押しのけて、原稿用紙にどのような変化があったか確認したい気持ちでいっぱいだったが、下手に水を差してどうにかなるはずの成長を邪魔したくなかった物書きはぐっとこらえて一息つく。落ち着くために目をつむる。次第にこの状態で幾らか待っていれば、インスタントヌードルよろしく何かが出来上がるわけだ。安酒をあおった疲れも相まって、いざ落ち着いてしまえば、瞼も重くなってくる。目を醒ましたときにでも、あっと驚くような光景が見られることを期待して、静かに寝息を立て始めた。

幾程時が経ったか、深くに落ちた意識も、光指す浅瀬に浮上して、嫌なほどに冴えた頭で物書きは目を覚ました。そこには時を忘れるほど、と言うにインパクトはなかったが、果たして、そこには十分成果とゆうべき気色があった。随分と原稿用紙の束が分厚く、高くなっている。さて、どういうわけで言葉を噛み砕いて飲み下し、どういうわけで最初積んだ高さよりも堆くなるのか、それはあの老博士にしかわからないだろう。しかし、目の前に結果があれば、過程はすっ飛ばしても、問題はない。

興奮に火照る体を抑えて立ち上がり、随分と成長した原稿用紙の束を眺める。どうやら表面にはずらずらと文字が並んでいるようだ。
熟れた果実をもぐような心持ちで、適当な厚さの原稿用紙を手にとった。ふと、たとえ摩訶不思議に言葉を吸収し原稿ができたとしても、無秩序な言葉の羅列にしかならないのではという懸念が浮かぶ。だが、どうやら、目の前の現実は都合よくできているようだ。端から端に言葉の上を視線が滑っていく。徐々に頬が上向きに引きつって行く感触がする。未だ嘗てない経験が胸中に渦巻いて、今にも物書きは叫びたい気持ちでいっぱいだった。

数多にあった言葉は余すことなく消化され、目の前に並ぶサシの入った言葉に成長した。
味わいのある文章はズラリズラリと横繋ぎではあるが、映画のフィルムのように切って貼ってを行えば、いかようにもできる素晴らしい素材だ。
こんなに清々しい気持ちはあるだろうか。まさか自分が思いつきで関わりに行った気狂い老博士のおかげで、溢れんばかりの食い種にありつけるとは、幸運とはまさにこれだとばかりに熱く燃える肺の空気を吐き出した。
成長した原稿は上々、与えられる餌はもうない。成長は続くかもしれないが、これ以上ブクブクと膨れ上がることはないだろう。

家に残っている一等良い酒を飲んで、ぐっすりと寝る。そして日の差す中、大物作家のような余裕綽々な態度で原稿をまとめる。ほんのちょっとの労力でどこへかしこへ原稿を売りさばき、今日のんだ酒よりも芳醇で素晴らしい酒をかっくらう。

頭の中でこねくり回す豊かな想像で、気分がうなぎのぼりに上がっていく。自分がまるで上等な人間になったかのように感じて、ふと部屋の中が随分と空気がこもっているように思えた。追加の酒で少しばかりふらつく足取りで、立て付けの悪い窓を力いっぱい開いて空気を入れた。膨れた自尊心でいっぱいになっていた自室の世界がぐんと広がって、ひやりとした空気が気持ち良い。酒を片手に柄にもなく、乾杯と口に出して一気に飲み込む。喉を撫でて広がるアルコールに一瞬体がギュッと力み、そして抜けていく。その脱力感に身を任せて、ドサリ、ソファーに体を落とした。

物書きは泳ぐ。長きに続く夢の浜辺、彷徨う波に言葉が揺らぐ。繋がれ解く語群の回廊、全ては愉快痛快、羽ばたく鷲の風切羽の如くだ。冒険の果てには必ず絢爛な未来が訪れた。

幾度の航海を夢の中で続けていく内に、更けた時間もぐるりと反転する。あの老博士の所為で閑散としていた通りも火が灯って、うらぶれた群衆が口々に交わす下卑な声で賑わいだしている。変わらぬ始まりが耳をくすぐるのを物書きは感じた。覚める意識に体を動かそうすると、ふと何か重たいものがまとわりついて身動きが取れない事に気がつく。

唐突に訪れる、何かが大きく崩れる音に、寝ぼけた意識が飛び起きた。しかし身動きは依然として取れぬまま。何事かと霞む目をなんとか凝らしてかろうじて動く首を回してあたりを見た。雪崩の起きた薄茶けた山がそこら一面を覆い、物書き自身もその中に沈もうとしていた。理解よりも先に生物的本能が警笛を鳴らす。とにかく抜け出さなければ、何が己をこのような状況にするのかを探らねば、でなければ何か途轍もなく恐ろしいことが。そんな逸る気持ちだけが虚しく動き回る。
額に大粒の汗が滴り、気持ち悪いほど存在を主張しながら下へ下へ流れ落ちた。そして、その汗が落ち、染み込んだ己を包むそれの存在をしっかりと物書きは認識した。
それは原稿だ。昨日、物書きを有頂天にまで登らせた輝きだった。

(だが何故?何故こんなにも原稿が溢れる?俺は餌の言葉を与えるのをやめた筈だ。与えられる物がなければ成長なんてしないはずだろ!そもそも普通は成長し続けたらどっかで死ぬだろ!あの気狂い博士だって実際マウスの実験は上手く言ったって言ってたじゃないか!)

悲鳴に近い思考がぐるぐると頭の中で巡って物書きを苛む。

(嘘だろ?何が物の道理がわからんだ!生き物じゃねぇからいくらでも成長するとかそれこそ道理が通らないじゃねぇか!)

思い至る理由に叫びたくなる物書き、いや、何も口を遮るものはない。物書きは叫んでいる筈だった。頭の中の思考がボロボロと口に押し寄せすべて言葉にしている。だのに物書きは一向に思考の内から抜け出せずにいる。さらには、本来はもっと聞こえてくるはずの街路の喧騒が、さっきから嫌に囁くような程度にしか耳に届かない。

(あゝ、冗談だって誰か言ってくれよ……。ずっと、食べてるのか……。ずっと人の吐き捨てた言葉を。)

いよいよ原稿の山は物書きを覆い尽くそうと堆くその手を伸ばしている。その手に掴まれ沈んだ先は、己を表す全てを噛み砕いて飲み干されてしまう、そんな破滅的な未来が脳裏をかすめた瞬間、見計らったかのように原稿の山は物書きへと襲いかかった。

迫る非現実に、歪み切るほど顰めた顔で物書きは口を動かし、つばを吐いた。それは、寸分違わず、いつもは彼自身が飯の種にしていたはずの、惨めな言葉の端書きだった。

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