最近一寸気持ちが悪いのです……


水、水、水。水について漠然と考え始めて(今回書こうと思っていたテーマが「水」ですからね)、一分、二分、三分、………、何分?いけない、途中で別の何かを書こうかと考えちゃって何分考えてたか分からなくなってしまいました。しまったなぁ。こんなことならストップウォッチを使えばよかったですね。カチッ、ピッピッピ、一秒二秒三秒………………千四百五十二秒…………………、あ、所で何で水ってこんなにも身の回りにはびこっているのか考えた事ありませんか?あちらこちらにありますよねぇ、蛇口を捻れば出るし、夏の間は身体のあちこちからドロドロ、、、空気中にもあるし、そうそう、最近テレビの番組で知ったのですが、ヴァーチャル・ウォーターというものがあるそうですね(知って直ぐの知識って直ぐに見せびらかしたくなりません?)、眼に見えない所で使われている水の事だそうです。食べ物なら作物に使った水、牛のとか生き物のために使った水、その他工場製品に使った水とか、とか、溢れかえっているんですよ、水って。せっかく水に考えられる良い機会ですからこれはもう、水について考えるしかないですよね(実は嘘なんです。いやぁ、どうにもこの最近、体調も振るわなければどんな事もね、なんとも言えない状況でして(笑))、でも水ってすっごいたくさんありますけど、なんだか考えてみるとすッごく面倒なものでもあるような気がするんですよねぇ、当たり前のことなのかな?生き物ってさ、多量の水が無いと生きていけないわけでしょう?しかも水がなさすぎてもありすぎてもストレス溜まるじゃないですか、無い時はカラカラで肌がカサカサになりますし、ありすぎる時はベットベトで思考が鈍るし、シャツが肌にくっついている時の不快感と言ったらないですよね!寝ている時もムシムシムシムシ……嫌になっちゃうなぁ(書いている今が夏なんです。だからカラカラよりもムシムシの方に鬱憤がたまっているのですよ)。けど、こんなことを愚痴った所で、季節だから仕方ない、そんなこと言われちゃったら終わりなんですよね。あゝ、辛い辛い。

そうそう、僕、近頃SIAという女性シンガーにはまっていまして、今回は、彼女の歌の、「Chandelier」を題材に書こうと思っていたんですよ(今も正に曲を聞きながら書いています)。でも駄目でした。私、お酒に溺れたことも、薬に溺れたこともありませんからね、どうにもこうにも、アイディアというものが浮かんでこない。立って、パソコンの周り(私はPCで作品を書く派なのです)を歩いて考えてみたり。気まぐれに包丁を砥いでみたり。実際に水を飲んで感触を確かめたり。そうだ、お風呂に入ったりもしました(汗が流れると気持ちが良いですね!)。何分経験がありませんから、どうにもアイディアが浮かんだとしてもしっくりこない。酒と薬に溺れた太宰治さんの作品、「人間失格」を真似してみようかとも思ったのですが、もう一度「人間失格」を読みなおすのは面倒なので断念することにしました。僕、最近スランプ気味でして、あまり物語を書けないんですよ、恥ずかしながら。ですが、いや、最初の方だけは少しだけ考えたんです。お酒と水のお話(流石に薬は身近にないので書けませんでした)。しかしながら私、一寸だけは書いたりしたんですよ(えっへん)。若いとみんな誰しも、少しばかしのお酒へのあこがれってあるとおもうんです。例えばこんな感じに。

ーー何処にあるのか分かりません。ですがあります。何処かに。そこは何時も、レコードによって傷がついた音楽が流れます。

私、最初の最初、この文を書く時、本当はもっと違う文だったんです。例えば、何処へとも知らぬ、だとか、裏寂れた路地、薄暗い灰色に包まれたその先へ、何だか生暖かい空気と薄ら寒い空気が混じり合わずに漂っているそういった場所、とか、まぁこんなことを書いていたんですが、なかなかどうして、思い浮かんだ言葉がカチリと、僕の中で当てはまらない。困った。悩んでる。どうしたらいい?辞書に良い一文とか載ってたりシないかしらん。

ーー小粋なバラードが流れるその場では、誰もが沈黙を守っていた。ここは声を発するための場ではないことを、彼等は骨の髄に感じていた。それは言わば、運命づけられているかのようでもあった。彼等はグラスに入った酒を、種類問わず、ゆっくりと喉の奥へと下していった。熱くなる。焚き火にくべられた薪のように柔らかくぱちぱちと音を立てているように、ほてった身体に傷だらけの音楽がよく染みこむ。染みこむ、皮膚の先から。

「貴方、こんな静かな所、楽しいですか?」

カウンターで酒を飲む二人組の一人がそう言った。この店は、別に運命に逆らっても良いのだ。

「君、無粋だよ、それは。」

「そうかしら、でも、僕はどうにも慣れないな。お酒も、慣れないな。」

「君、慣れない酒はやめなさい、お酒が、いつの間にか君の身体をのっとっちゃうんだから。」

「あら、そうなの?そいつはいけないね、叱ってやらなきゃいけないよ。」

「君、もうよっぱらってるんじゃない?」

「そうかな。」

「そうよ。」

「あ、そ。」

私、ふと思うことがあるんです。皆が口々に語る小説って、実は、直ぐそこにあるんじゃないかって。例えば、常日頃の会話、言葉、表情、自分自身の行う全ての行動。だってそうじゃありませんか。言葉の中に意味があって、それを汲み取る相手がいて、それでいて何時も同じような言葉を使ったり、変えてみたり、色んな工夫をしたり、あえて使うのを控えたり、もしかしたら小説でなく詩でしょうか?どちらも同じようなものなのかもしれませんが。

ーー若い男は老年の男に尋ねる、何故、酒を飲むのか、老年の男、答える、それは命を燃やすためさ、若い男はグビリとグラスを傾ける、だったら僕も、燃やしているというのか、老年の男は店のマスターにおかわりを頼む、違うよ、君は今命をお酒の中に浸らせているのさ、若い男はわけが分からなくなって中身の無いグラスをくるくる手で回して反射をみる、それの何が違うというのか、老年の男は酒を飲む、マスターにおかわりを頼む、君はこちらへくるんじゃないよ、来たって仕方なのない世界さ、酒しか無いんだよ、命を酒にくべちゃったやつの末路ってのは、老年の男はおかわりをする、それっていうのは詰まり、どういうことだ、若い男はオレンジジュースを頼んだ、グラスに、黄色い液体が満たされる、詰まり、それは君の世界が酒しか残らない時のことを言うのさ、他の何者にも興味がなくなった時、お酒に命をくべるんだ、若い男、ならあんたは他に興味のあること、老年の男、ないよ、男、ふぅん、男、色々やっとけ、その後から来るのも遅くない、おとこ、来ない方がいいのかな、おとこ、多分ね。

何時だったか、私の知り合いの一人が私に「作品に命を吹き込むのは書き手だものね。」と言いました。私は「いいや、違うね。」と答えました。だって、別に私、作品を書く時に、命を吹き込んだりしていないですもの。ニヤニヤ笑いながら書いたり、無表情で書いたりしていました。だから私、作品に命なんて感じたこと、ないんです。命を感じるのは、読み手が勝手に吹きこむからですよ。自分が考えたい事悩みたいこと、自分の好みってのがあって、それを読みたいってこと、そんなこんなが読者を作品に命を吹き込ませようと促すんです。

何故読むんでしょう、馬鹿みたいに(笑)。何故書くんでしょう、馬鹿みたいに(笑)。

所で皆さん、胸がムカムカとすることありません?私、今頭痛がするんですよ。体の節々が痛む。目はちかちかする。何だかだるおも~って感じ。ねぇ、誰か、水をいっぱい、いただけないですか、ちょっと、気持ち悪い、一杯で、いいんです、そう、水、水を・あゝ、吐きそうだ。

吐き出したものが言葉だったなら、そのムカつくどてっ腹を蹴飛ばしてやって、おどけたように笑った後に、空きっ腹に一杯、酒でも飲もうかな。

(嘔吐の音)

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