言葉

        

ピコン、寂れた部屋の中に音が響く。小さな部屋の中に、音が響く。そいつの周りには本が山積みになっている。著者は沢山、夏目漱石、森鴎外、太宰治、梶井基次郎、種類も豊富に小説、エッセイ、雑誌、資料、中には印刷したものも、ウィキペディア、個人ブログ、山積みになっている。ピコン、また音がした。かまってちゃんが音を鳴らす。物書きは構わず指を動かしていく。安物の椅子がギシギシ音をたてる。頭のなかには、ベットの上で、男女仲良く音を奏でているイメージ。自分の物が、ちょいとばかし上向きになる。構わない。指を動かす。暗い部屋で、ただひとつ明るいそれに、かたかたと小刻みになる音と一緒に、白い画面に黒い文字がずらりと並ぶ。並んでいく。時たま近くにある辞書に手をかける。一枚、資料の紙がひらりと落ちる。イラツキに舌打ちした物書きは、溜息と一緒に身を屈めて地面に落ちた紙を拾い上げて、適当に山積みの何かの上において、ようやく辞書を開く。そうすると、やっとかまってくれた辞書は嬉しそうに語る。やあやあ、ようやく開いてくれました。うれしいなぁ、だって君、ずっと光り物君の辞書を使っていたでしょう、あ、まずは明りをつけなさい。こんなくらいところで字を読んじゃいけないよ、あ、あ、そんなに急いでページを捲らないで、しょうがないなぁ、うんうん、それが知りたいんだね、いいよいいよ、僕は言葉のエキスパートだから、何だって知っているのさ、それでその言葉の意味わね、うん、あ、もう閉じるのかい?まだ僕は語っていないよ?何でそう急ぐのさ、おいおい、舌打ちをしないでくれよ、何をそう苛ついているんだい?落ち着いて物を話そうじゃないか。あ、あ、やめ、まだ閉じないで、喋りたいんだ僕は!たまにのことじゃないか、もっと楽しくおしゃべりしよう、ほら、僕は何だって知っている、知っているんだ、知っているんだぞ!あ、あ、あ、とか、矢継ぎ早に、何かを言おうとする辞書を閉じて、まだディスプレイの方を向く。またピコン、となる。しょうがない、物書きは観念して、スカイプを開くと、今度はそいつが口を開く。さっきから音を鳴らしているのにひどいじゃあないか、向こう側の彼はたいへん悩んでいるというのにね。ええ、ええ、君は冷たいねぇ、そんな、駄目だよ、たまには息抜きをしないとね。ほら、彼がまた。ピコン、音がなる。そこには、女に遊ばれただの、今の仕事に集中できないだの、泣きたいだのどうのこうのになんよかんよと騒ぎ立てる様な言葉がずらり。鳴り続ける、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン。ああ!五月蝿い!五月蝿いそいつをブロックし、スカイプをしまう。そしたらどうだ、びりりりり、びりりりり、なんてこった、電話をよこしやがる。この有り様を見ていたコンピュータが大いに咲う。あっはっはっは!愉快愉快、痛快痛快、愉快痛快大活劇!あ、活劇は関係ないね、いやはや申し訳ない、いろんな言葉が無駄に、入っててね、押さえが効かないんだ、ぽろぽろ出てくるんだ。君が言葉を探せば、知らない言葉どんどん出てくるようにね、あ、ごめんごめん、今は関係のない話だ、そう、君ね、電話に出てあげなよ。だって君、本当は聞きたいんだろ?声がさ、本当の声だよ。人の話す声さ。何時まで機会の言葉を耳から頭に流すのかい?さ、休みも必要だよ、何度も言うけどね。もじゃもじゃ頭の物書きは、疲れて息を吐く。一緒に集中の糸もぷつんと切れて、諦めたように未だ鳴り続ける受話器を取った。やあ!やっと出てくれた。俺、俺だよ、わかるだろ?そう!それで話があるんだ、聞いてくれ、昨日俺の会社で合コンがあったんだ、え?女にフラレたんだろうって?何で知ってるんだよ、お前には話してないだろ。あ!そうか、スカイプで言ってた、いや、何で忘れたんだろ。まあいいや!そう、話を聞いてくれ、今泣きたい気分なんだ、言葉を聞きたいんだ、お前さんの言葉が、さ。え?気持ち悪いって?やだなぁ、それくらいわかってる関係だろうが、俺達わさ。な、な、話を聞いてくれるだろう?そうか!やっぱりいいやつだよな、お前わさ、それでだけどよ、昨日はさ。寂しがり屋の友人が、独り身の自分に耐え切れなくなって言葉あふれる。その言葉を受け止めるのは何時も物書きだ。べらべらべらべら流れてくる電子の言葉に、耳を傾けては、誰も見もしないのに相槌をうって首を振る。上から下へ、上から下へ、こっくりこっくり。だんだん感化されて、身体が熱くなって。冷たくなって、泣きたくなって、吐き気がして、十分二十分三十分、四十分、五十分、後何分?ずっとずっと話を続ける。口が解けて、こっちも喋る。どうだのこうだの喋って喋って、友人もそれを受け止める、受け止めて怒って泣いて笑って笑って、最後にはどちらも疲れて、なあ、つかれたな、何でこんなに熱くなったのかな、いい時間だしさ、電話代もバカにならないしさ、ここらでやめないか?一寸つかれたんだ、寝たいんだよ。そういってお互いに受話器をおく。どこかどうしようもなく疲れた気がする。どっと身体が重くなる。ガリヴァー旅行記の様に、小人たちがそこら中にいて、物書きの腕に縄を巻き付けて倒そうとしている。どれだけ喋った?一時間は越えただろうか、今何時?まあいいさ、どうしようかな、続きを書こうかな、でも疲れたな、いや、書かなきゃ、続きを、続きを。心の中に穴がある。あれだけ熱く燃え上がった感情は、その穴をすり抜けて落ちていく。落ちたその感情は何処へ行く?わからに。穴はどうして出来たのか。まるで、まるで、喋っていくように、心が受話器の中に吸い込まれていく、受話器を置くと、吸い取られた分だけ心はなくなっていて、なくなった分だけ穴ができる。そこに鶴橋と一輪車を持った言葉共が、穴を広げるべくしてやってくる。えっちらおっちら、そりゃそりゃそりゃそりゃ、えっちらおっちら、穴を広げ行きましょう、えっちらおっちら……。物書きの視線はディスプレイにある。カタカタカタカタ、何時までこの音はやまないのか、それは一つの作品を書ききるまでだよ物書き君。さ、書きなさい、辞書はある、翻訳機だってあるんだよ、君の周りには言葉が溢れているじゃないか、何処からだって取ってくるがいい。りんごを摘むように、ぶどうでもいいし、いちごでもいい、カラフルなお花だっていいんだ。どこからでも取ってくるといいさ。例えその言葉を君が知らなくたって、取ってきてくれれば後は言葉が何でもやってくれるよ。君が望むように、言葉は動いてくれる。あっちにこっちにどっちにだってね。あ、どこに行くのかい?席からたって、夕食でもとるのかな?物書きの目は虚ろ。溢れかえる言葉に溺れて、ぶるぶると身体が震える。苦しさが彼を襲う。指先から冷たくなっていく。血の気が引いていく。唇が青くなっていく。身体の色が抜けていく。目から涙が流れる。言葉が見える。そこかしこに見える。紙、本、予定、〆切、写真、ファブリーズ、消しゴム、原稿用紙、パソコン、カーテン、鏡、自分、顔、髪、目、口、鼻、身体、手、足、胃に血に何だって言葉、言葉、言葉。ああ!物書きは、手に意識を送り、それによって動いた手は、近くにあった椅子に触れ、それを掴み、持ち上げ、開いた口から、ああ、ああ、と奇声を漏らし、上から下へ、腕を動かし、あたりにある物を壊して、壊して、窓ガラスが粉々に砕けて散らばり、紙がばらばらに飛んで、地面に落ち、壊すために使われる椅子が悲鳴をあげる。また時間を使う。どれだけ使う?満足するまで使う。使う。使う。強盗でもここまで荒らさない。壊れたパソコン、破れた辞書、コードの切れた受話器、なんだって壊れている。物書きは、体中に流れる血が熱く、冷たくなっていることに気づいて、息を整えるべき、深呼吸をする。吸って、吐いて、口を開いて、何かを言おうとする。頭のなかがグチャグチャで、動悸が激しく。目が絶えず動く。手が振るえて、足に力が入らなくなって、そして、のどの奥からひゅうと空気が流れ出る。座り込んで、ぼさぼさの頭を抱えて、振るえて、振るえて、言葉が出ない。何を言えばいい。どうすればいい。わからない。どうしてこうなった?どうして?問い詰める、問い詰める、が、言葉に出来ない。言葉に出来ない?教えてあげようか?壊れたコンピュータが辞書が受話器が窓がガラスがテレビが椅子が資料が何かが、何かが一斉に、さあ、何が知りたいのかな物書き君。言葉が君に言葉を教えてあげよう。さて、君の知りたい言葉はね。違う、違うんだ、俺はそんな作り物の言葉は要らないんだ、ほら、あるだろう、本当の言葉ってやつが、電子でも、文字でもない、言葉が、教えてくれ、本当の言葉は何処にある、何処にある。物書きが振るえながらいう言葉に、周りの言葉共は大笑い、なんだって、もう一回言ってくれ、本当の言葉だっていったのかい、本当のことだってよ、ははは、お笑い草だね物書き君、君はそんあ者を探していたのかい、あは、あはは、さて、では聞くがね、君、何作も作品を書いてきた君、君の知る世界に、作り物ではない言葉があったかね、人工ではない言葉があったかね、考えてごらん、あは、ははは、いや、ごめん、どうにも笑いがとまらない、君、考えるんだよ、待っててあげよう、待っててあげる、ふふ、ふふふふ。物書きは両腕で震える身体を抑えこむように抱いて、考えた、ただずっと考えた、考えて、考えて、いつの間にか身体は分解されていて、それこそ原子にまで分解されていて、物書きもまた、言葉になった。言葉になった。言葉に、言葉に。

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