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天草騒動ハイライト2・蘆塚忠右衛門の最期
天草騒動のテイストを知ってもらうために、ハイライト・シーンを少しだけここに掲載します。以下は、「64.蘆塚忠右衛門討死の事」から抜粋。
(落城後、一息ついていた幕府軍の前に、突然、一揆の軍師、蘆塚忠右衛門の率いる伏兵が現れる)
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最後の一戦で蘆塚は、紺糸縅の鎧に同じ毛の兜を着け、二尺五寸の太刀を佩き、十文字槍を小脇に抱え、佐志木佐治右衛門と池田清左衛門を組頭として左右にしたがえ、一揆四十人を後ろにしたがえて、真っ黒な集団となって討って出て、黒田の先手の野々村、浦上勢五百人余りの中へ、真一文字に突っ込んだ。
寄せ手は思いがけない事だったので、右往左往して突き立てられ、虎口からどっと退き、転がりながら追い落とされ、麓を目指して潰走した。
蘆塚がそれを追い討ちしていって坂の下に眼を凝らすと、寄せ手の総大将、松平伊豆守の旗が山風に翻っていた。
蘆塚は、「それっ、日頃の念願がかなうぞっ。この春、板倉殿を討ち取り、今また伊豆守を黄泉の道連れにできれば、このうえない幸せ。勇め、者ども」と叫んで、まっしぐらに坂を押し下った。
(中略:一揆勢は蘆塚を残して全滅)
蘆塚は、今はこれまでと思い、「こころよく最後の一戦をせん。誰を道連れにしてくれようか」と、四方をきっと見回した。すると、立花家の陣頭に華麗な鎧を着けた武者が進んできた。
蘆塚はその武者の側につっと寄って小脇に抱え込み、大きな岩の上に飛び乗って、大音声で、
「われこそは、小西摂津守行長の旧臣、肥後国宇土の城代蘆塚忠兵衛尉の長子、この一揆の軍師、蘆塚忠右衛門、今年六十一歳。まことの武士の最期を見よ」と、白髪を逆立て眼中に血をそそぎ、「今こそ黄泉の道案内せよ」と言いながら、抱えた武者を眼より高く差し上げ、谷底深く投げ落とした。
武者が岩角に当たって死んだのを見て、からからと笑い、「ああ、心地よい。それでは、わしも後を追おう」と、太刀の切先を口にくわえ、谷底めがけてまっさかさまに飛び込んだ。
こうして蘆塚忠右衛門は、屍は谷に埋めても、名は西海に残すこととなった。(後略)
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