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天草騒動 「9. 白翁ヒヤン問答」

 そうこうするうち、珍しい問答を聞こうと中村の家に数百人が集まってひしめき合った。

 ヒヤンは座に着くと、黒塗に金銀をちりばめた箱を脇に置いた。

 まず、白翁が、「およそ仏道というものは三国伝来で、釈尊一代の説教八宗碩学の別はあっても本尊は一体分身である。諸仏のうちで天帝という仏は聞いたことがない。どんな経文をもって衆生を済度なさるのか。」と尋ねた。

すると、ヒヤンが言った。

 「かたじけなくもわが宗門の尊ぶ本尊は天地開闢以前まだ何も無い時に出現した天帝という神で、これを仏といったり神といったり呼び方は違うが、もともと聖父聖子聖霊の三位一体である。この尊い神の御計らいで六日のうちに日月人間鳥獣草木その他諸々の食物までみなお造りになり、七日目を休み給う。これが安息日である。

 人間は正直であったためこの神に願わなくても天上の善化を受けていたが、そののち、アダムが神の教戒に背いてから人間の心は罪のあるものになり、善悪邪正が混合して、ついに天帝に願わなければ未来永遠の世の幸いを受けることができない者になった。

 今は末世に至り、ますます人の心は悪しくなり、天帝の教えに背いて喜怒哀楽の悪念がさかんであるから、天上の幸福を受けることが叶わなくなった。

 天帝は悲しみのあまり救い給わんと、仏果の文を授けたもうた。『死後生天しごしょうてん破羅韋僧はらいそ雲善守麿うんぜんしゅまろ』と一回唱えれば神の意に叶い、未来は言うに及ばず今生の難病貧苦も救い給う。これこそまことの仏果というものである。そなたの信ずる念仏で難病貧苦を救う慈悲はあるのか。如何に。」

 これを聞いて白翁は笑って言った。

「それは珍しい仏道だ。阿弥陀釈迦如来の教化は理に在って、難病貧苦は因果の道理、前世の定業で逃れられないところである。すみやかに往生することができないので無上菩薩の念仏を唱えることによって仏果を得、信心が強いときはおのずから難病貧苦から逃れることができる道理であって、昔から今に至るまでそういった例は多い。

 それなのに、今は衆生の欲心が増して天帝の教えに背き、貧窮者を救うと言って師弟の約束をし、そして宗門に引き入れられる衆生も、すべて欲心ということができる。諸人に欲心を起こさせながら、それが天帝の教えに背くと言うとは、われらの宗旨とは雲泥の差である。

 金銀を与えれば、そなたらの宗旨に限らずどの宗旨でも貧民を救うことができるだろう。およそ生あるものにはすべて欲心がある。鳥類でさえ農業の隙を窺って米粟を取って食らう。まして万物の長たる人間が欲を離れてなぜ妻子眷属を持つだろうか。これが無かったら人間は滅びてしまうだろう。このようなことわりなのに、天帝が衆生の欲心を憂うとは、なんと愚かな神だ。」

 ヒヤンは、これを聞いておおいに怒り、

「そのほうの尊ぶ阿弥陀というのは法蔵比丘という人間のことだ。また、釈迦というのは悉達太子といって、十九歳で勘当され、雪山にさまよい、つぎはぎの襁褓むつきを拾ってそれを継ぎ合わせて衣服にし、一生貰い物を食べて暮らした乞食のことだ。だからその流れを汲む僧侶も、皆つぎはぎの袈裟を掛けている。これは乞食の姿を表している。

 常に人をたぶらかして施しを受けている者がどうして極楽へ往くいわれがあろうか。人に施せば極楽に往くことができ、施さなければ地獄へ堕ちると称して金銀を貪るのは、まさしく売僧まいすが釈迦の真似をして世渡りしていると言ってよい。

 南蛮の四十二ヶ国は天帝の教えを尊んでいるから、その徳によって辛いこともなく難儀もせず欲心も無いのだ。欲が無ければ罪業もなく、罪がないから死後天に生まれることは疑いない。即身即仏の妙徳がある。

 阿弥陀や釈迦は売僧の元祖であって、徳も無く能も無い。その証拠を見せてやろう。」

 こう言って、かたわらの箱を取り寄せた。その中から浄土三部経法華の八軸を取り出し、ずたずたに切り裂いて鼻をかみ、揉み散らし、足で踏みつけ、庭に蹴落として、

「白翁、見られよ。このようにしても、もともと貪欲な人間がさまざまな空言を言い並べたものを経文と名付け、愚昧な男女をたぶらかした畜生道の事だから罪や報いがあるわけがない。」と、傍若無人にののしった。

 そして、箱の中からまた例の鏡を取り出して、

「もったいなくもこの鏡は、天帝が現世の衆生の悪心が増長するのを悲しまれて未来は善道に導こうとお考えになり、その証拠を見せるため三世の因果を現される明鏡だ。わが宗門の徳の高いことはこのとおりだ。まずそなたの在世未来を見られよ。」と言って、白翁の顔をその鏡に写した。

 すると鏡には馬の顔が現れた。

 白翁は少しもさわがず、床の間に活けてあった菊の花を取ってひそかに鏡に写してみた。すると、不思議なことにこれも馬の顔に写った。

 それを確かめてから白翁は、「聞きしにまさる三世の鏡、どうか拝ませてください。」と、言った。

 ヒヤンが、「してやったり」と思って何気なく鏡を白翁に渡したところ、白翁は鏡を向けてヒヤンの顔を写そうとした。

 「しまった」とヒヤンがうつむくところを無理に写すと、これも同じく馬の顔に写った。

 白翁は鏡を棄ててからからと笑い、

「よくもここまでたくらんででっちあげたものだ。私は幼少の頃から叡山で暮らし、六十余歳になるまでに数万の僧に出会ったが、おまえのような売僧まいすには会ったこともない。

 この三世の鏡という人々を畜生のように写す鏡は、決して不思議なものではない。その実体は、鏡を火で焼き戻したあと漆で好きなものを描き、再び火で焼いて研げば描いたものが現れて写るというものだ。だいたいのことは見当をつけておいたから菊の花を写してみたら思ったとおり馬の顔に写った。

 わが法でも人は六道四生に生まれ変わるといわれている。しかし、そもそもおまえの信じる天帝は久遠以前に現れて日月人間鳥獣万物を残らず造られたほどの万能の神なのに、釈迦や阿弥陀の説くように地獄や畜生道などというものをなぜ造ったのか。このようなものを造っておきながら、末世になってから人々を救おうと破羅韋僧などという経文を教えるのは何故だ。

 もし、造り損なってしまって、やむを得ずあとから教えたのなら、釈迦阿弥陀の頃に教えて、彼らがもしも聞く耳を持たなかったら万物を分かつほどの天帝なのだから造り直せば簡単であろう。それなのにわざと放っておき、数千年もしてから一宗を興してこれを信仰させようとは愚の骨頂だ。これを仏とか神とか言ってよいのか。

 また、三部経を破って鼻をかみ足で踏みにじりながら、おまえは仏教の僧の姿をして、袈裟を掛け仏の道を学び、口に任せて聖教を誹謗して邪法を広めようとしている。愚の中でもきわめつけの愚だ。

 貧しいか裕福かは天命が左右する。聖人賢人名僧知識はそれらに関わらず天の道を尊ばれるのだ。悪人であってもうまく世渡りするものもいる。南蛮に貧民がいないといっても善人ばかりなのか悪人が多いからなのかはわからない。万物を造られたという天帝がどうして南蛮国のみを守って他の国を放っておくのか。これも理解し難い。

 仏法では物を貯えるということをせず、修行して喜捨を受ける。寺へ施し物をするのは僧に頼んで死者を弔うためだから、これは人の道である。

 おまえが人助けと称してやっていることは、自分の宗旨になる者へは金を与え、欲心を起こさせて邪道に引き入れているだけだ。

 正法が不思議を起こさないといっても、信者の心次第で神仏の妙徳は自然にあらわれるものであって、こればかりは僧侶が関わることではない。それなのに邪法を広めるために鏡に細工し、愚人を惑わして天帝の教えと称するとは話しにならないたわごとだ。返答してみろ。」と、詰め寄った。

 さすがのヒヤンも一句も出ず、閉口赤面してその場にいたたまれず、「縁無き衆生は度し難し」と言いながら立ち上がろうとした。

 すかさず白翁が袖をつかまえて、「縁無き衆生は度し難し、というのは釈迦の言葉。いままで誹謗していた仏道の言葉を使うとはどういうことだ。答えてみよ。」と、さらに問い詰めたので、いよいよ返答に窮してしまった。

 これまで邪法でもって愚かな人々をたぶらかしていたのに、今、白翁に問い詰められると妖魔の術を出すでもなく、袖を引き裂き外に向かって逃げ出した。供の僧もうろたえて、われさきに逃げて行った。まことに見苦しいありさまであった。

 白翁が武門の者ならただではすまなかったであろうが、仏道の信者であったから適当なところで許してやったのである。

 こうして、今までヒヤンのことを生き仏のように思っていた者にも彼が不埒な僧だったということがわかり、一座の面々は白翁の学識に感心して、「これはお手柄です」と、賞賛した。

 白翁は笑って、
「善人をよそおった悪人は珍しいことではありません。あの三世の鏡というのは漆で描いたあとに焼き直して研げばすぐにできる物で、まるで子供の戯れのような物です。迷いやすいのは人の心、欺きやすいのは凡夫ということです。」と言ったので、修理も老母も白翁の才知に大いに感心してさまざまにもてなした。

 白翁は皆に向かって、
「今日の会見では仏道のどんな経文について議論するのかと思っていたら、自分の邪宗を誇って経典を滅ぼそうとするとは愚の骨頂です。まったく取るに足りません。今後あの連中がどんな不思議をあらわしても決して信じてはいけません。」と言い置いて、都へ帰って行った。


→ 10. 南蛮寺破却の事

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