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天草騒動 「32. 原城最初の合戦の事」

 立花家の先鋒が城の近くに押し寄せ、「それっ、乗り込んで踏み潰せ。」と、空堀に飛び込んで向こう側へ渡ろうとした。

 ところがこの城は山城で、堀の中にごみや茨などをたくさん投げ込んだうえ、城兵の糞尿をすべて流し込んであったので、その臭気がふんぷんとして四方に漂っていた。鼻が取れるかのように思われて少しの間もいたたまれず、近くに寄り付くこともできかねた。

 後陣の者も最初は様子がわからなかったが、だんだん近付き、このありさまを見て、「糞尿を堀に流し込むとは、いかにも百姓どもの一揆らしい。」と、皆一同にささやいた。しかし、なにぶん言語を絶する臭気の激しさだったので、一同なす術もなく、堀を渡るのをためらって一人として進む者はいなかった。

 寄せ手が辟易へきえきしている様子を城内で見て、千々輪五郎左衛門が馬を乗り回しながら下知したので、白旗がさっと上がり塀の上に鎧武者が現れた。そして、組頭の堂島、大江、布津村らの指図によって、鉄砲二百挺が筒先を揃えて発射された。

 寄せ手は、一揆方はすでに本丸に退いたと思っていたので仰天し、「敵がいるぞ。楯を持ってこい。竹束を用意しろ。」とひしめき騒いだ。そこに城内から大木や大石を投げかけたので、これに打たれて腕を失ったり、頭を砕かれて死ぬ者が相次いだ。

 また、空堀に落ちて糞尿にまみれてうごめき叫ぶ者もいたので、悪臭がますます四方に散乱して鼻腔を刺し、その難渋は言いようがなかった。全員うろたえまわるところになおも大木や大石を投げ落としたため、先頭にたって進んでいた者が二百人ばかり即時に討たれてしまった。

 こうなってはこらえようもなく、立花家の軍勢はどっと崩れて敗走していった。

 これを見て千々輪五郎左衛門が、「敵は色めきたったぞ。それっ、打って出て追い払え。」と下知したので、大江、堂島、牧、町田の五人が一揆一千人余りを従えて、槍をひねって突出しながら動揺する寄せ手を追いまくった。

 そこに、立花家の先鋒の将士、立花三郎右衛門がただ一騎踏みとどまり、城内から投げ落とした材木を足場にして、「きたなき味方のありさまよ。百姓めに追い立てられては末代までの恥辱。引き返して討ち死にせよっ」と大音声でよばわった。

 それを聞いて、十時三弥兄弟、小野和泉、服部清兵衛、平田平左衛門、岡田久右衛門、小野弥十郎をはじめとする三十人余りが引き返してきて、ここを先途と戦った。しかし、この場所は芝山で足場が悪く、足が滑って思うように戦えず、皆切り立てられて余儀なく麓に退却した。

 三郎右衛門だけは材木を足場にしていたので、大勢に取り囲まれてもものともせず戦っていたが、そこに赤星内膳が大身の槍を振り回しながら走ってきて、三郎右衛門に突いてかかった。

 両者はしばらく戦ったが、内膳が苛立って突き出した槍を受け損なって、三郎右衛門は眉間を槍で突き通され、どうっと尻餅をついた。そこに駆け寄って、内膳が首を上げた。その他にも立花家の家臣がここで五人討ち死にした。

 飛騨守はこれを見て、
「口惜しいことだ。百姓めに追い立てられて見苦しくも敗軍に及んでしまい、人にあわせる顔がない。どれほどのことがあろうか。進めっ、者ども。」と、自分自身が真っ先に馬に乗って討って出た。

 父の左近将監殿はこれを見て、
「飛騨守を討たすな。続け、者ども。」と下知し、五千人余りが鬨の声を上げて、鉄砲を撃ちかけながら一斉に進み登った。

 一揆の者どもはこれを見て、「味方は鎧がない。寄せ手の鎧武者とやりあってはかなうまい。」と、皆城内に退いた。

 そこに、飛騨守殿が真っ先に進んで、「者ども一斉に踏み破れ。」と下知したので、五千人余りの軍勢が、われ劣らじと攻め登った。しかし、城内から弓や鉄砲を雨あられのように撃ちかけられて、たちまち大勢が討ち死にしてしまった。

 寄せ手は竹束や楯を前にかざしながら、死人を乗り越えて城の近くまで詰め寄せ、早く塀を押し破れと下知したが、最初の失敗に懲りて、この場所から一人も進むものがなく、皆、堀際に竹束を並べてその陰に隠れているばかりであった。

 飛騨守殿がおおいに怒って、「父の見ている前だ。進めっ、者ども。どうしてそのように見苦しいふるまいをするのだ。」と下知したが、そこに使番つかいばんが走ってきて、「城内から糞尿を堀に流し込んだため、なかなか渡れそうにありません。」と伝えた。

 飛騨守殿はまだ二十歳の若大将だったのでますます怒りをつのらせ、「何を言う。死を顧みない戦場で糞尿ごときをいやがってどうする。天下のためだ。われに続けっ」と、堀際まで馬で乗り付けた。

 そこに、またも城内から大木や大石を投げ込んだので、糞尿が飛び散りその臭気が鼻をついて耐え難い状態になった。

 さすがの飛騨守殿もこらえかねて、「なるほど、軍勢が進まないのももっとも」と思い、別の策もあろうと、兵をまとめて麓の陣に退いていった。

 そこに、突然、二の丸の持場の門を開き、蘆塚忠右衛門が一揆の者二千人余りをしたがえて、鬨の声をあげながら、山の横合いから鉄砲を撃ちながら砂煙を立てて打って出た。

 立花左近将監殿はそれを見て、「平場の戦いこそ望むところ。一揆めを追い立てよ」としきりに下知したので、先鋒の将の十時三弥が士卒に向かって、「一揆を取り囲んで一人も残さず討ち取れっ」と、大音声でよばわった。

 それを聞いて、三弥の弟の十兵衛が、「自分が討ち取ってくれる」と、先頭に立って一揆に突いてかかった。

 蘆塚がこれを見て、上の方から嵩にかかって突こうとしたが、十兵衛はたちまち七八人の一揆を突き伏せてしまった。

 堂島対馬がなぎなたを振り回して斬ってかかったが、十兵衛が十文字槍で渡り合って戦ううちに堂島の方が二か所の手傷を負い、すでに危うく見えた。

 蘆塚はこれを見て、「彼は立花家でその名が高い勇士の十時。いざ見参っ」と、二間柄の槍をひねって、横合いから十時の槍をはね上げた。十兵衛がすかさず腰の刀を抜くところを、蘆塚が踏み込んで内兜を十分に突いたので、十時はたまらず谷の中に落ちていった。これを見て一揆どもは一斉にどっと声をあげ、手を打って大いに喜んだ。

 その時、立花家の平田治右衛門が太刀を真っ向に振りかぶって、蘆塚の槍の下をかいくぐって付け入ろうとしたが、蘆塚はすかさず平田の喉輪を突いたので、平田はそのまま息絶えた。

 立花家の者たちは戦いに疲れ、今朝からあちこち走り回って空腹なところに、さらに二の丸から鉄砲を打ちかけられたので、寄せ手は乱れて右往左往し、その間に蘆塚はやすやすと城内に退いてしまった。

 立花殿は、
「口惜しいことだ。一揆の百姓ばらが立て籠もる小城に押し寄せて、このように追いまくられ、勇気ある家臣を討たれて退却するとは末代までの恥辱。天下のもの笑いになるに違いない。」と、歯ぎしりして憤ったが、しかたなく全軍を本陣に退かせ、また後日この借りは返せるであろうといくさを収めた。

 この一戦で、立花家の手負いと討ち死には三百人余りであった。また、城方も百人余りの手負い討ち死にがあったという。

 寄せ手の諸軍勢は、今日二の丸から蘆塚が出撃して激しい働きをしたのを見て、「この城にこもっているのは百姓だけではないようだ、今後の合戦は大変なものになるだろう。」と、おおいに恐れてささやきあったということである。


→  33. 有馬、寺澤、松倉の三家の勢敗北の事

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