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ハノイ特殊観光案内/戦争モニュメントと社会主義リアリズムアート

社会主義リアリズムアートは国土発展のためにみんなでがんばろー、みたいなスローガンの書かれたプロパガンダポスターとか、兵士が国旗をなびかせて前進してるような町なかの彫刻のことです。
政治的なものなので嫌いな人もいるようですが、ワタシは全然気にならないどころかむしろ好きで、ポスターの原版を譲り受けて、何枚か家に飾ってもいます。
素朴で色もキレイだしグラフィックデザインとしてもレベルは高い。源流はロシア構成主義なので役所の広報レベルじゃありません。
ポスターはお土産に買う人も多く、旧市街にたくさん複製品の店があり賑わっています。
今日紹介するのは町の中に点在する、立体作品としてのそういうアートです。立体だからお土産で買うわけにもいかないので写真を載せます。
シャカイ主義アレルギーの人は見ない方がいいでしょう。


まずはレリーフ編。

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ハノイ浄水場
旧市街の北西側、Truc Bach/チュッバッ湖の出島の東側、市の浄水場が今もある場所です。
Cua Bac通り沿いのベトナム電力会社本社ビルの足元の塀にあります。日付は1967-10-26。
戦争にもルールがあるというのは実態と違い過ぎて今一つ解せない気もしますが、そのルール上、浄水場は爆撃していいんですかね。市民の生命にかかわる施設だと思いますが。
対空砲火で敵の爆撃機を撃ち落とした記念と思われます。
1967年はアメリカはジョンソンが大統領で、ダナンにも上陸して本格的に攻めてきた頃です。韓国軍の参加がピークになり、普通ならもう勝負あったと見るべき時に、この攻撃で息を吹き返したくらいの効果があったのかもしれません。

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浄水場の表通り側には金属製のレリーフもあり、最近金ピカに塗り変えられて有難みがなくなったとはいえ、これもまた戦争の何かの記念です。
街のあちこちから煙が上がっている中で、水と電気を守り抜いた、みたいなことです。

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Nguyen Thai Hoc通りの工場
観光名所の文廟の近くにあります。今でも古い建物が工場として使われています。何か作っているようには見えないけど。
文廟は爆撃を受けていないのでこの辺り一帯が焼け野原になったワケではありませんが、工場が狙われたんでしょう。
レリーフには1969-5-19と書いてあるので戦争が終わる6年も前。アメリカの爆撃機が火を噴いて墜落している様子が描かれています。
B52を撃ち落とした残骸はタイ湖の南のDoi Can通りにそのための博物館があり、これも野ざらしで展示されています。こうやっていくつも記念碑があるのを見ると、ケッコウな数、撃ち落としたってことか。

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Bac Mai通りとMinh Khai通りの交差点
最近道路の拡幅で撤去されるってニュースに書かれていたのですぐに行ってみてきました。
周辺では家の解体工事が始まっていました。地元からも保存の要望が出てるらしいけどどうするんだろ。
交差点の一つの角に2枚の壁画が並んでいて、一つはセメントレリーフ、もう一つはガウディ調の陶壁画です。
記事によると画家のチュオン・シン氏が1980年代に制作したもので、プロパガンダポスターの壁画版です。よく見るとどちらにもT. Sinhのサインが入っています。
シャカイ主義でもそういう作家性を尊重するあたりがなかなか興味深い。
レリーフのほうは労働者よ、団結せよみたいな内容です。陶壁画は女神が空を飛んでる絵です。露店の扇風機が固定されてたりして、大事に扱われているとは言えません。

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続いて彫刻編。

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ドンスアン市場
旧市街の中にある観光名所の市場です。何か面白いモノが買えるかというと、ワタシ的には疑問です。建物とか、周辺の道端市場とか、見て歩くにはいいと思います。
その建物の向かって左のほうに、いつも花が活けられていて、1946年と書かれているので第一次インドシナ戦争勃発の時の犠牲者の慰霊のために作られたのがこの像です。
兵士と風の女神っていうのはこっちでは定番です。
1945年に第二次世界大戦が終わって、翌年にまた戦争が始まり、延々と1975年4月30日のサイゴン陥落まで続きます。
それで南北が統一されてヘイワになったかと思ったら1979年には中国が北の国境を越えて攻めてきて中越戦争、ベトナムでは当然、越中戦争と言いますが、それで中国人がハノイから逃げて、ハノイには中華料理屋がほとんどないという現在の状況に至ります。

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またこれのすぐ横の建物の壁にもレリーフがあり、そっちはベトナム戦争の勝利を祝うものと想像します。裸足で子どもも一緒になって戦った、みたいな図です。

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Tran Hung Dao通りの文化宮殿
戦後ソビエトの援助で建てられた、上野の東京文化会館のような外観と機能を持った施設です。1000人くらい入るコンサートホール兼講堂兼展示場があり、その前庭に威勢よく建っています。
クニの発展のためにガンバロウって感じで、像の横にたくさん取り付いたサルノコシカケというか可視化された風というか、なかなかダイナミックな造形です。
男女の工場労働者と農民の像です。これぞシャカイ主義リアリズム。
こういうのを見ると上野の西郷さんとは全然違う芸術だと思うワケです。すごいパワーを感じます。

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Hang Dau庭園
最後は旧市街の北、給水塔の前のPhan Dinh Phung通りに面した公園にある像です。石像でワリと新しいモノです。
表と裏で二つの像があり、裏には銃を持って立ち上がる若者の横に1946 Hanoiと書いてあります。1946年は一度引っ込んでたフランスが再びインドシナ支配を強めようと戻ってきた年で、ベトナムが南北に分かれ、北がホーチミンが率いる勢力でフランスに抵抗を始めます。第一次インドシナ戦争です。

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ブンカ宮殿と同様、アオザイの裾を翻す女神像と兵士の像とがペアになっていて、国土発展は男女の力で、みたいなメッセージです。これも実に力強い。


戦争と復興というのはやはり現在のベトナムの土台になっているイメージなので、それを表したモニュメントであるこれらの碑、像は今のベトナム人の思想を知る上で重要な手掛かりになります。
それらがアートとしても十分に見るに堪えるモノであることが極めてベトナム的です。

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