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暗黒日記Z #5 「月見バーガーおいしいね」

月見バーガーを初めて食べた。毎年「なんかやってんな〜」とは思いながらも興味を抱いたことはほとんどなく、自分とは縁遠い世界の食べ物だとずっと思っていた。私にとって、流行りになる食べ物はすべてその調子だった。タピオカもバナナジュースもチーズハットグも、存在は知っていたが手を出そうとは夢にも思わなかった。憧れがあるわけでもないので、本当にただただ縁の無い存在だった。自分がそれらのうち一つでも手に取るなど、況んや口に入れるなど、あるはずのないことと言えた。

しかし月見バーガーは今日の昼に私の口へ入れられ、午後八時の今になってなお胃の中で盛大にもたれている。何故か。理由はない。なんとなく。某Vtuberが食べ比べ配信やっていたのが印象に残っていて、氏の「美味しすぎて最近毎日食べてる」との言に感化されたのかもしれない。確かに美味しかったがダブルチーズバーガーへの愛が揺らぐことはなかった。

目玉焼きがそもそも好きではないので、考えてみれば私があれを好きになれようはずもなかったのである。やはり今後とも私は食卓においてはバーガーではなくうどんや蕎麦でしか月見はできないようだ。それ自体は悲しくもないし残念でもないが、またしても多くの人が楽しんでいる場に加わることが出来なかったようだという事実は、少し切ない。

好き好んで逆張りをしている訳ではないのに、気が付けばどこにも属せずふらふらするしかなくなっている。それが私の人生なのである。映画は大好きだ。だが本格的なシネフィルのように知悉してはおらず、かといってアメコミヒーローや「この夏、最高の恋」「劇場でお待ちしておりまーす!」「うんたらかんたら、最高!」といった手合いを楽しむ方法も分からないので、中途半端にアート映画やB級ホラーを愛してひっそり興奮することしかできない。

音楽も似たようなことになっている。誰も知らないようなアーティストを探して聴いていたりする反面で、普通にメジャーどころのポップスやロキノンや古き良き歌謡曲やブラックミュージックやジャズやヒップホップや、広く浅く食指を動かした挙句の果て、どこのクラスタにも本心からは共感できない人間になってしまった。あなた方ほどの熱量を持って愛すことはできません、さらば、お達者で、と何も言われてはいないのに自ら身を引いてしまっているのである。

そんな風だから、私は心から愛している物が無いのだ。自然、物だけでなく人もそうで、誰のことも芯から愛したことはおそらく無い。こうなるといよいよ中二が匂い立ってきてしまうが、事実としてそうなのだから仕様がない。

考え過ぎだろうとは思う。いちいち深刻に捉え過ぎだとか真面目過ぎるだとかは私が最もよくもらう指摘だし、それは議論の余地なく大正解なのでヒトシ君人形を一万個贈呈するにやぶさかではない。でも考えないでいられるなら初めからそうしているのだから、残念ながらボッシュートとなるのだった。ではVTRの続きをどうぞ。世界のふしぎはまともに発見したことがないので解像度がとても低い。

要するに、寂しいね〜ということを私は言いたいのかもしれない。なんだかどこにも長居出来ないね〜、そろそろどっかで落ち着きたいね〜、と。時々そう思う。まあ、逆張りをあえてしているのではないとさっき言ったが、今の自分の趣味嗜好が形成されるに至る源流には明確な意志の元に行った逆張りがあるので、遠くから見れば私はずっと逆張りをし続けているようにしか見えないことだろう。覚束ない足取りでどこかへ向かったかと思えば、しばらくするとまたどこか別の方へ呆けた顔をして向かう。

改めてはっきりと言葉で表してみると、ちょっとばかし楽しそうだ。他ならぬ自分自身のことでありながら、なかなかに人生を謳歌している幸福な愚か物に見えてくる。それに、きっと本当に考え過ぎで、隣の芝生が慢性的な疲れ目のせいで実際以上に青く見えているだけで、本当は世の人のほとんどは私とそれほど変わりはしないのだろう。自分は特別だなんて考えはとうの昔に捨てた気でいたが、怨みの念がこもり過ぎていてひとりでに手元へ戻ってきてしまっていたようだ。あなおそろしや。

どこにも属せないだ寂しいだ言ってはいるが、ありがたいことにそんな私にも友と呼べる人は一人だけいて、もう気付けば二十年弱の付き合いとなっている。この日記とは名ばかりの週報の初回で書いた通り私は今年二十五歳になったので、もはや幼馴染とすら呼べるのではないかと思ったりするがどうなのか。幼馴染というのは幼稚園・保育園からの付き合いというイメージがあるので、私には彼の人の幼馴染だと認定される資格は無いような気がする。似たようなことは多くの人が思っているようで、調べてみると「幼馴染の定義って?」といった内容の記事がわんさと出てくる。いくつか見たところ、やはりニ〜五歳くらいの時期に仲の良かった相手のことを指して幼馴染と呼ぶのが一般的なようだ。別に幼馴染でありたいという気持ちもないので、何なら人同士の関係性に名前なんぞ必要ないとも思うので、さもあらんという具合である。

中味のないことばかり書いていても楽しくないことが前回で分かったので、今日は少し内容を変えてみましたが、いかがでしたか? 調査した結果、白木軽骨についてはよく分かりませんでした! 今後も調査を続けていくので、続報に期待していてくださいね!


(いきなりのクソブログ並感)


では今週のオススーメ。

そういえばチバユウスケのことは昔からずっと揺るぎなく好きだな。

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