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暗黒日記Z #26 「We're just a bunch of」

ここ数日『進撃の巨人』のアニメをずっと見ている。1期は放送当時見ていて、2期あたりまで見ていた気がしていたけど、実際そんなこともなかったので2期から視聴を開始した。現在4期の5話目。

面白い。残酷物語だ。あの世界観で行いうる残酷さの全てが実行されているというか、受け手に徹底的に傷付いてもらおうという意思があらゆる場所から噴き出していて小気味良い。確か諫山先生(何でガビ山先生って呼ばれてるのか調べてもよく分からなかった)は昔インタビューで「読者を傷つけたい」とハッキリ言っていたから、この感覚は私の思い違いではないのだろう。そんな意図のもとに展開される物語はこの世にどれくらいあるのか。

一昔前のバンドマンや、若手ミュージシャンには「あの時馬鹿にしてきたやつらを見返してやる」という気持ちが原動力になっている人が多かった。それは雑誌などでその通り語っているのを見たり、詩曲から滲み出ている思いを読み取ったりすることで推し量れた。いわゆる「ルサンチマン」というものが活動の核になっているタイプだ。

しかし最近はそういうタイプの人は減った気がする。代わりに「あの時馬鹿にしてきたやつら」という限定的な対象ではなく「どうしようもないこの世」に対する怨嗟をぶちまけている人がどんどん増えてきているような体感がある。主にボーカロイド界隈の話だ。この頃では、もう私はあまり若手バンドなど、その辺りの人を追わなくなってしまった。そういった人々が作り出す音楽のターゲットから自分が外れてしまったのを数年前に感じて以来、若手バンド周辺には目を向けなくなったが、ボーカロイドは別なのだ。ボカロはまだまだ自分がターゲットでいられている感覚がある。より直截的に言えば、好きなボカロPが沢山いる。だからもうしばらくはボカロを好きでいられると思う。

そんな、あくまで私が観測している範囲という、偏りの激しい枠内ではあるが、その中でもよく目に付くのである。広く世界に対して恨み言を述べている音楽、ボカロ曲が。少し前は「世界」より「自分」を侮辱するような歌詞の曲が恐ろしく大量にあったが、なんとなくその風潮も収まってきた気がする。どうしようもない自己を卑下するのではなく、そのどうしようもない自己を取り囲むどうしようもない世界に不平を垂れる。しかし怒り任せではなく、冷め切った態度で。何なら笑いながら。そういった印象を抱く曲が増えているような気がして、これが時代の変化かしらと興味深く眺めている。

どこかに思いをぶつけているわけではないので、上記のような音楽は結局のところ自己完結してしまっている。不思議な冷たさを感じるのはそれが理由かもしれない。ラブソングやプロテストソングのような浮き足立った熱はそこにはない。私としてはその温度はとても快適なので非常に結構なことなのだが。しかし熱はなくとも、誰に向けられているのでもなくとも、その類の音楽、もっと言えば創作物全般も、傷をつける。諫山創のように明確な意思があるのならもちろんのこと、たとえそんな意思など微塵もなかったとしても、何処かで誰かの何かが傷ついてしまう可能性を大いに含んでいる。

ただ、自己を卑下し、その延長として世界を呪うような作品では無いとしても同様なのは言わずもがななので、つまるところすべての創作物は誰かの地雷だし、つーかそもそも人間は生きてるだけで誰かの邪魔になってるわけで、ひとつぶんのひだーまりーにーふたーつはーちょっとはいーれなーいって話で、だからあのあれ、あれよ、何の話したかったんだっけな……。

ああそうそう、諫山先生の持ってる「読者を傷つけたい」っていうのはどういうところから来てるやつなのかなって、不思議だよねーっていうことを話したかっただけだったと思う。チョイ昔のバンドマンのルサンチマンなんかどうでもいいんだ。隙あらば昔話を始める自分の中の懐古厨が暴走したせいでとっ散らかった。なんなのかねこれは。でも昔の話するのって楽しいよね。自分語りもね。人は自分の昔の話をしたい生き物なのかもね。物語なんてものが古代から現代までしぶとく生き残ってるのもそういうことなんだろうし。

また話が逸れていきそうなのでこの辺で戻しておくけど、どうも諫山先生の読者への気持ちは別に本人の過去とかに由来しない単純な嗜好って気がする。どうなんだろうか。全然あの人について知らないから何も確信を持って言うことはできないが、作品を見ている限りはシンプルに物語を練り上げてその強度で受け手をどれだけしっかり叩き潰せるか試すのが楽しくて仕方ないっていう、若干サイコパスの気もある好奇心以外のものをあまり感じ取れない。つまり天才だなということ。天才が無邪気に遊んでいるだけって感じがして、そこが凄く好きだなと思うのだった。

なかなかあそこまで作者本人のエゴを感じない作品も無い、かもしれない。全然そんなことなくて、生きる上でのスタンスとか政治に対する考えとか、全編エゴまみれじゃないか? とも思えると言えば思えるんだけど、考えるほどに正直そんなことどうだっていいという結論に行き着いてしまう。だって面白いから。漫画として、アニメとして、物語として究極に面白いんだから、細かいことはどうでもいいのだ。圧倒的な美が全てを平伏させる正義であるように、圧倒的な面白さは他のどんな要素も遠くへ追いやってしまう。そういう強さを、フィクションとしての強度の極致を見た気がしてやる気が湧いたぜべらぼうめ、というのがたぶん今回私が言いたかったことだと思われる。一文で足りることを長々と失礼しました。

今週はとりあえず生かしとくことにしたオススメソングのコーナー。

ファッキンアニモー。

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