左脳と右脳の使い分け

読みかけの本や「積ん読」の本が減ってきたとき、頭を空っぽにして、書店をふらつくことがあります。

そんなときは「左脳」をオフにし、「右脳」だけをオンにします。そうやって歩いていると、いま読むべき本だけがキラキラと輝き、目に飛び込んでくるからです。

最大の難所は、法律書のコーナーです。
法律書のコーナーに入り込むと、急に左脳が働きだし、言葉と論理の世界に引き戻されます。そうなると、一気に輝きが失われ、目に入るのは棚に並んでいる表紙の言葉だけになってしまいます。

だから、仕事終わりに書店をふらつく日は、法律書のコーナーには近寄らないようにしています。


「法律」と「裁判」は言葉と論理によって成り立っています。つまり、左脳で編んでいく世界です。

しかし、社会に起こる紛争や事件は、言葉と論理だけでは解決できません。

経験に基づいた直観(右脳)で正しい道筋を見抜く。それから、法律に基づいた論理(左脳)で説明できるかを考える。普段の仕事では、そんな風に頭を使います。

司法修習(裁判官や弁護士になる前の研修)では、架空の事件の捜査記録を読んで、有罪か無罪かを議論する授業がありました。研修で議論する際も、「直観では(つまり右脳では)どうか?」「それを言葉で論理的に(つまり左脳で)説明できるか」という両面から検討します。

「論理的には有罪の説明ができても、直観では違う気がする。だから、もう一度、捜査記録を検証してみる」
そんな訓練を繰り返すわけです。


先ほどから出ている「直観」ですが、「直感」とは違うのでしょうか?

(デジタル大辞泉)
【直感】 
推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。

【直観】
  
哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること。また、その認識能力


以下は、私の理解です。

【直感】 :「感覚」の一種。
→ 如何ともしがたい。頑張っても鍛えるのは難しい。

【直観】:「認識」の一種。
→ 経験によって変容する。頑張れば能力を上げられる。


世間では、容疑者が逮捕されると、あたかも犯罪者であるかのように扱われることがあります。私自身、「直感」としては、「この容疑者が犯人なのか」と感じてしまいます。

同時に、「直観」として「疑いはあるが、まだ犯人かは分からない」と認識するようにしています。人間は不完全ですから、法律も裁判も不完全。それ故、冤罪が無くなることはあり得ないからです。

人を有罪にするには、「直感」で決めつけず、「直観(右脳)」で冤罪の可能性を常に認識し、「言葉と論理(左脳)」で有罪の根拠を説明することが求められます。


裁判では、左脳と右脳の両方を使い分け、駆使します。それは、裁判官や弁護士に限らず、どんな仕事でも同じだと思います。

脳は使い方も大事ですが、休ませ方も同じくらい大事です。

イルカは左脳と右脳を半分ずつ眠らせることができるそうです。
https://www.nikkei-science.com/?p=17891

仕事で頭を酷使した後は、右脳だけをオンにして、左脳は休ませる。人間も不可能ではない気がします。
(了)

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