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2016/6


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 リビングに柔らかな光りが差し込んでいる。
 岡田あかりは、ザルいっぱいの青梅を一個ずつ手に取って、丁寧に布巾で水分を拭き取っている。土曜日の今日は、お母さんを手伝って、一緒に梅酒をつける予定だ。
 お母さんは予めよけておいた傷の付いた梅を使って、キッチンで、梅ジャムを作っている。砂糖の煮える甘い香りが漂う。思わず、あかりは口元をぬぐう。けれども、今は幸せな気持ちは続かない。
 昨日、千佐は何が言いたかったのだろう。あかりは首をかしげる。
 村上千佐は中学校一年生からの友だちだ。お互いに親友だと思っている。一年生の時に同じクラスになり、二年生でクラスが離れ離れになっても、一緒に登下校をして、おしゃべりした。そして、三年生でまた同じクラスになった。

 昨日は、二人のお気に入りの紫陽花通りから帰った。民家の中庭に紫陽花を植えている家が四軒続いて、曲がり角の公園にはたくさんの紫陽花が植えられている。公園のベンチにハンカチを敷いて座って、二人はおしゃべりをする。
 あかりは完全に紫陽花に見とれていた。
 赤紫に紫色、濃い青色に薄い青色、少し先にピンクと白も咲いている。先ほどぱらついた雨のせいで、砂糖菓子のように花びらが光っている。紫陽花の色が、土のPHにより変化するのは理解している。PHを調整しているのかな? そうだとしたらすごい。
「紫陽花の花言葉が、浮気とか、移り気とか、私は知らなかった」
 突然、千佐は怒ったようにつぶやいたのだ。
「浮気? 移り気?」
 その言葉は、あかりに向けられているように感じた。
 あかりと千佐は一度も激しい喧嘩をしたことがない。もともと、あかりも千佐も大人しい性格だ。スローペースなところも良く似ていて、並んで歩く幅も、話すテンポもぴったりだ。
「花言葉を調べたの?」
 あかりが聞き返すと、千佐は返事をせずにハンカチをたたみ始めた。
 あかりも急いでハンカチをたたんだ。
 千佐の横顔には、少しこげ茶色のふわふわの髪の毛がかかっていて様子を伺いしれない。
 あかりも肩甲骨の辺りまで、髪の毛を伸ばしている。切りたいと思う瞬間もあるけれど、顔が隠れると安心する。
 それから、やっぱり二人並んで歩いて帰った。
 千佐はいつもの野良猫と出くわした時だけ、あっと短い声を上げた。後は、ずっと黙って歩いていた。二人の間で、穏やかな沈黙が流れることは別に珍しいことではない。
 けれども、昨日の沈黙は、心にずーんとのしかかるような重たい色をしていた。PHはわからない。


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 その晩、お父さんの晩酌の酒は、いつもの焼酎ではなく梅酒になった。去年、あかりとお母さんがつけた一年物の梅酒だ。
 上機嫌なお父さんはいつにないハイペースで、グラスを傾ける。あかりは顔をしかめる。
 普段は、お父さんとあかりは仲良しだ。千佐も含めた同級生が言うような、父親に対する苛立ちは沸いてこない。
 しかし、お酒の入ったお父さんは別だ。頬を赤らめて、語尾が強くなる。遠慮なくずけずけと物を言う。
「あかり、勉強しなくていいのか? 第一志望はZ高校だろう? 今の成績のままじゃ厳しいだろうが。のんきに、梅なんてかじっている場合か?」
 お父さんは箸の先で、あかりを指差した。
「ひどい、その言い方。Z高校は、あくまで憧れだもん。受かったらいいなぁ、くらいだもん。本命はY高校だもん」
 珍しく、あかりの口調も強くなった。
「受かったらいいなーなんて、そんな軽い気持ちでZ高校に合格できたら、だーれも苦労しないぞ。お父さんなんてな……」
「だから、憧れだってば! 目標は高くって言うでしょ!」
 あかりは大好物の青梅の砂糖煮をかじっている。
 もともと甘い物は大好きで、最近、無性にめちゃくちゃ甘い物が食べたくなる時がある。あかりは珈琲用のシュガースティックを持ってくると、青梅の砂糖煮にふりかけた。
「おまえ、それじゃあ、砂糖の塊じゃないか!」
「きっと勉強し過ぎて、脳が疲れているのよ!」
 あかりは言い返すと、足音を立てて、階段を駆け上がった。


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 月曜日、千佐の様子はオカシイままだった。
 朝、いつもの時間に一緒に登校して、休み時間も穏やかに過ごした。下校時にも千佐は鞄を胸の前に抱えて、黙ってあかりの前に立っていた。
 口数が少ないのはいつものことだけど……。
 ギコチナイと感じるのは気のせいではなかった。
 千佐は紫陽花通りを行かず、わざわざ交通量の多い道を選んだ。小児喘息を患ったことのある千佐が避けている道だ。
 千佐の歩くペースが少し速くなる。古い歩道橋のかかる交差点にさしかかった時、
「あっ、美雪先輩だよ!」
 あかりは声を上げていた。
 あかりの憧れている二つ年上の先輩が、銀色の自転車にまたがって、向こうの道を走り去って行った。
 美雪先輩はZ高校の制服を着ている。濃紺のシンプルなセーラー服に、えんじ色のスカーフが風になびいている。
「やっぱり、お父さんの言う通り、あたしにはZ高校は無理かな。あの制服を着ているところを想像できないもん」
 あかりは弱気になってきた。
 千佐は答えない。
「でも、美雪先輩、かっこいいな。テニスのラケットを持っていたね。私も文武両道のZ高校に進学したいな……」
「すればいいじゃないの」
 冷たい声。
 一瞬、あかりは自分の耳を疑った。
 千佐はぎゅっと鞄の持ち手を握りしめている。それから黙り込んだ。チクチクするほどの沈黙の中、二人は並んで歩いた。
 あかりが家に着くと、バイバイと、千佐はうつむいたまま言った。
「あ、あのさ、後で、うちにお茶を飲みに来ない?」
 千佐の不機嫌の理由を、あかりはどうしても知りたい。


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 千佐が家に遊びに来てくれた時、あかりは嬉しかった。今日は、お母さんは趣味の絵画教室でいない。
 千佐は今、リビングのソファーに腰掛けている。あかりは湯を沸かして、先週末にお母さんの作った梅シロップを使って、温かい梅ジュースを入れた。それから、クッキーを白い皿に出して、青梅のジャムを添えた。
 お盆に乗せて運ぶ際に、ふと、青梅の砂糖漬けの瓶が目に留まった。もしかして、千佐はあれこれ考えることがあって、脳が疲れているのかな?
 とにかく、砂糖をたっぷり摂ったら元気になるかもしれない。リラックスできたら、本音を聞かせてくれるかも。
 あかりは砂糖漬けの瓶を開けて、小さめの梅を取り出した。汁をよくふってから白い皿に乗せる。
 あかりはローテーブルに着くと、まずカップとソーサーを置いた。それから、ドキドキしながら、砂糖漬けの青梅の乗った方の皿を、はいっと、千佐の前に差し出した。
 千佐はあかりの皿と自分の皿とを見比べた。
 お茶を一口飲んでから、
「あかりちゃんちも、梅酒をつけたの?」
 千佐は小粒の梅を指でつまんだ。
「う、うん。それは、お母さんの作った青梅の砂糖漬け。あたしの大好物」
「へぇ、うちも、梅酒をつけたよ。ジャムも作ったけど、砂糖漬けは初めて……」
 千佐は一口、砂糖漬けをかじった。
「甘さが足りなかったら言ってね。グラニュー糖をかけると美味しいよ」
「すごく甘いよ」
 千佐は苦笑いした。それでも、千佐はあかりと同じように、砂糖漬けの青梅を少しかじると、お茶を飲んだ。交互に口に含む、この食べ方が一番美味しいのを、あかりは知っている。クッキーとジャムも食べ終えて、千佐はふぅと息をついた。
 ため息ではない。甘い物をたくさん食べたあとの、至福の息だ。
 良かったと思ったのもつかの間、千佐は急にしくしくと泣き出した。
「だって、寂しいんだもん」
「えっ? 怒っていたんじゃないの?」
 あかりは慌ててティッシュを差し出した。
「あかりちゃんはZ高校に手が届きそうだけれど、私はかなり難しい。別々の高校になったら、親友でなくなっちゃうのかなって思うと、寂しくて……。でも、わかってるよ。親友なら、あかりちゃんが合格するのを応援しないとね」
 千佐はティッシュを受け取ると、涙をぬぐった。
「Y高校なら一緒に通えるかなって、楽しみにしていたのね。だから、この間の進路の第一希望に、あかりちゃんがZ高校って書いたのを見て、勝手に紫陽花の花言葉と一緒にしちゃった。ごめんね」
 浮気、移り気。
 あかりは思い当たった。以前、Y高校の制服を一緒に着たいねと、千佐と話したことがあった。
「こっちこそ、ごめん」
 あかりが謝ると、ううんと、千佐が首を振った。
 千佐はお茶をおかわりして、二人はたくさんおしゃべりした。もう、言葉にしなくても大丈夫だ。あかりは確信した。どこの高校の制服を着ることになっても、千佐は大切な親友だ。

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〜創作日記〜
うちの両親もこんな距離感でしたね。普段は自分の仕事で忙しくて、自分の都合の良い時だけ進路などに中途半端に口を出す(笑 親のふり、親になったつもり、みたいな。(結局、私はうちの両親についてほとんど知らないし今更興味もない)責めているわけではなく、日本は子育てするには時間がなくて、親は子どものままで、その親の親も子どものままで……。語り出したらキリがないので、みんな、今を楽しみましょう。

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。