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2016/7


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 誰もいない体育館のすみっこで、青い運動着に着替えた細野清輝はバスケットボールを磨いている。カゴから一個ずつボールを取り出して、白い布に汚れ落としのクリームを少しつけてボールをていねいにこする。
「なんだか、懐かしいな……」
 思わずつぶやく。
 三年生になってから、練習前にボール磨きをするのは久しぶりだ。たいていは部活の後輩の一、二年生がやる。
 今日の放課後、清輝は無性にボール磨きがやりたくなって、駆け足で体育館に来た。

 来週の日曜日から、バスケットボールの大会が始まる。
 この大会を最後に、三年生は引退する。つまり、負けたら、その試合がラストゲームだ。大好きなバスケットボール。
 清輝の目指す高校にはバスケ部はない。
「おう、キヨ、やけに早いな。って、おまえ、何やってんだよ」
 同級生の山城健斗が、スポーツバッグを背負って入って来た。
「見てのとおり、ボール磨き」
 話しながら、清輝は磨き上がったばかりのボールを、突然、パスしてみた。健斗はいとも簡単に、パシッと片手でキャッチした。
「さすが」
 健斗はバスケ部のエースだ。身長も一番高く、脚力も一番、おまけに体格もよく体力もある。
 健斗はスポーツ推薦でバスケットボールの名門校へ進学する。まだ正式に決まった訳ではないが、本人の意思は揺るぎない。
 クラスの担任も、部活の顧問も、健斗の両親と面談して、もう進路の確認をしたそうだ。
「落ちたらシャレにならねぇ」
 健斗はそう言って笑うけれど、練習熱心という訳でもない。
 もし万に一つ、推薦で不合格になったとしても、普通入試を受ければ、入学するのは難しくない高校だ。だから、清輝も進学を考えたことがある。
 しかし、
「キミにこの高校はもったいないよ、勉強で上を目指しなさい」
 担任にも両親にも、同じことを言われた。

 清輝は、バスケットボールで全日本入りを目指している健斗とは違う。一年生の頃と比べて体は大きくなったけれど、怪我が絶えなかった。練習すら十分にできなかった。
 決して強いとは言えない緑ヶ丘中学校のバスケ部の中で、健斗は一人だけ個人技のレベルが異なる。
 もはや、異次元だ。
 公式戦には、必ずバスケットボールの強豪高校の関係者たちが、健斗を見学しにやってくる。
「おまえこそ、早いじゃん。一、二年生、まだ誰も来ていないぞ」
 清輝はボールに向き直った。もうすぐお別れするバスケットボール。そう思うと、愛しさが増す。
 と、健斗はさらりと言ってのけた。
「うちのチーム、弱いからさ。どうせ、今度がラストゲームになるだろう? 最後くらい真面目に練習しようかなぁ、なーんて」
「えっ……」
 清輝はボールをつかみ損ねた。
 バスケットボールはころころと体育館の出入口まで転がって行った。


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 その日の夕食で、清輝は母にイライラをぶつけた。
「何を言い出すのよ!」
「だから、バスケ部のある高校に行きたい。志望校を変える。強豪でなくていいんだ。強すぎると、レギュラーになれなくて、試合に出られないからさ。高校に行ってもまだバスケを続けたいんだよ!」
 清輝はハンバーグに箸を突き刺した。
 健斗の言葉が忘れられない。
 どうせ今度が、ラストゲーム。
 しかも、健斗は今まで真面目に練習したことがないくせに、当たり前のように一桁の番号のユニフォームを着て試合に出る。
「あんた、道楽の為に高校を選ぶの?」
 母の声に、清輝の顔はさらに険しくなった。
「はぁ、道楽だって?」
「せっかく成績が上がってきたっていうのに、バスケをやる為に高校のランクを落とすなんて道楽以外のなによ」
 さすがに清輝は言い返せなかった。
 清輝の第一希望は、父の母校でもある進学校だ。志望校に合格できるように一生懸命に勉強をしている。ようやく少しずつではあるけど、成績が上がってきたのは事実だ。
 それに、面談では、高校に入学してからのことも考えて志望校を決めた。高校のある場所は遠すぎず、自転車と電車で通学できる所がいい。入学してからも無理なく授業についていけるレベルということで、今の志望校になった。
「なんで、もっと丈夫に産んでくれなかったんだよ! ケントみたいにでかくて強くて速く走れたら、少し練習すれば、バスケが上手くなれたのにさ。怪我だって、そんなにしなくてすんだのにさ」
 母が返事に困っているのが伝わってくる。
 捻挫ばかりしたのは、母のせいではない。なかなか体重は増えなかったけれど、背は十分に高い方だ。
 それでも、ゴールの下で敵とポジションの取り合いになると、必ずと言っていいほど体格負けした。
 母はキッチンの中でうつむいている。
 いつも試合の日には、母は特製弁当を作ってくれた。言い過ぎた。謝らないといけない。解っているが言葉が出ない。居心地が悪くて、清輝はハンバーグを残してテーブルを離れた。


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 翌日、清輝は部活に参加する気になれなかった。
 もうすぐ続けられなくなるバスケを懐かしむ気持ちはあっても、練習する意味がわからない。健斗の顔も見たくない。
 だらだら歩いて体育館へ向かうと、後輩たちが顔色を変えてすっとんできた。
「キヨ先輩、大変です! ケント先輩が足をひねっちゃって!」
「はぁ?」
 清輝は状況がよくつかめなかった。部活の練習開始時間には早い。足をひねるって、バスケの練習でもしていたのか? 自主レン? まさかね。
 昨日、真面目に練習したことはないって言っていたじゃないか……。
「おーい、ケント、どうした?」
 清輝がシューズを片手にバスケットゴールに近づくと、後輩たちの輪がひらけた。そこには、顔をしかめて足首を押さえている健斗がいた。スポーツ刈りの額から、汗がぽたぽた床に落ちている。
 清輝と見上げると、
「やべぇ、しくじった」
 健斗は痛みをこらえて笑顔を作った。
「骨は大丈夫だと思う。おまえ、テーピング持ってる? 部室の救急箱には、細いテーピングしかなくてさ。足首用の太いテーピング持っていないか?」
「あ、あぁ、今出すよ」
 清輝はスポーツバッグから、自分のテーピングを取り出した。そのまま、慣れた手つきで、清輝は健斗の足首をテーピングで固定してやる。何度も捻挫を繰り返す内に、テーピングの巻き方を覚えてしまった。
「ところで、何やってたんだよ」
「見てのとおり、自主レンさ」
「はぁ?」
 清輝は疑いの言葉を飲み込む。健斗がみなに内緒で練習していたのはまちがいなさそうだった。素足の裏には硬い豆がいくつもある。しっかり走り込んでいる証拠だ。
 健斗は隠れて努力していた。
 気づかなかった三年間も。
 やっぱり、こいつは、スゲーや。
「キヨ、おまえのせいだぞ」
 そうは言ったものの、健斗の声は笑っていた。
「おまえがいつもより早く体育館に来るんじゃないかと思ったら、焦ってこけた」
「人のせいにするな」
 清輝はテープを手でちぎって止め終えた。それから、周りの視線に気がついた。手際よく処置した清輝に、後輩から、すげーっと声がもれた。
「ぼくが捻った時もお願いします!」
 お調子者の二年生が言った。
「その前に、まず気をつけろ」
 いつの間にかそろったチームメイトの顔を見回すと、また寂しさが込み上げてきた。清輝はテーピングを鞄にしまう。
 それから思い出した。
 自分がバスケを好きな理由を。


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 手が届きそうで届かないカゴに、ボールが吸い込まれた瞬間。
 一瞬の歓声と、終わらない応援の声。
 息が切れそうで苦しい時に、ベンチをふりむくと仲間たちがいる。そんなひとつひとつの瞬間が、星のように輝いているから。
「よし!」
 声が重なった。
 健斗だ。
 清輝の言おうとしていることと同じに違いない。一回戦で負ける訳にはいかなくなった。健斗の足は骨に異常がなくても全治二週間くらいだろう。勝てば夏の大会は終わらない。
「テーピング、サンキュ。おれ、念の為に病院へ行ってくるわ」
「そのまま寄り道しないでまっすぐ家に帰れよ」
「おまえ、母ちゃんみたいなことを言うなよな」
 健斗は後ろ手でバイバイと手をふり、足を引きずりながら歩いていく。
 清輝は立ち上がった。練習開始の号令をかける。まだ終われない。まだまだ終われない。
 健斗の分もコートに立ち一瞬の星になってやる。

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〜創作日記〜
部活動をする意味を深く考えてしまうと、頭が混乱することがあるけれど、今、一瞬、刹那を生きることに集中すれば、たいした意味などない。それでいい。大好きで気持ちよくて楽しくて笑える、それって人生の醍醐味じゃないか。サイコー!

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。