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YA【ハッピー・バースデー】(9月号)


2016/9


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 朝のホームルームで使用するプリントを受け取って職員室を出る際に、上條百合子は軽く礼をした。
 その瞬間、ちくっと、腹に痛みが走った。さっきから何度目だろう。間違いない、これは生理の痛みだ。どうしよう、予定より随分と早い。
 ポーチの中には、予備のナプキンを持ち歩いている。
 しかし、レギュラーサイズが三個しかない。まだ午前中。今、一個使って、昼にもう一個を使うとすると、午後にはラストの一個になってしまう。心もとない。
 が、そんなことを考えている場合ではない。
 職員室の壁時計はまもなく始業の時間を示していた。
 百合子はトイレに急いだ。周りの視線を気にしつつ、ポーチのファスナーをあけながら歩く。三階の女子トイレまでもちそうにない。すぐそこの教師用のトイレを借りよう。
 見られたら怒られるかな? でも、間に合わないよりましだ。
 百合子が教師用の女子トイレへ近づいた時、
「あっ……」
 隣りの男子トイレの出入口の戸があいた。
 出て来たのは、よりによって、生活指導の鬼頭先生だった。
 百合子は珍しく慌てた。百合子は鬼頭先生に怒られたことはない。三年間で二度もクラスの副委員長を務めている百合子は、優等生の模範みたいな生徒だ。
 それでも、陰で生徒たちから『オニの鬼頭』と呼ばれる鬼頭先生のエピソードを耳にしたことは数知れない。靴のかかとを踏んで登校してきた男子が、靴ひもから結び直しを命じられた現場を、目撃したこともある。
 毎朝、校門の前で仁王立ちになって、オハヨウと声を出す鬼頭先生は『門番』というあだ名もある。
 門番の前を通過する時、どこも違反のない百合子でさえドキドキする。スカートの丈の長さ、鞄につけた小さなキーホルダーが気になったりする。
「す、すみません」
 百合子は深々と頭を下げた。イタッ。腹痛に、思わず腹を押さえる。そのまま小走りでその場を去ろうとすると、いきなり鬼頭先生に腕を捕まれた。
「えっ?」
「ん……」
 鬼頭先生は何もしゃべらない。
 代わりに、百合子の足元を指差した。
「あっ……」
 ピンクの包みのナプキンが廊下に落ちていた。慌てて落としたみたいだ。大きな体格の鬼頭先生は、他の生徒たちから、百合子を隠すように立っている。さっと、百合子はナプキンを拾った。助かった。これがないと二個になるところだった。
 脇の下から、冷や汗が流れ落ちる。
 今度こそ立ち去ろうとすると、
「おまえ、緊急事態に、そういうことで遠慮をしなくていい」
 鬼頭先生は顎で、教師用の女子トイレを指し示した。
「あ、有り難うございます……」
 百合子は耳の端をまっ赤にして、トイレへ飛び込んだ。
 なんとか事なきを得て教室へ戻ると、不思議な気持ちになった。さっきの鬼頭先生はオニでも門番でもなかった。頼りがいのある優しいお父さんのようだった。


p2

 百合子と野本結衣はいつも一緒に帰る。二人が教職員用の自転車置き場に差し掛かった時だ。
「あれ、斎藤くんじゃない?」
 先に、結衣が立ち止まった。
「あっ、本当だ。土屋くんも、竹井くんもいるね……」
 思わず、百合子が声をひそめる。
 斎藤拓馬を筆頭に、決して素行が良いとは言えない三人組に囲まれているのは、鬼頭先生だ。何をしゃべっているのだろう? また、斎藤くんたちが自転車に乗ろうとして怒られているのかな?

 以前、斎藤くんが教師の自転車を勝手に乗り回して、運動場で鬼頭先生に捕まって大目玉をくらっていた。
 しかし、斎藤くんは悪びれた様子も反省したふうでもなかった。そして、また子どもじみた悪さを繰り返すのだ。
 百合子と結衣は顔を合わせると、うつむきかげんで速足で歩き出した。自転車置き場の横を通りすぎる時、声が聞こえた。
「こら、どけって。俺はもう帰るんだから。今日は、おまえらに付き合ってる時間はないんだよ。おまえらも寄り道せずに真っ直ぐに家に帰れよ」
 鬼頭先生の声は怒っている感じではない。むしろ困っているようだ。
 百合子はちらりと鬼頭先生を盗み見た。先生は自転車の二重ロックを外すところだ。
「ゼロ、九、一、七」
 斎藤くんが声に出す。
「おまえ、俺の自転車が消えていたら犯人決定だからな!」
 鬼頭先生は自転車にまたがると走り出した。
「拓馬、こうなったら待ち伏せしようぜ!」
「九月十七日って、今週の土曜日じゃんか」
 土屋くんと竹井くんが、何やら悔しがる斎藤くんをなだめる。
 百合子と結衣は校門を抜けて公園の前まで無言で歩いた。それから、歩くスピードを落とした。

「斎藤くんたち、また何か悪いことを企んでいるのかな?」
 百合子はため息をついた。
 結衣は百合子に向き直ると、実はねと話し始めた。
「あたし、陸上部の練習の後に、水筒を学校に忘れたことがあってね。喉が渇いてどうしても家まで我慢できなくて、自動販売機の前に立っていたの。そうしたら、たまたま自転車に乗った鬼頭先生が通りがかって」
「怒られた?」
 百合子が尋ねると、結衣は首をかしげた。
「顔が赤いぞ、ちゃんと水分を摂ったか? って。声は怖かったけれど、鬼頭先生は自分の水筒を取り出して、麦茶をくれたんだ。熱中症の恐ろしさについてガミガミ言われたけれど、冷たい麦茶がすごくおいしかった」
「それは、怒られたんじゃないね」
 百合子の言葉に、結衣がうなずく。それから、二人とも真顔になった。
「斎藤くんたち、鬼頭先生を待ち伏せするって言ってたよね? きっと、何か悪いことをするんだよ。ねぇ、ユイ、止めさせよう!」
 百合子がきりっと副委員長の顔になった。
 結衣も頷いた。


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 結局、悪企みの内容について、確証がないまま土曜日になった。
 百合子と結衣は、午後に、斎藤くんたちがよくつるんでいる駅前で待ち合わせた。
 案の定、駅前のコンビニの駐車場で、三人組を見つけた。斎藤くんも百合子と結衣の姿に気付いた。
「なーんだ、おまえらも、鬼頭ちゃんを驚かすつもりかよ?」
 ニヤリと、斎藤くんは笑った。
 百合子はちょっと怯んだ。やっぱり、斎藤くんたちは怖い。土屋くんも竹井くんも、三人ともゆるゆるの青いジーンズを履いて、派手なTシャツを着ている。ずり下がったズボンからパンツが覗いている。
「オレタチ、金、ないんだ」
 土屋くんがしゃべった。
 竹井くんが近づいてくる。
 百合子と結衣は身を寄せた。
「な、なによ、キョーカツ? ケ、警察を呼ぶわよ!」
 百合子は目を閉じて叫んだ。
「おい、でかい声を出すなよ。そのカツじゃねーよ。鬼頭ちゃんにチキンカツを買ってやろうと思ったんだけど、金が足りなくて。これ、見てくれよ」
 竹井くんは手のひらを広げた。
 十円玉ばかりだ。
「どうして、チキンカツなの?」
 百合子と結衣は口をそろえた。
「はぁ? おまえら知らないの? 九月十七日、今日は鬼頭ちゃんのハッピーバースデーだろうが。職員室で叱られた時、鬼頭ちゃんの机に、子どもの描いたお父さんお誕生日おめでとうの絵が飾ってあってよ」
 斎藤くんは頭を掻いた。
 土屋くんと竹井くんはニヤニヤしている。
「鬼頭ちゃん、オレと同じ乙女座なんだ。オ・ト・メ。しかも、誕生日がオレと三日しか変わらなくて。誕生日会してやるよって言ったのに断られて」
「で、サプライズしよーぜって」
「でも、これが、オレタチの全財産。チキンカツも買えない」
 三人は顔を合わせて、ケタケタ笑った。


p4

 百合子は拍子抜けしてしまった。てっきり悪いことをするとばかり思っていた。
 もしかしたら、斎藤くんたちも、鬼頭先生の優しさを感じたことがあるのかもしれない。
 そうでなければ誕生日を祝う理由がない。
「花はどう? 駅裏の土手にコスモスがいっぱい咲いてるよ」
 百合子の提案に、うおーっと、三人組は賛成した。
「けど、どうやって渡すの? 鬼頭先生の家を知ってるの?」
 結衣が首をかしげると、斎藤くんは得意げに教えてくれた。
 鬼頭先生は、週末、ウォーキングを欠かさないこと。そのコースを把握しているのだと。
 百合子はコスモスの土手を案内した。すると、斎藤くんたちは、また、うおーっと声を上げた。
「奇跡だ! この土手の上は、鬼頭ちゃんのウォーキングコースだぜ」
「イッツ、ミラクル!」
 バカ騒ぎする男子三人組に、百合子と結衣は苦笑した。

 二人はピンクと白のコスモスをとって、紐の代わりに草のツルで根元を縛った。後は、鬼頭先生が現れるのを待つだけだ。
 五人で土手に張り付くように身を潜める。
 斎藤くんが、くくくと笑い出した。
 百合子も笑いをこらえる。なんだか楽しい。声を出さないように鼻で空気を吸い込むと、胸いっぱいに青いにおいが広がった。

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〜創作日記〜
私の中学校にも生活指導のちょっと強面の先生がいました。でも、先生も先生の顔だけではなく、人なんだな、と思ったエピソードが幾つもありました。子どもの頃から、そんな風に、人を観察するのが好きでした。先生というのは職業、生徒というのも職業。とても懐かしく思います。

イラスト:ma_ruku様

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。