YA【霧に走る】(1月号)
月ノ島中学校の一年三組では、後期の席替えが行われた。
岩崎涼は、くじ引きの紙切れに書かれた番号と、黒板の席番を見比べている。十四番。
よりによって教壇のまん前の一番前の席だ。
目が悪い涼は、後ろ過ぎず前過ぎずの真ん中辺りの席を狙っていた。まぁ、狙わなくてもその辺りになるかとなめていた。
さすがに、一番前の席は嫌だ。
涼はけっこう緊張するタイプなのだ。一番前の席で、国語や英語の朗読するのは想像するだけで汗が出る。
(どうしよう)
席替えのくじ引きはまだ続いている。
あちこちで落胆や歓喜の声があがる。おそらく派手なガッツポーズをしているのは後ろの方の席を引き当てたやつだろう。
「いいなぁ、おまえ、一番後ろの角席じゃないか」
黒川清はクラスメイトたちに肩を叩かれている。
「オレさぁ、最近、目が悪くなってきたから、先生の字が見え憎くて困るなぁ」
当の清は困り顔だ。
涼はすばやく反応した。
「それなら席を交換しようぜ」
返事を待たずに、涼は清のくじ引きの紙切れをひったくった。
代わりに、自分の紙切れを押し付ける。
二人は同じ陸上部の一年生同士だ。
「視力はバッチリ」
涼は嘘をついた。
最近、清と同じように黒板の字が見え憎くなっている。それでも、嫌なことから逃げる時、涼の口からするする嘘が出る。
「おいっ……、まぁ、いいか」
清は荷物をまとめて前方の席に行く。
そう言えば、陸上部での新年度の目標発表で、今年の目標は文武両道ですと宣言していた。
陸上バカと呼ばれるほど陸上好きの清の決意表明に、部員は笑ったけど、あれは嘘ではないらしい。
涼はそそくさと荷物を抱えて後ろの席に向かった。
と、その時、
「あのぅ……」
蚊の鳴くような声がして、涼はふりむいた。
女子の三浦と目が合った。
三浦は何か言いたげにもじもじしている。はっきりしないやつだ。
涼は三浦を無視した。
席替え直後、困ったことになった。
黒板の字が見えない。
涼の視力は自分が想像していたより落ちていた。
数学の時間、涼は目を細めて何とか数式を書き留めた。理解する前に授業は次に進んでいく。
(あぁ、先生が数式を消してしまった。ダメだ。この席に居続けたら授業についていけない)
涼は鉛筆を投げ出して机に伏した。
顔を横に向けると、窓の外が見える。どんよりとした曇り空だ。古い校舎の窓の隙間から冷風が吹き込む。
特等席にも見える窓際の一番後ろの席は、実際に座ってみると、まったく快適ではなかった。
数学の授業が終わる。
最後に板書した問題は宿題になった。
チャイムが鳴って、先生が教室を出ていく。
「ヤバイ、メモをとらないと!」
涼はノートを手に前にいって立ったまま板書した。
すると、男子たちの声がした。
「三浦の頭がじゃまなんだよな」
「そうそう、アイツ、座高が高いから、黒板が見えねぇんだよ」
聞こえよがしの悪口だ。
三浦は耳を赤くして懸命に体を折り曲げている。
「おまえも、キリンさんの頭で見えなかったのか?」
一番前で書き写す涼に口の悪い男子が声をかけた。
「そうそう、そーなんだよぉ!」
涼の口から調子のいい嘘が出る。
本当は内心、焦っていた。宿題の問題の解き方がまるで解らない。字が見えなくて、授業においてかれたところだ。
清に教えてもらおうか。何て言って? 目に虫が飛び込んだことにしよう。涼はすかさず清に声をかける。
教えてくれ、実は目の中に羽虫が……。
新学期の陸上部の活動は来週の頭から始まる。
今日はまだ休みだ。
涼は真っ直ぐに家に戻ると、ランニングウェアに着替えた。
「あら、もう部活が始まるの?」
母の声に、そうだよと適当に答える。
これで、今日、何度目の嘘だろう。
家にいると、やれ勉強しろ、勉強しないのなら、やれ家事を手伝えとうるさい。それなら、大好きなランニングに行きたい。
「いってきます」
玄関を飛び出す。
空はますます曇ってきた。
一瞬、ウィンドブレーカーを着に戻ろうかと思ったが止めた。神社まで走ればすぐに体が温かくなるだろう。
「そういえば初詣まだだったな」
少し走りだすと、霧のような雨が降り出した。
まだ傘をさしている人はいない。涼はスピードをあげて川の土手沿いに神社を目指した。
今年は正月からいろいろあった。
高校生の兄が、突然、就職すると言い出して、親と大喧嘩になった。同居している爺ちゃんが何度か餅を喉に詰まらせかけた。
そのせいで、食事の際には、爺ちゃんが餅を口に運ぶ度に、みんな自分の箸を止めて爺ちゃんの食事を見守っていた。
家族団らんも、家族で初詣も行くような雰囲気ではなかった。
そういえば、清とも遊びに行かなかった。
(アイツ、勉強していたのかな)
タッタッタッと走りが良いリズムに乗るはずが……、小石につまずいた。
「ちっ、今年はついてないな」
涼は舌打ちをして神社の石段を昇り始めた。
何だかイラつく。辺りは薄暗くもやがかかっている。正月飾りの残骸が藪に落ちている。
ふと、顏をあげると誰もいない石段の先に人影が見えた。
(清?)
アイツも部活の休みの日にはよくこの神社まで走りに来る。黒い人影は霧の中に消えた。
思わず追いかけて、涼は驚いて叫んだ。
「三浦? おまえ、こんなところで、何してるんだよ?」
三浦は制服姿のままだった。鞄を胸に抱きしめるようにしてうつむく。何もしゃべらない。
あぁ、ますますイライラする。せっかくだから、初詣をして帰ろう。
涼は無人のおみくじ売り場に行って、百円を箱に投げ入れた。
木箱をふり、くじを出す。十四番。
(嘘だろう?)
どうしてこの数字が付きまとうんだよ。
「はい、これ」
三浦が涼の手元を覗きこみ、おみくじを渡してくれた。
「余計なことするなよな!」
涼が恐々とおみくじを開くと、凶という文字が飛び込んできた。もう嫌だ。病気は治らず、待っている人は現れずに、失くした物も出てこないという……、続きを読む気も失せる。
と、珍しく、三浦がちゃんとしゃべった。
「悪い内容なら、そこの竹の枝に結びつけた方がいいよ」
「おまえ、中身を見たの?」
またしても、三浦はうつむく。覗いたのがバレバレだ。その場をとりつくろったり嘘をつくことを知らないのだろうか。
「大吉だから持って帰るよ」
涼はバレバレの嘘をつき、おみくじをポケットに押し込んだ。
踵を返すと、
ドスンッ
物音がした。
ふりむくと、三浦が尻餅をついて、頭の片側をおさえていた。
「おい、具合が悪いのか?」
涼が尋ねると、三浦は泣きだしそうにほほ笑んだ。
(泣くのか笑うのかはっきりしろ)
涼はため息をつき、三浦の手をつかんで起こした。冷たい指先だ。いつからこの神社にいたのだろう。
一年生の当初より、三浦はクラスの中で浮いていた。そして、ひょろ長い体形のせいで、陰ではキリンと呼ばれていた。
「頭痛と肩こりと……」
三浦がつぶやいた。
とにかく小雨をしのげる場所に移動した。
もしかして、三浦は新しい席で体を無理に小さくしていたせいで頭が痛くなったのか?
それで、神頼みに来ていた……。
それから、ようやく涼は気づいた。あの時、三浦は清と席を代わって欲しかったのだ。後ろの席なら座高をからかわれることはない。それを涼が先に横取りしてしまった。
「あぁ、寒っ!」
涼は立ち上がり飛び跳ねた。
チャリンとポケットに入れた小銭の音がする。
「にーしーろーはー」
あぁ、今年は、マジでついてない。
小銭はジュース一本分しかない。
涼は自動販売機で温かいココアを買って、三浦に押し付けた。
三浦は驚いた顔をしたが、缶入りのココアを受け取った。
「勘違いするなよ。それで、席を代わってくれ」
涼は天を仰いだ。やっぱりイライラする。清にも。なにが文武両道だ、エラソーに。そんなこと、本人に面と向かって言えない。
だからテキトーに嘘をついて、テキトーに合わせている。
兄貴もいきなり就職するって、なんだよ。爺さんも家族の心配をよそに上手そうに餅を食ってさ。
それに、はっきりしないのは自分も同じだ。勉強なんてどうでもいいと言いながら、解らないと不安になる。
陸上部でも大きな目標がある訳でもないのに、タイムが伸びなければ悔しい。なにより、最近、嘘をついた直後にモヤモヤした気持ちになる。
こんな自分になりたくてなったわけではない。だからって、どんな自分になりたい?
「もう、行くから」
霧の中、涼は走り出す。
どこにむかっているのだろう。解らない。
でも、止まるのは怖い。
砂利を踏みしめると、背後から声がした。
「ありがとう……」
一瞬、聞こえないふりをしようとしてやっぱり止めた。
ふりかえるかわりに、片手を上げた。
今、三浦はどんな顔をしたのだろうか。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。