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YA【握り拳の中の夢】(9月号)


2015/9


p1

 島田家の週末は、土日のどちらか、家族そろって、母方の祖母の家へ遊びに行くことになっていた。
 父の運転するワンボックスカーの後部座席で、郁也は寝ぐせのついた頭をかきながらつぶやく。
「友だちと遊びに行きたいんだけどさ……」
 助手席の母に、サイドミラーの中でにらまれる。
 母はもはや儀式とも呼べる週末の実家訪問を、欠かさない。自分が世間一般の人と同様に幸せな家庭を築いているのよ、と祖母に見せることで安心させる為に。
 これは、兄、純也の持論だが、郁也もそう思う。
 その高校生の兄は、この夏休み、お盆に家に戻らなかった。全寮制の有名私立高校へ進学して、同級生の友だちの親の経営する飲食店で、住み込みのバイトをしていたらしい。
「ジュンちゃんは何を考えているのかしら」
「さぁね」
 郁也が答えると、また母ににらまれた。黒縁メガネをかけた気の強そうなオバサンに見える。
 しかし、母が祖母に逆らえないのを、郁也は知っている。祖母と話す時はいつも敬語だ。いい歳して、祖母に叱られて泣いていたこともある。
 今、車内には三人しかいない。兄は、家族ごっこ(純也が命名した)から逃げた。
 母は祖母が気分を害するか、気が気でないのだろう。暑くもない寒くもない車内で、さっきから何度も、ハンカチで汗を拭いている。
「着いたぞ」
 普段から口数の少ない父が、車を降りるように促す。


p2


 両親はお見合い結婚だ。
 いつだったか親戚の集まる酒の場で、婚期を逃した者同士とからかわれて、母はめちゃくちゃ怒っていた。
 しかし、実状はちょっと違う。
 母は祖母の命令で好きな仕事を辞めさせられて、三十歳になる寸前に籍を入れた。子どもは二人と言う祖母の指示通りに出産して、実家から車で五分以内なら安心という祖母の希望で一軒家を建てた。
 そして、毎週末、孫の顔を見せに通う。
 祖母本人の口から聞いたので間違いない。そして、祖母は得意げに続けた。
「ジュンちゃんも、イッちゃんも、悩み事があったらおばあちゃんに言いなさい。おばあちゃんが助けてあげるから」
 ハーイと、調子良く返事をしたのは、兄だけだ。
 ジュンちゃんは、オレらは仲良し家族を演じていればいいんだと笑っていた。
「よく来たね、元気だったかい? お入りなさい」
 祖母が車の音を聞きつけて、ボロ屋を飛び出して来る。
 祖母は真っ先に、郁也の元にやって来る。そして、しわくちゃの手のひらで郁也の手をつかみ、なでくり回す。
 気持ち悪さに、郁也の笑顔が引きつる。
 小学生の低学年の頃までは、郁也は祖母が嫌いではなかった。お菓子やお小遣いをくれるからというのが主な理由だったけど。
 いつからだろう。祖母と、祖母と母の関係に違和感を覚えるようになったのは。まるで、女王と召使だ。
「郁也、お父さんに挨拶して」
 玄関先から、母が命令する。
 木造平屋建てのかび臭い家には、三年前に死んだ祖父の仏壇がある。チーンしてポーン。またしても、純也の言葉を思い出す。
 仏壇でチーンして手を合わせれば、ポーンと小遣いをもらえるという意味だ。
 いい子ぶっていた兄は、家族を離れて今、好き勝手やっている。
 郁也はこっそりと、祖母に触れられた手のひらを、ジーンズの尻でぬぐった。


p3

「イッちゃんの夢はなぁに?」
 祖母は毎回、同じような質問をする。
 夢だの、やりたいことだの。古いエアコンが生ぬるい風を送っている。
 純也はこんな時、素晴らしい夢を並べた。医者、弁護士、研究者もいいなあ、病気の人を助ける薬を開発するんだ、なんて。
 郁也は、それらのどれもが、純也の夢ではないことを知っている。
 純也の夢は、頭のキレルお笑い芸人になることだ。
 幼い頃から、親には内緒だぞと前置きして、兄は郁也に一発芸を披露してくれた。
 兄の目がきらきら輝いていて、その夢が嘘ではないことを物語っていた。
 郁也は夢と言われても、ピンと来ない。これと言って、趣味も好きなこともない。唯一、母の苦手な家事を手伝うことは嫌いではない。
 それでも、
「獣医さん……」
 と、答えることに決めている。
 とりあえず肩書のある職業を言っておけば、祖母が満足するからだ。すかさず母が付け加える。
「郁也は、夏の読書感想文コンクールに入賞したんですよ」
「すごいわね!」
 会話が盛り上がっているのは、母と祖母だけだ。
 父は顔をうずめるように、新聞を読んでいる。
 郁也は苦笑する。夏休みの読書感想文は、母親にガミガミ言われて何とか書き上げたが、内容に満足せず、母が書き直した。
 出来上がった感想文は、もはや郁也の感想文の面影はなかった。そもそも、読書感想文の本だって、数冊候補があったのに、母が勝手に決めてしまった。そして、母、父と、その本を読んでから、郁也に渡された。
「いい本は、家族みんなで読むのが、いいじゃないの」
 と母は言った。しかし、
「うちはこの夏、戦争について考える機会を持つ為に、家族全員で特攻隊の本を読むことにしました」
 と、祖母にも報告していた。
 心底、反戦について考えようなど、母は思ってない。母の価値基準は、祖母が喜ぶかどうかだ。
「それで、ジュンちゃんのインフルエンザは良くなったのかい?」
「えっ、ええ」
 母が声をつまらせる。
 盆には家族そろって墓参りをしなければいけない、という祖母のルールを、兄は破った。
 母は祖母への言い訳に、兄をインフルエンザに仕立てた。これから毎年、盆に、兄は季節外れのインフルエンザになるだろう。
「高熱が出たんじゃないのかい? 男の子は高熱が出ると、子どもを作り難い体になるって言うだろう」
「お、お母さん……」
 母が小声になる。
 父はますます新聞に顔をうずめる。
「島田家の大事な跡取りだろう。おまえがもうちょっと早く結婚して、子どもを産んでいたら、ひ孫の顔を拝めたかもしれないのに。もたもたしていたから、わしの夢は叶いそうもない。なぁ、イッちゃん」
 郁也は閉口する。
 跡取りって、城のお殿様でもあるまいし。何度も聞かされたことのある祖母の夢。自分勝手な迷惑な夢。
 いつもなら聞き流すのにうんざりした。
 昨夜の兄からの電話のせいかもしれない。


p4

「もしもし、イク? 元気か? オレ、忘れ物したみたいでさ。オレの部屋のベッドの下を覗いてみてくれないか?」
「何? エロ本?」
 郁也は純也の部屋に入った。
 机の上には難しそうな参考書が並んでいる。ベッドの布団はしまわれてパイプの枠だけになっている。ベッド下の引き出しを引っ張ると、衣服に混じって、数枚のCDがあった。
「落語のCDを忘れちまって。郵送で送ってくれないか? 明日、ドーセ、おばあちゃんから小遣いもらうんだろ? それで送ってくれ」
 とりあえず、郁也はウンと答えると、携帯電話を切った。
 プラスチックのCDケースは使い古してヒビが入っていた。
 兄の夢。
 子どもの頃からずっと変わらない、羨ましいほど眩しい夢。
「イッちゃん、ぼんやりして、どうしたの?」
 祖母が尋ねる。
 郁也は、母と祖母を順番に見る。この人たちは、兄が芸人になりたいなど言い出したら卒倒するだろう。
 母が祖母の質問に答えなさいと、目配せする。
 その瞬間に、郁也はプツンと、良い子を演じる気が失せた。
「ぼく、シュフになろうかなぁ」
「主婦って、イッちゃんは男の子でしょうが」
 祖母は、郁也が冗談を言ったと思ったみたいだ。
「おばあちゃん、今の時代は、男でも主夫になれるんだよ。どうせなら、専業主夫がいいな。ぼく、掃除も洗濯も料理も好きだしさ。お金は奥さんが稼いできてくれて、子どもはいらない。楽ちんじゃなぁい?」
 母の頬の筋肉が引きつる。
「でも、ただの専業主夫だけで人生が終わっちゃうのは寂しいなぁ。家事の合間に、通信講座でも習おうかな。ペン習字、かな文字、パッチワーク、ソープカービング、たくさん資格をとったら何か変わるかも」
 どれも、母親が、祖母に反抗するように、夢と声高に主張して習った講座だ。でも、最後までやり遂げた試しがない。講座の途中、何か違うと首をかしげて、次の夢を探す。そして、郁也にも夢を追い求めなさい、男なら冒険しなさいと演説する。
 郁也は平静を装いながら、こぶしを握りしめた。
 郁也がやりたいことがわからないように、祖母の言いなりの母も、自分の夢がないのだ。
 そんな母親の指図など、もうききたくない。
 来週から週末は、友だちと遊びたい。ささやかな願いだが、どうやら叶いそうだ。
 なぜなら、母親もこぶしを握りしめている。あのこぶしの中に入っているのは夢じゃない。無難な世間体だけだ。

〜創作日記〜
この作品、懐かしいですね(笑 当時の担当さん、困ってましたね。連載の掲載先は教育雑誌で「PTA」「校長会」など、様々な検閲(私はこう呼んでいる)をくぐり抜けて雑誌に掲載してもらえるのです。当然、アリガタイ苦情も来ます。これは、主人公に思いっきり本音を吐かせました(笑

いや、知り合いの主婦さんに「うちの家族はね、この本(ベストセラー戦争小説)をみんな読んだの、すごいでしょう?(よく出来たお利口家族)」と頓珍漢な自慢をされて、私はポカーンと返答に詰まったのだ。それを機にいっきに書き上げた。旧担当様、ごめんなさい(笑 

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。