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YA【あした天気になあれ】(7月号)


2015/7


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 例年より一週間早く梅雨が明けたというのに、今日もしとしと雨が降り続いている。
 野球部の辻雅之は、ぬかるんだ運動場を見つめて、ため息をつく。来月には、公式戦を控えている。今日も、グラウンドで練習できない。
 雅之は三年生が引退した時、部員たちの投票でキャプテンに選ばれた。ポジションは外野手で主にセンターを守り、一年生の秋からレギュラーだ。地区大会でもなかなか勝てないけれど、今年の目標は大きく県大会出場だ。
 下駄箱で、雅之がうらめしそうにグラウンドを眺めていると、
「おーい、マサ、今日もナカレンか?」
 隣りのクラスの天野が声をかけてきた。
 天野もバカがつくほど野球が好きで、雅之と同じく一年生の秋、ライトのポジションをとった。
「あ、アマちゃん、グラウンドは使えない」
「マジかよ、三日連続なんて最悪だな」
 ナカレンとは、体育館周りのひさしのある場所を走ることだ。ここなら、雨にぬれない。
「体育館の横に集合って、みんなに伝言たのむ。おれは職員室へ行って今泉先生に連絡してくるよ」
 英語の今泉先生は、草野球の経験しかないが、野球をこよなく愛している。読書で習得したウンチクと、趣味のプロ野球観戦で身に付けた洞察力はすごい。いち早く、雅之と天野の野球のセンスを見抜いたのは、今泉先生だ。
 室内練習の報告に、
「昨日、おまえたち声が出ていなかったぞ!」
 いきなり、雅之は怒られた。
「今日は気合入れろよ」
「あ、ん、はい」
 雅之は答えてから、手のひらで喉を押さえた。最近、喉の具合がおかしいのだ。話そうと思ってもすぐに声が出なかったり、何かに引っかかる感じがする。
 雅之は咳払いをしながら、職員室を後にした。


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「エイヤ、エイヤ、ファイト、オウ!」
 野球部は二列になって走りながら、前から順番に声を出す。雅之の番になった。声を出そうと、息を吸い込んだ時だ。体育館からバスケットボールが転がってきた。
「ヒ、ヒャーーッ!」
 飛び上がって避けた瞬間、雅之は変な声を出していた。まるで鶏が首を絞められたみたいな、かすれた声だ。チームメイトに笑われなかったのは、雅之がそのまま転倒して足を押さえたせいだろう。
「す、すみません!」
 体育館からボールを追いかけて来たのは、緑色のジャージの男子だった。うずくまる雅之に、甲高い声であやまった。
 と、そこに、
「大丈夫か?」
 低い声が響いた。
 雅之が顔を上げると、一年の時同じクラスだった細野がいた。
 雅之はびっくりした。ひょろ長いイメージだった細野の体が、一回りも二回りも大きくなっている。声もこんなに低かったか?
「大丈夫だから、みんなランニングを続けて……」
 雅之は野球部員に指示を出す。なんだか声が小さくなった。
 声変わりしてない雅之の声は、一年生の声のように甲高い。今まで意識したことはなかったけれど、急に恥ずかしくなった。
「おまえ、練習に戻れ」
 細野もバスケ部の後輩に声をかける。その声は怒っているせいか、より一層、低く渋く聞こえた。
 雅之はその場を離れたくて、立ち上がった。ウッと声がもれる。ひねった左足の痛みが、脳天に響く。
「歩けそうか? コールドスプレー取ってくるよ」
 雅之は声を出さずにうなずく。このくらいの痛みなら骨に異常はないはずだ。スプレーをかけてテーピングして、今日はこのまま帰ろう。
 細野はスプレーを探しているのか戻って来ない。
 自分のスプレーをかけた方が早い。それに、細野としゃべりたくなかった。知らない間に、元クラスメイトが大人になって、自分だけ子どものままの様だ。
 細野が来る前に、雅之は足を引きずって、部室に戻った。


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 翌日、なんとか雨は上がった。
「ライト、バック、バック、こらっ、どこ見てる! ボールを取ってこーい!」
 今泉先生はグラウンドに出ると、物静かな英語の授業の時と違って、人が変わったようになる。中途半端に伸びた白髪をかき上げて、ノックバットを持って、ノックをする。けれども、白球はめったに狙ったところへは飛ばない。
 今のボールだって、センターと声をかけて打った球がライトへ飛んだのだ。珍しく、ライトのポジションの天野はスタートが遅れた。天野は慌ててバックしたけど、打球は頭上を越えて行った。
 雅之はカゴの中から、今泉先生にボールを手渡す。雅之は左の足首にテーピングをしている。しばらくは、練習に参加できない。それでも、久しぶりの土のにおいに、わくわくする。あぁ、早く動きたいな……。
「こら、辻、声を出さんか! ライト、もう一丁!」
 今泉先生も気合が入っている。後逸したボールを拾って、泥まみれの天野が全速力で戻って来る。グローブを掲げる。
「さぁ、こーい!」
 天野に向かって、雅之は、ファイト! と声を張り上げた……、つもりだった。
「ファ、ヒ、トー!」
 雅之はおかしな声を出していた。
 今泉先生はノックを空振りした。
 一瞬、チームメイトは硬直したが、すぐに腹を抱えて笑い出した。雅之は恥ずかしくて、顔を上げられなかった。すみませんと小声でつぶやく。怒られるかと思ったら、
「まぁ、いい、無理に声を出すな」
 今泉先生は、雅之に穏やかに言った。それから、みんなに向き直った。
「誰だ! 笑ったやつは! まだ、笑う余裕があるんだな」
 ノックの嵐が始まった。センターと言ってレフトに打ち、ファーストと言ってセカンドへ、ショートと言ってまたしてもセカンドへ。下手過ぎる。
 雅之は閉口した。それから空を見上げた。あした、晴れるかな?
 雨ならランニングだから、裏方の仕事はない。練習を休める。晴れたら声だしをしなくてはいけない。
 先生は声を出さなくてもいいと言ってくれたけど、そうはいかない。キャプテンとして、今、自分のできることは声だししかないのだから。


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 学校からの帰り道、雅之は足をかばいながらゆっくり歩いた。
 自分が声変わりの時期だということはわかっている。変声期は個人差があるものの、ネットで調べたら、半年から一年間続くと書いてあった。冗談じゃない。今のチームメイトと楽しく野球がやりたいのに、一年も経ったら三年生じゃないか。
 雅之は立ち止まった。空を見上げる。
 雲の隙間から、わずかに夕焼けが覗いている。あしたの天気の予想はつかない。最近の天気予報も当てにならない。
 と、一匹の白い猫が雅之の前を横切った。電信柱の下で、顔を洗いはじめた。と言うことは、
「あした、雨かよ。こらっ、顔を洗うの止めろ」
 雅之は思わず話しかけていた。それから、自分の気持ちに気付いた。やっぱりグラウンドで野球がしたい。
「おーい、辻くん!」
 後ろから声をかけられて、雅之はふりかえった。細野だ。
「昨日は、ごめんな。コールドスプレー切らしていてさ。これ、使ってくれよ」
「い、いいよ……」
 雅之は速足で歩き出していた。
 声変わりした細野は、どうも苦手だ。しかし、細野はしつこく付いて来る。ねんざをしている足では、簡単に追いつかれてしまう。
「怒っているのか?」
 首をふる。
「ぼくもバスケ部のキャプテンになったんだ。このままじゃ、申し訳ないから」
 細野は雅之の胸に、コールドスプレーを押し当てた。仕方なく、雅之はスプレーを鞄にしまった。
 しばらくの間、黙って二人で並んで歩いた。途中、細野が水筒を取り出してラッパ飲みをした。
 喉を鳴らして飲む細野から、雅之は目を逸らす。喉仏が動くのがわかる。自分も早く大人の体になりたい。筋肉だってもっとつけたい。打球の飛距離も伸びるだろうな。青い空に、白球がぐんぐんのびていく。想像しただけでわくわくする。
「飲むか?」
 細野に差し出された水筒を、雅之は受け取った。喉はからからだ。一口飲むと、はちみつ入りのスポーツドリンクだった。
「うまっ!」
 雅之は水筒を傾けて、ごくごく飲んだ。
 雅之が細野に水筒を返す。細野は大口をあけて、水筒を逆さまにした。もう空っぽだ。
 二人は顔を合わせると、高い声と低い声で笑い出していた。

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〜創作日記〜
この時の連載テーマが「思春期特有の悩み」でした。男の子の声変わりも描かないといけないだろうなと思い、色々調べたりしました。担当さんも女性で二人で悪戦苦闘しました(笑 楽しかったな

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。